第391話 滝行【挿絵あり】
――フィーニス領都リッカ・南部。
街外れの低山に『ミゾレの滝』がある。
この滝の水源となる湧き水は、フィーニス山脈の雪解け水が元となっており、夏場でも氷水のような水温を保っているのが特徴だ。
一方で『トロイメライの滝百選』にも選ばれており、日中はその名瀑を一目見ようと多くの観光客で賑わうそうだ。
しかしまだ薄暗い早朝から滝を訪れる者は地元の僧侶か、彼らくらいだろう。
ミゾレの滝までの山道を四頭の馬に其々跨りながら移動する男たち。
集団を先導するように栗毛馬の手綱を握る金髪の青年は――サンディ家臣ノア。
その後方には、黒馬に跨る角刈りと、サンディ家当主の白馬を拝借する白塗り顔――ヨネシゲとマロウータンの姿があった。
更にその後方、栗毛馬に乗る真四角野郎は――ドランカドだ。
彼は項垂れた様子で不満を漏らす。
「う〜……眠いッス、寒いッス……どうして俺まで滝行に……ホカホカ布団でもう少し寝たかったッス……」
彼が文句を口にするのも無理はない。
トイレに行くため起きた所を角刈りに見つかってしまい、強制連行となってしまったのだから。
一方の角刈りは同輩の不満を一蹴。
「いつまで昨晩の気分でいるつもりだあ?! 気持ちを切り替えろ! 改革戦士団から王都を取り戻す為に、今日から色々と準備せねばならん! まず俺たちにできることは、少しでも力を付けて成長する事だ! 今のままじゃ、大切な人たちを……守れねえ……」
「ヨネさん……」
ヨネシゲの言葉を聞いたドランカドは反省した様子で顔を俯かせる。そんな彼にマロウータンが言う。
「ヨネシゲの言う通りじゃ。儂らはマスターの前では赤子同然じゃった。今のままの状態で奴らに立ち向かっても、結果は目に見えておる。せめて自分の身一つくらい守れるようにしておかねば……皆の足を引っ張ってしまう。それだけは何としても避けたいところじゃ……」
「へ、へい……」
真四角野郎は申し訳なさそうに頭を下げる。直後、角刈りの高笑いが響き渡った。
「ガッハッハッ! そう縮こまるな。別に俺とマロウータン様はお前を叱っている訳じゃねえ。あくまでも、自分にそう言い聞かせているだけなんだ。――そうですよね? マロウータン様」
「左様。そなたに成長してほしい気持ちは真じゃが、説教をしたつもりはない。今の言葉は自分に送ったものじゃ」
二人の言葉を聞き終えたドランカドがいつもの調子で笑いを漏らす。
「へへっ……てっきり俺はお二人から説教されてたとばかり思ってましたよ」
「ガッハッハッ! ドンマイだな。ま、半分説教だったがな」
「じゃな」
「へへっ、肝に銘じておくッス――」
――そうこうしているうちに、一行は『ミゾレの滝』に到着。
「皆さん、着きましたよ! ここが『ミゾレの滝』です!」
「へぇ~、ここがそうか――」
木々が生い茂った低山の山中。突然開けた場所にその滝はあった。
瓢箪のような形をした滝壺を沿うように聳え立つ絶壁は、高さ三、四十メートルくらいだろうか。
その頂上から幾つもの滝が流れ落ちており、その光景はまるで絶壁に掛かった滝のカーテンだ。
舞い上がる水飛沫と滝壺を覆う朝靄が幻想的な景色を織りなしている。
「さあ、早速始めましょうか。まずはこれに着替えてください」
「「はい」」
ヨネシゲとドランカドはノアから手渡された白色の行衣に着替えると、準備運動を開始。身体が温まったところで、滝壺に足を踏み入れる――が。
「ヒィィィッ?! なんて冷たさだっ!」
「くぅ~っ! まるで氷風呂ッスね……」
夏場でも冷たい水――ノアからそう聞いていた角刈りと真四角野郎だったが、想像以上の冷水を前にして動きが止まる。
