第386話 ささやかな宴(前編)
――サンディ家屋敷・大広間。
一面に畳が敷かれたこの部屋が宴の会場となる。
ヨネシゲたちが大広間に入ると、既に多くの出席者が集まっていた。
出席者たちは『口の字』に並べられた座布団の上に腰掛けながら、談笑を交わしていた。だが、国王たち王族の面々が入室すると、彼ら彼女らは会話を止め、深々とお辞儀。
「よいよい。今日は無礼講だ。楽にしろ」
『ははーっ!』
ネビュラは出席者たちを気遣うように声を掛けると、上座まで移動を開始。続けてヨネシゲたちも使用人たちの案内で指定された席に向かった。
角刈りたちが座布団に腰を下ろした直後、脚付きの膳を持った使用人たちが、続々と大広間に入室。料理が載った膳が出席者たちの正面に次々と置かれていく。
ヨネシゲは膳に載った料理を見つめながら、溢れ落ちそうになった唾液を飲み込む。
(ごちそうのオンパレードじゃんか……涎が止まらねえぜ……)
――それは山と川の幸。
膳の上には小魚の唐揚げと川魚の味噌煮をメインに……山菜の天ぷら……出汁巻き卵……高野豆腐に煮物……青菜のお浸し……山菜汁……そして赤飯――
「ぬほおおおおおっ!! もう我慢できんわい!!」
「おい、閣下! 落ち着けって! 陛下の話が終わるまで我慢しろっ!」
今にも料理に飛び付きそうな勢いの珍獣。そのチャーミングな短い尻尾を角刈りが必死になって掴んでいた。
ちなみに……一部の者には、角刈りが市場で目利きした川魚の塩焼きも振る舞われることになっている。
「――ということで、我々を受け入れてくれたサンディの面々には本当に感謝している。えー、そして――」
ネビュラが乾杯の挨拶を始めてから十数分が経過。
乾杯の時を待つ一同の片手には、お好みのドリンクが注がれたグラスが持たれていた。
ヨネシゲは麦酒をチョイス。全体の三割近い者が麦酒を選んでいるようだ。
尚、サンディ家臣を中心に大半の者がフィーニスの地酒である濁り酒が入ったグラスを手にしていた。
また、女性陣は口当たりの良い果実酒を選択しているようだ。
そして未成年者や酒が苦手な者にはフルーツジュースや炭酸飲料、冷茶に乳飲料など様々なソフトドリンクが用意されていた。
――更に数分が経過したところでネビュラの挨拶もクライマックスを迎える。
「――改革戦士団を排除し、トロイメライをあるべき姿に戻すには、お前たちの力が必要不可欠!……頼りない王であるが……どうか力を貸してほしい……!」
国王の言葉に一同が力強く頷いて応える。
「……頼もしい限りだ――ま、これ以上長々と語っても仕方ない。あとは行動で示してみせる。皆、俺に付いてきてくれ!」
『おーっ!!』
一同の雄叫びや拍手が飛び交う。
一方のネビュラは一同の顔を見渡した後、息子夫妻に向き直る。
「――ヒュバート、シオンよ。改めてになるが結婚おめでとう。今日は本当に喜ばしい日だ。これからは夫婦二人三脚、国のため、民のために尽力してくれ。そして、平穏を取り戻した暁には……お前たちの婚姻を盛大に祝ってやる。楽しみにしておれ」
「「!!」」
ネビュラから祝福されたシオンとヒュバートは互いに顔を見合わせると嬉しそうに微笑んだ。
「――さ、せっかくの料理が冷めてしまう。早いところ乾杯といこうではないか!」
(きたきたーっ!)
