第279話 優先すべきもの
依然として混乱が続く王都。その上空を一体の魔物が飛行していた。
その紺色の体は、児童の平均的な身長と同じくらいの大きさだろうか。口から覗かす鋭い牙。大きな翼を羽ばたかせながら、赤い瞳で地上の獲物たちを物色していた。
その魔物を目にした者は誰もがこう言うだろう――「巨大コウモリ」だと。
この巨大コウモリは、先程ケニーが召喚した想獣のうちの一体。八切猫神の猫パンチで全滅したかと思われたが、この一体だけが難を逃れたようだ。そんな腹ペコの巨大コウモリが獲物に狙いを定める。
「キッキッキッキッ!」
金切り声のような高音の笑いを漏らしながら、紺色の悪魔が地上へ向かって降り立っていく。
――その頃。トロイメライ王兄の屋敷。
その一室では、スターが不安げな表情で窓の外に広がる青空を見上げる。すると王兄の背後から不気味な笑い声が聞こえてきた。
「オッホッホッホッ。スター殿下、そう不安がる必要はございません。事は上手く進むことでしょう」
そこに居たのはソファーに腰掛ける、フェイスベールを身に着けた、黒尽くめの中年男――改革戦士団総帥マスターだ。
スターとは対照的に気楽な様子の彼は、フェイスベールを左手でつまみ、それを少しだけ上げると、右手に持っていたマグカップの珈琲を啜る。
外は大混乱に陥っているのにこの能天気具合。王兄はマスターに視線を移すと少々苛立った様子で口を開く。
「総帥よ。呑気に珈琲を啜っている場合ではない。今や王都は大混乱。お前が言う通りゲネシスが攻撃を加えているとなれば、今回の作戦は白紙になるぞ?」
マスターはマグカップをテーブルの上に置くと、王兄に体を向ける。
「ご安心なされ。ゲネシスが本気で王都を攻め落とすことはありません。恐らくこれはオズウェルの余興です。王都を混乱に陥れ、陛下に揺さぶりを掛けているのでしょう。少々脱線はしておりますが、王妃殿下の台本通りに演劇は進行する筈です。それに――殿下がお騒ぎになったところで何も解決はしません」
「……くっ。相変わらず嫌味な奴だ」
「オッホッホッ、これは失敬。ですが殿下。今は我々改革戦士団も王妃殿下の作戦を静観することしかできないのです。我々が下手に介入すれば話はややこしくなり、殿下の即位は遠ざかることでしょう」
スターが不安そうに尋ねる。
「もし……王妃の作戦が失敗したら?」
「その時は……また最善の策を考えましょう。大丈夫です、道はいくらでもあります。今は王妃殿下の作戦が成功することを願いましょう。我々が動くのはその後です」
マスターは言葉を終えると再び珈琲を味わい始めた。その様子を見つめながらスターが大きく息を漏らす。
(売国奴共の作戦成功を祈るのは不本意だが致し方ない。奴の言う通り俺たちが行動を開始するのはネビュラが追放されてからだ)
スターは窓の外に視線を戻す。
(――せいぜいしくじるなよ。売国奴共よ……!)
大いなる野望を抱く者たちは、息を潜めながらその時を待つのであった。
――同じ頃。ドリム城内・庭園の一角。
今もなお、トンデモ親子の口論は続いていた。
「――そもそもお前は女性に対する礼儀がなっとらん! そんなことだから俺が紹介した令嬢たちとの恋が実らんのだ!」
「仕方ねえだろっ?! どの令嬢も外見重視の面食いばかりなんだからよ! そもそも俺の内面は誰にも引けを取らないイケメンなんだからな!」
低レベルな言い争いの繰り返し。ノエルはその様子を苦笑しながら見つめる。
(――この分だとしばらく終わらなそうね……)
親子の口論が鎮まるのを待つ彼女。その時、ある男が真四角野郎と頑固親父の元を訪れる。
「コホン! 君たち一体、こんな時に何をしているのかね?!」
「「ゲッ?! ゲッソリオ閣下!!」」
親子が振り向いた先に居たのは――モーダメだ。怒りを押し殺すように身体を震わす公爵。その姿を目にした親子は慌てた様子で肩を組み、満面の笑顔。
「アハハハ……ゲッソリオ閣下、見ての通り我々は喧嘩などしておりません。問題はございませんよ?!」
「そ、そうッスよ! 俺たち仲良しなファミリーですからね?!」
ゲッソリオは大きく息を漏らす。
「見えすいた嘘はよせ。時間の無駄だ」
