第90話 オスギの計らい
カルムの街に朝日が昇る。
そしてクラフト家も普段と変わらぬ朝を迎えていた。一つだけ普段と違う点を挙げるとすれば、ルイスがいつも以上に張り切っていることだろうか。
「それじゃ、行ってくるよ!」
「おう! 気を付けてな!」
気合が入った様子で登校していくルイスをヨネシゲたちが見送る。
「ルイスの奴、再公演が決まって気合い入ってるな!」
「ええ! 何と言っても、ルイスは主演だからね」
昨日、ヨネシゲたちの元に朗報が舞い込んできた。それは、ルイスが主演を演じる空想術部主催の活劇「空想劇」の再公演が決定されたというものだ。今週末にカルム中央公園にて、昼の部、夕方の部、夜の部と3回にわたって公演する計画だ。
この空想劇は、先日行われた学院祭の演し物であったが、改革戦士団の襲撃により中断。その爪痕は大きく、今期の学院祭は中止が決定しており、空想劇の再公演は困難と思われていた。しかし、空想劇は学院祭の目玉イベントということもあり、多くの者たちから再公演を望む声が聞かれていた。その声はカルム学院長とカルム領主の耳にも届いていたようで、彼らの粋な計らいにより、再公演が決定した次第だ。
「ルイスが活躍する姿が、また見れるんだな!」
「ええ。週末が楽しみだわ!」
息子の勇姿が再び見れる。ヨネシゲとソフィアは、胸を高鳴らしながら、再公演の日を待ち望んでいた。
「さて、俺も気合入れて行ってくるか!」
「うん、頑張ってね! 今日は宿泊勤務だったよね? お弁当はお昼と夜の分、2つ用意してあるから、忘れずに持っていってね」
「おう、ありがとう! 腹が減っては戦ができんからな。もう鞄に仕舞っておくか」
身支度を終えたヨネシゲは、ソフィアに見送られながら、出勤のため家を後にした。
取りやめとなっていた、空想劇再公演の知らせは、既に街全体に広がっている模様だ。
ヨネシゲの通勤路となっているカルム市場では、空想劇のまさかの復活に、歓喜の声が上がっていた。その様子をヨネシゲは微笑ましく眺める。
「いいね、いいね! みんな再公演の話題で持ちきりだな!」
ここ最近、市場を歩いていて耳にする話題といったら、社会情勢を巡る不穏なものばかりだった。ヨネシゲはその話を耳にする度、気分が落ち込んでいた。だが、今日の彼の気分は上々。この市場から明るい話題が聞こえてきたのはいつ以来だろうか?
あちらこちらから聞こえてくる歓喜の声に、ヨネシゲはより一層鼓動を高鳴らせるのであった。
やがてヨネシゲはカルム学院の守衛所に到着していた。
案の定、守衛所でも空想劇再公演の話題で持ち切りだった。早速ヨネシゲも、イワナリら同僚との会話に加わる。
「おう! みんな、おはよう!」
「おう! 来たか、ヨネシゲ! 空想劇の再公演おめでとうだな! これで息子さんも報われる!」
「ヘヘッ。ありがとな、イワナリ。俺の息子も大喜びしてたぜ。これで空想劇に関わった生徒……いや、このカルム学院の全生徒の努力が無駄にならなくて済んだ。これも学院長と領主様、みんなが働き掛けてくれたお陰だぜ!」
空想劇の再公演を喜び合うヨネシゲとイワナリ。ヨネシゲたちのテンションは最高潮に達していた。そんな彼らに同僚の一人から、ある重要な事実を突き付けられる。
「けどよ、ヨネさんとイワナリ。再公演日は2人共宿泊勤務になってるよ? どうするの?」
ヨネシゲとイワナリは互いに顔を見合わせる。
「あぁぁぁぁっ!! 忘れてたっ!!」
そして2人は同時に同じ声を上げた。
ヨネシゲは頭を抱える。
「そ、そうだった……今週末は泊まりだった。ここ最近、日勤が続いていたから、勘違いしてたよ……」
するとイワナリは何かを思い出したかのように同僚に尋ねる。
