第89話 調印式の後で
ここは、この世界を創り上げたとされる創造神「アルファ女神」を信仰する、宗教国家「イメージア教国」
平和を掲げるこの小国は、睨み合う2つの大国、トロイメライ王国とゲネシス帝国に挟まれ、ひっそりと佇んでいる。故にイメージアは中立の立場をとっており、トロイメライやゲネシスにとって緩衝国の役割を果たしている。
歴史を遡れば、この2つの大国は、イメージアの仲介で何度も和平調停を交わしている。未だ両者が全面戦争に至っていない理由は、イメージアの働きかけがあってのことだろう。
つい先程まで、このイメージアにて、ある調印式が執り行われていた。
調印を交わしていたのは、トロイメライ王国・アルプ地方領主「タイガー・リゲル」と、同国・フィーニス地方領主「ウィンター・サンディ」だ。
イメージアは、他国間の仲介を行うことはあっても、他国の内乱で仲介を行うことは、極めて異例のことだ。これは、トロイメライ王妃「レナ」の計らいによって実現したものである。
諸事情により身動きがとれないレナは、以前から交友があった、イメージア教国最高教師「ソロモン・イメージア8世」に協力を求めた次第だ。
レナからの頼みを快く受け入れたソロモンは、渦中の2人を自国に招き、本日、無事調印を交わさせることに成功した。
調印式を終えたタイガーは、会場となった宮殿を後にしようとする。その彼に、一人の高齢男性が見送りのため同行する。
高齢男性は、全身に水色の衣装を身に纏い、白髪と仙人のような白い髭を生やしていた。彼こそがイメージア教国の代表となる、最高教師「ソロモン」である。
タイガーとソロモンは言葉を交わしながら、宮殿内をゆっくりと移動していた。
「タイガー殿。ウィンター殿との和睦、よくぞご決断された。英断ですぞ!」
「これも、ソロモン様の働き掛けのお陰。ご協力、感謝致す……」
和睦を称賛するソロモンに、タイガーは軽く頭を下げる。そしてタイガーが言葉を続ける。
「これで、王国内に蔓延る不穏分子の征伐に専念できまする……」
するとソロモンから、ある助言がなされる。
「タイガー殿。戦は極力避けてくだされ。一度戦となれば多くの者の命が失われます。是非、タイガー殿には対話を以って、このトロイメライの動乱を鎮めていただきたいですな」
タイガーは再び、ソロモンに頭を下げる。
「承知仕りました。このタイガー、知恵を以って、トロイメライの動乱を鎮めてご覧に入れましょう……」
やがて、宮殿から出てきたタイガーは、敷地の外で待機していた彼の重臣「バーナード」に出迎えられる。バーナードもタイガーのお供として、このイメージア教国に赴いていたのだ。
タイガーはバーナードや付き人たちに出迎えられるも、その表情は何故か不機嫌そうだ。透かさずバーナードが表情の理由を尋ねる。
「タイガー様、何かございましたか?」
するとタイガーは歯を剥き出しながら、彼の問に答える。
「あのクソジジイ! ふざけたことを抜かしおって! 『戦は極力避けてくだされ……』じゃと? 笑わせるな! 話し合いで解決できるなら調印なんぞ交わさんわっ!」
「タイガー様。落ち着いてくだされ……」
バーナードは、怒り心頭のタイガーを宥めると、話題を変える。
「して、調印式の方は如何でしたか? ウィンターと顔を合わすのも、おむすび山の合戦以来でしたな……」
タイガーは顔をムッとさせながら、言葉を返す。
「ああ。相変わらず、ませた小僧だったわい。この儂が、全ての調印を終えるまで、奴は筆を取ろうとしなかった。可愛い顔をして大した度胸じゃ……」
「此度も、優位に立たれてしまいましたな……」
「バーナード。余計な言葉であるぞ……」
「これは、失敬……」
タイガーは大きくため息を吐いた後、バーナードたちを引き連れ、歩みを進める。
「さて、ゆっくりもしていられんぞ。サンライトに帰還したら、直ちにエドガー・改革戦士団征伐を開始する」
タイガーの言葉を聞いたバーナードは、皮肉を交えながら返事を返す。
「御意。ですが、タイガー様。戦は極力避けられたほうが宜しかったのでは……?」
タイガーは鼻で軽く笑う。
「馬鹿を申すな。この調印、南で戦をするために交わしたものじゃ。対話などという選択肢は存在しない」
「フフッ。仰せの通りです……」
2人の主従は、不敵な笑みを浮かべながら、帰国の途につくのであった。
――日没を間近のカルムの街は、夕闇に染まっていた。
「はぁ。なんだか、物寂しくなったな……」
街中を見渡しながら一人ぼやくのは、ヨネシゲ・クラフトである。
ソフィアからお使いを頼まれたヨネシゲは、スープに使う調味料を購入するため、カルムタウンの商店街を訪れていた。商店街は飲み屋街と隣接しており、既に出来上がった状態のおっちゃん達もちらほら見られる。
