第39話 ヨネシゲとオスギと三人衆
午前の研修が始まり、ヨネシゲは就業規則や業務内容に関する座学を受けていた。座学と言っても堅苦しい雰囲気ではなく、ヨネシゲはオスギや他の守衛たちと雑談を交えながら、和気あいあいと座学を楽しんでいた。
しばらくして、座学が一段落したタイミングで、守衛所の扉をノックする音が聞こえてきた。オスギが応対のため扉を開くと、扉の外には、ヨネシゲが今朝正門前で出会したグレースの姿があった。
ヨネシゲが様子を伺っていると、応対していたオスギがこちらに向かって手招きする。
「ヨネさん、ちょっと、来てくれ」
「あ、はい!」
ヨネシゲは小走りでオスギの元へ向かう。
「なんでしょう?」
「彼女はヨネさんに用があるらしい」
「俺にですか?」
オスギの言葉を聞いたヨネシゲはグレースに視線を向けると、彼女は妖艶な笑みを浮かべていた。
「ヨネさん、ここじゃなんだから、隣の中庭で話してこいや」
「あ、はい」
オスギはニヤッと笑みを浮かべると、ヨネシゲとグレースを守衛所の外へと押し出した。
「ははは……追い出されちゃいましたね」
ヨネシゲが頭を掻きながらそう言うと、グレースが笑みを浮かべる。
「気を使ってくださったみたいですね。折角ですから、中庭に行きましょう!」
「そうですね」
ヨネシゲとグレースは中庭へ向かう。
中庭には青々と茂った芝生が一面に広がっており、その一角に植えられた桜の木からは、無数の花びらが散り落ちていた。
2人はベンチに腰掛けると、グレースはヨネシゲとの距離を詰めながら口を開く。
「お忙しいところ、すみませんね」
「いえいえ! 私は大丈夫ですよ。それで、ご要件は?」
ヨネシゲがグレースに要件を尋ねると、彼女は嬉しそうな表情で話し始める。
「お陰様で、明日からこの学院で働けることになりました! ヨネさんにはそのご報告をしたくて……」
「そいつは良かった! わざわざ報告までしてもらって、ありがとうございます」
グレースは先程、教員の採用試験を受けてきた。面接は好感触で、筆記試験も満点だったらしく、結果を見た学院長ラシャドと教頭は即採用の通知を出したらしい。
ラシャドから「明日から来られるか?」と問われ、グレースは「来れます」と即答したそうだ。
「ヨネさん、明日から宜しくお願いしますね!」
「ああ、こちらこそ! この学院で、グレース先生と一緒に働けるのが楽しみですよ!」
「ええ、私もです」
グレースはベンチから立ち上がると、ヨネシゲに一礼する。
「では、私は明日の準備がありますので、この辺で失礼させていただきます」
「おお、そうだった。準備も大変ですから、早めに帰宅したほうがいいですね」
「ええ。では、失礼します」
グレースは再びヨネシゲに一礼すると、学院を後にした。彼女の後ろ姿を見ながら、ヨネシゲは大きく息を吐く。
(グレースさん、本当にいい女だ。彼女を前にすると心拍数が上がってしまう。それに今なんか体を密着させてくるしな。もしかして、俺は彼女に誘惑されているのか? まあ、カルムのヒーローと呼ばれている俺だからな、一目惚れされても不思議ではない。いや! そうだったとしても、俺はソフィア一筋だ! 俺を落とすことなどできん! 絶対にできんぞ!)
