第292話 越境の夜(後編)
王都北部・トロイメライ王兄の私邸。
その一室には王兄スター、改革戦士団総帥マスターと四天王ソードの姿があった。三人はソファーに腰掛けながら、卓上の水晶玉に視線を落とす。
「――素晴らしい空想術だ。離れた場所だというのに王都各地の光景が見れるとはな」
「お褒めいただき光栄だ。この映像は王都各地に飛ばした想獣が今まさに見ている光景だ。多少のタイムラグはあるがリアルタイムで状況を把握することができる」
感嘆の声を漏らすスターにソードが得意げに説明する。そこにマスターも不気味な笑いを漏らしながら説明に加わる。
「オッホッホッホッ。使用している想獣はコバエの姿をした超小型です。結界を張られていない限り、気付かれることはないでしょう」
「なるほど。偵察に優れているということか……」
「ええ。例え女湯の中であっても覗き見ることができますぞ?」
「お、俺にそんな悪趣味はない!」
「オッホッホッ。冗談ですよ――」
マスターは卓上のグラスを手に取ると、注がれた果実酒を口に含む。
「これより、この想獣を使って陛下の尾行――和平交渉の様子を見守ろうと思います」
マスターの言葉を聞いたスターは驚いた表情を見せながら、疑問を投げかける。
「それは興味深いが、和平交渉の重要な場――当然結界を張られてしまうだろう。そうなると想獣の侵入は叶わないぞ?」
「ご安心ください。想獣は結界を張られる前に侵入させます」
「どうやって?」
「オッホッホッ。水晶玉をご覧ください――」
総帥が促すと王兄は水晶玉に視線を移す。
「くっ! 愚弟が……!」
スターが顔を歪める。そこには誇らしげな表情で城内の庭園を闊歩するネビュラの姿が映し出されていた。
マスターに代わりソードが説明。
「この想獣を奴の中に忍ばせる――」
すると想獣がネビュラに急接近。水晶玉には彼の顔がアップで映し出される。
「クソッ、腹立たしい顔だ!」
スターは不愉快そうに顔を歪める。
直後、映像が薄茶色に染まった。
「なるほど……髪の中に忍ばしたというわけか……」
そう。想獣が忍び込んだ先とはネビュラの頭髪だった。
「しかし……結界の内部から外部へ情報を伝達する術はあるのか?」
スターのさらなる疑問に答えたのはマスターだ。
「その点はご安心を。結界外部にもう一体想獣を待機させておきます。結界を物ともしないテレパシーで中継させますゆえ――」
マスターはワイングラスを掲げる。
「明暗の夜を静観しましょう! オッホッホッホッ――」
不気味な笑い声が屋敷を支配した。
――王都クボウ邸。
ベランダから神妙な面持ちで北の方角を見つめるのはコウメだ。その後姿をカエデとジョーソンが静かに見つめる。
「――全て私の責任だわ。私がソフィアさんをヒーローの道に引きずり込んでしまったから……」
「ソフィアはコウモリの囮となり、ゲネシス側に囚われてしまった」――カエデたちから受けた報告。ソフィアが囚われてしまった根本的な原因は自分にある――コウメは責任を感じていた。するとカエデとジョーソンが彼女の元へと歩みを進める。
「奥様、それは違うと思います」
「カエデちゃん?」
コウメが振り返る。そこには普段おどおどしている筈の黒髪少女が、真っ直ぐとした力強い眼差しでこちらを見つめていた。カエデが言葉を続ける。
「確かにソフィア様がヒーローになるきっかけを作ったのは奥様ですけど……ソフィア様は自ら望んでヒーローになりました。ヒーローになれば危険が付きまといます。その事はソフィア様も重々承知されている筈――その上の行動だったことでしょう」
続けてジョーソンが口を開く。
「要するにカエデが言いたいことは、俺たちは自分たちの責任で行動しているってことですよ。自分の意志でヒーローになった以上、自分の身に起こった危険は誰の責任にもできません。俺たちは奥様に責任を背負わす為にヒーローしてるわけじゃないんですよ」
「ジョーソンさんの言う通りです。誰の責任でもなく全ては自己責任です。奥様がそんなに落ち込んでいたら、ソフィア様が心を痛めてしまいますよ?」
「そうですぜ。奥様は笑い飛ばしているくらいが丁度いい。俺たちは……落ち込んでもらうよりも、背中を蹴飛ばしてくれる方が嬉しいですよ。きっとソフィア様だってそれを望んでいる筈です」
訴え掛けるように言う使用人の二人。コウメは微笑みを見せる。
「そうね。私がこんなんじゃソフィアさんが心配するわ」
コウメは再びイタプレスの方向へ視線を向ける。
「きっとソフィアさんは無事に帰ってくるわ。何を隠そう、私が世に送り出したヒーローですからね――」
コウメは拳を強く握りながらソフィアの無事を祈った。
