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「──迷子になるなんて、まったく困った婚約者だ」
しばらくフェリシアを抱きしめていたイクセルの腕がほんの少しだけ緩んだと思ったら、ため息交じりの声が降ってきた。
ついさっきまで鳴り響いていた雷の音も、激しい雨の音も聞こえない。あたたかい暗闇の中、イクセルの声だけが、フェリシアの全てになる。
「ご、ごめんなさい。あの……どうして……ここに?」
謝罪をしたと同時に、至極純粋な疑問が生まれる。
顔を上げてじっとイクセルの顔を見つめれば、彼はバツが悪そうに横を向いた。
「ま、まぁ……なんていうか……やっぱり、お仕置きをされないままでは、どうも居心地が悪くてね」
「……なんですの、それ」
せっかく今世の自分を繋ぎとめることができたというのに、俊也と同じように、わかりやすい嘘を吐くのはやめてほしい。
そんな気持ちから、つい軽く睨んでしまったフェリシアに、イクセルは探るような視線を返す。
「それで、貴女はどうしてこんな森の中で一人でいるんですか?」
「え、別に……ちょっと……」
「散歩にしては、随分深い森の中におられるようですけど?」
ごもっともな指摘に、フェリシアは口ごもる。森をさまよい歩いた理由なんて、言えるわけがない。
しかし、誤魔化そうとしたところで、現在フェリシアは取り調べを得意とするイクセルの腕の中にいる。こんな状態では、嘘などすぐに見破られてしまうだろう。
「……見つけて欲しかったから」
しばらく悩んで答えれば、イクセルは返事をする代わりに抱きしめる腕に力を込める。
「まったく、かくれんぼをする歳でもないでしょう。それで、何があったんですか?」
「……なにも、ありませんわ」
「貴女は嘘を吐くのが下手だ」
お前のことなど何でもお見通しだ、と言わんばかりのイクセルの口調に、フェリシアの心が揺らぐ。
「言ったところで、何も変わりませんもの」
「そうとも限らない。言葉にして吐き出せば、心が安らぐときもあります」
「……話してしまったら、貴方はわたくしのこと、幻滅するわ。きっと」
だからお願い。これ以上、踏み込まないで。
それを伝える代わりに、イクセルの上着をぎゅっと握って、フェリシアは首を横に振る。
なのに彼は抱きしめている片方の腕を外したかと思えば、びしょびしょになったフェリシアの髪をそっと撫でた。
「幻滅なんてしませんよ。たとえ貴女が誰かを殺していようとも、私だけは貴女の味方です」
「っ……!」
「言ってみなさい。今日のことはすべて忘れて差し上げますから」
その言葉はフェリシアにとって抗い難い誘惑だった。揺らぎ始めていた心の天秤が、カタリと傾く。
「わたくし、大切な人を傷つけてしまったの。でも……もう、その人には会えないの!謝ることすらできないのっ」
髪を撫でるイクセルの手がピタリと止まった。
しかしフェリシアは、それに気付かない。
「大事にしてくれてたのに酷い態度を取っちゃったの!傷つけていることすら自覚できなくて、最後は自分の手で壊しちゃった。今、すごく謝りたい。許してもらえなくてもいいから、ちゃんと”ごめん”って伝えたかった……!」
せきを切ったように溢れる後悔と懺悔に、イクセルは黙って耳を傾けてくれている。
そこに安堵を感じ、語ることで気持ちを楽にしようとする自分に嫌気が差す。
「……やっぱり、こんなの駄目ですわ」
吐き出すだけ吐き出し自我を取り戻したフェリシアは、イクセルの胸に両手を当てて、ぐいっと腕を伸ばして物理的に距離を取る。
「駄目じゃない。私が許すよ」
フェリシアにされるがままになっていたイクセルは、ポツリと言った。
「え?……だ、駄目です。そ、それに……貴方が許してくださっても、わたくしは自分を許すことができません」
「なら、その過ちをずっと抱えて生きていけばいい」
「っ……!」
突き放すイクセルの言葉に、フェリシアは息を呑む。
「誰かの手を借りてでも昇華したいわけじゃない。なら貴女はまだ未練があるのでしょう。それを無理にどうこうしなくていい。気が済むまで抱えて生きていけばいいじゃないですか」
早口でまくしたてたイクセルは、ポタポタと雫が垂れる前髪を鬱陶しそうにかき上げ、大きく息を吐く。
それはため息にしか見えなくて、この会話が強制的に終わったのだと悟った。でも、それはフェリシアの早とちりだった。
大きな手が、俯いてしまったフェリシアの両頬を包み込む。イクセルのぬくもりを感じる前に顔を上げさせられ、フェリシアは否が応でも彼と目が合う。
「もう手が届かない相手への償い方なんて、私にはわかりません。国法ですら、どう裁いていいかわからないでしょう。そんな難解な問題と向き合いたいなら、じっくり悩めばいい。貴女の自由です。ただ……」
「ただ?」
「貴女が罪の償い方を見つけるまで、私はとことん付き合います」
噛んで含むように言われ、フェリシアは涙が滲んで視界が揺れる。
「いいんですよ、今すぐ答えを見つけなくたって。じっくり考えていけばいい」
逃げるか、目を背け続けるか、飲み込まれるか。そんな卑怯と絶望しかない選択肢だけと思っていたフェリシアに、イクセルはもう一つ選択肢を与えてくれた。
冷え切っていた心が、じんっとあたたかくなる。
きっとこれから先、弱い自分はまた強い後悔の念に苛まれるだろう。でも、イクセルの言葉を思い出しさえすれば、この先も立ち止まらずに生きていける。フェリシアは、心からそう思った。
いつの間にか雨脚が弱まり、夕立が上がろうとしている。木々の隙間から、夕日が差し込み、視界が優しい色に染まっていく。
「ありがとうございます」
フェリシアは、涙をこぼしながらイクセルに微笑む。
「どういたしまして」
そう言って微笑み返すイクセルは、今まで見てきた中で一番素敵だった。




