第95話 猛者たちの動向(後編)
王都・ドリム城の長い廊下を慌ただしく歩くのは、トロイメライ王国宰相のスタン。
スタンは先程入手した重大な情報を国王ネビュラに伝えるため、彼が居る執務室を目指していた。
やがてスタンはネビュラの執務室前に到着。扉をノックして、ネビュラからの応答があると、その扉を開いた。
執務室には、ネビュラと、第1王子のエリックの姿があった。
普段は眉間にシワを寄せ、険しい表情を見せているネビュラとエリックだが、今はその表情を緩めており、つい先程まで親子水入らずの談笑を楽しんでいたようだ。その2人の元へ、スタンが神妙な面持ちで歩み寄っていく。
「陛下、エリック王子。お楽しみのところ失礼致します」
「どうした、スタン? 親子水入らずの時間を邪魔するとは、お前も悪い趣味をしているな」
「申し訳ありません。急ぎお耳に入れておきたいことがございます」
スタンはネビュラに嫌味を言われるも、それを軽く聞き流す。普段の彼であれば、冗談混じりに言い訳をする場面だが、今は険しい表情で主君を見つめていた。その彼の表情を見たネビュラは眉間にシワを寄せる。
「良い話ではなさそうだな……」
「ええ……」
「申してみよ」
スタンはネビュラに促されると、咳払いをした後、その重大な情報を伝える。
「申し上げます。王都守護役・フィーニスのウィンター・サンディと、アルプのタイガー・リゲル殿が、イメージアの仲介で和睦しました」
「な、なんだと!? それは誠か!」
「ええ。先程、保安局諜報部から報告がありました」
スタンからの報告に、ネビュラとエリックは互いに顔を見合わすと、信じられないっといった表情を見せる。
エリックが顎に手を添えながら言葉を漏らす。
「あの2人はついこの間まで、ライス領を巡って、おむすび山で睨み合っていた仲だぞ。それが突然和睦など、どういう風の吹き回しだ? そもそも他領を侵すタイガーをウィンターがそう簡単に許すとは思えぬ……」
息子の言葉を聞き終えたネビュラが、スタンに尋ねる。
「して、和睦はどちらから持ち掛けたのだ?」
スタンは険しい表情で返答する。
「結論から申し上げますと、和睦を持ち掛けたのはタイガー殿。ライス領から手を引くという条件で、ウィンターが受け入れたそうで……」
エリックが不思議そうに首を傾げる。
「そんな和睦、タイガーに何のメリットがある? 奴もいい加減、戦に疲れたのか?」
ここでネビュラが表情を曇らせながら言葉を漏らす。
「いや……メリットならある。ウィンターを気にしなくて済むということは、奴が自由に動き回れるということだ……」
「父上、まさか……?」
ネビュラはスタンに鋭い視線を向ける。
「スタン。お主先程、結論からと申していたな? なら、結論に至るまでの経緯を簡潔に申してみよ」
スタンは唾を飲み込んだ後、額に汗を滲ませながら、驚愕の事実を伝える。
「この一件、どうやら王妃様が裏で糸を引いているようでして。タイガー殿とは勿論、ウィンターと、そしてイメージアのソロモン様とも文のやり取りをされていたそうです……」
事実を知ったエリックの顔が青ざめる。
「母上……とうとう、おやりになりましたな……」
その隣でネビュラが高笑いを上げる。
「フッハッハッハッ! あの女も小賢しい真似をしてくれる……」
そして、高笑いを上げていたネビュラは、突然鬼の如く怒りの表情を見せる。
「スタン……」
「はっ!」
「レナを……拘束しろ……!」
トロイメライ王妃レナは、ネビュラの逆鱗に触れることになる。
――アルプ領主リゲル家の居城「サニー城」では、慌ただしく出陣の準備が行われていた。
今朝方、調印式のためイメージアに赴いていたタイガーが帰城。彼もまた、本日正午頃の出陣を目指し、身支度に追われていた。その身支度もつい先程終了し、今は早めの昼食をとっていた。
昼食を終えたタイガーは、息子レオと共に、サニー城の廊下を歩きながら言葉を交わしていた。
「レオよ。出陣の準備ご苦労であった」
「いえ。父上こそ、長旅お疲れ様でございました。しかし、帰城してすぐの出陣とは、疲れも取れないことでしょう……」
「心配には及ばん。馬車の中で十分休ませてもらった。寧ろ休み過ぎて、体が鈍っておるわ」