国王の口から発せられた『乾杯』のワード。角刈りの鼓動が一気に高鳴る。他の者たちも笑顔を隠しきれない様子だ。
――そして、ついにその時が訪れた。
国王が乾杯の音頭を取る。
「――それでは、皆の活躍と健勝を祈念して……――乾杯っ!!」
『乾杯っ!!』
直後、一同の力強い声と共にグラスが合わさる音が大広間に響き渡る。
早速ヨネシゲは麦酒が入ったグラスに口を付けると、それをゴクゴクと一気に飲み干す。
「くぅ〜っ! うめえ〜っ! 生き返るぜっ! この喉越しと爽快感……たまんねぇな!!」
久しぶりに飲む麦酒は、まるで乾いた大地に恵みの雨が降り注ぐが如く、角刈りの体内に吸収されていく。
満悦の笑みを浮かべるヨネシゲに、ソフィアが麦酒の瓶を差し出す。
「はい、どうぞ」
「ヘヘッ、すまんな……」
角刈りは愛妻に麦酒を注いでもらうと、透かさず果実酒の瓶を手に取る。
「おう、ソフィアのも注いでやるぞ?」
「ウフフ、ありがとう。でも……まだたくさん入っているから、後でいただくわ」
「そうか。ま、飲み過ぎには注意してくれよな!」
「フフッ、あなたもね」
「ガッハッハッ! ドンマイ!」
角刈りは心底ご機嫌の様子で川魚の塩焼きを手に取ると――豪快にかぶり付いた。そして――唸る。
「う〜むっ! 美味いっ! 程よい塩加減に……鼻を通り抜けるほのかな炭の香り……引き締まった肉厚の身から漏れ出すジューシーな脂……それでいて決して油っぽくはなく……あっさりとした味わいだ……噛めば噛むほど魚の旨味が口いっぱいに広がっていく……――さすが俺が選んだ魚だぜっ!」
解説しながら無我夢中で魚を食す夫をソフィアは微笑ましく見つめるのであった。
他の戦士たちも川と海の幸に舌鼓。
ドランカドは麦酒が入ったグラス片手に川魚の味噌煮を頬張る。
「味噌煮も絶品ッスよ! このトロっとした甘辛のたれが魚によく絡んで美味いッス!」
マロウータンは濁り酒を楽しみながら、小魚の唐揚げを口に運ぶ。
「――どれ……ハムハムハム……――ウホッ、こりゃ美味い! なんと絶妙な味付けじゃ! 小魚本来の味を邪魔することなく、優しい味わいの漬けダレが全体によく染み込んでおるわい。生姜の香りが生臭さを打ち消しており、更には隠し味と思われる微量のニンニクがアクセントになっておるのう。豊かな味わいが儂の心を満たしてくれる……」
楽しそうに食事を楽しむ臣下たちを、ネビュラは微笑ましく見つめるのであった。
――その後も賑やかな雰囲気で宴は進行。一同、席を移動するなどして会話に花を咲かせていた。
更にはサンディ家重臣『ヒョーガ』が琵琶を弾き始めると、力強く、それでいて上品な音色が大広間に響き渡る。暖色の照明と、大広間の外に広がる和風庭園も相まってか幻想的な雰囲気を織りなしている。
そして……大広間の中央では、琵琶の音色に合わせながら、マロウータンが扇片手に舞踊を披露。時折、白塗り顔が野太い声を轟かせると、専属執事『クラーク』が掛け声と共に紙吹雪を撒き散らす。更にはイエローラビット閣下とニャッピーも一緒になって踊りだすと、一同から割れんばかりの拍手や声援、笑いが沸き起こった。
その様子を横目にしながらコウメとシュリーヴ夫妻――『ルドラ』と『プリモ』が言葉を交わす。
「――クボウ南都伯夫人……うちの馬鹿息子が……ドランカドが大変お世話になっております」
「なんとお礼を申し上げたら……」
深々と頭を下げる夫妻にコウメが高笑いを上げる。
「おーほほっ! そんな畏まらないでください。寧ろお礼を言いたいのは私の方ですよ。ドランカド君の活躍のお陰で、私も主人も命拾いしていますから」
「そんな……滅相もない。あんな馬鹿息子など――」