半月近く、カルム領に滞在していたクボウ軍 (エドガー討伐軍) は、総大将の討死に伴う大敗、又、南都の情勢悪化のため、この地から完全撤退した。
クボウ軍が駐留していた期間は、夕刻の時刻を迎えると、飲み屋街にはその兵士たちで大変混雑しており、大きな賑わいを見せていた。
クボウ兵はプライドが高く「他領の者と馴れ合いはしない」といった定説が根付いていた。しかし、彼らに限って言えば、そういった傾向が一切見られず、寧ろ、気さくに話し掛けてきてくれる者の方が多かった印象だ。
そのクボウ兵も飲み屋街から姿を消し、ヨネシゲは物寂しさを感じていた。決して飲み屋街が閑散としている訳ではないが、彼らの姿がもう見れないと思うと、急に切ない気持ちでいっぱいになる。とはいえ、ヨネシゲも含め、人々は普段通りの生活を送っていた。
その一方で、アトウッド兄妹の両親の安否、また王国内の社会情勢など不安要素が残るものの、ここ最近は大きな事件を耳にすることはなく、ヨネシゲたちは平穏な日常を取り戻しつつあった。
買い物から帰宅したヨネシゲは、ソフィアとメリッサと共に夕食の準備を行っていた。
「ソフィア。そのスープ、俺が味付けしておくよ!」
「あら、助かるわ。よろしくね!」
「おばさん、飲み物の準備はできたよ! あとは何したらいいかな?」
「メリッサちゃん、ありがとう! こっちはもう大丈夫そうだから、取り皿の準備をお願いしてもいいかしら?」
「は〜い! 任せて!」
3人は楽しそうに準備を行う。大したことではないかもしれないが、ヨネシゲが幸せを感じる一時である。よく言う「小さな幸せ」なのかもしれない。
ヨネシゲは、完成した料理を皿に盛り付けていく。豪快な盛り付け故、皿からはみ出てしまうこともしばしば。それを見たソフィアとメリッサは笑いを漏らしていた。
やがて、ゴリキッドもパン屋の仕事を終えて帰宅。後はルイスの帰りを待つだけだ。
「そろそろ、ルイスも部活を終えて帰ってくる頃だろう……」
ヨネシゲたちは、ダイニングテーブルを囲んでルイスの帰りを待っていた。しかし、普段彼が帰宅する時間を過ぎても、玄関から声は聞こえてこなかった。
「あれ? 部活長引いているのかな?」
ヨネシゲたちがそんなことを思い始めていた時、ルイスが慌てた様子で帰宅してきた。
ルイスが息を切らしながらリビングに姿を現すと、疲れた様子で前かがみになる。案の定、ヨネシゲが彼に慌てている理由を尋ねる。
「ルイス、そんなに慌ててどうしたんだ!?」
ヨネシゲの言葉を聞いたルイスは顔を上げると、何故か嬉しそうな笑みを浮かべる。
「父さん! みんな! やったよっ!」
「落ち着け、ルイス! 何がやったなんだ!?」
突然興奮した様子で言葉を発するルイスに、ヨネシゲたちは困惑した様子だ。そしてルイスから予想外の報告がなされる。
「空想劇の再公演が決まったんだよ!」
「え? それは本当か!?」
「本当だよっ! 今週末、カルム中央公園で行う予定だって。学院長と領主様が調整してくれたらしいよ! 明日から準備で大忙しさ!」
改革戦士団の学院襲撃により、公演が中断されてしまった空想術部主催の空想劇。これにより、今期の学院祭は中止。会場となる空想術屋外練習場も修復工事の関係で、学院内での再公演は絶望的となっていた。しかし、学院長ラシャドとカルム領主カーティスの計らいにより、今週末、学院と隣接するカルム中央公園にて、空想劇の再公演が決定したのだ。
突然の朗報に、ヨネシゲたちは歓喜の声を上げるのであった。
――夜が耽った頃、カルム領郊外の田舎町には、数十名の兵士に護衛されながら、1台の馬車が到着していた。
馬車の扉には、孔雀をあしらった、トロイメライ王国の紋章が刻まれていた。
やがて馬車の中から、一人の中年男が姿を現す。透かさず付き人が彼の元まで駆け寄り、言葉を掛ける。
「シールド様。長旅、お疲れ様でございました。今夜の宿はこちらになります」
「うむ、案内を頼む。して、ここはカルム領になるのか?」
「ええ。カルム領郊外の田舎町になります。明日の夜明けと共に出発すれば、昼過ぎにはカルムタウン中心部に到着できるものと思われます」
「そうか。これでようやく、カーティスに徴兵令の通達ができるな。それにしても……何故俺が、こんなド田舎に赴かなきゃいけねぇんだ……」
彼は溜め息を漏らしながら、満点の星を見上げるのであった。
この中年男の名前は「シールド」
トロイメライ王国の官僚である。彼は、国王ネビュラが発令した徴兵令を通達するため、カルム領を訪れた。
つづく……




