第72話 アライバ渓谷(前編)
グローリ地方には「アライバ渓谷」と言う名の渓谷がある。
アライバ渓谷には、王国北部のフィーニス地方を起点とする川が流れており、その川の両脇には、切り立った岩山がそびえ立っている。
川を沿うようにして延びる一本道。この道を上流方向に進むと、グローリ地方最大の街「ヴィンチェロシティ」があり、そこにはグローリ地方領主「エドガー・ブライアン」の居城も存在する。
その一本道を進軍するエドガー討伐軍本隊。その数は約70万。その隊列の中程には、馬に跨るオジャウータンの姿があった。
彼の隣で同じく馬に跨る、こちらの中年男は、討伐軍の副大将である。この副大将の正体は、オジャウータンの長子にしてマロウータンの兄である「ヨノウータン・クボウ」だ。
ヨノウータンもまた「南都の風雲児」と呼ばれる実力者であり、マロウータンと共に南都五大臣の一角を担っている。
2人の親子は馬に跨りながら、渓谷の景色を楽しんでいた。そしてヨノウータンは、微笑みながら渓谷を見渡すオジャウータンに声を掛ける。
「だいぶ、雪解けも進んでいるようですな」
「そうじゃのう。この雪が溶け、花を咲かす頃には、エドガーの討伐も終わっておろう。その暁には、このグローリ領をマロウータンに任す。そして、そなたは、クボウ家当主として、ホープ地方領主の職を全うしてもらいたい」
「ははっ! このヨノウータン、全身全霊をかけて職務を全うする所存でございます!」
「頼りにしておるぞ」
その後、しばらく歩みを進めたオジャウータンとヨノウータンであったが、ある異変に気が付く。
「ん? なんじゃ?」
「父上、何やら前方が騒がしいですな……」
2人は耳を凝らす。
渓谷をこだまするように、兵士たちの怒号、剣戟の音、そして爆発音までもが、オジャウータンたちの耳に届いてきた。
オジャウータンたちに緊張が走る。
「父上、敵の奇襲でしょうか!?」
「可能性は大いにある。我ら大軍を迎え撃つには、この狭い渓谷に伏兵を忍ばせ、奇襲を掛けるのが上策じゃろう。じゃが、それも想定の内じゃ。既にヴェンチェロには我ら討伐軍50万の兵が包囲しておる。当初、10万程あったエドガーの兵力も、既に6万程まで減っておる。伏兵に割けるのも精々、1・2万といったところじゃろう……」
「1・2万の兵では、この鍛え抜かれた70万の本軍を崩すことなど、できますまい」
「ああ。かようなこと、有ってはならぬ」
「ですな。兵士たちにも、この渓谷を抜けるにあたって、伏兵には十分警戒するよう伝えております故、奇襲を受けても取り乱すことはござらんでしょう」
オジャウータンとヨノウータンは、この隊列の先頭で行われているであろう小競り合いの行方を馬上にて見守る。
余裕の表情を浮かべるオジャウータンたちであったが、その表情はすぐに青ざめる。
「ち、父上。敵が……物凄い勢いで、こちらに近付いているようです!」
「ば、馬鹿な……!」
電光石火の如く、こちらに迫りくる剣戟の声や爆発音。
オジャウータンたちの前方には、少なくとも20万もの兵士たちが隊列を組んでいる。しかし、その隊列を組んでいた兵士たちは、敵襲に次々と討ち取られてしまう。気付くとオジャウータンの前方で組まれていた20万の隊列は、散り散りとなっていた。
その代わりに、オジャウータンの目の前には、数百名程の黒尽くめ集団が隊列を組んで仁王立ちしていた。
「奴らを食い止めろ!」
討伐軍の指揮官が号令を掛けると、オジャウータンの後方に控えていた兵士たちが、黒尽くめ集団目掛けて突っ走っていく。
「待て! 良さぬかっ!」
オジャウータンが制止するも、その勢いは止まることを知らず、兵士たちが一斉に黒尽くめ集団に襲い掛かる。
すると、黒尽くめ集団の中から、黒いワンピースを着た、桃色の髪を靡かす、若い女が姿を現した。
