第298話 契約
銀髪の青年とその取巻きたちが囲むのは――まだ幼い銀髪の少年。青年たちは少年に罵声を浴びせながら、蹴りの嵐を浴びせる。
『この悪魔がっ! 貴様が生まれてきてから全てが狂い始めた! 母上はお前を生んだ直後に亡くなり、父上はそのショックでお身体を壊されてしまった。父上もさぞ貴様の事を恨んでおられた、『この手で殺してやりたい』となっ!」
「ひっ……」
「そして先日……父上はノーランに隙を突かれてしまいお討死あそばされた……多くの家臣も失った――全てはお前のせいだぞ?! どうしてくれるっ!?』
『……兄上……ごめんなさい……』
『黙れ黙れ黙れっ! 謝れば済むと思っているのか?! 貴様さえ生まれてこなければっ!』
怒り狂う青年は少年に執拗な蹴りを続ける。
『……ごめんなさい……ごめんなさい……兄上……許して……――』
痛みと恐怖に耐える銀髪少年。その意識が次第に薄れていく――
「――っ!?」
ベッドの上で目を覚ます銀髪の少年は――ウィンター。呼吸を乱す彼の寝間着は汗でびしょ濡れだ。
「……夢……か……」
ウィンターは熱で意識を朦朧とさせながらも安堵の息を漏らすと、瞳を閉じて息を整える。
呼吸が落ち着いたところで瞳を開くと、月明かりに照らされる見慣れない天井を見つめる。
「ここは……どこなんだろう――はっ!?」
銀髪少年は思い出す。
先程応接室でネビュラと王子たちを護衛中に倒れてしまったことを。
「眠っている場合では! 直ぐに陛下の元へ――あれ……?」
慌てた様子で身体を起こそうとするウィンター。しかしここで身体に起きている異変を感じ取る。
「か、身体が……動かない……!?」
身動きできない。
自力で起き上がれるどころか、腕や脚を上げることも叶わず。できるのは手先足先を僅かに動かせるくらいだろうか。
首周りには何かを装着されたような違和感。そして全身は縄状のもので縛り上げられた感覚――
すぐに察しがついた。
(私は……拘束されてしまったのか……!?)
自分が置かれた状況に動揺を隠しきれない銀髪少年。すると突然、彼の耳元である女性が囁く。
「――お目覚めですね、ウィンター殿」
「ひっ?!」
ウィンターが驚いた様子で隣を見ると、そこには彼がよく知る女性の顔があった。
「エ、エスタ殿下!?」
「ウフフ、驚かせてしまいましたね。気配を消していたものですから――」
女夢魔の姿でウィンターの隣で添い寝する女性は――ゲネシス皇妹エスタだった。彼女はにっこりと微笑みながら銀髪少年の頭を撫でる。
「まだお熱がありますから、このまま安静にしててくださいな」
透かさずウィンターが尋ねる。
「このまま安静にって……どうして、私は縛られているのですか?」
エスタは妖艶な笑みを見せながら答える。
「ウフフ。縛られるのもお好きでしょ? 私の見立てでは貴方はかなりのドMさんの筈ですから」
「な、何を言って――」
「だってそうでしょ? 他人のダメージを体内に取り込んでしまうだなんて――どれだけ苦痛を味わいたい変態さんなんですか?」
ウィンターは顔を強張らせる。
「どうして……それを知っているのですか?」
「ウフフ……自分で言うのはなんですけど、私はこう見えてもゲネシスでも五本の指に数えられる空想治癒師ですよ? 貴方の体内に蓄積された尋常じゃない量の疲労や毒素が、他人のものである事くらい簡単に察しが付きます。正直、かなり危うい状態です。余命一週間と言ったところでしょうか……」
「い、一週間……!?」
「ええ。寧ろ、今生きているのが不思議なくらいですよ?」
突然の余命宣告に顔を青くさせるウィンター。一方のエスタは険しい表情で説明を続ける。
「私は一人の空想治癒師として、ウィンター殿に事実を申し上げます。今、貴方の体内に蓄積された疲労と毒素が貴方の命を蝕んでいる状態です。これは疲労と毒素が大量であるため分解が追い付いていないからです。そうこうしている間に疲労と毒素は凝固を始めています。こうなってしまったら投薬や通常の治癒術で回復させることは不可能でしょう。これが貴方が他人のダメージを肩代わりした代償なのです」
「まさか……ここまで悪かったとは……」
衝撃的な事実に言葉を失うウィンター。そんな彼にエスタが尋ねる。
「治してほしいですか?」
「え?」
思い掛けない言葉に銀髪少年は瞳を見開く。
「私なら、ウィンター殿の身体を治す術を持っています。さあどうします? 時は待ってくれませんよ?」
ウィンターは一瞬考えるも、皇妹に治癒を依頼する。
「――お願いしても……宜しいですか?」
ここでエスタがある条件を持ち掛ける。
「但し一つ条件があります」
「条件……ですか……?」
条件とは何か?
