第44話 お祭りムード
ここは、トロイメライ王国とゲネシス帝国の国境に跨る岩山。まだ雪が残るこの岩山を、ゲネシス帝国100万の大軍勢が、自国へ向けて足早に引き返して行く。
彼らは先日、トロイメライ王国の王都を目指して進軍していたが、国境を越えたところで、トロイメライ側の返り討ちに遭い、大敗を喫した。
その敗走する大軍勢の先頭付近では、黒馬に跨る、見目麗しい銀髪青年の姿があった。
彼の正体は、近隣諸国から魔王と呼ばれ恐れられている、ゲネシス帝国皇帝「オズウェル・グレート・ゲネシス」だった。
普段は凛々しい表情を見せている彼だが、今は女性顔負けの美貌を顰めながら、ぐったりとした様子でうめき声を漏らしていた。
オズウェルの腹部には、2つの大きな傷が、交差するようにして刻まれていた。その傷からは夥しい量の血液が漏れ出していた。
そのオズウェルの両隣には、心配した表情を浮かべながら、馬に跨る、男女の姿があった。
オズウェルの右側で馬に跨る、緑髪おかっぱ頭の少年は、オズウェルの弟「ケニー・グレート・ゲネシス」
そしてオズウェルの左側で馬に跨る、銀髪三つ編みおさげの女が、オズウェルの妹にしてケニーの姉「エスタ・グレート・ゲネシス」である。
2人の姉弟は、初めて目にする兄の惨めな姿に、ショックを隠しきれない様子だ。
オズウェルが負った傷の治癒を試みたエスタが言葉を漏らす。
「なんて深い傷なの!? 私の治癒術をもってしても塞ぐことができないなんて!」
エスタや軍医が空想術を用いて治癒を試みるが、オズウェルの傷口を塞ぐことに苦戦していた。その様子を見ていたケニーが不安な表情で言葉を漏らす。
「兄様の体力が心配だ。このままでは命が危ない……」
ケニーの言葉を聞いたオズウェルがニヤッと笑みを浮かべる。
「この俺に、ここまでの深傷を負わすとは。流石はトロイメライの守護神だな!」
オズウェルの言葉に、エスタが声を荒げる。
「お兄様! 関心している場合じゃありません! このような深い傷を負っているというのに……!」
オズウェルはエスタに視線を向ける。
「案ずるな、妹よ。命を落とすような傷ではない。どうやら、俺は奴に手加減をされたようだ……」
オズウェルの言葉にケニーとエスタは驚いた様子だ。そしてオズウェルは先程までとは売って変わり、悔しさを滲ませた表情で言葉を漏らす。
「覚えておれ、守護神。この借りは必ず返してやる。その暁には、あの野蛮なるトロイメライ王を討ち果たし、王都メルヘンを我が手中に収めてみせる!」
オズウェルは強く握りしめた拳を自分の胸に当てる。
「このゲネシスに、そして我らバーチャル種に安寧と繁栄を齎すために!」
オズウェルが振り絞るような声で言葉を口にすると、ケニーに気遣われる。
「兄様。今は安静にしていてください。もう少しで岩山を越えます。麓には街がありますから、そこで急ぎ手当を行いましょう!」
ケニーの言葉を聞いたオズウェルは静かに頷くと、瞳を閉じながら、痛みと戦うのであった。
――ヨネシゲは、2回目となる宿泊勤務を終えて自宅に帰宅していた。初日は巨大骸骨の出現により、波乱に満ちた宿泊勤務となったが、昨晩は何事もない、穏やかな夜を過ごすことができた。とはいえ、ヨネシゲは宿泊勤務にまだ体が慣れておらず、疲れた様子でソファーに腰掛ける。そんなヨネシゲにソフィアが気遣いの言葉を掛ける。
「あなた、お疲れ様。疲れが溜まっているようね……」
「ああ。昨日は静かな夜を過ごせたが、やはり、普段寝ている時間に起きて仕事するのは体が堪えるな。慣れるまで時間が掛かりそうだよ……」
「無理だけはしないでね。まあ、明日はお休みだから、ゆっくり体を休めましょう」
「そうさせてもらうよ。それと申し訳ないが、昼飯まで少し寝かせてくれ。あ、でもその前に、小腹が空いちゃったから、腹ごしらえしたい。パンとミルクあるかな?」
「あるわよ。今用意してあげるね」
ソフィアはそう言うと、ヨネシゲの軽食を用意するためキッチンへと向かった。
その間ヨネシゲは、ローテーブルの上に置かれた新聞を手に取って広げる。そしてヨネシゲの目にはある見出しが飛び込んでくる。
「何!? 魔王率いるゲネシス軍、大敗を喫して自国に逃げ帰るだと!?」
そこへソフィアが、蜂蜜とバターがたっぷり掛けられた食パンと、カップに入ったミルクを持ってくる。
「どうしたの?」
「ソフィア! 今朝の新聞読んだか!?」
「ええ。少し読んだわよ。とりあえず、このトロイメライから、一つ災難が去ったみたいだね」
