第5話 ソフィアが残したもの
新たな年を迎えてから1ヶ月が過ぎようとしていた。
去年の暮れにヨネシゲにとって衝撃的な出来事が起こる。
3年前にヨネシゲ最愛の妻子を殺害して逃走を続けていたダミアン・フェアレスが警察官に射殺されたのだ。
いつの日か法の裁きのもと、ダミアンに罪を償わせることを心から願っていたヨネシゲ。しかし、その願いも叶わぬものとなってしまった。
その後、ヨネシゲは生きる目的を失ったかのように無気力状態の日が続き、年が明けてからは一度も出勤できていなかった。そんなヨネシゲを心配した、姉メアリーや職場の同僚たちの支援もあり、日常生活を一人で送れるまで回復。そして今日は、長いこと休んでいた仕事の復帰を果たし、無事に一日の仕事を終えることができた。
ヨネシゲは帰宅すると、居間の机の上に置いてあるソフィアとルイスの遺影に「ただいま」と挨拶する。
ヨネシゲはシャワーを済ませ、居間に移動すると、帰宅途中で買った総菜を遺影の前に供えた。
ヨネシゲは瓶ビールの詮を開けコップに注ぐと、買ってきた惣菜を肴に晩酌を始める。ヨネシゲはコップのビールを一気に飲み干す。
「旨い。やっぱり働いた後のビールは格別だ……」
ヨネシゲは思わず言葉を漏らす。
労働で疲れ果てた後に飲むビールは格別の一言。身に染み込んでいくビールは久々に生きている喜びを感じることができた。
ヨネシゲはビールを味わいながら、何か決心した様子で静かに頷いた。
(俺は生きている。それだけで幸せ者だ。ソフィアとルイスの分まで頑張って生きないとな。立ち止まってはいられん!)
ヨネシゲがそう心に誓いながら晩酌を楽しんでいると、携帯電話の着信音が鳴り出す。
「おっ、姉さんからだ」
着信は姉メアリーからのものだった。ヨネシゲは携帯電話を手にとると通話のボタンを押した。
「もしもし、姉さんか?」
「あ、シゲちゃん。仕事は大丈夫だった?」
ヨネシゲを心配しての電話だった。
全てを失った3年前のあの日から、ヨネシゲを全力でサポートしてくれたメアリー。姉の存在が無ければヨネシゲは今ここに居なかったことだろう。ヨネシゲは、心配するメアリーの声を聞いて感謝の気持ちで一杯になった。
「おう! 大丈夫だ。姉さん、色々心配かけてすまなかった。本当にありがとう! 感謝しているよ」
ヨネシゲが少々照れくさそうに感謝の言葉を述べると、メアリーは励ましの言葉をヨネシゲに送る。
「気にしなくていいのよ! 私で良ければいつでも頼ってちょうだい。応援してるからさ! それと、無理だけはしちゃだめよ」
「ああ、わかってるよ。それと、姉さん」
「どうしたの?」
何か言いたそうなヨネシゲにメアリーが問い掛けると、彼は意外な台詞を口にする。
「仕事終わりに飲むビールはやっぱり上手い。明日も頑張れそうだ」
「それを聞いて安心したわ」
「ありがとう。じゃあ、おやすみ」
他愛の無い会話かもしれないが、久々に聞くヨネシゲの前向きの台詞にメアリーは安心した様子だった。
通話を終わらしたヨネシゲは微笑みを見せていた。
(俺は幸せ者だ。姉さんを始め、色々な人の支えがあって今こうして生きている。そうでなければ、とっくに2人の後を追っていたことだろう……)
ヨネシゲの心は、今日まで支えてくれた人々への感謝の気持ちで一杯になった。とても心が満たされた気分だった。
「おっと、いい時間になってきたな。明日も仕事だが、このまま寝るのはもったいない……」
時計を見ると就寝の時間が近付いていた。だが久々に味わうこの幸せな気分。もう少し余韻に浸りたい。
するとヨネシゲは机に移動すると椅子に腰掛ける。そして、机の上に綺麗に積み上げられた何冊ものノートに手を伸ばす。ヨネシゲはそのうちの一冊を手にとり、付箋が入れられたページを広げると、ソフィアの遺影を見つめる。
「ソフィア、久々に読ませてもらうよ」
ヨネシゲはそう言いながら、広げたノートに視線を下ろすと、不思議な独り言を始める。
「今日はカルムタウンのヒーローヨネシゲが、盗賊団を成敗するところからだな!」
ヨネシゲはまるで取り憑かれたかの様にノートに書かれた文章を黙々と読み始める。一体、このノートには何が書かれているのだろうか?