「流石、父上ですな」
「して、儂が不在の間に変わったことは?」
「ええ。実は、領内南西部から、エドガー・改革戦士団連合軍の侵入を許してしまいました……」
「ほほう。して?」
「既にブラント親子を現地に差し向けて、対応に当たらせております」
レオからの報告を聞いたタイガーが、ニヤッと笑みを浮かべる。
「小賢しい真似を。恐らく奴らは、儂らをグローリへ近付けないように牽制しておるのじゃろう。じゃが、そんな小細工、儂には通用せんぞ」
「しかし、現地兵士の報告によると、我が領内に侵入した敵将たちは、化け物じみた力を発揮しているようでして、侮れません……」
「案ずるな。あの筋肉オヤジとお主の舎弟に任せておけば抜かりはない」
「父上、ケンザンは舎弟ではございません……」
ここでタイガーが突然足を止める。
「レオよ」
「はっ!」
「ブラント親子には、侵入者を撃破した後、南都手前で本隊と合流するよう伝えておくのじゃ」
「かしこまりました! 直ぐに伝令を飛ばしましょう」
やがて、タイガーとレオは城内のバルコニーに到着する。このバルコニーはサニー城の最上階に築かれており、城内の庭園とサンライトの街並みを一望できる。しかし、この日は生憎の雨模様。目の前に広がるトロイメライ東海も霞んで見えた。
雨が叩きつける庭園には、リゲル家の兵士たちが所狭しと隊列を組んでおり、彼らはタイガーとレオが居るバルコニーを見上げていた。
タイガーは雨に打たれながら、出陣前の演説を行う。
「今、この世は荒れに荒れておる。儂もこの戦乱期を長年生きておるが、過去一番の荒れようぞ。オジャウータンは討たれ、長年保たれていた均衡は破られた。これにより、悪徳貴族と呼ばれる連中は、より一層動きを活発化させることじゃろう。それに留まらず、改革戦士団なる不穏分子が、この王国内に蔓延っておる。罪なき民たちから、家族を、幸せを、命を、未来を奪い、欲望のままに甘い汁を吸い続けている。お主らは、そんな連中が許せるか?」
タイガーの演説を聞いていた兵士たちは、悪徳貴族や改革戦士団の悪行を聞かされ、怒りを滲ませる。そしてタイガーは、雨降らす空を見上げる。
「あぁ、泣いておるぞ。下衆な連中の哀れな行いに、神が泣いておる……」
タイガーは、嘆くようにしてそう言い終えると、再び兵士たちに視線を下ろす。
「今こそ、皆で力を合わせて世を正す時。不穏分子を一つ残らず滅せねばならぬ! と言いたい所じゃが、実際はどうじゃろうか? 国王は目先の利益の事しか考えておらず、オジャウータン亡きクボウ家では力不足、頼りのウィンターはゲネシスに睨みを利かせておかねばならず、身動きがとれん……」
次第にタイガーの話す声に力が増していく。兵士たちは固唾を呑みながら、彼の演説を静かに聞き続ける。
「そんな中、エドガーと改革戦士団が南都への侵攻を始めた。既に多くの罪なき者が命を落としておる。これ以上奴らの蛮行を見過ごす訳には参らぬ!」
タイガーは拳を強く握りしめる。
「今、南都に迫った未曾有の危機を救えるのは、このタイガーである! 儂らが南都を、このトロイメライを救う救世主となるのじゃっ!」
タイガーがそう言い終えると同時に、天から一筋の光が射し込む。その瞬間、兵士たちからどよめきが起こる。タイガーは射し込む日差しを眺めながら言葉を漏らす。
「どうやら、お天道様は、儂らに味方しておるようじゃのう……」
タイガーは再度兵士たちに視線を向けると、訴えるようにして語り掛ける。
「お天道様の期待に応えるべく、儂らの手で不穏分子を根絶やしにし、晴天照々法師の旗を南都に掲げねばならぬ! 南都に安寧と繁栄を齎すために!」
兵士たちはタイガーの言葉に興奮した様子で雄叫びを上げる。するとタイガーは手を振り上げ、兵士たちを静める。そして、言葉を締めくくる。
「先ず手始めに、不穏分子の拠点を叩き潰す! 奴らに帰る場所は必要ないからのう。目指すは、グローリ・ヴィンチェロ! 全軍、西へ進めっ!」
サニー城には、兵士たちの割れんばかりの雄叫びが、いつまでも響き渡っていた。その彼らの出陣をまばゆい日差しと大きな虹が祝福する。
つづく……




