第330話 皇妹からの使い(後編)
テレサは主君からの伝言――忠告を一字一句正確に、レナとロルフに伝える。
「兄の逆鱗に触れた時点で、王妃殿下とロルフ王子のクーデターは失敗に終わったと言っても過言ではありません。
この先、新王政を発足したとしても、ゲネシスの大軍勢に攻め入られて大国トロイメライの歴史は終焉を迎えることでしょう。最悪の結末を避けたいのであれば、今が引き際です――」
『今が引き際』――その忠告に王妃と王子の表情は険しさを増す。一方のテレサは二人の様子など気にも留めず、淡々と語り続ける。
「――即刻クーデターを中止し、国王陛下と停戦交渉を行ってください。より良い条件で停戦合意できるよう、私が仲介いたします。どうか賢明なご判断を――以上がエスタ様から預かってきた伝言です」
『最悪の結末を回避したければ、ネビュラと停戦交渉を行え』――これがゲネシス皇妹エスタの忠告である。当然、王妃が簡単に受け入れる筈もなく――
「停戦合意ですって?! 冗談も大概にしなさい!」
「いいえ、冗談は申しておりません。エスタ様はお二人の拳の下ろしどころを作ろうとしているのです。
更に停戦が合意に至った暁には、ウィンター様を解放するお考えです。さすればオズウェル様の脅威にも対応できることでしょう。決して悪くない話だと思いますが……」
『ネビュラとの停戦交渉』と『ウィンターの解放』――オズウェルの怒りを買い、国王派の反撃で圧倒的劣勢に立たされたレナとロルフにとって、決して悪くない話だ。停戦中に体制を立て直すことも可能だが……ロルフには疑問があった。彼は人差し指で眼鏡を掛け直しながらテレサに尋ねる。
「確かに悪くない話だが、皇妹殿下に一体何のメリットがあるというのだ? 下手をしたら、貴国の脅威であるネビュラが玉座に留まり続ける結果になるんだぞ? おまけに皇妹殿下はお気に入りのウィンターを手放さなければならない……それでは不利益を被る一方ではないか? 正直、皇妹殿下の話は信用できん。何か打算的な考えがあるんだろう?」
疑いの眼差しを向けるロルフにテレサが微笑みかける。
「愛、ですかね……」
「は?」
唐突な言葉。
拍子抜けした様子のロルフを横目にしながら、テレサは回想に耽る。それは王都の情勢を報告するため、イタプレス山中の山小屋に一時帰還した時のことだ――
クーデターの途中経過を詳細に報告するテレサ。それをベッドの上で聞くエスタの腕の中には、熟睡するウィンターの姿もあった。
程なくすると彼女の報告が終了する。
『――安否不明となっていた国王陛下でしたが、生存を確認。今は臣下たちと共に王都奪還作戦を実行しております。既に一部施設の奪還に成功している模様です。途中経過の報告は以上となります』
『ご苦労様でした。お疲れでしょうに、わざわざ途中経過の報告までありがとうございます』
『勿体ないお言葉です。では……私は引き続き王都の様子を――』
再びトロイメライ王都に向おうとするテレサをエスタが呼び止める。
『テレサ、お待ちになって』
『はい、どうされましたか?』
テレサが尋ねるとエスタはウィンターの頭を優しく撫でながら静かに口を開く。
『――ウィンターは想像以上にか弱いお方です。その弱さを知れば知るほど、全力で守ってあげたくなります。この子が愛おしくて仕方ありません。故に……今回の作戦に加担してしまった事を酷く後悔しております。私は……この子が悲しむ事をしてしまいました……』
『エスタ様……』
突然、後悔の念を口にするエスタ。テレサは掛ける言葉がみつからずに立ち尽くす。すると皇妹が思いがけない事を口にする。
『既に手遅れかもしれませんが、この子をこれ以上悲しませない為に、やれるだけの事はやろうと思います』
『一体何をなさるおつもりですか?』
彼女が顔を強張らせながら訊くと、主君から耳を疑う答えが返ってきた。
『はい。王妃殿下とロルフ王子の拳の下ろしどころを作り――クーデターを中止させます』
『クーデターを中止!?』
驚愕するテレサに、エスタは覚悟が宿った瞳を向けながら言葉を続ける。
『私が国王陛下と王妃殿下の間に入り、停戦を実現させます』
『そ、そんな勝手な事をなさったら……オズウェル様が……!』
『間違いなくお兄様は激怒することでしょうね。そうなったら私は二度と母国の土を踏めないかもしれません。――それでも、私はこの子を守りたいのです』
『し、しかし……!』
『もう私の心は決まりました。ウィンターをずっとおそばでお支えすると。この子、色々と弱点が多いですからね。私がしっかりとフォローして差し上げないといけません……』
皇妹は微笑みを浮かべながらしみじみと呟く。
『不思議なものですね。かつては啀み合い、生意気だと思っていた坊やに、ここまで尽くしたくなるとは……これはある種の母性本能なのでしょうかね?』
『愛……ではないでしょうか?』
『ウフフ。なるほど……愛ですか――』
エスタはウィンターに絡めていた四肢を離すと、上半身を起こして、一糸まとわぬ姿のままテレサに向き直る。
『テレサ。私はウィンターの子守があるので、ここから離れることができません。ですので……貴女に伝言を預けます』
『伝言ですか?』
『はい。王妃殿下とロルフ王子に接触して、揺さぶりをかけてください――』
皇妹はそう言いながら、白銀の髪――ごく少量の髪の束をテレサに手渡す。
『エスタ様、これは?』
『ウィンターの髪の毛を少しだけ頂きました。コレを王妃殿下とロルフ王子に見せつけて、この子が私の手中にあることを告げてください。そして、国王陛下との停戦に応じるのであれば「ウィンターを解放する意思がある」旨もお伝え下さい』
