第280話 コウモリ襲来(前編)
王都北部の市場。
紺色の魔物――コウモリが、群となって逃げ惑う人々に襲い掛かっていた。ただでさえゲネシス進軍、魔人の襲来でパニック状態の王都民。そこへコウモリの襲来があり混乱に拍車がかかっていた。
そして、主にコウモリから襲撃を受けているのは若い女性や幼い少年少女だ。紺色の魔物は彼女たちの首元に噛み付き、生き血を吸い取る。血を吸われた人々には貧血の症状が現れ、意識を失っていた。
中にはコウモリに立ち向かおうとする勇敢な男たちの姿もあったが、紺色の魔物はそんな彼らに群がると、噛み付いたり引っ掻いたりして返り討ちにしていた。
だが、紺色の魔物の前に三人のヒーローが現れる。
一人は青い瞳と橙色ツインテールの活発的な少女――王都のヒーロー「空想少女カエデちゃん」である。
もう一人は、逆立った金髪とドミノマスクの暑苦しい中年男――同じく王都のヒーロー「鉄腕ジョーソン」。
そして、残るもう一人はニューフェイス。透き通るような青い瞳と金色の長い髪、背中に白い翼を生やした、白い衣に身を包む美女は――王都のヒーロー「女神」だ。
そして――
「説明しよう! 私とイエローラビット閣下は棍棒を装備することにより、コウモリに対する攻撃力が一割だけアップするのだっ!」
「うむ! 力が漲ってきたぞぉ!」
ドーナツ屋兼情報屋「ボブ」と黄色の珍獣「イエローラビット閣下」も棍棒片手に緊急参戦中だ。
本来であれば小型コウモリの群れなど王都のヒーローの敵ではない。カエデたちが揃えば一瞬で決着がつく筈――だったが、思わぬ苦戦を強いられていた。
カエデは襲い掛かってくるコウモリを雷撃で撃ち落としながら苦笑を見せる。
「――それにしてもこのコウモリ、どこから湧いて出てくるのかしら? いくら撃ち落としてもこれじゃ切りが無いわ。大技使って一遍に片付けたいところだけど、そんなことしたら市民も巻き添え受けちゃうし……」
苦戦の理由――それはコウモリの数と退避が完了していない市民たちの存在だ。
恐らく数千は居るであろう小型コウモリの群れ。その数は今もなお増え続けており、いくら倒しても数が減らない状況だ。ならば広範囲まで攻撃できる大技を使用して、一気に片付ける方法はどうだろうか? カエデやジョーソン程の実力者となれば、上級の空想術を使用して魔物を殲滅することは容易いことだ。しかし多くの市民がいる状態で大技を使ってしまえば、多くの者たちを巻き添えにしてしまうことだろう。それはヒーローとしてあってはならない失態だ。
カエデ、ジョーソン、女神は、ギリギリ市民たちを巻き込まない程度の攻撃を繰り返し、コウモリの大群の撃退を試みるも、一向にその数は減らない。ヒーローたちは焦燥感に駆られていた。そんな中、女神がある提案を口にする。
「――どうやらコウモリの標的は女性のようです。ならば……ここは私が囮となってコウモリの大群を引き付けます。お二人はその隙に市民たちを退避させてください!」
「そ、そんな、無茶ですよ! お一人じゃ危険です!」
「女神さん、カエデの言う通りですよ。それにこれだけの大群をどうやって引き付けるんですか?!」
難色を示すカエデとジョーソンに女神が微笑み掛ける。
「こうするのです……!」
「「!!」」
その刹那、女神の身体がまばゆい光に包まれる。周囲には白色の閃光が走り、ヒーローや市民たちは堪らず腕や手で目を覆う。コウモリも市民たちへの攻撃を中断させると、瞼を閉じて閃光から瞳を守る。
やがて光が徐々に収まると、ヒーローや市民たちの頭上には数十人の女性――分身した女神の姿があった。彼女たちから放たれる魅惑のオーラにコウモリの視線は釘付けのようだ。そして女神がカエデとジョーソンに告げる。
「コウモリたちは私に任せてください! カエデちゃんとジョーソンさんは市民たちの誘導を!」
「ちょ?! 女神さ〜んっ!」
カエデが呼び止めるも、女神たちは淡い光を放ちながら北の方角へ向かって飛び立っていく。その後を無数のコウモリが追い掛ける。
ちょうどそこへ、ヨネシゲと王都特別警備隊の隊員たちが到着する。
「カエデちゃん! ジョーソンさん!」
「「ヨネシゲさん!?」」
「あのコウモリの群れは一体!? それにソフィ――いや、ヒーロー女神はどこへ行ったんだ!?」
角刈りの問い掛けにヒーローたちは表情を曇らせながら俯く。その内の一人、カエデが重たい口を開く。
「――女神さんは……自ら囮になってコウモリたちを……!」
「なんだって……!?」
空想少女の言葉に角刈りの顔が一気に青ざめる――愛妻の身が危ない……!