ここでコウメがルドラの言葉を遮る。
「シュリーヴ伯爵」
「あ、はい……」
「ご立派な息子さんではありませんか」
「え?」
「確かにドランカド君はお調子者でまだまだ子供っぽい一面はありますけど……とても真っ直ぐで……思いやりがあって……誰かの為に行動できる素敵な子ですよ。それこそ、私の息子にしたいくらいだわ」
微笑みながらウィンクして見せるコウメ。一方のルドラは苦笑を見せながら言葉を返す。
「――あの馬鹿息子には勿体ないお言葉です。――確かにアイツは曲がったことが嫌いでしてね……自分の理に反する場合は、例え相手が実の親であっても、お構いなしに噛み付いてきます。まあ、裏を返せば融通の利かない頑固者なんですがね……」
夫の言葉を聞きながらプリモが呟く。
「――本当……旦那様にそっくりですよ……」
「……っ」
愛妻の呟きを聞いたルドラが恥ずかしそうに頬を赤くする。その姿を見つめながらコウメが再び高笑い。
「おーほほっ! 私も同感ですよ! シュリーヴ伯爵とドランカド君は本当に親子なんだなとつくづく思いますわ!」
「クボウ南都伯夫人……」
更に赤面する伯爵にコウメが続ける。
「――事情は理解しているつもりです。私なんかが口を挟める問題ではありません。ですけど……一度、対話の機会を作ってみてはいかがでしょうか?」
「対話ですか?」
「ええ。こうして再会して、一つ屋根の下で暮らすことになったのも何かの縁なのでしょう。もしこの世に神様が存在するならば――お二人に仲直りの機会を与えてくれてるのかもしれませんよ?」
「………………」
「いずれにせよ、トロイメライは危機的状況です。過去の事は一旦置いといて、親子が手を取り合う時……なのかもしれませんね」
「前向きに……検討してみます……」
頑固親父はコウメにそう返答すると、グラスの濁り酒を一気に飲み干すのであった。
白塗り顔の舞踊を眺めながら、オレンジジュースを味わうカエデ。すると隣にいたジョーソンが出来上がった様子で彼女に話し掛ける。
「なあ〜……カエデ〜……旦那様が踊ってるところ見たって……つまんねえだろ〜?」
「ちょ?! ジョ、ジョーソンさん……だ、旦那様に失礼ですよ……酔っ払ってるんですか?」
「酔っ払っちゃいねえよ〜? それよりも……もっと周りに目を向けてみろよ……」
「ま、周りですか……?」
「ああそうだ……サンディ様のお屋敷には……カエデと同年代の使用人や家臣様が居るみたいだぞ……お前……同年代の彼氏を探しているんだろう……?」
「へあっ?! さ、探してはいませんよっ! た、ただ……機会があれば……」
恥ずかしそうにモジモジするカエデ。片やジョーソンは歯を剥き出しながらニヤリと笑う。
「なら……ちょうど良かったじゃんか……皆……カエデのことを見ているぞ……」
「えっ?!」
中年の言葉を聞いたカエデが恐る恐る周囲に視線を向けると――そこには自分と同年代と思われる数人の男子が、こちらに熱い眼差しを向けていた。
(わ、私のことを見てる?! そ、それも……みんな美少年……!? ど、ど、どうしよう?!)
「――カエデにも春がやって来たか……ま、季節は夏になるがな……――」
混乱するカエデを見つめながらジョーソンが微笑ましく呟くのであった。
宴の盛り上がりがピークに達する中、一人浮かない表情を見せる少年の姿があった。
ウィンターは、出された料理には殆ど手を付けず、暗い表情で俯いていた。
少年は誰にも言えない全身の火照り――自分という人物が溶解される感覚に怯えながら思案する。
(こうしている間にも……私という想人が消滅の一途を辿っている……このままでは記憶が……エスタさまとの記憶が……消されてしまう……何とかしなければ……!)
