第329話 皇妹からの使い(前編)
「――忠告ですって?」
突然自分たちの前に現れたメデューサが口にした『忠告』という言葉。思わず王妃が聞き直すと、魔人は微笑みながらもう一度告げる。
「はい。王妃殿下とロルフ王子に主君から預かった伝言――忠告をお伝えしに参りました」
再度メデューサが説明するも、レナは不快感を露わにする。
「私たちに忠告? いまいち状況が理解できませんね。それにしても……一国の王妃と王子に、誰のものかわからない髪の毛を突き付けるなんて、随分と躾がなってないお方ですこと」
「不躾で申し訳ありません。この髪の毛については順を追って説明します故……まずは私の話に耳を傾けて頂けないでしょうか?」
メデューサの言葉を聞き終えたロルフが声を荒げる。
「貴様っ! 黙って聞いていれば! 城内に忍び込んだ挙げ句、母上に対して生意気な口を聞くとはなんと無礼にも程が過ぎる! 名前くらい名乗ったらどうなんだ?! そもそもお前の主君とは一体何者だ?!」
「申し遅れました――」
メデューサが謝罪の言葉と共に頭を下げた刹那。その体が赤紫の光に包まれる。やがて姿を現したのは、メイド服を身に纏った赤紫髪の若い女性だった。
ロルフは見覚えのある彼女の姿に驚愕の表情を見せる。
「お、お前は!? ゲネシスの使用人!?」
「ゲネシス帝国皇妹『エスタ・グレート・ゲネシス』付き侍女『テレサ』と申します。以後お見知りおきを……」
そう。彼女の正体とは――ゲネシス皇妹エスタ専属の侍女『テレサ』だった。
彼女の正体が判明したところでレナが問い掛ける。
「貴女の正体は理解しました。――要するに、エスタ殿下から私たちに忠告があると?」
「はい、その通りです。これから私が話す言葉は主君の言葉だと思ってお聞きください。私の思想は一切含まれておりませんのでご安心を――」
これから語られる内容はエスタの言葉。
レナとロルフは固唾を呑みながらテレサの次なる言葉を待った。
そして彼女の第一声――
「王妃殿下、ロルフ王子。オズウェル様を怒らせ過ぎましたね。もう関係修復は不可能と言っても過言ではありません」
ゲネシス皇帝は激怒している――彼女の言葉を聞いた王妃と王子の顔が一気に青ざめる。
「テレサよ。我々が何か皇帝陛下の癇に障ることをしたか?」
ロルフが尋ねるとテレサは溜め息を漏らす。
「――お心当たりが無いと仰るのであれば、説明いたしましょう」
そして彼女が皇帝激怒の理由を語る。
「事の発端は王妃殿下がオズウェル様に送った書状にあります」
「私が送った書状?」
「ええ。この王都で行われた、オズウェル様たちの作戦内容に対しての抗議文です。その書状には『オズウェル様たちが嘘つき』である旨の文言が記されていたと思います。オズウェル様は嘘つき呼ばわりされたことに不満を抱いておりました」
ここでテレサが言葉を区切ると、透かさずレナとロルフが反論。
「可笑しな話ですね。私は本当のことを皇帝陛下にお伝えしたまでです。皇帝陛下は私たちとの約束を守ってくれませんでした」
「母上の仰る通りだ。我々が皇帝陛下にお伝えしたシナリオに『王都を襲撃しろ』などという内容は一切盛り込まれていなかったぞ? しかし皇帝陛下たちは我々の筋書きを大きく外れてメルヘンを混乱に陥れた――嘘つきと言うよりは裏切り者だ!」
親子の反論を聞き終えたテレサがゲネシス側の主張を述べる。
「それはゲネシスとトロイメライ、双方の認識に齟齬があったということです」
「認識の齟齬ですか?」
「はい。トロイメライ側の筋書きでは、国王陛下が和平交渉に応じるよう『王都に圧力を掛ける』でしたよね? この件に関してはゲネシス側に一任された……ということで宜しかったですよね?」
「ええ。イタプレスを制圧したと見せ掛けて、『王都の手前に布陣して圧力を掛けてほしい』と依頼しました。王都を襲撃しろなどとは一言も申し上げていませんよ?」
「そこに認識の齟齬が生じたのです。もう一度申し上げますが、我々は王都に圧力を掛けて、国王陛下をイタプレス王国まで誘き寄せる、一連の作戦を任せられたという認識です。
オズウェル様は国境手前の布陣だけでは弱いと判断した為、王都の街に牽制をかけて、国王陛下に重圧を与えました。
果たして……これのどこが『嘘つき』なのでしょうか? 確かに筋書きから外れた点は否めませんが、オズウェル様たちは国王陛下を和平交渉のテーブルに着かせる為、臨機応変に対応されたのです。
それなのに、事情を尋ねることもなく『嘘つき呼ばわり』されたら、誰だって怒りたくなりますよね?」
「それが……皇帝陛下が激怒した理由なのですか?」
テレサは首を横に振る。
「これだけが原因ではありません。オズウェル様の怒りが爆発する決定的な出来事が起こりました。その点に関して――ロルフ王子、お心当たりはございませんか?」
「心当たりだと?……も、もしや……あの件か!?」
顔を強張らせる息子にレナが訊く。
「ロルフ、あの件とは?」
「はい……皇帝陛下と密談を交わした際、ノエルが失踪したことをお伝えしたのですが……酷く機嫌を損ねられて……」
テレサがゆっくりと頷く。