居ても立っても居られなくなったヨネシゲは、女神の後を追い掛けようと一歩踏み出そうとする。そんな時、角刈りの頭を過ったのはソフィアとの会話だ――
『――あなた、お願い。一人でも多くの人を脅威から守りたいの。私に王都のヒーローをやらせてほしい』
『わかったよ、君の思いを尊重しよう――』
――ヨネシゲは踏み止まると、拳を強く握りしめる。
(――君を信用しよう。だが、無理だけはするなよ!)
カエデたちに向き直った角刈りが指示を出す。
「コウモリたちはヒーロー女神に任せよう! 俺たちは彼女が作ってくれた隙を無駄にはしちゃいけねえ。市民たちを安全な場所に退避させるぞ!」
「「了解!」」
夫妻の覚悟――ヒーローたちは力強い返事で応えた。
――それから数十分後。
市場内に居た市民たちの退避は完了。コウモリに襲われた負傷者たちはヨネシゲ分隊の隊員たちの手で医療機関に運び込まれた。その様子を見届けたヨネシゲたちは安堵の息を漏らす。
「カエデちゃん、ジョーソンさん。二人のお陰で無事市民を退避させることができました。王都特別警備隊の一人としてお礼を言わせてください」
そう言いながら深々とお辞儀するヨネシゲに、カエデとジョーソンは慌てた様子で頭を上げるよう促す。
「そんな、ヨネシゲ様。水臭いじゃないっすか。頭を上げてくださいよ」
「そ、そうですよ! 私たちはヒーローとして当然のことをしたまでですから」
「――ありがとう!」
二人の言葉を聞いたヨネシゲはゆっくりと顔を上げると、満面の笑みを見せた。
――その時だった。珍獣とドーナツ屋が騒ぎ始めたのは。
「な、なんだね、あれはっ?!」
「説明しよう! あれは私にもわからないのだ!」
「説明になっておらんぞ!」
イエローラビット閣下とボブが漫才を繰り広げる中、ヨネシゲとヒーローたちは顔を強張らせながら上空を見上げる。
「何だ……あの馬鹿でかいコウモリは……!」
角刈りの視線の先――そこには成人男性とほぼ同じ体長はあろう巨大コウモリが、大きな翼を羽ばたかせながらこちらを見下ろしていた。
咄嗟に身構えるヨネシゲたち。それに対抗するように巨大コウモリが咆哮を轟かせる。
「ギャアアアアアオ!」
直後、その翼から無数に放たれたのは漆黒の球体。ゴルフボールサイズのそれはヨネシゲたちに向かって急降下。と同時に漆黒の球体が濃紫の光と共に破裂。中から姿を現したのは先程市場を襲っていた小型コウモリだった。紺色の魔物たちが再び市場を襲う。
「嘘?! どうして……また……!?」
狼狽えるカエデを横目にジョーソンが推測。
「なるほどな。どうやらさっきのコウモリたちは、この馬鹿でかいコウモリさんの子分のようだ。この親玉をぶっ飛ばさない限り、コウモリたちは何度も現れるぞ」
ジョーソンは言葉を終えるとヨネシゲに視線を向ける。その眼差しに気付いた角刈りは力強く頷く。
「――幸いにも市民の退避は完了しました。そうとわかれば大暴れしてあの魔物たちを片付けるのみ!」
ヨネシゲたちが戦闘態勢に入る。
「この先に居る市民たちの為にも、一匹も逃しちゃいけねえぞ!」
「「おーっ!」」
角刈りたちは力強い雄叫びを轟かすと大きく飛翔。コウモリたちに攻撃を仕掛ける。
「俺の鉄拳、食らってみやがれ!」
ヨネシゲが彗星の如く青白く光る拳を前に突き出すと、その凄まじい威力から生まれる風圧が悪魔たちを飲み込む。拳撃を直接受けたものは勿論、その拳から生まれた空気砲の進路にいた魔物たちは一瞬で消滅。粒状の光となって天へと還る。
一方のカエデとジョーソンも空想術を駆使してコウモリたちを仕留めていくが、その分だけ巨大コウモリが新たに子分を生み出す――切りが無い。
(やはり、大元を倒さなければいつまでたっても同じ状況が続くだけだ。一気にケリをつけよう!)
ヨネシゲの瞳が巨大コウモリを捉える。角刈りは再び地面を力強く蹴ると上空の親分に向かって飛翔。自慢の右拳を構える。
――だが、巨大コウモリは角刈りの攻撃を見切っていた。親分は鳴き声を上げて子分に指示を飛ばす。すると小型コウモリたちがヨネシゲの進路を阻むように立ちはだかると、彼の身体に群がり始めた。
つづく……