ウィンターは表情を固くしながらエスタの言葉を待つ。すると彼女は上半身を起こすと――その足を彼の顔の前に差し出す。
「さあ、口づけを」
「え?」
「治癒の条件ですよ。この足に口づけして、エスタに絶対服従を誓いなさい」
「ふ、服従ですか!?」
「ええ。服従と言っても大袈裟なものではなく、政治的意図など一つもありません。これは私とウィンター殿、個人的な契約です。言うなればパートナーでしょうか」
「ど、どうしてまた……」
「今はまだ、多くは語れませんが……私は貴方を独占したいのです。契約はそのための保険ですよ」
「いきなり……そんなことを言われましても……」
当然ながら躊躇うウィンター。するとエスタが半ば脅迫のように言葉を並べる。
「嫌ならよいのですよ? 交渉は決裂です。このまま縛られた状態で一生を終えてください。あっ、ここには誰も助けに来ませんからね。皆さんには『ウィンター殿は先にフィーニスに帰った』とお伝えしておきますからご安心を」
「私を……脅しているのですか……?」
皇妹は不敵に笑いを漏らす。
「ウフフ、脅しとは人聞きが悪いですね。私はウィンター殿に手を差し伸べているのですよ? 少しはありがたいと思ってほしいものです」
エスタが再び問う。
「さあ、チャンスはこの一度だけです。生きるか死ぬか――答えをお聞かせくださいな」
エスタから与えられた二つの選択肢に銀髪少年は頭を悩ませる。
(――エスタ殿下が何を考えていて、どこまで本気かわかりません。ですが――)
ウィンターが返答する。
「わかりました。条件を受け入れましょう。但し――」
ウィンターはこう付け加える。
「この契約は個人的なものであり、政治的思惑が一切ない事を約束してください。約束が途中で破られるようなことがあれば契約は無効とします」
「もし、約束を守るつもりがないと言ったら?」
「――このまま死を受け入れます」
他国の政治の為に利用されるくらいなら大人しく死を受け入れる――一国の公爵としてのウィンターの覚悟だ。
一方のエスタは彼との約束を誓う。
「ウフフ。流石、トロイメライの公爵様ですね。まあ安心してください。約束は守りますから」
「信じてもよろしいのですね?」
「ええ、信じてください。私もウィンター殿のことを信じますから――」
皇妹は守護神の口元に足を近付ける。
「さあ、誓いの口づけを……」
「わかりました――」
ウィンターは意を決する。
彼はエスタの足にゆっくりと顔を近付けると――優しく唇を当てた。その瞬間、皇妹は満悦の笑みを浮かべると、ウィンターの身体に覆いかぶさり、抱きしめる。
「ウヘヘ。これでウィンター殿は私のモノ。誰にも渡しませんよ……」
何故皇妹は自分に執着するのか? 困惑を隠しきれないウィンターの耳元でエスタが甘く囁く。
「では早速始めましょうか」
「始める?」
「施術ですよ、施術。貴方の体内に蓄積された疲労と毒素をこの女夢魔の能力を使って搾り取ってあげますよ」
「え? 一体何を……?」
「ウフフ。決まっているでしょ? 女夢魔がする事と言ったら……――」
エスタの言葉を聞き終えたウィンターは赤面する。
「ちょ、ちょっと、待ってください! そんなの聞いておりません!」
「あら? もう契約内容をお忘れかしら? これは私が個人的な範囲で行っていることであり、契約の範囲内です。よって貴方に拒否権はありません――服従なさい」
「ひうっ!?」
エスタはそう伝えるとウィンターの耳を甘噛。そして彼女の手が下の方へ――
「エスタ殿下! 待ってください!」