先日、トロイメライの王都へ進軍していた、ゲネシス帝国100万の大軍勢は、国境付近で王都守護役と対峙。結果、ゲネシス軍は王都守護役に敗れ、自国への撤退を余儀なくされた。
ここでヨネシゲはソフィアにあることを尋ねる。
「ソフィア。この、王都守護役っていうのは何なんだ?」
ヨネシゲの質問にソフィアが答える。
「王都守護役は、王都の防衛や国境の警備を行う、トロイメライ王国の重職よ。北の国境にある、フィーニス地方の領主様が代々世襲しているわ」
「なるほどな……」
ヨネシゲはパンとミルクを口にしながら、ソフィアの説明を聞いていた。
王都守護役はトロイメライ王国の要と呼ばれる重職。王国最北、国境を面するフィーニス地方領主「サンディ家」が代々この役職を受け継いでいる。そして現在、王都守護役を務める領主は「トロイメライの守護神」と呼ばれており、国内外から一目置かれる存在らしい。
ソフィアは説明を終えると、外出の準備を始める。
「買い物に行くのか?」
「ええ、そうよ。今晩、何か食べたいものある?」
ソフィアがそう尋ねると、ヨネシゲはソファーから立ち上がる。
「俺も行くよ!」
「え? でも、寝るんじゃなかったの?」
「いや、新聞読んだら、目が冴えちまった。ほら、それにソフィア1人で街の中歩くのは危ないから、ボディーガードが必要だろ?」
「フフフ。大げさすぎだよ」
そんなこんなで、ヨネシゲもソフィアの買い物に同行することになった。
――ヨネシゲとソフィアは、活気が戻ったカルムの街を歩いていた。
ここ最近は、ゲネシス帝国の進軍により、街全体がどんよりした雰囲気に包まれていた。
だが、そのゲネシス軍も自国へと引き返し、更にカルムタウンを騒がしていた悪魔のカミソリも街から姿を消した。街を覆っていた悪い雰囲気も払拭され、カルムの街は普段以上の活気を見せていた。また、街が活気に溢れているのには、もう一つ理由があった。
ヨネシゲは、普段とは違うある光景に気が付く。
(あれ? 夜勤明けで帰るときは疲れていて気が付かなかったが、街のあちこちにリボンや造花で飾り付けがされてるぞ。それにあの鶴の旗はなんだろう?)
ヨネシゲがカルムの街並みを見渡すと、店屋の軒先や街灯などに、カラフルなリボンや造花、そして「吹飛鶴神」と書かれた鶴の旗が掲げられていた。ヨネシゲはこの装飾や旗についてソフィアに質問する。
「なあ、ソフィア。この飾りや鶴の旗はなんなんだ? 祭りでもやるのかな?」
「この飾りは、毎年恒例のものなのよ」
「毎年恒例? 一体何の飾りなんだ!?」
ヨネシゲが興味津々の様子で、ソフィアに説明を催促する。ソフィアは街に飾られたリボンや旗を眺めながら、説明を再開する。
「このリボンや造花は、来週末に行われるカルム学院の学院祭を祝うものなのよ」
「それはつまり、カルムの街全体で学院祭を祝おうとしているのか!?」
「そうよ。カルム学院祭は学院最大のイベントでもあり、このカルムの街にとっても3本の指に入る一大イベントなの。当日は屋台が沢山出たりして、物凄く賑わうのよ」
カルム学院祭はカルムタウン3大イベントの一つ。学院祭当日は、商店街や市場の店主たちが、学院内やその周辺に屋台を出して、街ぐるみで学院祭を盛り上げていく。学院祭の一週間前になると、飾り付けを始めるそうで、街全体がお祭りムードに包まれる。
ヨネシゲはリボンや造花の飾りは理解できたが、鶴の旗についてはまだ疑問が残る。するとソフィアが旗についての説明を行う。
「そして、あの鶴の旗はクボウ家の領主旗だよ。オジャウータン様を歓迎するために掲げられているんだよ」
カルムの街中に掲げられた、領主旗と呼ばれる旗は、オジャウータンを歓迎するものらしい。
旗に描かれている鶴は、吹飛鶴神と呼ばれる、トロイメライ神話に登場する聖獣だ。吹飛鶴神は災いや疫病を吹き飛ばす存在と言い伝えられており、オジャウータンたちクボウ一族が崇拝している。
オジャウータン率いるエドガー討伐軍の一部は、このカルム領に駐留することが決まっている。総大将のオジャウータンもカルム領主カーティスと会談するため、数日間滞在する予定だ。
オジャウータンは位の高い大領主。そんな上級貴族を街全体で持て成すため、カーティス自ら商店街や市場に指示を出しているそうだ。
ヨネシゲはソフィアの説明を聞きながら歩いていると、カルム市場に到着していた。そしてヨネシゲとソフィアの名を呼ぶ、ガラガラとした男の声が聞こえてきた。
「ヨネさん! ソフィアさん! 新鮮な果物はいかがっすか!」
「おう、ドランカド!」
