⑨⑦
ユーゴはモンファと目を合わせることはなく去っていく。
キャンディスたちには見えないようにしているのだろうが、反対側の手や衣服には血が付着している。
作業というのは明らかに裏の作業のようだ。
(相変わらずユーゴは恐ろしいわ……気が立っているような気がしたけれど)
モンファは俯いたまま、再びローブを被り直してしまった。
それを見ていた隙に一体どこから出て行ったのか、もうユーゴの姿はない。
さすがバイオレット宮殿の侍女たちは慣れたユーゴが現れようとも消えようとも特に反応を返すことはない。
モンファもペコリと小さく頭を下げて姿を消してしまった。
「あっ……!」
キャンディスがモンファに話しかけようとしたが、時すでに遅し。
伸ばされた腕をゆっくりと降ろした。見兼ねた侍女が声をかける。
「皇女様、どうかされましたか?」
「少し……彼女と話してみたかったのだけれど」
そう言った瞬間だった。
「何かご用でしょうか」
「……ひぃっ!」
モンファは音もなくキャンディスの前に現れたではないか。
キャンディスは驚きすぎて尻もちをついてしまう。視界ではヒラリと黒いローブが靡いていた。
「キャンディス皇女様、大丈夫ですか!?」
「いたた……」
バイオレット宮殿の侍女たちが慌ててキャンディスの背を支える。
「一人で立ち上がることすらできないのですか?」
「……なっ!」
モンファの挑発的な発言にキャンディスの苛立ちは一気に沸点へ達する。
キャンディスがモンファに噛み付く前に侍女たちが声を上げた。
「ちょっとあなた。護衛であるあなたが主人を傷つけるなんて許されませんわ!」
「このことはユーゴ様に報告させていただきますからね!」
キャンディスよりも怒っている侍女たちを見たキャンディスは正気に戻る。胸元を押さえて深呼吸をしていた。
「申し訳……ありませんでした」
モンファの手のひらが悔しそうにぎゅっと握られていることに気づく。
彼女はキャンディスに頭を下げた。
恐らくキャンディスには仕えたくはないが、護衛を解かれても困るということかもしれない。
(……先ほどのユーゴの言葉も気になるし、わたくしは〝いい皇女〟だもの。この程度で解雇したりしないわ)
思い浮かぶのはエヴァとローズの顔だ。
二人はあれだけ失敗してもキャンディスは許すことができている。
それにまだモンファがどんな人物かもわからないでらないか。
キャンディスは立ち上がると、怒る侍女たちを宥めるように声を発する。
「わたくしは大丈夫よ。このくらいのこと気にしていないわ」
「ですが皇女様……!」
「ユーゴ様どころか、皇帝陛下だってお許しになりませんわ!」
侍女たちの言葉にモンファの肩が小さく跳ねたような気がした。
ユーゴは仕事に対しては厳しそうなので怒るのはわかるが、ヴァロンタンが許さないというのは言い過ぎではなかろうか。
キャンディスは侍女たちを宥めた後に、大丈夫だとアピールするためにモンファに手を伸ばした。
「これからよろしく、モンファ」
「……よろしくお願いします」
モンファのゴツゴツとした手のひらがキャンディスの手を包み込む。
少女というにはあまりにも固い皮膚。
キャンディスが十歳からレイピアのグリップを握っていたが、見た目が優美なわりには重たく持ち続けるだけでも辛かった。
攻撃をいなしたり、突いたりすることで手のひらが擦れていく。
使いこなせるようになっていくにつれて皮膚が固くなっていったことを思い出す。
(どれだけ訓練したらこうなるのかしら……)
そのことでモンファのことを自分のことのように考えてしまう。
彼女は自分から護衛や影の任務を望んでやっているのだろうか。
(わたくしも訓練が大嫌いだったわ。できるなら戦いたくなんてなかった。愛されるために必要だったから……なんて今更よね)
まだ小さな頃はショートソードだったが、成長するにつれてレイピアに変わっていった。
レイピアは貧弱そうに見えるが根本周辺は頑丈にできている。
大型両手剣の一撃に耐えられる分の強度もある。
キャンディスら結果的にはレイピアを自分を守るためではなく、人殺しの道具として使っていた。
(わたくしは愛されるためならって、なんだってやったものね)
今になって思い出すが、我ながら素晴らしい手捌きだったと思う。
気に入らない奴は心臓を一突きで終わり。
そんなことを思い出したがら反省モードになっていると、モンファはそっと手を離す。
キャンディスが声をかける間もなく、再び姿を消してしまった。
以前ならすぐに気に入らないと言って終わりだったが、彼女を突き放せないのは自分の姿と重ねてしまうからかもしれない。
ただ一つわかることはエヴァとローズのような仲にはなれないということだ。




