第282話 妻を追って
――夕色に染まりつつあるメルヘンの街に、ある男の絶叫が響き渡る。
「おーいっ! ソフィア! 居たら返事してくれっ!」
ここは王都北部の住宅街。
その住民たちはゲネシス進軍の影響を受け王都外へ退避。街は静まり返っている――筈なのだが、大声でとある人物の名を口にする集団の姿があった。その中でも特に絶叫を轟かす男は角刈り――ヨネシゲ・クラフトだ。
巨大コウモリを退治したヨネシゲは、一向に戻らない王都のヒーロー女神――ことソフィアの捜索を仲間たちと共に行っている最中だった。
囮役を買って出た彼女は魔物の群れを引き付けながら北の方角へ向かったそうだ。住民の避難誘導を行っていた多くの兵士や保安官がその姿を目撃しているが、有力な情報は得られず。その後の足取りが掴めていない。
(ソフィア……頼むから……頼むから無事でいてくれよ!)
ヨネシゲは不安を押し殺しながら、消息を絶った愛妻の名を叫び続けた。
程なくすると情報収集を行っていたドランカドが何やら慌てた様子で戻ってきた。
「ヨネさーん! ヨネさーん!」
「ドランカド! 何か手掛かりは!?」
もしかしたら有力な情報を得られたのかもしれない。
角刈りは真四角野郎の元まで駆け寄ったが――彼の険しい表情を見て察した。
「悪い知らせか?」
「――ええ。あまり良くない知らせです……」
ヨネシゲが尋ねるとドランカドが静かに答える。
彼の言葉の返事を聞く限り、現時点で最悪の結末を迎えているわけではなさそうだ。しかし妻が消息を絶っている今、安心できない状況に変わりはない。
ヨネシゲは一呼吸置いたあと、ドランカドから「あまり良くない知らせ」の詳細を聞き出す。
「それでドランカド。その『あまり良くない知らせ』とやらを聞かせてくれ!」
「わかりやした」
真四角野郎はゆっくりと頷くと、詳細を語り始める。
「これは数人の保安官からの情報なんですが……国境の向こう側――イタプレスの上空付近で『白く光る人らしきもの』を見かけたらしくて」
「白く光る人らしきもの……?」
「ええ。その白く光る人らしきものが、地上へ向かって落ちていく様子を目撃したそうです。それでその光る人をコウモリの群れらしきものが追従していたそうですが――ヨネさん。あまり考えたくないですが、このタイミングでコウモリの群れに追われる人らしきものと言ったら……?」
恐る恐る尋ねるドランカドに、ヨネシゲは顔を青くさせながら答える。
「間違いない。その白く光る人らしきものは、ヒーロー女神――ソフィアだろう。彼女はヒーローの姿の時、身体を白く発光させることが多かったからな……」
「くっ……なんてことだ……」
信じたくはない。
とはいえ、囮となった彼女はコウモリの群れを引き付けながらイタプレス方面へ向かい、それから間もなくしてイタプレスの上空には人らしき物体と紺色の大群――判断材料として十分だった。
居ても立っても居られなくなったヨネシゲ。気付くとその足はイタプレスの方角へと駆け出していた。
「ちょ?! ヨ、ヨネさん!」
ドランカドが呼び止めたがその声は角刈りには届いておらず。見る見るうちにその背中は見えなくなった。
真四角野郎が同輩の後を追おうとした時、マロウータンが姿を見せる。
「ドランカドよ、ヨネシゲはどこに行ったぞよ?」
「マ、マロウータン様……実は……」
ドランカドは主君に事情を説明する。
「――なんじゃと?! ソフィア殿は国境を越えてしまったのか!? これはえらいことになったぞよ……」
「如何しましょう……?」
「うむ。イタプレスがゲネシスの手中にある今、儂らだけで国境を越えて、ソフィア殿を救出することは極めて困難じゃ。彼女を救い出すには陛下たちのお力が必要不可欠……」
「では……!?」
「儂はこれより城に向かい、陛下とメテオ様に事情を説明する。そなたは直ちにヨネシゲを連れ戻してまいれ。あの男は――愛妻の為ならば危険も顧みずに敵陣に突っ込んでいくことじゃろう。じゃがそれでは困る。ヨネシゲも儂の大切な臣下じゃ。失うわけにはいかぬ!」
「承知!」
白塗り顔の言葉を聞き終えたドランカドは、力強い声で返事すると角刈りの後を追った。その様子を見つめながらマロウータンが呟く。
「逸るなよ、ヨネシゲ……!」
臣下とその妻の無事を祈りながら、白塗り顔はドリム城へと急行した。
一方のヨネシゲ。
彼は国境関所までの一本道を全力疾走。途中、道を封鎖していた王国軍兵士に制止を求められるも、バリケードを突破。その後もヨネシゲは自身を食い止めようとする兵士たちに突っ込んでいく。
「止まれーっ!!」
「邪魔をするなっ!」
今の角刈りは誰にも止めることができない暴走列車。兵士たちを弾き飛ばす。
(ソフィア、待っていろ! 例え国を敵に回しても、必ず君を救い出して見せるぞ! 二度も君を失ってたまるかっ!)