ヨネシゲたちが気付くと、そこはドランカドが働くリサの果物屋前だった。ドランカドは脚立に乗りながら、店の軒先に装飾をしていた。その様子をヨネシゲが腕を組みながら眺める。
「精が出るな、ドランカド!」
「はい! 来週は待ちに待った学院祭ですからね。張り切っていきますよ!」
ヨネシゲたちが楽しそうに談笑していると、店の奥から、店主のリサが姿を現す。
「ヨネさん、ソフィアさん、いらっしゃい。ヨネさん、今日は休みなのかい?」
「いや、今日は夜勤明けなんだ」
ヨネシゲとリサが他愛もない会話をしていると、ソフィアも会話に加わる。
「そういえば、リサさん。今年も屋台を出したりするんですか?」
「ええ。毎年恒例のカットフルーツを売るつもりよ。それと今年は、念願だった学院内のブースを借りることができたから、気合入れていくわよ!」
「抽選に当たったんですね! おめでとうございます!」
リサたちの果物屋も毎年屋台を出している。今年は念願だった学院内のブースを借りることができたそうで、リサとドランカドは気合が入った様子だ。
ドランカドはクボウ家の領主旗を手にしながら、苦笑いを見せると、ヨネシゲに愚痴をこぼす。
「まさか学院祭の時期に、南都の雄のお出ましとはな。領主からの御達しで、街全体でオジャウータンの歓迎をしなくちゃならないから、色々と準備に大忙しなんですよ」
「ははは、そいつは大変だな」
「まあ、オジャウータンは、このトロイメライに過去最大の繁栄をもたらしたとされる、前国王の片腕でしたからね。これくらいやらないと、ウチらの領主様も気が済まないのでしょう」
「前国王はそんなに凄い人だったのか」
「ええ。内政外交共に手腕を振るったと聞いています。とても民思いなお方だったらしいですよ。おまけにあのゲネシス帝国とも良好な関係を築いたらしいですからね。それに引き換え、今の国王ときたら、国を目茶苦茶にしてくれる……」
ドランカドが現国王への不満を漏らそうとすると、リサに制止される。
「ドランカド! その辺にしておきな。誰が聞いているかわからないんだからさ!」
ドランカドは口を尖らせながら、拗ねた様子で言葉を漏らす。
「へいへい、わかってますって。こんなんで俺もお縄にはなりたくないですからね」
国王の悪口などを口にして、それを役人などに聞かれれば、最悪の場合捕らえられてしまい、監獄行きとなってしまう。市中では王族に関する不平不満は避けるべきなのだ。
少々気不味い雰囲気になると、ヨネシゲとソフィアは話題を変える。
「まあ、学院祭までの一週間は、このカルムタウンも大きな賑わいを見せることだろう!」
「ええ、そうね! 学院祭楽しみだね!」
一同、装飾されたお祭りムードの街並みを見渡すのであった。
――ここはカルム領から少し離れた草原の一本道。その一本道を行くのは、吹飛鶴神が描かれた領主旗を掲げる、30万の大軍勢。
勇ましい表情を見せる、屈強な体の兵士たちは、規律良く、一糸乱れぬ行進を見せていた。相当鍛え抜かれているに違いない。
行軍の中程には、2頭の馬に引かれた金色の馬車が走っていた。その馬車には2人の親子が乗っていた。
父親は、白髪短髪に仙人のような白い髭、眼鏡を掛けた老年の大男。そして息子の中年男が、少々独特で、烏帽子を被り、眼鏡を掛けた顔は白塗りにされていた。
そして、息子の中年男が、やや甲高い、滑らかな口調で、父親に伝える。
「父上。夕刻前には、カルム領に到着できそうですな」
父親の老年男が、重低音の声を響かせながら、息子に返事を返す。
「うむ、そうじゃのう。それにしても、カルムに足を踏み入れるのは、何十年ぶりかのう。カーティス殿と会うのも久々じゃ。早く酒を酌み交わしたいものじゃのう」
「ウホホ……楽しみですな、父上!」
2人は胸を高鳴らせながら、馬車の窓から流れゆく景色を楽しむのであった。
この2人の親子。
父親は、トロイメライ南部、ホープ地方領主。南都の雄こと「オジャウータン・クボウ」だ。
息子は、南都アナザローヤルで、南都大公に仕える南都五大臣の一人。南都貴族「マロウータン・クボウ」である。
オジャウータン率いる討伐軍は、鍛え抜かれた150万の大軍勢。そのうち30万の軍勢は、マロウータンが指揮をとる、カルム駐留部隊である。
対するエドガー軍は、寄せ集めた10万程の軍勢。エドガーの敗色は濃厚。オジャウータン率いる討伐軍の勝利は確約されたも同然だ。
2人の親子からは既に勝利の笑みが溢れていた。
つづく……
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