「け、けどよ。週末と言っても2日あるだろ? 俺らは土曜に泊まりだから、夜勤明けの日曜に観に行けば……」
「残念ながら、再公演はその土曜の一日だけだ。日曜は既に別の催し物が入っている。この先の週末も予定でいっぱいだってさ。今週末の土曜も別の催し物が入ってたらしいが、主催者側のご厚意で譲ってもらったみたいだからな……」
「こりゃ、思わぬ誤算だったぜ……」
肩を落とすヨネシゲとイワナリ。
再び息子主演の空想劇が観れる! と、つい先程までヨネシゲはハイテンションで喜んでいた。しかし今のヨネシゲは、干からびて鮮度を失った魚のような目をして、死神に魂を奪われたが如く立ち尽くしていた。
付いていない。自分は運に恵まれていない。ヨネシゲが今にも泣き出しそうな表情を見せていると、思わぬ救世主が彼の前に現れる。
「ヨネさん、俺と勤務を変更しないか? ヨネさんが良ければ、土曜は俺が泊まってやる」
「オ、オスギさん!? いいんですか!?」
ヨネシゲの前に現れたのは班長のオスギだった。彼は落ち込むヨネシゲに勤務の変更を提案した。思いがけない提案にヨネシゲは即答する。
「ありがとうございます! 是非、是非! 宜しくお願い致します!」
「例には及ばんよ。困った時はお互い様さ。その代わり、週明けの休みは出勤になるからな」
「ええ! 問題ありません!」
ヨネシゲは子供のように飛び跳ねて喜びを表現する。その様子をイワナリが指を咥えながら見つめていた。
「いいなぁ……俺も娘と一緒に再公演見たかったよ……」
イワナリが目に涙を浮かべていると、年配の守衛が彼の肩を叩く。
「イワナリよ。ワシが代わりに泊まってやろう」
年配守衛の言葉に、イワナリは驚いた表情を見せる。
「け、けど爺さん。あなたもう現役退いて日勤しかやってないでしょう?」
「コレ! イワナリ! ワシを見くびるなよ!? まだまだ現役じゃ! さあ、大人しくワシと勤務代われ!」
「で、ですけど……」
ありがたい提案であるが、イワナリは渋る。するとオスギが彼を後押しする。
「イワナリ。爺さんの世話は俺がするから安心しろ。娘さんと一緒に楽しんでこいや!」
「オスギさん、爺さん、ありがとうございます……」
イワナリは礼の言葉を口にすると、眼鏡を外し、指で溢れてきた涙を拭う。この熊男、顔に似合わず涙脆いのだ。
こうして、ヨネシゲとイワナリは空想劇の再公演日を休暇とすることができた。オスギたちの粋な計らいに感謝である。
――その日の昼下がり、カルムの街に異変が起こる。
突然、数十名の王国軍兵士と共に、一台の馬車がカルムタウンの大通りに姿を現した。
兵士たちは我が物顔で大通りを闊歩していた。そんな彼らに街行く人々は道を譲り、街を巡回中の保安官たちも、その様子を呆然と眺めていた。無理もない。兵士たちが護衛する銀色の馬車は、王国内でも位の高い貴族しか乗れないものである。そんなものに喧嘩を売れば、自分の身を危うくするだけだ。
やがて一行は、カルム領主カーティスの屋敷前に立ち止まる。そして馬車の中からは、トロイメライ王国官僚「シールド」が姿を現した。
シールドは馬車から降りると、目の前に佇むカーティスの屋敷を見上げながら、言葉を漏らす。
「田舎街の領主にしては、まあまあ良い屋敷に住んでいるな……」
シールドは鼻で笑いながら、屋敷の敷地内に足を踏み入れるのであった。その様子をカーティスは自室の窓から眺めていた。
「ど、どういうことだ……!? 官僚が来るなんて聞いていないぞっ!?」
嫌な予感がする。カーティスの額からは汗が滲み出ていた。そして、その嫌な予感は現実となってしまうのだ。
つづく……




