第73話 アライバ渓谷(後編)
息子を侮辱するダミアンの言葉に、オジャウータンの怒りは頂点に達した。
オジャウータンは、ヨノウータンの亡骸を静かに地面へ寝かせると、ダミアンに鋭い視線を向ける。
「な、なんだ、おっさん……目付きが変わったぞ……!」
ダミアンが思わず言葉を漏らす。
鬼の形相で睨み付けてくるオジャウータン。それは、怖いもの知らずのダミアンも後退りしてしまう程の威圧感だった。
そこへ、桃色のミドルヘアが特徴的の、黒いワンピースを着た女が、ダミアンの元まで駆け寄ってきた。
「ダミアン、大丈夫? 怪我はない?」
「ああ、俺は大丈夫だ。ありがとな、ジュエル」
ダミアンに礼を言われた女は、ニッコリと微笑んだ。
彼女の名前は「ジュエル」
改革戦士団の幹部である。ダミアンにとても懐いており、作戦の際は共に行動している。
「あの男! ダミアンに手を出すなんて許さない!」
ジュエルは怒りを滲ませた表情で、オジャウータンに両手を構える。そんな彼女をダミアンが静止する。
「待て、ジュエル! あのおっさん。マジでヤバそうだ。迂闊に手を出すな……」
ダミアンは直感で感じ取った。
この世界に転生してから、数々の強敵を圧倒的な力でねじ伏せてきたダミアン。向かうところ敵なしと言ったところか。しかし、今目の前で仁王立ちしている老年男は、今まで相手にしてきた敵とは格が違う。
ダミアンの額から冷や汗が流れる。
一方の討伐軍の将兵たちも、オジャウータンから放たれるただならぬオーラに、体を硬直させていた。そんな兵士たちにオジャウータンが口を開く。
「アレを持てい……」
「か、かしこまりました!」
オジャウータンの命令を聞いた兵士たちは、慌てた様子で、後方に控えていた荷車まで移動する。やがて、屈強な体付きの兵士が4人懸かりで持ってきたのは、巨大な戦斧だった。それは、2メートルを超えるオジャウータンの身長とほぼ同じ大きさだ。
オジャウータンはその戦斧を片手で軽く持ち上げると、兵士たちに退却するように指示を出す。
「御主ら。ヨノウータンを連れて後方まで退くのじゃ。可能な限り、遠くまでじゃ……」
「りょ、了解しました!」
兵士たちはヨノウータンの亡骸を担ぎ上げると、青ざめた表情で後方まで退却した。
兵士たちはオジャウータンの言葉の意味を理解していた。ここが恐ろしい戦場と化してしまうことを。
ダミアンは、巨大な戦斧を握るオジャウータンを見て、笑みを浮かべる。
「へえ〜。おっさん、随分な力自慢らしいな」
ジュエルはダミアンに視線を向ける。
「ダミアン。援護は任せて」
「フフッ。その必要はないさ。お前は後ろで高みの見物でもしていてくれ」
「――わかったわ」
ダミアンはジュエルを後方まで退却させると、オジャウータンを挑発するように言葉を発する。
「フフッ。そんじゃ、始めようぜ。これは俺とおっさんの一騎打ちだ。精々楽しませてくれよ」
対するオジャウータンが静かに口を開く。
「楽しませてくれじゃと? 貴様、まだ自分の立場をわかっていないようじゃのう……」
ダミアンは眉間にシワを寄せる。
「はあ? 立場だと?」
「左様。貴様は、儂を前にした時点で敗北が決まっておる。それを楽しませてくれじゃと? 笑止千万じゃな」
ダミアンは高笑いを上げる。
「ハッハッハッ! 上等だぜ、おっさん! そうこなくちゃ面白くねえ! そうやって、虚勢を張って命乞いする野郎を俺は何人も見てきた。あの姿と言ったら本当に笑えるぜ! だから、おっさんの泣きっ面も見せてくれよ!」
オジャウータンが怒鳴り声を上げる。
「黙れっ! この外道がっ!!」
遂に戦いの火蓋が切って落とされる。
オジャウータンは巨大戦斧を頭上高くまで振り上げると、それを地面に向かって振り下ろす。
次の瞬間。振り下ろされた戦斧を起点に大きな地割れが発生する。地割れは破竹の勢いで、ダミアンの足元に迫っていた。ダミアンは咄嗟に空中へと飛び上がる。
「マ、マジかよっ!?」
ダミアンは総言葉を漏らしながら、地割れの行方に視線を向ける。丁度そこには、地割れに飲み込まれていく複数の改革戦士団戦闘員の姿があった。
「ジュ、ジュエル! 大丈夫か!?」
ジュエルの身を案じたダミアンが彼女の名を叫ぶ。すると直ぐに彼女の返事が聞こえてきた。
「ダミアン!」
「ふぅ〜。無事だったか……」
ジュエルも咄嗟に地割れから離れていたようで、難を逃れていた。しかし、ジュエルの様子が少しおかしい。彼女は血相を変えながら、空中に浮遊するダミアンの後方を指さしていた。
ダミアンは恐る恐る背後に視線を向ける。
「いっ!?」
ダミアンの顔が強張る。
ダミアンの視界に飛び込んできたもの。それは鬼の形相で戦斧を振り上げる、オジャウータンの姿だった。
(いつの間に!?)