「「す、すみません……」」
二人が反省した様子で顔を俯かすと、モーダメが要件を伝える。
「もーよい。君たちは今すぐ主君の元へ戻るのだ!」
「「へ?」」
城内本部長の突然の言葉に、親子の頭上には疑問符が浮かんでいた。そんな二人にモーダメが説明する。
「これは陛下のご命令だ。只今をもって一ヶ月間の無償奉仕は一時中断とする。君たちは直ちに主君の元に戻り、この王都に差し迫る未曾有の危機の対応にあたってもらいたい! シュリーヴ伯爵は陛下の元へ、ドランカド卿はクボウ閣下の元へ急ぐのだ!」
モーダメの言葉を聞いた親子は一瞬瞳を輝かし、嬉しそうに微笑んだ後、凛々しい表情で敬礼する。
「「了解!!」」
「頼むぞ」
親子の返事を聞いたモーダメは力強く頷いた。
そして、真四角野郎と頑固親父はノエルの前で膝を折ると、ルドラが彼女を見上げながら言う。
「ノエル殿下。申し訳ありませんが、我々親子はゲネシス進軍の対応に当たります! 申し訳ありませんが、一時花壇造りは休止とさせていただきます――」
その言葉を紡ぐようにドランカドが続ける。
「必ず俺たちの手でこの花壇を完成させます! ですから、少し俺たちにお時間をください!」
その言葉を聞いたノエルは親子の前でしゃがみ込むと、ドランカドとルドラの手を優しく握る。
「では……私からもお願いです。王都を……私の愛する民たちを……必ず守りきってください……!」
「「はい!」」
親子は力強い返事で応えると、ノエルに深々と頭を下げる。そして立ち上がった真四角野郎と頑固親父は互いに向き合う。
「頑固ジジイ、せいぜい怪我はするなよ」
「フン! お前も死に急ぐなよ、馬鹿息子よ」
親子はニヤリと口角を上げた後、それぞれの主君の元へ急行した。その親子の背中をノエルが静かに見つめる。
「ドランカド殿、シュリーヴ伯爵……ご武運を……!」
その彼女の前でモーダメが膝を折る。
「――ノエル殿下。屋外は危のうございます。今すぐお部屋にお戻りくださいませ」
「ええ、わかりました」
「では、私もこれで――」
モーダメはノエルに一礼すると、急ぎ足でその場を後にした。
「――さて、戻りましょうか」
「ノエル殿下!」
「!?」
突如、背後から聞こえてきた男の声。彼女が振り返ると、そこには数名の城内警備隊兵士が地に膝を着けていた。彼らは姫の顔を見上げながら要件を伝える。
「陛下からのご命令でやって来ました! 我々がお部屋までお供いたします!」
兵士の言葉を聞いたノエルがクスリと笑う。
「フフッ、お父様らしいですね……わかりました。護衛、よろしくお願いします」
「「「「はっ!」」」」
力強く返事する兵士たち。早速ノエルを誘導するが――
「……あの……そちらからですと、遠回りだと思うのですが……」
「はい! これも陛下のご意向です。ノエル殿下をできるだけ安全な地下道経由で部屋まで護衛するように申し付かっております!」
「――そうでしたか。それなら仕方ありませんね」
疑うことなく。彼女は人通りの少ない地下道の入口へと向かって歩みを進める。そして護衛する兵士たちの口角が僅かに上がった。
――ドリム城、会議室。
ウィンターから報告を受けたネビュラはある判断を迫られていた。それはゲネシス帝国からの使者を受け入れるか否かだ。
そして臣下たちの間で意見が半分に割れていた。
「ゲネシスの振る舞いは余りにも無礼だ! 使者など受け入れることなどできん!」
「その通りだ! 寧ろこれは我々に対しての宣戦布告である!」
「門前払いはいかんな。相手は少なからず歩み寄る姿勢を見せている。ここは使者を受け入れて話を聞くべきだ!」
「左様。もしここで断れば、次はどんな行動に出るかわからぬぞ?」
そして王族の間でも意見は二分。
第一王子エリックは「反対」の考えを貫く。
「ゲネシスは長年対立してきた敵だ。それだけならまだしも先程の蛮行は決して見過ごすことはできない! そんな野蛮な連中の考えなど聞きたくないわ!」
一方の王弟メテオは「賛成」の考えを示す。