(この冷たさは想像以上だ……この水をこれから浴びるのか……正直、少し舐めてたぜ……)
顔を強張らせながら、早々に寒さで身体を震わせるヨネシゲとドランカド。
すると主君の声が二人の耳に届いてきた。
「ウホッ……情けないのう……」
「「マロウータン様……」」
二人が振り返ると、そこには肩を竦めながら呆れた表情でこちらを見る白塗り顔の姿。
白塗り顔は着ていた着物を脱ぎ捨てて、白色の褌一丁姿になると、躊躇いもなく滝壺の中へと足を踏み入れた。
続けて、手慣れた様子で用意された桶で水を汲むと、それを頭から豪快にかぶった。その途端、年季の入った肌に冷水が伝う。
肌に付着した冷水は体温で温められ、湯気となって立ち昇る。しかし白塗り顔はそれを掻き消すように、二回、三回と冷水をかぶり続ける。
荒々しく、それでいて優雅な所作は――白鶴が水浴びするが如く。
水を浴び終えたマロウータンは平然と角刈りたちの側方を通過。冷水で光沢する引き締まった尻を臣下たちに見せつけながら、滝に向かって進行。
そして――
「――吹飛鶴神のご加護があらんことを……――」
崇拝する『吹飛鶴神』に祈りを捧げながら――入滝。
両手で印を組み、真言を唱えながら、滝に打たれる。
呆然と主君を見つめる角刈りと真四角野郎。
そこへ、自前の七分丈水着を身に着けた、上半身裸のノアがやって来る。
「さあ、俺たちも行きましょう!」
「あ、あの……ノアさん……これ、本当にウィンター様も毎日やってるんですか?」
「ええ。いつもの無表情で平然と滝に打たれてますよ!」
ノアは歯を見せながら満面のスマイルを見せると、マロウータンと同じく、桶の冷水を頭から数回かぶる。
彼は引き締まった筋肉質の肌から湯気を立ち昇らせながら――入滝。腕を組みながら白塗り顔の隣に並んだ。
「ヨッシャ……俺たちも行くぞ……」
「そ、そうッスね……」
角刈りと真四角野郎は互いに顔を見合わせて、ゆっくりと頷くと、桶を手に取り足元の冷水を汲む。そして――
「ドランカド……いくぞ……」
「はい、ヨネさん……いくっすよ……」
――二人は桶の水を頭からかぶった。
「「ぐぬわぅっ……!!」」
絶句。
想像を絶する冷感に、二人は声にならない悲鳴を漏らしながら身体を硬直させる。
程なくすると、無言の二人は身体と唇を震わせながら、ゆっくりと滝へ向かって歩みを進めた。
(ソフィア……俺に力を貸してくれ……!)
(ノエル殿下……見ててくださいッスよ……俺、頑張りますから……!)
二人は最愛の人、想い人の顔を思い浮かべながら覚悟を決める。
「「ヨッシャ! 行くぞおおおおおっ!!」」
ヨネシゲとドランカドは意を決して滝の中へと突撃した。
「「うおおおおおおおっ!!」」
絶叫。
その冷水の暴力に二人は悲鳴を轟かせた。
まるで自分たちの身体を滝壺に沈めるかのように、重く伸し掛かる水圧。と同時に、全身に刺すような冷たさが襲い掛かる。ものの数秒で角刈りたちの体温が一気に奪い去られてしまった。
(なんのこれしき……マーク元帥の電撃に比べたら……大した事ねえぜ……!)
(この程度の冷水……頑固ジジイの拳骨に比べたら……屁でもねえ……!)
二人は己を奮い立たせると、背筋を伸ばし、指を組みながら、瞑想に耽る――が。
(――だが……身も心も洗われる感じがする……これを毎日続けていれば、かなりの精神力アップが期待できそうだな……――)
一瞬そのような事を考えてしまった角刈りであったが、その後は無心の状態を保ち続けた。
――気付けば、一時間近い時が過ぎようとしていた。
つづく……




