第86話 エドガーの野望
メアリーのパン屋は開店の時刻を迎えようとしていた。久々の営業ということもあり、店の前には開店を待ちわびる多くの客が列をなしていた。
そして、開店の時刻。メアリーが店の扉を開き、客を店内に招き入れる。
「皆さん、お待たせ! 虹色パン店、営業再開だよ!」
メアリーの声を合図に、店内に客が続々と足を踏み入れる。メアリーとゴリキッドたちアシスタントは、訪れた客一人一人に挨拶していた。その大半が常連のようで、客たちは営業再開を祝う言葉を口にしていた。
そして、その様子を店内の端で、微笑ましく見守っているのは、ヨネシゲとソフィアであった。
「凄え凄え。朝から大繁盛だな!」
「ええ。みんなこの日を心待ちにしてたからね!」
ヨネシゲの視界には満面の笑みで接客を行う、姉メアリーの姿が映し出されていた。彼はその様子を眺めながら、安堵の言葉を漏らす。
「姉さんの奴、すっかり元気になっちまったぜ」
「良かったわ。お義姉さんの本物の笑顔が見れて」
「ああ! ようやく姉さんらしくなってきたぜ!」
先程、メアリーの元に予期せぬ吉報が舞い込んできた。それは、安否不明だった彼女の夫ジョナスが無事であるという知らせだ。
突如現れた鳥型の想獣は、メアリーに一枚の紙切れを残した。その紙切れにはジョナスの字で、彼が無事であることが記されていた。確証は無いものの、この紙切れはジョナスが託したもので間違いはないだろう。
「リタとトムも、ジョナス義兄さんが生きてると知ったら、泣いて喜ぶだろうな!」
リタとトムの喜ぶ顔が早く見たい。その母親のメアリーは、ジョナスの無事を知った途端、しばらくの間泣いて喜んでいた。故に子供たちも彼女と同じ反応を見せるに違いない。いや、リタとトムだけではない。我が息子ルイスも伯父の無事を知って飛び跳ねて喜ぶことだろう。
「ヨッシャ! 今日はジョナス義兄さんの無事を祝って皆でパーティーだ!」
ヨネシゲはそう言い終えると、子供たちが喜ぶ姿を想像しながら、笑顔でガッツポーズを決める。すると、ソフィアからある指摘がなされる。
「あなた。私もお義兄さんの無事を祝いたいのは山々だけど、ゴリキ君とメリッサちゃんの気持ちも考えてあげないと……」
「そ、そうだったな。俺としたことが……」
ヨネシゲは嬉しさの余り、気持ちが舞い上がっていたことを反省する。
家族の無事を祈っていたのはエイド一家だけではない。ヨネシゲたちと同居するアトウッド兄妹も、未だ安否がわからない両親の無事を祈り続けている。覚悟を決めて戦場に向かったジョナスとは違い、ゴリキッドたちはある日突然、両親と引き離されてしまい、幸せを失った。その心の傷は計り知れないものだろう。
「ゴリキたちには配慮しないとな」
「ええ。お義兄さんの無事は素直に喜んでは良いと思うけど、あの子たちの前で過度な感情は見せるべきじゃないわ。私たちは普段通りの生活をするまでよ」
「そうだな。ソフィアが言ってくれなかったら、俺はゴリキたちを傷付けるところだったよ。ありがとな」
「いえ。こればかしは、お互いに気を付けないといけませんね……」
ヨネシゲとソフィアは、錯綜する喜びと憂いの気持ちに苛まれるのであった。
場面は変わり、ここはグローリ地方領主の居城「ヴィンチェロ城」
この城の大広間では、センター分けの茶髪と顎髭を生やした中年男が、ワイングラス片手に野望を語っていた。彼の正体は、この城の主「エドガー・ブライアン」である。
「奴らと手を組んで正解だったな。僅か短期間でホープ領の大半を我が手中に収めることができた。南都も近いうち、我が物となるであろう」
自慢気に語るエドガーに、家臣の一人が不安を口にする。
「しかし、エドガー様。ここに来て南都勢が激しい抵抗を見せています。我が軍と改革戦士団の連合軍も後退を余儀なくされているそうで、戦いは長期化……」
「案ずるではない」
エドガーは家臣の言葉を遮る。
「マスターの話では、明日にもダミアンと四天王を南都に差し向けるそうだ。さすれば南都は半日もしないうちに落ちることだろう」
家臣たちは納得した様子で頷く。
改革戦士団のダミアンと四天王は、このヴィンチェロ城を包囲していた50万の大軍を数時間で蹴散らし、更にはアライバ渓谷にて豪傑オジャウータンを容易く討ち取った。ダミアンたちの強さは異常だ。彼らが動くとなれば南都が陥落するのも時間の問題だろう。
ここで重臣がエドガーにある助言を行う。
「恐れながら申し上げます。果たして、アルプのタイガー・リゲルが、我々の南都攻めを黙認するでしょうか? タイガーも長年南都を狙っております。我々が南都に手を出すということは、虎の尾を踏んでしまうと同じこと。タイガーとの戦いは避けれません。もう少し慎重になっては……?」
エドガーは鼻で軽く笑った後、重臣に言葉を返す。
「何を怖気付いている? タイガーは攻めてこない。あの爺さんは、ウィンターの相手で手一杯だ。仮に攻めて来たとしても、俺たちには改革戦士団の猛者たちが付いている。黒髪の炎使いと四天王を前にしたら、流石のタイガーも尻尾を巻いて逃げることだろう……」
「しかし、その改革戦士団もいつまで我々と手を組んでいるか不透明です。いくら我々と利害が一致しているとはいえ、奴らは信用なりませぬ。突然裏切ることも十分考えられます……」
「その点の心配はいらん。奴らの目的は俺を王に祀り上げ、この国の実権を握ること。新トロイメライ王国の象徴として俺の存在が必要不可欠なのだ。少なくともその日が来るまで、俺たちと行動を共にするだろう……」
エドガーの言葉を聞いた家臣の一人が、声を荒げる。
「奴らに実権を握らすおつもりで? エドガー様はそれで宜しいのですか!? エドガー様は、自ら改革戦士団の傀儡に成り下がろうとしておられるのですよ!? こんな情けない話は他にありませんぞ!」
家臣の言葉に、エドガーが高笑いを上げる。
「フッハッハッハッ! 俺が奴らの傀儡か! 笑えるな!」
呆気に取られている家臣に、エドガーが言葉を続ける。
「寧ろ傀儡は改革戦士団の方だ。奴らは既に俺の駒。血生臭い仕事は全て奴らに任せ、手柄は全て俺のもの……それは、目的を達成させるために奴ら自らが望んでいる事。しかし、俺に箔を付けるということは、同時に富と権力を与えるのと同じ事だ。奴らは馬鹿なのか、そのことに気付いていないようだ……」
エドガーは不敵な笑みを浮かべる。
「実権を握るのはこの俺だ。俺が王となり、トロイメライの全てを手に入れた時、改革戦士団は我が臣下になることであろう。それが受け入れられないのであれば、全ての力を以って、奴らを抹殺するまでよ」
そしてエドガーはニヤッと笑いながら、自分の頭部を指差す。
「ここを使え。利用できるものは何でも利用しろ。この世を生き抜くためには、狡猾でなければならん。全てを手に入れるためならば、いくらでも奴らに媚を売ってやる。俺は悔しいとは思わんぞ。何故なら、最後に笑うのはこの俺だからな!」
エドガーの高笑いがいつまでも城内に響き渡っていた。
つづく……




