第47話 アトウッド兄妹
ヨネシゲの自室ベッドの上には、年齢10歳前後と思われる黒髪おさげの少女が、猫の縫いぐるみと一緒に横たわっていた。
先程、ヨネシゲとソフィアは自宅近くの工場裏で倒れる少女を発見する。2人は一緒に居た少女の兄を連れ自宅に引き換えした。そして今は、カルム病院の医師が少女の診察を行っていた。
「先生、大丈夫でしょうか?」
ヨネシゲはそう言いながら、医師の顔を伺う。
「大丈夫だ、心配はいらないよ。三日程安静にして、栄養のあるものを沢山食べさせれば、すぐ元気になるさ。薬も出しておくからね」
診察を終えた医師に、一同深々と頭を下げる。そして頭を上げると、安堵の表情を浮かべる。
この黒髪おさげの少女は「メリッサ・アトウッド」
メリッサが横になるベッドの周りには、ヨネシゲとソフィア、そしてメリッサの兄である「ゴリキッド・アトウッド」と言うなの少年の姿があった。
ゴリキッドは診察を終えたメリッサの手を握ると、謝罪の言葉を口にする。
「ごめんよ、メリッサ。こんなに弱るまで連れ回しちまって。兄ちゃんが馬鹿だったよ……」
目に涙を浮かべながら妹に謝り続けるゴリキッド。ソフィアは、そんな彼の両肩に手を添えながら、慰めの言葉を掛けていた。その様子を険しい表情で見つめていヨネシゲに、医師が声を掛ける。
「ヨネさん、ちょっといいかな?」
「あ、はい……」
ヨネシゲが廊下に出ると、医師から小声で話をされる。
「ヨネさん。あの子たち、相当訳ありっぽいぞ。何日も食べ物口にしてないみたいだ……」
「ああ。2人共、痩せこけていて、着ている服もボロボロだった。一体、何があったというんだ?」
まだ親の助けが必要と思われる2人の兄妹はガリガリに痩せていた。そして、ボロボロの服を身に着け、その体は汚れており、何日も風呂に入っていない様子だ。
(あの子たちには親が居ないのか? それとも虐待か? いや、家出の可能性もある)
ヨネシゲの脳裏には色々な憶測が飛び交っていたが、医師が予想外の言葉を口にする。
「見るところ、あの子たちは、カルムの領民ではなさそうだ。恐らく、他領から来た難民かもしれない……」
「難民……!?」
ヨネシゲは「難民」という言葉に驚いた表情を見せる。それもその筈。現実世界の恵まれた母国で暮らしていたヨネシゲは、難民を目にする機会は無かった。ヨネシゲにとって難民は、テレビや新聞の中だけの存在だった。しかしここは空想の世界であり、ヨネシゲが住んでいるトロイメライ王国では、各地で戦が行われている。難民が目の前に現れても不思議ではないのだ。
「いずれにせよ、ヨネさん。保安署に相談した方がいいかもよ?」
「ああ、わかった。とりあえずこの後、2人から色々と聞いてみますよ。先生、ご足労いただき、ありがとうございました」
「いやいや、礼には及ばんよ。これが仕事だからね。では、お大事に」
医師はヨネシゲとの会話を終えると、病院へと戻っていった。ヨネシゲは医師を見送ると自室に戻る。
ヨネシゲが自室の扉を開けた途端、ゴリキッドが物凄い勢いでヨネシゲの側まで駆け寄ってきた。
「おっちゃん! 本当に助かった! おっちゃんが居なかったら、今頃、メリッサがどうなっていたか……」
涙を流しながら礼を言うゴリキッドの肩をヨネシゲが優しく叩く。
「もう大丈夫だから泣くなよ。色々と事情はありそうだが、話は後にしよう。とりあえず、風呂に入って来いや。その間に食べる物用意しておくからさ!」
ゴリキッドは、涙と鼻水を流し、ゴリラのように顔をしわくちゃにさせながら、ヨネシゲの顔を見上げる。
「おっちゃん……本当に良い人だな……!」
そんなゴリキッドを見てヨネシゲが笑い声を上げる。
「ハッハッハッ! おっちゃんじゃないよ。俺の名前はヨネシゲ。まあ、ヨネさんとでも呼んでくれ! さあ、とりあえず風呂に入って来いや。妹さんの事は俺とソフィアに任せときな」
「ありがとう……ヨネさん……」
ゴリキッドはヨネシゲに風呂場まで案内されると、ボロボロになった服を脱ぎ、入浴するのであった。
風呂から上がったゴリキッドがリビングに姿を現す。
「ヨネさん。服まで用意してもらってすまない」
「おう。それは俺が来ている服なんだが、大きさは大丈夫そうか?」
「ああ。少し大きいけど大丈夫。問題ないよ」