女は迫りくる討伐軍の兵士たちを、冷たい眼差しで見つめながら、右手を振り上げる。
次の瞬間、槍のように尖った無数の木の根が、地面から突き出してきた。尖った木の根は兵士たちの胴を貫通させると、直ぐに地面へと戻っていった。
胴から木の根を引き抜かれた兵士たちは、次々と地面に倒れていく。その恐ろしい光景を目にした後方の兵士たちは、顔を青くさせながら、後退りする。その兵士たちとの距離を縮めるように、黒尽くめ集団は一歩ずつ前進していく。
「まさか、こいつら……!」
オジャウータンは黒尽くめ集団を目にして、すぐにその正体を察したようだ。
「貴様ら、改革戦士団じゃな!?」
オジャウータンは黒尽くめ集団に「改革戦士団」か否かを尋ねる。すると集団先頭に立っていた黒髪の青年が高笑いを上げる。
「ハッハッハッ! 正解だ。良い感してるぜ、おっさん!」
オジャウータンは青年の容姿を見て勘付く。
「貴様、黒髪の炎使いじゃな?」
青年は歯を剥き出しながら、笑みを浮かべる。
「ご名答だ。俺が黒髪の炎使いこと、ダミアン・フェアレスだ! 当ててもらえて光栄だぜ!」
オジャウータンの前に現れた青年の正体は、黒髪の炎使い「ダミアン・フェアレス」だった。
ダミアンはオジャウータンの近くまで歩みを進めると、彼を赤い瞳でギロっと見上げる。
「おっさんの軍隊、拍子抜けするほど弱いんだな! 南都の雄の名が泣いてるぜ」
ダミアンが挑発するも、オジャウータンは冷静さを保ちながら、彼に目的を尋ねる。
「貴様らの目的は何じゃ? 何故エドガーに加担する?」
ダミアンは羽織っていたコートのポケットに手を入れると、ふてぶてしい表情で返答する。
「お互いに利害が一致してるだけさ」
「利害じゃと?」
「そうだぜ。俺たちもエドガーも、目的を果たすためには、アンタらの存在が邪魔なのさ」
「そうじゃろうな。貴様らが良からぬことを企てているならば、儂らの存在は邪魔であろう」
オジャウータンの言葉を聞いたダミアンが鼻で笑う。
「良からぬこと? そいつは間違いだぜ」
「間違いじゃと?」
「そうだぜ。俺たち改革戦士団の目的は、この腐った世を作り変えること。先ず手始めに、このトロイメライを手中に収め、エドガーを新国王として祀り上げる予定だ」
オジャウータンは眉間にしわを寄せる
「ふざけた事を抜かすな……」
「ふざけちゃいないぜ。俺たちはマジだ。俺たちの計画を成功させるためには、アンタやタイガーたち大領主に消えてもらう必要がある。ま、俺たちに協力してくれるというなら話は別だがな」
オジャウータンは声を荒げる。
「冗談も大概にしろ! 貴様らごときじゃ、タイガーやウィンター、この儂を打ち負かすことなど、到底できんわ! トロイメライを手に入れるじゃと!? 自惚れるなよ、青二才共めが!」
「なら、おっさん。試してみるか?」
ダミアンはそう言い終えると、オジャウータンに向かって右手を構える。
その時だった。
突然ダミアンとオジャウータンの間に一人の中年男が割って入る。
「若造が! 自重せいっ!」
「ん? なんだお前は?」
ダミアンが視線を向けると、そこには一人の中年男の姿があった。
「俺を知らぬのか? 俺は、南都五大臣の一人! 南都の風雲児こと、ヨノウータン・クボウだ! お前らごときが父上と相手するなど、100年早いわ!」
ダミアンたちの前に立ちはだかったのは、ヨノウータンだった。
ヨノウータンは全身に稲妻のように激しい電気を纏いながら、ダミアンたちを睨みつける。
「お前らの悪行の数々、断じて許すわけにはいかぬ! おまけに逆賊エドガーに加担するとは、酌量の余地もない! 今ここで、俺が成敗してくれる!」
ヨノウータンは勇ましい声を上げながら、ダミアンたちとの間合いを詰めていく。そんな彼をオジャウータンが制止する。
「ヨノウータン! 迂闊に近づくではない!」