その頃、国境関所まで続く大通りを警戒するのはマロウータンとドランカドだ。間もなくこの通りを国王一行が通過する。
「――ヨネさん、無事ソフィアさんを取り返せるといいですね」
「じゃな。あわよくば、和平交渉も上手くいくことを願っておる」
「マロウータン様……」
「なんじゃ?」
「今回の和平で、本当にトロイメライに安寧と繁栄が訪れるのでしょうか?」
どこか不安げに尋ねるドランカドにマロウータンが静かに答える。
「――此度の和平はトロイメライを平らかにする為の大きな一歩じゃ。陛下がゲネシスとの争いに終止符を打ち、国内のことに目を向けるようになれば、そう遠くはない未来に安寧と繁栄が訪れることじゃろう。その為にも儂ら貴族は全力で陛下をお支えせねばならぬ。親子喧嘩などしている場合じゃないぞよ?」
「へへっ。すんません」
苦笑を浮かべながら頭を掻く真四角野郎。白塗り顔は微笑みを浮かべながらその様子を見つめた。
すると背後に控えていたクボウ家臣リキヤが主君に伝える。
「――マロウータン様。陛下の御一行が参られましたぞ」
「ほよ? いよいよじゃな……」
マロウータンたちが視線を移した先には――二台の金塗り馬車とそれを護衛する騎士や兵士の集団。
やがて一行がマロウータンたちの目の前を通過する。
先頭の馬車を先導する白馬の少年はウィンター。彼は白塗りたちの存在に気が付くと会釈。再び前方へ視線を移して通り過ぎていく。
続けて通過した金塗りの馬車には、国王ネビュラ、第一王子エリック、第二王子ロルフの姿が見えた。国王はマロウータンと目が合うと、ゆっくりと頷く。一方の白塗りは深々と頭を下げた。
その後方で馬に跨るのは見慣れた角刈り頭――
「ヨネさ〜んっ!」
ヨネシゲだ。
ドランカドが大声で呼び掛けると、角刈りは馬を止めVサイン。満面の笑みで言葉を返す。
「ドランカド! 必ずソフィアを連れて帰ってくる。そしたら明日は宴だぜ!」
「待ってますよ、ヨネさん!」
そして白塗りは臣下に活を入れる。
「ヨネシゲ、気を引き締めていくのじゃぞ!」
「ええ。マロウータン様も留守を頼みましたよ」
「ウホッ。偉そうに――王都の守りは儂らに任せろ!」
主従は互いに笑みを溢す。
「ヨネシゲ殿、そろそろ……」
「はい、行きましょう」
角刈りは隣に居たノアに促されるとマロウータンたちに一礼。再び馬を進める。
そして角刈り後方の馬車にゲネシス皇弟ケニーの姿が。彼は白塗り顔を目にした途端、不快そうに顔を歪めた。
(ほよ? 儂の顔に何か付いていたかの?)
斯くして、国王一行は国境関所を通過――イタプレスの地に足を踏み入れるのであった。
(――ソフィア、あともう少しだ。もう少しだけ待っててくれよな!)
ヨネシゲの手綱を握る手に力が入る。
――イタプレス王国・プレッシャー城。
控室でトロイメライの一行を待つのは、ゲネシス皇帝オズウェルだ。そこへ皇妹エスタが姿を見せる。
「お兄様。只今戻りました」
「エスタか。遅かったではないか」
「ええ。ソフィアさんと会話が弾んでしまいましてね」
「深入りは無用だぞ? お前のことだ。すぐに情が移ってしまうことだろう」
「ウフフ、私は一期一会の出会いを大切にしたいのですよ。彼女は間もなく解放されちゃいますからね」
オズウェルは眉を顰める。
「解放?」
「ええ。トロイメライの一行が到着しましたら、ソフィアさんを引き渡すのでしょ? 恐らく彼女の旦那様も居ることだし――」
「妹よ、甘いな……」
「え?」
「あの女をそう簡単に返す訳にはいかん」
「ど、どうしてですか?」
困惑気味で訊くエスタ。すると皇帝は妹がまだ把握していない事実を伝える。
「――ケニーが拘束されてしまったのだ」
「なんですって!?」
驚きの声を上げる皇妹。
そこへ一人の中年男が姿を見せる。
「オズウェル様!」
「モールスか……」
軍服を身に纏った中年マッスルは青髪。
オズウェルから「モールス」と呼ばれる彼は、怒りを滲ませた表情で皇帝に尋ねる。
「オズウェル様、ケニー様がトロイメライに囚われてしまったとは本当ですか!?」
「ああ、本当だ。先程、トロイメライ王妃から書状が届いた」
「ゆ、許せねえ……俺の大恩人を……縄で縛り上げてるっていうのかっ?!」
声を震わせるモールスにオズウェルが命じる。
「モールスよ。我が弟を奪還せよ」
「承知っ!!」
気迫ある声で応えたモールスが部屋を飛び出していく。一方のオズウェルは静かに怒りを滲ませながら言葉を漏らす。
「奪われたなら、奪い返すまでだ。人質の交換など……生温い!」
言葉を終えたオズウェルがソファーから立ち上がる。透かさずエスタが訊く。
「お兄様、どちらに?」
「――あの女のところだ」
「!!」
部屋を後にする皇帝。皇妹の顔が強張った。
つづく……