勘違いをしているヨネシゲは、自信に満ちた表情を浮かべながら、守衛所へと戻っていった。
同じ頃、魔性の女グレースは正門から出ると、後ろを振り返り、背後にそびえ立つカルム学院の校舎をじっと見つめる。
「栄光の学び舎、王立カルム学院。それに、カルムのヒーロー、ヨネシゲ・クラフト。ウフフ、楽しくなりそうだわ。それに、無垢で可愛い男の子がたくさん居るから、お姉さんが色々と教えて上げないとね……」
グレースは、怪し気な笑みを浮かべ独り言を漏らすと、人混みの中に姿を消した。
――ヨネシゲは午前中の座学を終え、待ちに待った昼休みを迎えていた。
弁当は少数派のようで、他の守衛たちは食堂へと向かった。
ヨネシゲはソフィアに作ってもらった特大弁当を机の上で広げようとする。
(あの日以来だ。ソフィアの作った弁当を食べるのは)
ヨネシゲが胸を躍らせながら弁当の蓋を開けようとすると、オスギに声を掛けられる。
「おう、ヨネさん。愛妻弁当かい?」
「え、ええ。まあ……」
ヨネシゲは照れくさそうに返事を返しながら、オスギの手元に視線を向けると、風呂敷に包まれた弁当箱が持たれていた。ヨネシゲもオスギの弁当について尋ねる。
「あれ? ひょっとして、オスギさんも愛妻弁当ですか?」
するとオスギが大きな笑い声を上げる。
「ハッハッハッ。ヨネさん、冗談きついぜ! あの鬼みたいなカミさんは、もはや愛妻ではない。これは愛がない、ただの妻弁当さ」
オスギは笑いながらそう言い終えると、ヨネシゲにある提案をする。
「ヨネさん、もし良かったら一緒に中庭で食わないか? 青空を眺めながら食べる弁当は格別だぞ」
オスギの提案にヨネシゲが即答する。
「是非、ご一緒させて頂きます!」
「そうと決まったら、早速中庭に行こう。ベンチが直ぐ埋まっちまうからな」
ヨネシゲは再び弁当箱を風呂敷に包むと、オスギと共に中庭へと向かった。
幸いにもベンチにはまだ空きがあり、2人は無事座ることができた。
ヨネシゲが中庭を見渡すと、他のベンチには、友達同士で仲良く弁当を食べる生徒たちや、新聞片手にサンドイッチを食べている職員の姿が見られた。
ヨネシゲが膝の上で弁当を広げると、オスギが羨ましそうな表情で、弁当を覗き込んでくる。
「随分凝ってるな。流石、愛妻弁当は違うね!」
ヨネシゲは照れくさそうな表情を見せる。
ヨネシゲの特大弁当箱の中身は、半分がサンドイッチで、残りの半分が野菜を中心にした様々な料理が所狭しと詰められていた。
「奥さん、健康には気遣ってくれているんだな」
「ええ。最近腹回りが弛んでしまってるので」
ヨネシゲはそう言いながらオスギの弁当を覗き込む。中には、ケチャップで味付けした、炒められた飯が弁当箱一面に敷き詰められており、その上には炒り卵がまぶされているだけだった。ヨネシゲの弁当と比べると見劣りしてしまう。
「ヨネさんのはいいよな。俺なんかこれだもんな……」
オスギの言葉を聞いたヨネシゲは苦笑いを見せる。
ヨネシゲが、弁当に口をつけた途端、オスギからある質問をされる。
「どうだ? 外で食べる弁当は一味違うだろう?」
「ええ。まるでピクニックに来た気分ですよ」
ヨネシゲは瞳を閉じながら、3年ぶりの愛妻弁当を噛み締める。
(家族3人で高原に行った時の事を思い出すな……)
ヨネシゲは、あの幸せだった日のことを思い出していたが、突然聞こえてきた黄色い声にハッとする。
「な、なんだ!?」
ヨネシゲが声のした方向に目をやると、中庭横の通路で女子生徒たちに囲まれるアランの姿を発見した。
(凄え〜相変わらずモテモテだな)
ヨネシゲは微笑ましくその様子を眺めていると、あることに気付く。どうやら女子生徒に囲まれているのはアランだけではなさそうだ。