「よそ見している場合かっ!!」
オジャウータンは、怒鳴り声を上げると同時に、ダミアン目掛けて戦斧を振り下ろす。
「くっ!!」
ダミアンは間一髪の所で、オジャウータンの攻撃を避けることができた。オジャウータンは戦斧を構えながら、ダミアンをどこまでも追い掛けていく。度々ダミアンの側面を斬撃が通過する。
(クソっ! 空中戦は不利だ。地上に降りるか)
慣れない空中戦で劣勢を強いられたダミアンは、地上に降り立った。しかし、地上に降り立っても尚、オジャウータンの猛攻が続く。ダミアンは避けるのに精一杯だった。
「コイツは化け物かっ!?」
「どうした、若造? その程度か?」
ダミアンを圧倒するオジャウータン。ダミアンに焦りが生まれる。
(このままじゃ、ヤバいぞ。南都の雄、これ程とは……!)
その時、ジュエルの声が辺りに響き渡る。
「ダミアン! 援護するわ!」
ジュエルは、ダミアンとオジャウータンを仕切るようにして、無数の木の根を地面から突き出させる。それは、木の根で作られた柵のようだった。
ダミアンはニヤッと笑みを浮かべる。
「助かったぜ、ジュエル!」
「ダミアン! 今のうちにあの男から間合いを取って!」
「おう、サンキューな!」
ジュエルは、ダミアンの体勢を整えるため、オジャウータンの進行を阻み時間稼ぎを行ったのだ。
ダミアンは彼女に促されると、オジャウータンとの間合いを取り、体勢を整える。その間にオジャウータンは戦斧で木の根の柵を破壊する。
オジャウータンが前方に視線を向けると、そこには右手を構えるダミアンの姿があった。
「おっさん。チェックメイトだ!」
ダミアンは不敵な笑みを浮かべると、強烈な赤色の光線をオジャウータン目掛けて放った。
「フフッ。手こずらせやがって……」
ダミアンが勝利を確信したその時だった。
「甘いわっ!!」
「!!」
オジャウータンはダミアンの光線を戦斧で受け止めたと思うと、それを空中に向かって受け流した。
次の瞬間、アライバ渓谷の上空は、大きな爆発音と共に赤い光で覆われた。
ダミアンは悔しそうな表情でオジャウータンを睨みつける。
「俺の光線を受け流したのは、総帥を除くと、おっさんが初めてだ……」
オジャウータンは表情を緩めることなく、言葉を返す。
「容易い。まさか、その程度の光線を受け流されたくらいで、驚いておるのか?」
「クッ!」
歯を剥き出しながら睨み付けてくるダミアンに、オジャウータンは言葉を吐き捨てる。
「そろそろ、王手じゃ。貴様に引導を渡してやろう……」
「このおっさん……何するつもりだ……?」
オジャウータンは戦斧を頭上高くまで振りかざし、全身に紫色の光を纏わすと、力強い声で言葉を発する。
「貴様をこの渓谷と共に沈めてやる! 覚悟するんじゃな!」
ダミアンたちに緊張が走る。
オジャウータンは相当な大技を使おうとしているに違いない。
オジャウータンが戦斧を振り下ろそうとした時、それは起きる。
「うぐっ!!」
「!?」
突然、オジャウータンは苦しそうに胸を押さえ前かがみになる。その様子をダミアンたちが不思議そうにして眺めていた。
(斯様な時に、発作とは……!)
タイミング悪く、持病の発作がオジャウータンを襲う。その隙をダミアンたちは見逃さなかった。
地面から無数の木の根が突き出してきたと思うと、その木の根はオジャウータンの腕や脚、胴に巻き付いて彼の動きを封じ込めてしまう。
「く、くそぉ……これは……!」
オジャウータンは必死に木の根を振り解こうとするも、持病の発作の影響で力が半減しており、逃れることができなかった。そんな彼の姿を見てダミアンが嘲笑う。
「ハッハッハッ! 情けないな、おっさん! 南都の雄の哀れな姿、息子に見せてやりたかったな」
「き、貴様っ!!」
発作が相当苦しいようで、オジャウータンは息を大きく荒げていた。
ダミアンは不気味な笑みを浮かべると、オジャウータンに語り掛ける。
「見事だったぜ、おっさん。この俺をここまで苦しめるとはな。楽しい勝負だったぞ! だが、そろそろ処刑の時間だ。名残惜しいがおっさんとはここでお別れだぜ」
ダミアンは右手を構えると、オジャウータンに問い掛ける。
「せめてもの慈悲だ。一発で楽に逝かせてやる。そこで、最後に言っておきたいことはあるか?」
ダミアンの言葉を聞いたオジャウータンは、鼻で軽く笑った後、返事を返す。
「貴様の慈悲などいらぬ……」
ダミアンは歯を剥き出しながら狂気じみた笑顔をみせる。
「なら、遠慮はしねえぜ! おっさん!!」
次の瞬間。ダミアンの右手からは無数の光線が発射される。それは、オジャウータンの胴、腕、脚を次々と射抜いていく。
オジャウータンは薄れゆく意識の中、息子の顔を思い浮かべる。
(マロウータンよ。あとは、任せたぞ……)
オジャウータンはゆっくりと瞳を閉じた。
オジャウータン・クボウ、78歳。
前・トロイメライ王の片腕として手腕を振るい、生きる伝説とまで謳われ、人々の期待をその一身に背負っていた。しかし、改革戦士団ダミアンらの襲撃に遭い、志し半ばで、このアライバ渓谷に散った。
つづく……