「はい。今回の一連の作戦に我々ゲネシスが協力した理由は、自国の安寧と繁栄の為です。
つい先日までゲネシスのバーチャル種の安全を脅かしていた国王陛下を玉座から引きずり落とし、新トロイメライ王国と良好な関係を築くことが、ゲネシスに未曾有の安寧と繁栄を実現する為の第一歩です。
そして、両国の関係を確かなものにする為に行われる予定だったのが、政略結婚でした。エスタ様はウィンター様に、そしてノエル殿下はオズウェル様に嫁ぐ予定でしたが――その約束は破られてしまいます……」
テレサはレナたちの元へ歩みを進めながら言葉を続ける。
「和平が合意に至ったら、すぐに婚姻が交わされる約束でしたよね? エスタ様もそのつもりで準備を整えて、イタプレスの地に赴いておりました。しかし……ノエル殿下がプレッシャー城にお見えになることはありませんでした……」
「そ、それはだな……」
弁明しようとするロルフに、彼女が厳しい言葉を突きつける。
「どのような理由があろうと、約束の日時と場所にノエル殿下が姿を見せなかったのは事実です。貴国も我々との約束を守ろうとしなかった――『嘘つき』ですね。
人のことを嘘つき呼ばわりして、自分たちは平気で嘘をつく……そんなお二人の振る舞いにオズウェル様は怒っているのです。
挙げ句の果てには具現岩の存在をちらつかせ、脅迫までされましたよね?」
レナが声を裏返しながら息子に訊く。
「具現岩? 脅迫?! ロ、ロルフ! それは事実なのですか!?」
「申し訳ありません……つい口を滑らせてしまって……」
「な、なんてことを……」
ロルフの返答にレナは頭を押さえながら落胆。
一方のテレサは、顔を青くさせる二人の前で足を止める。
「これでは……やることなすこと国王陛下と同じですね? いえ、それ以上に悪質かもしれませんよ?」
ここでロルフとレナが思い出したかのように――
「ま、待て! 実はな、つい先程ノエルが発見されたのだ!」
「そうなのです! 彼女の身柄はまだ敵方の手中にありますが、数日以内に皇帝陛下の元へ嫁がせ――」
「もう遅いですよ」
テレサは王妃と王子の言葉を遮断。二人を黙らせると、まだ知らない衝撃の事実を告げる。
「残念ながら、オズウェル様は先程の和平合意と、政略結婚の話を白紙に戻されました」
「は、白紙だと!?」
「何かの間違いではっ!?」
「紛れもない事実です。もはや両国の関係は過去最悪の状態です。それは粉々に砕けてしまった陶器のように修復不可能でしょう――」
そして皇妹専属次女が、王妃と王子に冷たい眼差しを向ける。
「オズウェル様が王都に攻め入るのは時間の問題ですよ? そうなればここは火の海です」
「「!!」」
絶句するレナとロルフ。
するとテレサは右手に握った白銀の髪を二人に見せつける。
「――この髪の毛……何方のものかおわかりですか?」
唐突な質問。レナとロルフは互いに顔を見合わせながら首を傾げる。
「わかりませんね。銀色の髪の持ち主なんて、この国にはごまんと居りますからね……」
「一体……誰の髪だというのだ?」
「わかりませんか? 先程までロルフ王子と行動を共にされていた、あの可愛らしい男の子の髪の毛ですよ?」
「ま、まさか!?」
「あ、あの子の髪の毛だと言うのですか!?」
二人は理解した。今彼女の手に握られている髪の毛が、自国の公爵『ウィンター・サンディ』のものであることを。
「やっとおわかりいただけましたか……」
「どうやらウィンターの身柄はゲネシス側の手中にあるようですね?」
「はい。体調不良でダウンされていたので、拘束は容易く行えました。でもご安心ください。ウィンター様の身柄は丁重に扱っておりますから」
「何が目的だ!?」
王子が声を荒げるとテレサが不敵に微笑む。
「フフッ。目的なんてございませんよ?」
意外な返答に親子は眉を顰める。
「無いだと? では何故ヤツを拘束した!?」
「エスタ様はただ……ウィンター様をモノにしたいだけなのです。あの方のことを溺愛されてますからね。いずれにせよ、エスタ様に捕まってしまっては、もう逃れることはできないでしょう。見えない鎖で全身を縛られておりますから。――でもそうなると、危機的問題が発生しますね?」
「危機的問題……だと?」
ロルフが恐る恐る尋ねると、返ってきた答えは背筋が凍り付くものだった。
「ええ。守護神不在の中、一体誰が王都を守るんでしょうかね? オズウェル様を食い止める事ができる守護者が他に居りますか?」
「「!!」」
そう。王都の絶対的守護神は皇妹の手の内。この状況でゲネシスの大軍に攻め入られたら――王都の壊滅は避けられない。更に彼女が続ける。
「国境の防衛は疎か、王都内部の制圧もままならない状況。更には国王陛下側が圧倒的優勢となっており、もはや新王政側に勝ち目はないでしょう。もし仮にオズウェル様と国王陛下が結託されてしまったら――」
テレサの指摘。
レナは鋭い眼差しを彼女に向けると怒声を上げる。
「貴女の私見など求めていません! 早く皇妹殿下の忠告とやらを聞かせなさい!」
「失礼しました。それでは……エスタ様からの忠告をお伝えしましょう――」
――そして、テレサがエスタからの忠告を代弁する。
つづく……