完全に冷静さを欠いている。だが『愛妻を守る』という信念だけは揺るぎない。角刈りは猛進を続けた。
――その頃、トロイメライ王都側・国境関所前。
石造りの関所ゲート前に停車するのは金塗りの馬車。王国軍の兵士たちに見守られる中、ある人物たちが馬車に乗り込もうとしていた。
「――良かったのか? ロルフ王子。俺の空想錠を外してしまって」
「問題ない。その空想錠だけで十分だ。それにケニー殿下は罪人ではなく大切なVIPだ。客人に手錠など必要ない――」
会話を交わす二人は、トロイメライ王国第二王子ロルフとゲネシス帝国皇弟ケニーだ。
使者であるケニーは空想錠がされた状態で姿を現した。これは自身の強大な能力を封じ込んで、トロイメライの警戒を解く為である。その内の一つ、手錠型の物についてはロルフの判断で外された。首輪型だけでも十分ケニーの力を封じ込めることができるからだ。
その一方でロルフは、ケニーが使者として訪れたことに警戒していた。
(――ケニー殿下が使者として訪れるなんて聞いていないぞ!? 何故母上の計画通りに動かない? 一体ゲネシス側は何を考えているのだ?)
僅かに眉を顰めるロルフに、ケニーが自身の首に装着された首輪を指差しながら訊く。
「フフッ。俺のこと大切なVIPと言うなら、これも外してくれよ。身体がだるくて仕方ない」
ロルフは人差し指で眼鏡を掛け直しながら言葉を返す。
「――悪いが……君たちを完全に信用することはできない。王都の結界を破った挙げ句、コウモリまで解き放ち、民にまで危害を加えてくるのだからな……」
王子の言葉を聞き終えた皇弟は薄ら笑いを浮かべると、彼の耳元に顔を近付ける。
「フフッ。怒っているんでしょ? 俺たちが台本通りに動かないから」
「……っ!」
顔を強張らせるロルフにケニーが言う。
「安心してくれ。少しアドリブを加えただけだ。これ以上、王妃殿下が描いた台本を改編するつもりはない」
王子が小声で尋ねる。
「信じても良いのだな?」
「ああ。俺らだってトロイメライとの全面戦争は望んでいない。少しネビュラを揺さぶっただけさ――」
そしてケニーはロルフにある事を指摘。
「――それとロルフ王子。外交の場ではもっと表情に気を使った方がいいぞ。どうやら君は顔に出るタイプのようだからね。その眉間のシワを見たら、多くの者が不快に思うことだろう。俺もその内の一人さ――」
額に汗を滲ませるロルフ。ケニーは彼の耳元から顔を離すと満面の笑みを見せた。
「さあ、時間が勿体ない。早速城まで案内してくれ」
「――わかった。さあ乗ってくれ」
王子に促されると、皇弟が金塗り馬車に乗車する。
その様子を遠目から見守るのはウィンターだ。彼は使者の護送を任されていた。
(――なるほど、ゲネシスの重鎮ですか。ケニー殿下が直々に使者として訪れるとは……ますます怪しい……)
疑いの眼差しで馬車を見つめる守護神。すると突然、ある男がウィンターの名を叫びながら出現。
「ウィンター様っ!!」
「ヨ、ヨネシゲ殿?!」
ヨネシゲだ!
角刈り頭が絶叫を轟かせながら、こちらに向かって猛進してくるではないか。ウィンターは思わず身構える。やがて守護神の前までやって来たヨネシゲは、倒れ込むようにして膝を落とすと、彼の脚にしがみつきながらその顔を見上げる。
「ウィンター様! ソフィア! ソフィアがっ!」
「お、落ち着いてください。一体何があったのですか?」
その騒ぎに気が付いたロルフとケニーが馬車から顔を覗かす。
「あれは、ヨネシゲ・クラフト?」
「ロルフ王子、あの男の事を知っているのか?」
「ああ。つい先日、男爵の爵位を授けた男だ。ブルーム夜戦で叔父上を死守した英雄の一人だよ」
「それは興味深い……」
ケニーはニヤリと口角を上げながらヨネシゲを見つめる。
つづく……




