第392話 謎の声
――ミゾレの滝前。
円陣を組むようにして大石に腰を下ろす集団は――ヨネシゲたちだ。
約一時間の滝行を終えた彼らは、炎の空想術を使用して暖を取っていた。加えて、滝水を沸かして作った湯を飲みながら、身体を内側から温める。
ヨネシゲは湯を啜りながら、しみじみと言葉を漏らす。
「いや〜……身に沁みるぜ……こんなに美味いお湯を飲んだのは初めてだ……」
「ホントっすね! まあ欲を言えば熱燗が飲みたいところですが……」
「まったく……そなたは……」
ドランカドの発言にマロウータンは呆れた表情を見せた。
「――それにしても、毎日滝行を続ければ、相当精神力が鍛えられそうだ」
角刈りの言葉を聞いたノアが頷く。
「ええ。俺もこの滝行でかなり精神力を鍛えられました。お陰で人並み以上の空想術を扱えるようになりましたよ。……とは言っても、まだまだ自慢できる程の強さじゃありませんがね……」
苦笑を見せるノアの隣でマロウータンが補足する。
「うむ。空想術を扱う上で術者に求められるものが『精神力』、『想像力』、『体力』じゃ。その中で特に重要となってくるのが『精神力』なのじゃ。例え『想像力』と『体力』が足りていなくても、精神力だけでこの二つをカバーできるぞよ」
「ええ。故に、旦那様は体力面の弱点を補う為、精神力の訓練に特化しているのです」
「なるほど……」
納得した様子の角刈りにノアが興味深い話を続ける。
「特にヨネシゲ様は『怒神化』の力に恵まれています。神の力に食われないような強靭な精神力を養うことができれば、旦那様と同じように、神格想素の力を自在に扱える筈です。そういった意味で滝行や瞑想での精神統一はかなり重要になってきます」
「ウィンター様も神の力を……?」
「はい。旦那様も、崇拝する『八切猫神』の神格想素を使って、自在に猫神化する事が可能です。
旦那様の猫神化を目撃したのは数える程ですが……おむすび山の合戦で行われたタイガーとの一騎打ちや、数ヶ月前のゲネシス軍大侵攻で魔王と対峙した際には、その圧倒的な力を敵方に見せ付けておりました」
「そうですか……そんな強大な力を……俺なんかが自在に操れるでしょうか……?」
そう言いながら自分の右拳を見つめる角刈りに、ノアが言う。
「ヨネシゲ殿、訓練あるのみですよ。旦那様だって最初から神の力を扱えた訳ではありませんから。ヨネシゲ殿も訓練を重ねれば、きっと怒神の力を習得できますよ!」
青年の言葉に角刈りは口角を上げながら答える。
「ノアさんの言う通りだ。始める前から諦めているようじゃ成長なんてできませんよね」
ヨネシゲは再び己の右拳に視線を下ろす。
(――そうさ、この拳でマスターとダミアンの暴走を食い止めないといけねんだ。弱腰になってる場合じゃねえ。この先奴らと渡り合う為には『怒神』の力は必須だ。俺にその才能があるというならば、伸ばしていかなくちゃ勿体ねえ……!)
怒神の力の完全習得――角刈りは新たな目標を抱きながら拳を力強く握りしめた。
――サンディ家屋敷。
屋敷に戻ったヨネシゲたちが廊下を歩いていると、忙しなく移動する人影――野菜が入った籠を抱える割烹着姿の女性が目に入る。直後、角刈りが驚いた様子で声を裏返した。
「ソ、ソフィア……?!」
そう。その割烹着姿の女性はヨネシゲの愛妻――ソフィアだった。
彼女も夫の存在に気が付いたようで、小走りで駆け寄ってくる。
「あなた、おはよう。滝行に行ってたんですって? 朝からお疲れ様」
「お、おう……ソフィアこそ、こんな朝早くから何をしているんだ?」
「朝食の準備のお手伝いよ。ほら、これからしばらくの間サンディ様のお屋敷でお世話になりますから、何もしない訳にはいかないでしょ?」
「それはそうだが……でも何で割烹着なんか……?」
ヨネシゲの疑問にソフィアはどこか照れくさそうに答える。
「ええ。私服で良かったんですけど……割烹着を貸し出していると聞いたものですから……せっかくなので借りちゃいました。――おかしいかしら?」
「いやいや! おかしくなんかないよ! 凄く似合ってるぞ! 見惚れちまうぜ!」
「ウフフ、ありがとう」
夫に褒められたソフィアは嬉しそうに笑みを零した。
「――それじゃ私は厨房に戻るね! 朝食はもう少し待っててちょうだい!」
「おう! 楽しみにしてるぜ!」
ソフィアは角刈りにそう告げると、他の者に一礼し、厨房へと戻っていく。
その後ろ姿を見つめながらドランカドたちが羨ましそうに言葉を漏らす。
「ヨネさ〜ん、相変わらず羨ましいッスね〜!」
「本当、ヨネシゲは良き妻と巡り合えたのう!」
「俺もソフィア殿のような女性と結婚したいです!」
「へへっ、こりゃどうも……」
皆から愛妻を褒められ、照れくさそうに鼻の下を伸ばすヨネシゲであった。
一同、朝食までのスキマ時間は別行動とることになった。
マロウータンは国王ネビュラの元へと向かい、本日のスケジュールについて打ち合わせ。
ドランカドはノエルと共に朝食の準備。
そしてヨネシゲはノアの勧めで屋敷内にある殿堂へと向かっていた。
その殿堂には武神『八切猫神』の神像が祀られており、サンディ家の者たちは戦の前に、ここで戦勝祈願を行っているそうだ。