「父上、ご安心くだされ。このような烏合の衆、私一人で十分です! クボウの恐ろしさ、奴らに教えてやりますわい!」
自信満々のヨノウータンに、ダミアンは不機嫌そうな表情を見せる。
「はぁ……雑魚がイキってんじゃねぇよ……」
ダミアンはそう言葉を漏らすと、ヨノウータンに向かって右手を構える。次の瞬間、彼の右手からは、強烈な赤い光線が放たれた。
「ぐっはぁっ!!」
「ヨ、ヨノウータン!!」
オジャウータンは息子の名を叫ぶ。
ダミアンが放った赤い光線が、ヨノウータンの胴体を射抜いた。彼はその場に大の字になって倒れる。
オジャウータンが急ぎヨノウータンの元へ駆け寄ろうとするも、ダミアンは炎の壁を発生させて彼の行く手を阻む。
「き、貴様っ!」
怒りを滲ませるオジャウータンに、ダミアンが不敵な笑みを浮かべる。
「おっさん。息子が藻掻き苦しむ所を目に焼き付けておくんだな!」
「何をするつもりだ!?」
「ゴミは、焼却処分だ!」
ダミアンはそう言い終えると、倒れて蹲るヨノウータンに右手を構える。そして、オジャウータンはダミアンの残忍性を目の当たりにする。
ダミアンは、得意げな表情で右手を構えると、ヨノウータンの脚に向かって炎を噴射させる。案の定、彼の脚は赤色の炎に包まれた。
ヨノウータンは悲痛な悲鳴を上げながら藻掻き苦しむ。ダミアンはその様子を眺めながら、高笑いを上げる。
「ハッハッハッ! 悲鳴も人並み以上に勇ましいな!」
ダミアンはニヤついた表情で、オジャウータンに視線を向ける。
「脚から少しずつ焼いてってやるぜ。おっさん、息子がゆっくりと灰になるところを見ておくんだな!」
「なんと酷いことを……!」
オジャウータンは顔中の血管を浮き出させながら、歯を食いしばり、ダミアンを睨みつける。そんな彼を嘲笑うように、ダミアンは再びヨノウータンに右手を構える。
「ハッハッハッ! 自重するのはお前の方だったな! 俺に喧嘩を売るとこうなるんだよ!」
ダミアンがそう言葉を吐き捨てた時である。
「オジャアァァァっ!!」
「!?」
突然、重低音の雄叫びが、渓谷をこだまするようにして響き渡る。それは地面をも揺らす力強いものであった。
雄叫びと同時に、衝撃波がダミアンとオジャウータンを仕切っていた炎の壁を消滅させる。ダミアンの体も十数メートル吹き飛ばされてしまった。ヨノウータンの脚を纏っていた炎も鎮火したようだ。
ダミアンは起き上がり、雄叫びが聞こえた方向に視線を向けると、そこには、大きく口を開き、仁王立ちするオジャウータンの姿があった。そして彼は、倒れるヨノウータンの元まで急ぎ駆け寄る。
「ヨノウータン! しっかりしろっ! しっかりせんか!」
オジャウータンは、ぐったりとした息子を抱きかかえながら、その体を大きく揺さぶる。
ヨノウータンの脚は赤く焼き爛れ、光線により射抜かれた胴体からは、おびただしい量の血が流れ出ていた。
ヨノウータンは声を振り絞りながら、オジャウータンの手を握る。
「ち、父上……申し訳ありません……私は、ここまでのようです……」
「馬鹿を申すな!」
「父上……エドガーと……改革戦士団を……必ずや、討ち果たしてくだされ……!」
「あい、わかった。必ずやエドガーたちを討ってみせる!」
オジャウータンの言葉を聞いたヨノウータンは安心した様子で笑みを浮かべる。
「父上、吹飛鶴神のご加護を……!」
ヨノウータンは、父親の武運を祈り終えると、息を引き取った。
オジャウータンは力尽きた息子を静かに抱きしめる。その様子を見てダミアンが嘲笑う。
「ハッハッハッ! 無様だな! アンタの息子も、大した事ねぇ出来損ないだぜ!」
「出来損ないじゃと……?」
「あぁ?」
オジャウータンがゆっくりと顔を上げると、ダミアンに視線を向ける。
「許さん……!!」
オジャウータンが怒りを滲ませながら言葉を発すると、彼は瞳を柴色に発光させるのであった。
つづく……