ヨネシゲより一回り体が小さいゴリキッドであるが、問題なく彼の服を着こなしていた。もしこれが長身のルイスの服だったら、丈が長過ぎてダボついていることだろう。
ヨネシゲはゴリキッドにダイニングテーブルの椅子に座るよう促す。ゴリキッドが椅子に腰掛けると、キッチンの方からソフィアが姿を現す。
「有り合わせで作ったものだから、お口に合うかどうかわからないけど、良かったら召し上がって」
ソフィアがそう言うと、ゴリキッドの前に料理を並べ始める。その様子を見たゴリキッドがソフィアの顔を見上げる。
「これ、本当に食べていいんですか?」
「ええ、いいのよ。好きなだけお食べ」
ソフィアの言葉を聞いたゴリキッドがフォークを手に取り、料理を一口食べると、目を大きく見開く。
「う、美味い!」
ゴリキッドはそう言葉を漏らした後、余程腹が減っていたのか、目の前の料理を無我夢中で次々と口に運び込む。
「おいおい、そんなに慌てて食うなよ。喉に詰まらすぞ」
ヨネシゲがそう言った矢先に、ゴリキッドは食事を喉に詰まらす。苦しそうにするゴリキッドに、ソフィアが水を差し出すと、それを一気に飲み干し、再び食事を口の中に掻き込むのであった。そして、ゴリキッドの頬には、一筋の涙が伝っていた。
食事を終えたゴリキッドはミルク珈琲を飲みながら、食後の余韻に浸っていた。ヨネシゲは頃合いを見計らって、ゴリキッドに事情を尋ねる。
「さて、ゴリキッド。腹も満たされたところで、色々と教えてほしいことが沢山ある」
ヨネシゲの言葉を聞いたゴリキッドは、ミルク珈琲が入ったカップをテーブルの上に置くと、畏まった様子で口を開く。
「ああ。何でも聞いてよ。えっと、沢山ありすぎて、何から話していいものか……」
「そうだな。まず、2人の年齢は何歳なんだ?」
「俺は17歳でメリッサは11歳だよ」
「ゴリキッドは17歳なのか! じゃあ、ルイスと同じ年齢だな」
「ルイス?」
「ああ、俺たちの息子だよ」
ゴリキッドの年齢はルイスと同じ17歳。メリッサは11歳だった。
メリッサは年相応に見えるが、ゴリキッドはもっと幼く見える。大人びたルイスと比べると尚更かもしれない。
ヨネシゲはゴリキッドの痩せ細った体を見ながら質問を続ける。
「それにしても、何日くらい飯食ってなかったんだ?」
「ここ3日間は水と雑草だけで凌いでいたよ。かれこれ1ヶ月程はまともな物を食べていないな」
「い、一ヶ月も!?」
何故、ゴリキッドたちはこれ程の長期間、食事にありつけなかったのか? ヨネシゲは思い切った質問を切り出す。
「単刀直入に聞かせてもらう。ゴリキッド、お前は難民なのか?」
図星だったようで、ゴリキッドは目を見開く。そしてゴリキッドは静かに語り始める。
「お察しの通り、俺たち兄妹は難民さ。元々、俺とメリッサは、王国北東部にあるライス領の領民だった。そこで両親たちと農園を営みながら、ひっそりと暮らしていた。だけど、1ヶ月前のあの日、隣領のタイガーに攻め入られてしまって、村を離れることを余儀なくされた……」
ヨネシゲは「タイガー」と言う言葉に目をキョトンとさせる。
「すまん、タイガーってなんだ?」
ゴリキッドは驚いた表情を見せる。
「ヨネさん、タイガーを知らないのか!? タイガー・リゲルだよ!」
「すまんが、知らんな。そうだ、まだ説明していなかったな。俺は先日、殆どの記憶を失ってしまった」
「記憶を失った……!?」
「そうなんだ。だから、この世界についてわからない事ばかりなんだ……」
例により、ヨネシゲはこの世界では記憶を失った人間として生活している。その事情を知らない者には、こうして理解を得るため事細かく説明している。
ヨネシゲは自分の現状をゴリキッドに理解してもらうと、会話を再開させる。
「で、そのタイガー・リゲルとは何者なんだ?」
「東国アルプ地方を手中に収め、東国の猛虎と呼ばれている最強の領主さ」
「最強の領主だと!?」
「そうだぜ。恐ろしく強い領主だよ。奴に攻め入られたらお終いさ」
「でも、何故今になって攻め入られてしまったんだ?」
「ライス領周辺のパワーバランスが崩れたからさ」
「パワーバランス?」
「ああ。ライス領は強大な力を持った大領主たちに囲まれてる。アルプのタイガー・リゲル、フィーニスのウィンター・サンディ、グローリのエドガー・ブライアン、ホープのオジャウータン・クボウ。各地の領主たちは互いに牽制し合っていてな。ライス領は板挟み状態なんだ」