ウィンターが制止を求める。
「お願いです。少し待ってくれませんか?」
「何です? 主の言うことが聞けないの? 言っておきますけど、これは貴方のために――」
「それはわかっております……ですけど……心の準備が……」
涙目で訴えるウィンター。すると皇妹は呆れた様子で息を漏らす。
「わがままな下僕さんですね。まあいいでしょう――」
エスタはそう言いながらウィンターの身体から下りると、再び添い寝する形で彼を抱擁。優しく声を掛ける。
「――ウィンター殿……こうして誰かに抱きしめられたことはありますか?」
「……いいえ……ありません……」
「でしょうね。あのお兄様とお父様では抱擁なんてしてくれないでしょう」
「え?」
「実は先程、貴方が見ていた悪夢を覗き見させていただきました」
「えっ!? ど、どうやって?」
夢を覗くとはどういうことなのか? 透かさず銀髪少年が尋ねると、皇妹は当たり前のように答える。
「この女夢魔の能力を以てすれば、想人の夢を覗き見るなど容易いこと。夢を見せたり、夢の中に入り込むことだってできるんですよ」
「ひ、人の夢を覗き見るなんて……悪趣味です……」
「ウフフ、ごめんなさいね。お詫びに良い夢を見せて上げますよ。貴方が望むなら淫夢だって――」
「結構です!」
怒った様子で頬を膨らますウィンター。エスタは苦笑を浮かべながら言葉を続ける。
「ウフフ、話を戻しましょうか。要するに私が聞きたいのは、今まで貴方が『愛を受けてきたか?』ということです。宜しければお聞かせ願いますか?」
彼女の問い掛けに銀髪少年は少し間を置いた後に答える。
「――お察しの通り、私は父と兄から酷い仕打ちを受けてきました。母は私が生まれてすぐに亡くなっており、私は――家族からの愛情を知りません。ですがその分、家臣やオーロラ神殿の神官たちから愛情を受けてきましたよ」
すると皇妹が鼻で笑う。
「フフッ。果たしてそれは本当の愛でしょうか?」
「え?」
「実は私も母親を早々に亡くしておりましてね。父親は厳格な方でして……愛情はなく、ただ厳しいだけのお方でした。
でも腹違いの弟ケニーにはとても甘くてね……両親からの愛情を受ける弟がとても羨ましかったです。
そしてお兄様も父親の性格を濃く受け継いでおりまして。私を可愛がってくれることはありませんでした。私も家族からの愛情を知りません。
前々からウィンター殿の幼少期の噂は聞いておりましたが、先程の悪夢を覗き見て確信に変わりました。貴方も私と同じ境遇の人なんだなと――」
「エスタ殿下……」
悲しげな笑みを見せながら語るエスタをウィンターは険しい表情で見つめる。
――その時。扉をノックする音が部屋に響き渡る。と同時に若い女性の声が二人の耳に届く。
「エスタ様。オズウェル様とケニー様がお戻りになりました」
「わかりました。直ぐに行きます」
どうやら女性はエスタ専属の侍女のようだ。皇妹は返事をすると、再びウィンターに向き直る。
「お話の途中ですが、私はこれから和平交渉の席に同席させていただきます。ウィンター殿はここでお休みください――」
エスタはそう言うと――ウィンターの唇を奪う。
「エ、エスタ……殿下……」
「ウフフ。戻ったらたっぷりと愛でてあげますから――」
その刹那。ウィンターの首元にチクッと痛みが走る。彼が視線を移すと、女夢魔の臀部から伸びる尻尾が自分の首元に刺さっているのが見えた。
「エス……タ……殿下……」
「良い夢を見ながら待っててくださいね」
ウィンターの視界が暗転、そのまま意識を失った。
つづく……




