第302話 交渉後
小一時間、議場の扉を守るヨネシゲ、ソフィア、ノア。彼らの背後ではトロイメライとゲネシス、二つの大国の明暗を分ける交渉が行われている。周囲を警戒する三人も緊張を隠しきれない面持ちだ。
――そして、和平交渉が行われていた議場の扉がゆっくりと開かれる。
角刈りたちが視線を向けた先には見上げる程高い長身の男女が三人――ゲネシス皇帝とその弟妹である。
ヨネシゲたちは深々と頭を下げ、皇帝たちを出迎える。直後、皇帝オズウェルの呼び掛ける声が角刈りの耳に届く。
「ヨネシゲ・クラフト」
「は……ははっ!」
ヨネシゲが恐る恐る顔を上げると、オズウェルが威厳に満ちた眼差しでこちらを見下ろしていた。そして皇帝の口がゆっくりと開かれる。
「良かったな。全面戦争にならずに済んで」
「え?」
「和平は合意に至った。最悪の事態は回避されたぞ」
「よ、良かった……」
皇帝の言葉にヨネシゲは安堵の笑みを零しながら、ソフィアとノアの顔を交互に見る。だが、オズウェルの次の言葉に角刈りは戦慄する。
「良かっただと? お前は我が弟を不当に拘束するだけでは飽き足らず、我が有能な部下までも痛み付けた――」
オズウェルはそう言いながら角刈りの首を軽く叩く。
「ここが和平交渉の場ではなかったら、今頃お前の首は繋がっていないぞ?」
「……っ!」
顔を強張らせるヨネシゲに皇帝が忠告する。
「次はないと思え。今後我々を不快にするような真似をすれば――お前の首一つでは済まないからな」
「肝に銘じておきます!」
再び頭を下げる角刈りを横目にオズウェルはその場を後にする。続けてケニーがヨネシゲに向かって言葉を吐き捨てる。
「角刈り野郎、命拾いしたな。また無礼な真似をしてくれたら、夫婦諸共地獄に送ってやるからな!」
「ははっ!」
皇弟は憎悪の表情で角刈りを睨みつけると、兄の後を追った。次に角刈りの耳に聞こえてきたのは女声。
「――貴方がソフィアさんの旦那様、ヨネシゲ殿ですか?」
「あ、はい!」
ヨネシゲが視線を向けた先には皇妹エスタの姿があった。その妖艶な佇まいに角刈りの頬がほころぶ。
(デケェ姉ちゃんだ! 全てが規格外だぜ!)
すると突然、エスタが角刈りを抱きしめる。身長差ゆえ、角刈りの顔面は皇妹の豊満な膨らみに埋もれることになる。
(く、苦しい! 息ができねぇ! ここは天国か? 地獄か?)
苦しそうにうめき声を漏らす角刈りをエスタが解放する。
「あら? ごめんなさい。私としたことが……」
「いえいえ! お気になさらず!」
ヨネシゲは鼻の下を伸ばしながら皇妹を気遣うが――直後、背後から殺気を察知する。
角刈りが恐る恐る後ろを振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべるソフィアの姿があった。
一気に青ざめる角刈り。彼は誤魔化すように咳払いすると、エスタに礼と謝罪の言葉を述べる。
「コホン……エスタ殿下、お初にお目に掛かります。この度は我が妻を助けていただきありがとうございました。そうだとは知らずに、私はケニー殿下を……」
「ウフフ、お気になさらず。無鉄砲なあの子には良い薬になったことでしょう――」
彼女はそう言いながら角刈りの手を取る。
「ソフィアさんから色々と話を聞きましたよ? ソフィアさんにとってヨネシゲ殿は誰にも負けない自慢の旦那様であり――この星で一番愛している存在なのだと……」
「ソフィア……」
「エ、エスタ殿下……この話はこの辺りで……」
赤面するヨネシゲとソフィア。エスタは微笑ましそうに夫婦を見つめる。
「ヨネシゲ殿。これからもソフィアさんを大切にしてあげてくださいね」
「はい! 勿論です!」
ヨネシゲの返事を聞いたエスタはその場を後にしようとするが、ノアに呼び止められる。
「エスタ殿下」
「はい、何でしょう?」
「旦那さ――いえ、我が主の治癒をエスタ殿下が行っているとお聞きしたのですが……?」