溺愛する彼を手放す。主君の発言にテレサが驚いた様子で尋ねるも――
『よ、よろしいのですか!? ウィンター様を手放してしまっても!?』
『ご安心ください。この子は解放し、滞りなく動けるようにしてあげますが、決して手放すつもりはありません。ウィンターはもう私のモノ――マーキング済ですからね。それに……この子は既に私の虜でもあります。エスタ無しでは生きていけない身体に調教しちゃいましたから♡ ウッヘッヘッヘッ……』
『ハァ……まったくエスタ様は……――』
不気味に笑う主君をテレサは呆れた表情で見つめるのであった――
――回想を終えたテレサが王子に告げる。
「私の口からは申し上げられませんが……エスタ様には色々とお考えがあります。もしエスタ様とお話しされたいのであれば、直ぐに取り次ぐことは可能ですが……いかがなさいますか?」
「ぬっ……」
「さあ、お返事をお聞かせください」
ロルフとの間合いを詰めながら返答を求めるテレサ。すると、王妃から不気味な笑い声が漏れ出す。
「フッフッフッ……」
「――王妃殿下、どうかされましたか?」
テレサが瞳を細めながら尋ねると、レナが自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。
「別に……ウィンターに拘らなくても……王都は守れますよ?」
「ウィンター様の他に適任がいらっしゃるのですか?」
「ええ。私には『タイガー・リゲル』という偉大な父が居ります。父を呼び戻せば、王都は一瞬で制圧できることでしょう。貴国の軍勢も恐るるに足りません」
そう。彼女には『タイガー・リゲル』というレジェンドな父が居る。ネビュラとの関係が良好ならば、彼が『王都守護役』の重職を担っていたことだろう。
とはいえ、ウィンターという強大な戦力が敵国の手中にあるのは、トロイメライにとって耳が痛い話だ。
テレサが王妃に持ちかける。
「ウィンター様という強大な戦力が不在なのは、貴国にとっても大きな損失です。ですので、ウィンター様の解放も視野に、国王陛下との停戦交渉を――」
「捨て置きます」
「え?」
「あの子に構っている暇はありません」
無情な言葉を口にする王妃。テレサが眉を潜めながら尋ねる。
「ウィンター様をお救いしなくてもよろしいのですか? 大切な臣下ですよ?」
「助ける必要なんてありません。助けたところで私たちの味方をしてくれないでしょう。ですので……此度の作戦を成功させる為にもウィンターには生け贄になってもらいます。あの子は皇妹殿下に差し上げましょう」
その返答に皇妹専属侍女は大きく息を漏らす。
「――わかりました。それが王妃殿下のお答えですね? その旨、エスタ様とウィンター様にお伝えしましょう」
テレサはそう言葉を返すと移動を開始する。王妃たちの側方を通過し、バルコニー内へと立ち入る。するとロルフの大声が轟く。
「待て! まだ話は終わっていないぞ!」
王子に呼び止められた彼女は一度立ち止まると、背後へ視線を移す。
「交渉決裂です。話になりません」
「なんだと!?」
「散々好き放題利用して、必要がなくなれば簡単に切り捨てる――臣下を大切にできない君主など、滅んだほうが国の為です」
「「……っ!」」
そしてテレサは再びメデューサの姿に変身すると、こう言い残す。
「これより私は国王陛下に加勢します。トロイメライをあるべき姿に戻してもらいましょう……」
「ま、待ちなさいっ!!」
「目指すは――リアリティ砦」
メデューサは飛翔。東の夜空へ姿を消した。
一方のレナは憎悪の表情で身体を震わせる。
「……どいつもこいつも……好き放題動きやがって……」
「は、母上……」
額に汗を滲ませる王子に王妃は猛獣の如く鋭い眼差しを向ける。
「ロルフ」
「は、はい!」
「父上に文を送ります。至急『伝書想獣』の準備を」
「文……ですか……?」
「ええ。父上をウィルダネスから呼び戻します!」
それは切り札。
レナは、ノーラン討伐のためウィルダネスに赴いている父タイガーを呼び戻そうとしていた。
――戦局が好転すること間違いなしだ。
ところが。
王妃と王子の元に伝令の兵士が血相を変えて現れる。
「王妃殿下! ロルフ王子! 一大事でございます!」
「何事ですか!?」
レナが要件を催促すると、兵士が震えた声でその内容を伝える。
「ノーラン攻めの最中に……タイガー・リゲル公爵閣下の体調が急変……危篤状態とのことです……」
「な、なんですって……」
「そ、そんな……」
衝撃的な報告に言葉を失うレナとロルフ。その顔は限りなく青に染まっていた。
――同じ頃、ウィルダネス領都・サボ。
ノーラン・ファイターの居城にある一報が舞い込む。
「ノーラン様! 大変です!」
「ど、どうしたっ?! ついに虎が攻めてきやがったかっ?!」
「そ、それが……リゲルの軍勢、この領都を素通りし、東へ進路を変えました……」
「な、なんだと? タイガーのジジイ……一体何を考えてやがる……」
――そして、ウィルダネス領都郊外。
黄色の甲冑に身を包んだ大軍勢が東へ――アルプ領の方角へ進路を変えて移動していた。
その隊列の中程に虎柄の馬車が一台。カーテンが閉められた車内には、二人の親子の姿があった。
「――父上……しっかりしてください……」
「………………」
リゲル家後継のレオは、椅子にもたれ掛かる脱力した父親を、ただただ見守ることしかできなかった。
つづく……




