第84話 東国の猛虎
トロイメライ東部に位置するアルプ地方には高山が点在しており、その広大な領土の八割が山岳地帯となっている。
故に田畑には恵まれておらず、収穫量の少なさに領民たちは晩年悩まされている。しかしながら、海と面する東側には多数の港が整備されており、他領や異国との貿易が盛んに行われている。
自然と港を中心に街が栄えており、その街の一つに、アルプ地方最大の街「サンライト」が存在する。
サンライトは別名「日出る都」「東都」などと呼ばれており、トロイメライの中でも五本の指に入る大都市なのだ。
そのサンライトの街を見下ろすように、小高い丘の上に建てられた堅固な城は「サニー城」と呼ばれる、アルプ地方領主「リゲル家」の居城である。
日の出を迎え周囲が明るくなった頃、サニー城の食堂では、朝食をとる2人の親子の姿があった。
父親は、ツルツル頭の老年男。顎と口周りには立派な黒い髭が生やされていた。その顔は怒りを宿した虎のような強面であり、大半の者がこの黄金色の瞳に睨まれたら震え上がる事だろう。彼は串焼きにされた魚に大量の塩を振り撒くと、それを肉食獣の如く豪快に齧り付く。
魚を頬張る、この老年男こそが、東国の猛虎の異名を持つ、アルプ地方領主「タイガー・リゲル」である。
タイガーは口に含んだ魚を飲み込むと、唸り声を上げる。
「うむ! 良い魚だ。よく身が引き締まっておる……」
タイガーは今朝とれた新鮮な魚にご満悦の表情を見せるが、強面故、全然笑っている様には見えない。
そんな彼に、息子の中年男が言葉を掛ける。
「それにしても、父上。塩の掛け過ぎです……」
「良いではないか。このトロイメライ東海でとれた魚には、トロイメライ東海の塩がよく合う。レオ、お主ももっと掛けろ」
「限度があります」
中年音は父親の体を気遣い、塩の量を指摘するも、タイガーは聞く耳を持たないようだ。
彼の名は「レオ・リゲル」
父親と同じ黄金色の瞳と金色の長髪、整えられた顎髭の持ち主である。その正体は、タイガーの長男にしてリゲル家の次期当主である。
彼もまた「アルプの眠れる獅子」と呼ばれており、父タイガーと共に国内外から恐れられている存在だ。
それから少しすると、レオが早々に食事を終える。不思議に思ったタイガーが彼に声を掛ける。
「どうしたレオ? もう食わんのか?」
「ええ。姉上のことを思うと、食事が喉を通らなくて……」
レオの言葉を聞いたタイガーが高笑いを上げる。
「ハッハッハッ。らしくないぞ? いつからそんなに繊細になった?」
タイガーの言葉にレオはムッとした表情を見せる。
「父上は姉上のことが心配ではないのですか? 姉上は危険を冒してウィンターとの和睦を取り次いでくれております。もしこれが、ネビュラの耳に入るようなことがあれば、姉上の身が……!」
タイガーは鼻で軽く笑った後、レオに語り掛ける。
「安心致せ。ネビュラには何度も忠告している。レナに危害を加えるようなことがあれば、その首を貰い受けるとな。おまけにあの男は小心者じゃ。レナを手に掛けることなどできんだろう……」
「しかし……!」
「それに、レナは強い女子じゃ。ネビュラが多少牙を剥いたところで、動じることはなかろう。更には、ロルフ王子を筆頭に、レナの味方は大勢居る。ネビュラもそれを理解しておるから、迂闊には手を出せんじゃろう」
「確かに……今の王族と王都の貴族たちは、国王派と王妃派に分かれているという噂はよく耳にします。そのような状況でネビュラが姉上に危害を加えるような事があれば……」
タイガーが不敵な笑みを浮かべる。
「王都は火の海ぞ。それだけはネビュラも避けたいところじゃろう……」
レオは額に汗を滲ませる。
しばらくの間、タイガーが王族の先行きについて持論を語っていると、一人の中年男が食堂に姿を現す。
「タイガー様、レオ様。お食事のところ失礼致します」
「バーナードか。如何した?」
タイガーから「バーナード」と呼ばれる、金色の長髪と、口周りに髭を生やした、こちらの渋い顔付きの中年男は、リゲル家の重臣である。タイガーが信頼を置く参謀役だ。
バーナードはタイガーの元まで歩み寄り、膝を折ると、手にしていた丸筒を彼に手渡す。
タイガーがバーナードに尋ねる。
「レナからか……?」
するとバーナードは首を横に振る。
「いえ、違います……」
「……まさか?」
タイガーは何かを確信した様子で瞳を細める。バーナードは主の顔を見つめながら、静かに頷くと、丸筒の差出人の名を口にする。
「ええ。お察しの通り、フィーニスのウィンター・サンディからです」
レオは差出人の名前を耳にした途端、驚いた様子で席から立ち上がる。そしてタイガーは落ち着いた様子で、丸筒の中に納められていた書状に目を通す。
食堂に沈黙が流れる。
そして、その沈黙をレオが破る。
「ち、父上! 書状には何と……!?」
やがて、書状を読み終えたタイガーは、ゆっくりと顔を上げると、ニヤッと笑みを浮かべる。そして彼が口を開く。
「これより儂は、隣国イメージアに赴く……」
書状に記された内容を理解したレオが、笑みを滲ませながらタイガーに尋ねる。
「父上! それは、つまり……!?」
「守護役の小僧が和睦を受け入れたわい!」
バーナードが歓喜の声を上げる。
「タイガー様、やりましたな!」
「これもレナのお陰じゃ。早速、ソロモン・イメージア8世の仲介で、ウィンター・サンディと調印を交わす! 調印式は3日後じゃ。急ぎ出立の準備を始める。そして、和睦が成立次第、進軍を開始する……」
タイガーはそこまで言い終えると、レオに視線を向ける。
「レオよ」
「はっ!」
「儂が留守の間に、出陣の準備を済ませておくのじゃ」
「かしこまりました!」
タイガーは息子に要件を申し付けると、ゆっくりと席から立ち上がる。
「エドガーと改革戦士団の小僧共よ。首を洗って待っておれ……」
タイガーは不敵な笑みを浮かべながら、そう言葉を漏らすと、食堂を後にした。
つづく……