アランの隣には2人の少年少女の姿があった。その2人も女子生徒たちから人気のようで、笑顔で応対していた。
ヨネシゲがオスギに尋ねる。
「オスギさん。アラン君の隣に居る、あの2人の子も人気みたいですけど、2人は何者なんですか?」
オスギは弁当を頬張りながら、ヨネシゲの質問に答える。
「ああ、あの2人か? ヴァルとアンナだよ。アランと同じ空想術部員で、三人衆とか呼ばれているよ」
「あの2人が!?」
オスギが続けて説明を行う。
先ず、アランの隣でブレザーの袖を捲り、腕を組んでいるこちらの少年が「ヴァル」である。青い瞳と茶色の短髪、アランと比べるとガタイがよい。
彼は空想術部の副部長を任されており、通称「雷撃のヴァル」と呼ばれている。電気系統の空想術を得意とし、アランと肩を並べる実力者だ。
そしてアランの後ろで笑みを浮かべる、気品のあるこちらの少女が「アンナ」である。金髪のポニーテールは赤いリボンで結わえられており、青紫色の大きな瞳は、時折風で靡く前髪で見え隠れしていた。
彼女もまた「雨氷のアンナ」の異名を持ち、水や氷を自在に操る空想術部の実力者だ。その一方で生徒会長としても活躍しており、全校生徒達からの信頼も厚い。
優雅に歩く空想述部三人衆は、女子生徒たちに囲まれながら、中庭へと足を踏み入れる。その様子を見ながらオスギが話す。
「3人は仲が良くてな。いつもこの中庭で弁当を食べているよ。まあ見ての通り、ギャラリーの女の子が大勢居るがな」
ヨネシゲが三人衆を眺めていると、アランと目が合う。アランは一瞬驚いた表情を見せると、周りの女子生徒たちに断り、ヨネシゲの元へ駆け寄ってきた。彼を追うように、ヴァルとアンナも小走りでこちらに向かってきた。
(ど、どうしよう。こっちに来るぞ!?)
ヨネシゲが身構えていると、アランたちがヨネシゲの前に整列する。
そしてアランは、目を輝かせながら嬉しそうな表情でヨネシゲに話し掛ける。
「こんにちは、ヨネシゲさん! ルイスから聞きましたよ。今日から守衛としてこのカルム学院で働くんですね!」
「あ、ああ。そうなんだよ。よろしくお願いしますね……」
あのアランが自分に話し掛けてきていることにヨネシゲは驚きを隠せない様子だ。
一方のアランは、どこかよそよそしいヨネシゲを見てハッとした表情を見せる。
「あ……そうでした。ヨネシゲさん、記憶失っちゃったから、俺の事も覚えてないですよね……」
アランは悲しそうな表情を見せる。
ヨネシゲはある日突然現実世界からやって来た中年オヤジ。当然ヨネシゲはこの空想世界での記憶は持ち合わせていない。故にアランの存在も昨日知ったばかりだ。
例によりヨネシゲは、記憶を失った人間になりすますことで、周りの理解を得ている。しかし、相手からすれば自分の存在を忘れられていることに変わりない。
相手の悲しい表情を見る度に、ヨネシゲは胸が張り裂けそうな思いをさせられる。
アランとヨネシゲの間に沈黙が流れる。するとアンナがアランに声を掛ける。
「アラン、例え記憶を失ったとしてもヨネシゲさんはヨネシゲさんです」
アンナはアランにそう伝えると、ヨネシゲに体を向ける。
「ヨネシゲさん、私はアンナと申します。ヨネシゲさんのことは幼い頃からお慕いしております。それは今も同じです」
「アンナちゃん、ありがとう」
アンナの言葉にヨネシゲが礼を言うと、ヴァルも口を開く。
「ヨネさん、俺はヴァルです。アンナの言う通り、俺たち皆、カルムのヒーローと呼ばれるヨネさんに憧れて空想術を始めたんですよ!」
「そうだったのか……」
ヴァルから憧れを抱いていることを伝えられたヨネシゲであるが、何故か浮かない表情のヨネシゲ。その様子を目にした三人衆は心配そうな表情を見せる。するとオスギがヨネシゲの肩を叩く。