また、普段からウィンターが瞑想を行う場所であり、実質上、彼のプライベートゾーンとなっている。
「――これから向かう殿堂は、ある意味旦那様の私室みたいなものです。何も無い時は一日中殿堂に籠もって瞑想してますよ」
「へぇ……一日中……」
やがて敷地内にある竹林の奥に見えてきたのは――寺社を彷彿させる佇まいの平屋建て。世間一般の一戸建て程の大きさだ。
ノアが引き戸を開くと、その先には畳が敷かれた大広間。更に奥へ視線を移すと、そこには人の背丈の倍以上はあろう『八切猫神』の神像が鎮座。こちらに向かって睨みを利かせていた。
そして、銅造りの神像と向き合うように正座する、薄青の甚平に身を包んだ銀髪の少年――ウィンターの後ろ姿があった。
「ウィンター様だ……」
「流石にもう起きていらしたか……」
小声で言葉を漏らすヨネシゲとノア。その存在に気付いていたウィンターは瞑想を中断させると、角刈りたちに身体を向ける。
「ヨネシゲ殿、ノア、おはようございます」
「「おはようございます!」」
互いに挨拶を交わした後、少年が角刈りに尋ねる。
「ヨネシゲ殿、ヒョーガから聞きましたよ。滝行の方は如何でしたか?」
「あ、はい! 滝行は初めてでしたが、心が洗われると言いますか……今はとても清々しい気分です! 明日も参加したいと思います!」
「ふふっ、是非ご参加ください」
ここで青年が主君に尋ねる。
「それにしても驚きましたよ? 旦那様が滝行を休まれるなんて」
「ごめんなさい。私としたことが寝坊をしてしまいました……」
「旦那様が……寝坊……」
主君の返答に驚きを隠しきれないノア。一方の少年は色白の頬を赤く染めながら言葉を続ける。
「その……とても心地よくて……起きられませんでした……明日はちゃんと起きますね……」
「ま、たまにはこういう日があっても良いと思いますよ。寧ろ……旦那様も健全な男子のようで安心しました」
「……っ」
ウィンターは顔を真っ赤にしながら顔を俯かせる。一方の青年はそれ以上少年を問い詰めることはしなかった。
ここで空気を読んだ角刈りが質問を変える――が。
「そういえば皇妹殿下は?」
「あ、はい。エスタさまはまだ私の部屋――いえ……まだお休みになられています……」
「ナッハッハッ……そうですか……皇妹殿下もお疲れのようですね……」
「そのようです……」
逆に変な空気になってしまった。
角刈りは誤魔化すように苦笑を見せると、ウィンターの元まで歩み寄り、その隣に腰を下ろす。
「ウィンター様、私もご一緒しても宜しいですか? 『瞑想も精神力を高められる』と、ノアさんから聞いたものですから」
「はい、どうぞ。一緒に瞑想しましょう」
角刈りの申し出に少年は嬉しそうに微笑んだ。
「――では旦那様。俺はヒョーガ様に呼ばれていますので一旦退出します。朝食の準備が整いましたらお呼びしますね」
「お願いします」
ノアが殿堂から退出すると、二人は互いに顔を見合わせる。
「――では、ヨネシゲ殿。早速始めましょうか」
「はい! 宜しくお願いします!」
角刈りオヤジと銀髪少年は瞳を閉じると、早速瞑想に耽るのであった。
そんな無心の時間がしばらく続く。そう思われていた――が。
『――ゴオオオオオッ……』
「!?」
突然、ヨネシゲの耳に届いてきた謎の咆哮。
角刈りは即座に瞳を開き、周囲を見渡す。
ところが――そこにあったのは静寂の殿堂。角刈りの隣では瞑想に耽るウィンターの姿。
(何だったんだ……今のは……単なる空耳か……?)
――きっと空耳だろう。
角刈りは首を傾げながらも瞑想を再開させる。
――だが。
『エラバレシ……モノ……ヨ……』
「!!」
この世の者とは思えない重低音の声が轟いた。
これは空耳なんかではない。
角刈りは再度瞳を見開いたが――
「あ、あれ……? ウィ、ウィンター様……ど、どこですか!?」
ヨネシゲの瞳に映り込んだのは暗黒の世界。殿堂だった筈の場所は暗闇に飲み込まれており、ウィンターの姿も消えていた。
突然の出来事に動揺するヨネシゲ。
すると重低音の声が呼び掛けてきた。
『ワレヲ……ウケトメル……ウツワガ……アルカ……ミサダメサセテ……モラウ……ゾ……』
「な……なんだってんだよ……おい……」
その刹那。
暗闇に青い閃光が走る。
角刈りは思わず腕で目を覆う。
やがて閃光が収まると――ヨネシゲの顔が青ざめた。
「な……なんだよ……あれは……!」
角刈りの瞳に映し出されたもの――それは自分の身長の数倍はあろう巨大な『青鬼』が金棒片手にこちらを見下ろしている姿だ。
そして――
『エラバレシ……モノヨ……ウケテ……ミヨ……!』
青鬼は頭上高くへ金棒を振り上げると、それをヨネシゲ目掛けて振り下ろそうとする。
「うわあああああああっ!!」
絶叫。
ヨネシゲは腰を抜かしながら後退りするも――金棒は無情にも振り下ろされた。
「やめろおおおおおおおおっ!!……――」
――ところが。
「――ヨネシゲ殿、大丈夫ですか!?」
「へあっ?!」
気付くと心配そうに自分の顔を覗き込む銀髪少年の姿があった。
つづく……