ライス領は別名「豊作の大地」と呼ばれる農作物の宝庫。周辺の大領主たちは、そのライス領を巡って互いに牽制しあっており、時には大きな戦へと発展している。ちなみに大領主とは、広大な領土を支配する地方領主の通称であり、その領土内に点在する小領主たちを束ねている。
ライス領主は、ウィンター・サンディの助けを借り、他の領主たちから大半の領土を防衛している。しかし、一部の領土はタイガーやエドガーに実行支配されており、ゴリキッドが住んでいた村はエドガーの配下にあった。
「俺たちが住む村は長年エドガーに実行支配されていた。だけど、そのエドガーが討伐の対象となり、オジャウータンが攻勢を強めてくると、ライス領の支配まで手が回らない様子だったよ」
「そこをタイガーに突かれてしまった訳か……」
「そういうことだ。エドガーが大人しく俺らの村を明け渡せば良かったんだがな。悪足掻きするもんだから、村が戦火に飲まれちまった。もっと言えば、オジャウータンがエドガー討伐なんて始めなきゃ良かったんだよ……」
「なるほどな。村から避難してきた理由がよく分かったよ」
「始めは親たちと一緒に、ライスタウンの中心部を目指していたんだけど、山賊に襲われてしまってな。その後も野盗や魔物の襲撃に遭いながら、何とか生き延びることができたんだが、気付いたら、このカルムタウンにたどり着いちゃった訳さ」
ゴリキッドの話を聞いたヨネシゲは、険しい表情であることを尋ねる。
「ちなみに、ご両親はどうなった?」
するとゴリキッドは俯きながら暗い表情を見せる。
「途中ではぐれた。生きていることを願っているが、もしかしたら、もう……」
リビングに沈黙が流れる。すると、同席していたソフィアが口を開く。
「ゴリキッド君。この先どうするつもり?」
ゴリキッドは険しい表情を見せる。
「いや、それはわかりません。行く宛もありませんし。多分、親を探しにライス領の方へ戻ると思います」
ゴリキッドの言葉を聞いたソフィアが、諭すように言葉を掛ける。
「また、妹さんを連れて危険な道のりを戻るつもりなの? もう少しするとエドガー討伐が本格的に始まるわ。今戻るのは危険すぎだよ。落ち着くまで、ここで様子を見てみたら?」
「そりゃ、妹のこと考えれば、安全な街に留まるに越したことはありません。だけど、金も無ければ、住む場所もない。俺たちには居場所が無いんです……」
するとヨネシゲが突然怒鳴り声を上げる。
「訳のわからないこと言ってるんじゃねえ!!」
「!?」
突然のことに、ゴリキッドは目を丸くさせる。するとヨネシゲは、先程までとは打って変わり、優しい笑みを浮かべる。
「住む場所なら、もう貸してやってるだろ?」
「え……? そ、それって?」
ゴリキッドはヨネシゲの顔を見上げる。そんな彼の顔を見ながらヨネシゲは言葉を続ける。
「俺の部屋使えよ! いずれにせよ、メリッサがあんなんじゃ、すぐに動けないだろ?」
ソフィアが続けて口を開く。
「そうね。少し、このカルムタウンで休んでいきなよ」
ゴリキッドは目を涙ぐませる。
「本当に、甘えてもいいのか……?」
ヨネシゲは立ち上がり、ゴリキッドの側に寄ると、彼の肩を軽く叩く。
「いいってことよ! それに、朝昼晩三食付けてやるからよ! でもタダという訳にはいかんからな、少し働いてもらうことになるが。まあ、仕事ならすぐ見つかるだろう」
「ヨネさん、ソフィアさん。本当にありがとう、ありがとう……」
ゴリキッドは2人に礼を言い、腕で涙を拭うと、席から立ち上がる。
「そんじゃ、改めて自己紹介させてもらうよ! 俺の名前はゴリキッド・アトウッド。妹はメリッサ・アトウッド。どうぞ、よろしくお願いします!」
一礼するゴリキッドにヨネシゲが微笑み掛ける。
「こちらこそ、よろしくな! ゴリキッド!」
するとゴリキッドもニヤッと笑みを浮かべる。
「ヨネさん、ゴリキッドって呼ぶの面倒だろ? ゴリキでいいよ! 皆からもそう呼ばれている。ソフィアさんもゴリキでいいですからね!」
「わかったよ、ゴリキ!」
「ゴリキ君、よろしくね!」
ヨネシゲたちの粋な計らいにより、アトウッド兄妹は彼らと一つ屋根の下で暮らすこととなった。
つづく……
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
次話の投稿も、明日のお昼頃を予定しています。