――生前のソフィアは空想に耽ることが好きな女性だった。特に学生時代は自分が作り出した空想世界を文章に起こし、ノートに書き溜めていた。
ファンタジーに恋愛、SFにホラーといった様々なジャンルの物語はノート300冊を超えていた。
この大量のノートは長い間ソフィアの実家に眠っていたが、ソフィアがこの世を去ったのを機に、ヨネシゲが彼女の両親から譲り受けた。
突然ソフィアとルイスを失い、現実に失望していたヨネシゲ。だがソフィアが書いたこの物語を読んでいる間だけは現実を忘れることができ、気持ちも幾分楽になった。何よりソフィアがすぐ側に居るような気分になれたのだ。
やがてソフィアが描いた物語を毎晩読むことがヨネシゲの日課となる。この3年間で何回同じ物語を読んだことだろうか? しかし決して飽きることはなかった。
ソフィアが書き溜めた物語は大半が恋愛ものとなるが、ヨネシゲお気に入りのジャンルはファンタジーものである。
舞台は中世をモチーフにした世界。そこで生きるごく普通の市民である主人公が、次々に現れる強大な敵を倒していき、家族や仲間、多くの人々を守っていくといったストーリーである。幼い頃ヒーローに憧れていたヨネシゲの心を掴む内容となっている。
ヨネシゲがこの物語を読む際、自己流の楽しみ方がある。それは物語に登場する人物を、自分の知る人物と置き換えて登場させることだ。
例えばソフィアやルイス、姉のメアリーを始め、友人や職場の同僚、街で出会った好みの女など、主人公の周りにはヨネシゲの知人で溢れ返っていた。言うまでもなく、ヨネシゲも自身の姿を主人公に投影させ、物語を読み進めていく。ある特別な思いを込めて。
(せめて……物語の中だけは、大切な人を守りきりたい!)
主人公ヨネシゲに迫りくる敵。ヨネシゲは、最愛の妻子の命を奪ったあの男の姿を迫りくる敵に重ね合わせると、渾身の一撃を食らわすのであった。
(ソフィアとルイスに手を出した報いだ……!!)
その様子をヨネシゲは目を閉じて想像するのであった。
ヨネシゲは続き読もうとページをめくる。ところがめくったページには何も書かれておらず白紙のまま。物語は中途半端なところで終わっていたのだ。
ソフィアは何らかの理由で途中で執筆を止めたようだ。
続きが読みたい。しかし物語の生みの親であるソフィアはもうこの世に居ない。物語の行く末を知ることは永遠に叶わないのだ。
ヨネシゲはまだ見ぬ物語の果を想像する。
(きっと、きっと素晴らしいハッピーエンドに違いない。だって、ソフィアが描いた物語なのだから……)
ヨネシゲが空想に耽っていると、机の上にある置き時計から時報の電子音が聞こえてきた。
「おっと、もう寝る時間か。ソフィア、ルイス、また明日な。おやすみ」
ヨネシゲは2人の遺影に就寝の挨拶をすると、ノートを閉じ居間の照明を消して寝室に移動する。
(今日は久々の仕事でクタクタだからな。ぐっすり寝れそうだ)
ヨネシゲは布団の中に入ると、一瞬で深い眠りにつくのであった。
――それから数時間後。
ヨネシゲは布団の中でうなされてたいた。
この時、ヨネシゲの耳にはある声が聴こえていた。
「あなた……お願い……助けて……!!」
「父さん……頼むよ……助けてくれ……!!」
これは、夢なのか? 現実なのか?
今のヨネシゲには判別することができない。
ただ一つだけ、確実に理解できることは……
ソフィアとルイスが助けを求めているということ。
ヨネシゲは飛び起きる。
「ソフィア!! ルイス!! 今行くぞっ!!」
ヨネシゲは2人の助け声がする方向へ体を向けると、真っ暗闇の空間をひた走るのであった。
つづく……