ノアの問い掛けにエスタは微笑みを浮かべる。
「はい、その通りです。ウィンター殿のお世話は私がしております。今は私のお部屋でぐっすりと眠っておられますよ」
「そうでしたか――」
皇妹の言葉を聞いたサンディ家臣が主君との面会を申し出る。
「その……可能であれば、主と面会したいのですが……心配でして……」
落ち着かない様子のノアにエスタが伝える。
「――面会などしている場合ではありませんよ?」
「え?」
「貴方は、ウィンター殿に代わってトロイメライ国王陛下を護衛する役目が残っております。トロイメライ国王陛下にもしものことがあったら――あの子はさぞ心を痛めることでしょう」
「ですけど……」
「安心なさい。ウィンター殿は私が責任を持って回復させますから――」
皇妹はそう言うとノアに背中を向ける。
「ノア殿と言いましたね? 貴方が心配していたことは、ウィンター殿がお目覚めになったらお伝えしておきますね」
「――我が主を宜しくお願いいたします」
「お任せください」
エスタは妖艶に微笑むと、兄弟とは別の方向を目指して歩みを進めた。
程なくすると議場の中から、イタプレス王ケンジーと談笑を交わすネビュラと二人の王子が姿を現す。角刈りたちは透かさず膝を折り、主君たちを出迎える。
ネビュラが臣下たちに朗報を伝える。
「皆、喜べ! 和平は合意に至った。トロイメライの安寧と繁栄を実現するための大きな一歩となろう!」
国王の報告に、角刈りたちは互いに顔を見合わせながら安堵の笑みを見せる。
次にネビュラはソフィアの元に歩み寄り、労いの言葉を掛ける。
「ソフィアよ! 見事な活躍だったぞ。大儀であった! 無事で何よりだ……」
「へ、陛下……勿体ないお言葉でございます……」
叱責を覚悟していたソフィア。だがネビュラから掛けられた温かい言葉に瞳を潤ませる。
次にネビュラは角刈りに身体を向ける。
「ヨネシゲよ、話は聞いている。ゲネシスの猛者たちをその拳で退けて、妻を取り戻したそうだな」
「はい! お陰様で妻を取り戻すことができました!」
ヨネシゲは誇らしげに答えるが、ネビュラは何故か眉間にシワを寄せる。
「だが……交渉のカードを俺の許可無しに手放したのはいただけないな。俺を差し置いて勝手に取引を進めるとは――許せん!」
「!!」
ネビュラの言葉を聞いた角刈りが慌てた様子で頭を下げる。
「も、申し訳ありません! わかってはいましたが……妻を助けたい一心で――」
「クックックッ……冗談だ。国王ジョークだよ」
「へっ?! へへっ……そうでしたか……」
ヨネシゲは、ニヤリと笑うネビュラを見上げながら苦笑を見せる。
(畜生! 心臓に悪いからこういう冗談は止してくれ!)
と、心の中で叫ぶヨネシゲだった。
「――和平も無事に締結され、ソフィアも取り返す事ができた。とても気分の良い夜だ!」
満足そうに笑みを浮かべるネビュラ。
その隣ではケンジーが晩餐会の案内を始める。
「トロイメライ国王陛下。晩餐会の準備が整っております。この機会にゲネシス皇帝陛下との親睦を深めていただきたく思います。臣下の皆さんも是非ご参加ください!」
ケンジーの言葉を聞いた角刈りが驚いた様子で尋ねる。
「私たちもよろしいのですか?」
「ええ。勿論ですよ」
晩餐会の誘いにヨネシゲはガッツポーズを見せながら喜びを表現する。その様子を横目にネビュラがイタプレス王に謝意を伝える。
「イタプレス国王陛下よ。取り計らい、感謝する」
「いえ、お安い御用です」
微笑みを見せるケンジー。一方のネビュラは彼の僅かな異変を感じ取る。
「どうされた? イタプレス国王陛下よ。少々元気がないように思えるが?」
「い、いえ! そのようなことはございませんよ!」
「そうか? どうやら気の所為のようだな」
そしてトロイメライ一行は、イタプレス大臣ペッタンコラスの案内で晩餐の会場へと案内された――が、その場に留まるトロイメライの王子――ロルフ・ジェフ・ロバーツの姿があった。ロルフは隣で立ち尽くすケンジーに声を掛ける。