「オスギさん?」
「どうした、ヨネさん。しけたツラして?」
するとヨネシゲが重たい口を開く。
「みんな俺のことを慕ってくれるのは凄く嬉しい。だが、今の俺は、君たちが知っている昔のヨネシゲじゃない。今の俺はただの中年オヤジさ。とてもじゃないけど、君たちの足元にも及ばない。強敵を倒すどころか、ちょっとした酔っぱらい相手で苦戦しているくらいだからな。君たちが憧れているカルムのヒーローとは程遠い存在なんだ」
するとアランが反論する。
「そんなことはありません! 確かにルイスからは、ヨネシゲさんの空想術が大きく衰えている事を聞いています。だけど……凄い空想術を使って強敵を倒すだけがヨネシゲさんじゃない!」
「アラン君……」
始めは俯いていたヨネシゲであったが、熱く語るアランの声に、ヨネシゲは次第に顔を上げる。ここでヴァルとアンナも加わりヨネシゲに訴えかける。
「ヨネさんは、どんなに劣勢に立たされても、弱い立場の人たちを全力で守ろうとします!」
ヴァルがそう言うとアンナが続く。
「例えそれが、迷子の子供であっても、財布を無くしてしまった人であっても、最後まで寄り添ってくれて最善を尽くしてくれます。私たちは、そんなお優しい心を持つヨネシゲさんをお慕いしているのです」
再びアランが熱い言葉をヨネシゲに投げ掛けてくる。
「俺たちはヨネシゲさんから、想人として大切なことを教わりました。だから俺たちは、ヨネさんから教わったこの空想術を想人として、想人のため使っています。でも、まだまだ俺たちは未熟者です。俺たちにはヨネさんというお手本がまだ必要なんです!」
突然のアランたちの熱い言葉にヨネシゲが呆然としていると、オスギが口を開く。
「俺も含めて、皆、ヨネさんの心に惚れ込んでいるんだよ。確かに、ヨネさんは記憶を失ってしまったが、幸いにも大切な心までは失っていないようだ。だから、今のままのヨネさんでいてもらえれば、それで十分だよ」
オスギが話し終えると、アランたちは同感した様子で、静かに頷いた。するとヨネシゲがアランたちに問い掛ける。
「俺もカルムのヒーローと呼ばれている以上、皆の期待に応えられるよう努力はしている。だけど、とんでもない強敵が現れたら、今の俺じゃ倒すことができない。優しい心と正義感だけじゃ、このカルムを守り切ることはできないよ。果たしてそんな者がヒーローと呼ばれてていいのかな?」
この空想世界でのヨネシゲはカルムのヒーローと呼ばれる実力者という設定。しかし現実世界からそっくりそのままの状態でやって来たヨネシゲに、その設定に相応しいだけの力は兼ね備えていない。果たしてそんな者がカルムのヒーローと呼ばれていて良いものなのか? ヨネシゲは疑問を覚えていた。
ヨネシゲの問い掛けにアランが答える。
「ヨネシゲさんは、正真正銘のヒーローです。実際、今まで多くの人を救ってきた。もっと胸を張ってもいいと俺は思いますけどね……」
そしてヴァルとアンナが続く。
「ヨネさん。一人で抱え込まないで、俺たちを頼ってください」
「そうですわ。もし一人で敵わない強敵が現れたら、皆で協力して倒せばいいのです」
ヨネシゲが三人衆の言葉に目を見開くと、オスギが語り掛けるよう話し始める。
「確かに、以前のヨネさんは絶対的なヒーローだった。でも絶対的ヒーローに拘る必要はない。弱いヒーローだって構わないじゃないか。信頼できる仲間たちとヒーローすればいい!」
オスギの言葉を聞いた瞬間、ヨネシゲの頭に稲妻が走る。
「信頼できる仲間たちと……ヒーローを……!?」
つづく……
ご覧いただきまして、ありがとうございます。
次話の投稿も、明日のお昼過ぎを予定しております。