大きく息を漏らすウィンター。するとその頬をエスタが指で突く。
「ウィンタ〜」
「……エ、エスタさま……」
少年が顔を上げると、そこには心配そうな表情でこちらを見つめるエスタの顔があった。
「どうしたの? どこか具合い悪いの? お料理も殆ど手を付けていないじゃない?」
皇妹から尋ねられるとウィンターは微笑みながら言葉を返す。
「……いえ、大丈夫です。お料理はこれからいただきます――」
少年はそう言い終えると箸に手を伸ばそうとするが、彼女によってその手を掴まれてしまう。
「エスタさま?」
「無理しちゃだめよ」
「いえ……無理などは――」
するとエスタが少年の耳元で囁く。
「ウィンター……二人になりましょう……」
「え?」
そして彼女は専属侍女テレサに命じる。
「テレサ。申し訳ありませんが、ウィンターの部屋にお料理とお飲み物を運んできてくださいな。それと……果実酒と濁り酒もお忘れなく」
「かしこまりました。直ぐにお運びしましょう」
「ありがと」
エスタはウィンターの手を引きながら立ち上がる。
「きっと疲れが溜まっているのよ……それに……婚姻も却下されちゃいましたからね……」
「そ、それは……」
「さあ、行きましょ……エスタがたっぷりと癒やしてあげるから……」
「はい……――」
二人は互いに指を絡めると、静かに大広間を後にした。
その大広間の一角には、ノアにお酌するグレースの姿があった。
「――どうぞ、ノアさん」
「おお、ありがとな――」
ノアがグラスに注がれたばかりの麦酒を口に運ぶと、グレースが話題を切り出す。
「――聞いたわよ。貴方が私の教育係らしいわね?」
「ああそうだ。旦那様に押し付けられちまってな……問題児の世話なんて俺には荷が重いぜ」
「あら? それはお気の毒ですこと……」
「だな……――」
早々に会話が途切れる二人。
ノアの麦酒を飲むスピードが早くなる。一方のグレースは彼の空いたグラスに再び麦酒を注ぎ込む。
尚も続く沈黙だったが、ここでグレースが口を開く。
「――さて、他の家臣様たちにも挨拶しないと……ノアさん、お邪魔しましたわ。明日から宜しくお願いしますね」
妖艶美女が立ち上がろうとした時、ノアが静かに語り始める。
「――俺も昔は……盗賊団の一員でな、それこそ多くの人々を傷付けてしまった。俺の所為で人生を狂わされた者は決して少なくはないだろう……」
「貴方にも……そんな過去が……?」
グレースは再び腰を下ろすとノアの話に耳を傾ける。
「――そしてある日……この屋敷に盗みに入ったんだが……致命傷を負わされちまってな……あの時は死を覚悟したよ……だけど……まだ幼かった旦那様に命を救われてな……ヒョーガ様の温情もあり見逃してもらえた……その後俺は……旦那様とヒョーガ様の恩に報いるために……サンディに仕えた。そして……過去の悪事を自分なりに償っているつもりだ……」
「そうだったのね……」
ノアはグレースの瞳を真っ直ぐと見つめる。
「サンディには俺も含めてお前と似たような境遇の連中が沢山居る。もし道に迷ったら……一人で抱え込まず、俺たちに相談しろ。同じ経験をした者だからこそ、できるアドバイスもある筈だ……」
ノアが言葉を終えるとグレースが嬉しそうに微笑む。
「貴方……意外といい人ね」
「フッ……意外とは失礼だな」
「ウフフ。褒めているのよ――」
彼女はそう言いながら再び青年に麦酒の瓶を差し出す。
「――ねえ……もし良かったら、宴のあと二人で飲み直さない? 貴方の昔話を色々と聞いてみたくなったわ」
「ああ、いいぜ。その代わり、お前の弟の話も聞かせてもらうからな」
「ウフフ……長くなるわよ?」
「フッ……夜はまだ始まったばかりだぜ? 余計なことは気にするなよ」
意気投合した青年と美女。二人の夜は長くなりそうだ。
つづく……