「イタプレス国王陛下。嫌な役を押し付けてしまってすまないな」
ケンジーがロルフに訊く。
「ロルフ王子……本当に実行されるのですか?」
第二王子は静かに頷く。
「ああ。トロイメライの安寧と繁栄のためにな……」
するとケンジーがロルフを説得。
「ロルフ王子! 今からでも遅くはありません! 考えを改めてください!」
「なんですと?」
「確かに……トロイメライ国王陛下が暴政を敷いてきたことは否めない事実であります。ですが……トロイメライ国王陛下は変わろうとしておられる。もう少し様子を見たほうが――!」
ロルフがイタプレス王の言葉を遮る。
「ネビュラは……ネビュラは害悪なり! トロイメライにとって負を齎す存在。排除せねばならないのだ!」
第二王子は人差し指で眼鏡を掛け直した後、鋭い眼光をケンジーに向ける。
「イタプレス国王陛下。協力してくれたことは感謝しているが――我が国の政に口を挟まないでいただきたい!」
「も、申し訳ない……」
表情を曇らせながら俯くケンジーをロルフが冷たい眼差しで見つめる。
そこへ赤紫髪の若い女性――ゲネシス側の使用人がロルフの元を訪れる。
「――ロルフ王子、お迎えに上がりました。早速、お部屋までご案内いたしましょう」
「わかった。案内を頼む――イタプレス国王陛下、私はこれで失礼する」
ロルフはケンジーに一礼した後、ゲネシスの使用人に案内されながら足早にその場を後にした。
一人取り残されたケンジーは拳を強く握りしめる。
「トロイメライ国王陛下、申し訳ありません。私は貴方を誤解していました。今の貴方は噂されているような暴君ではありません――立派な国主だ。なのに私は……もう少し慎重に行動するべきだった……」
滞りなく進む『ネビュラ追放作戦』。
その一方でネビュラの改心ぶりを目の当たりにしたケンジー。この作戦に加担してしまったことを後悔していた。だが、時すでに遅し――後の祭りである。
――プレッシャー城内の一室。
ソファーに腰掛ける兄弟は――オズウェルとケニー。その足元で膝を折るゲネシス軍の軍服を身に纏った青髪ゴリラ面の中年男と金髪の青年は――モールス少将とキース大佐だ。軍服の二人は深々と頭を下げて大謝罪。
「「申し訳ありませんでした!」」
一方、ケニーは臣下を気遣う。
「頭を上げてくれ。寧ろ礼を言わせてほしい。俺のために体を張ってくれてありがとな」
「勿体ないお言葉っ!!」
皇弟の言葉に青髪ゴリラは大号泣。キースも感激した様子で身体を震わせていた。
そしてオズウェルが臣下たちに尋ねる。
「怪我は治ったのか?」
「はい! 軍医たちの迅速な対応のお陰で、怪我の方はほぼ完治しております!」
「それは良かったな」
緊張した面持ちで答えるキースにオズウェルは愉快そうに微笑む。するとモールスが恐る恐る尋ねる。
「して――オズウェル様。我々の処分は……?」
先程、角刈りを制圧できずに敗北を喫したモールスとキース。恐らく何らかの処罰がある筈だ。
顔を強張らせながら皇帝の返事を待つモールスとキース。やがてオズウェルの口がゆっくりと開かれる。
「案ずるな、お前たちを処罰することはない」
処罰はない――モールスとキースが表情を緩める。すると二人にオズウェルがある事を口にする。
「このあとロルフ王子と――いや、トロイメライ新国王陛下との密談が予定されている。新国王陛下とは一度腹を割って話しておかねばならぬ――」
不敵に口角を上げながら話すオズウェル――何か企んでいる顔だ。青髪ゴリラたちは冷や汗を流しながら清聴する。
「だが、新国王陛下と王妃殿下は、些かゲネシスを侮っておられる。事と次第によっては我々の恐ろしさを教えてやらねばな。そこで、お前たちには一仕事頼むやもしれぬ――」
ニヤリと歯を剥き出すオズウェル。モールスとキースは固唾を呑んだ。
つづく……