「私は賛成する。彼らが話し合いの場を要求してくるということは、戦いを望んでいない証拠だ。確かにゲネシスとは長年対立してきたが、今回の話し合い次第ではその歴史に終止符を打つことができるやもしれない。またとないチャンスだ。まずは使者を受け入れ、彼らの考えを聞こうではないか」
腕を組み判断に悩むネビュラ。嘗ての彼であれば自分の考えを押し通し、早々に判断を下していただろう。だが今の彼は臣下一人一人の意見に耳を傾けており、その考えを尊重していた。故に判断に苦しむ。
ネビュラは自嘲気味に口角を上げる。
(――使者を受け入れるか……受け入れないか……この俺がこの二択でここまで悩む日が来るとはな。だが、理由はともあれ此度の奴らの行動は断じて許し難い。とはいえ……今ここで使者を門前払いすれば、ゲネシスがどんな仕返しをしてくるかわからん。王都が火の海になる事は避けねばならぬ。優先すべきは――)
会議室にネビュラの勇ましい声が轟く。
「――優先すべきは民の生命と財産である!」
一同視線を向ける先には椅子から立ち上がり、凛々しい表情を見せるネビュラ。そして、トロイメライのトップが決断を下す。
「ゲネシスからの使者を受け入れる! 今すぐ準備に取り掛かれ! 異論がある者が居るならば話を聞こう――」
その威厳ある姿に一同言葉を揃えて応える。
「「「「「ははっ! 陛下の仰せのままにっ!」」」」」
臣下たちは急ぎ使者を受け入れる準備に取り掛かった。
――イタプレス王国・国境関所前。
ゲネシス軍陣営で言葉を交わす姉弟はエスタとケニーだ。
椅子に座らされるケニーの手首には手錠、首には鉄製の首輪が装着されていた。いずれも空想術を封じ込め、筋力さえも奪い去ってしまう拘束器具「空想錠」だ。本来であれば罪人に装着する目的で作られた拘束器具であるが、何故か一国の皇弟の体に装着されていた。
そんな弟の肩に腕を回しながら、エスタが艶っぽい笑みを浮かべながら言う。
「ウフフ。まさか、実の弟を拘束する日がやって来るなんて――お姉ちゃん、興奮してきちゃったわ」
一方のケニーは呆れ気味に息を漏らす。
「姉様、離れてください。俺にそんな趣味はありませんから。こんな無様な姿をさせられて屈辱的ですよ」
「仕方ないでしょ? こうでもしないと、トロイメライ側が貴方を使者として受け入れてくれないでしょう?」
「こんなもん装着しなくても、俺は暴れたりはしませんよ……」
トロイメライ側に使者として「重鎮」を差し向けることは伝えたが、その重鎮が「ケニー」であることは知らせていない。
ケニーといえばオズウェル、エスタと肩を並べる猛者。一人で小国の一つや二つは容易く滅ぼす力を持っている。仮にトロイメライが使者を受け入れる意向を示したとしても、その使者が皇弟と知った途端、受け入れ拒否をする可能性が考えられる。ケニーを使者として受け入れてもらう為には、その力を封じ込める必要があるだろう。そういった経緯があって彼に空想錠が装着されているのだ。
「嫌ならいいのよ? 使者には代わりの者を起用するだけですから」
「はいはい。言う通りにしますから、俺の楽しみを奪わないでくださいよ? ドリム城に入れる日を心待ちにしてたんですから……」
「流石、お城マニアですね」
そこへオズウェルが姿を見せる。
「エスタよ、ケニーよ。朗報だ」
「「朗報?」」
朗報とは何か? 首を傾げる二人に兄が伝える。
「たった今、トロイメライ側から通達があった。『ゲネシスの使者を受け入れる』とな」
兄の言葉を聞いたエスタとケニーは嬉しそうに口角を上げる。
「よしっ! やりましたね兄様!」
「ウフフ。序幕を無事演じきったといったところでしょうか」
「ああ。その大半が即興だったがな。まあ役者こそ違うが――ケニーよ、台本通り役を演じてみせよ」
「わかりました。でも、多少のアドリブがあるかもしれませんよ?」
「フフッ。程々にな……」
ゲネシス最高峰の兄弟は不敵に口角を上げるのであった。
――その頃。
人混みを掻き分けながら進む角刈り頭は――ヨネシゲだ。彼は王都民からのある通報を受け、王都北部の市場へと急行していた。
(――市場にコウモリの大群が現れて、女性たちの血を吸っているだって? けしからんコウモリだ!)
その通報――突然市場内に出現したコウモリの大群が、若い女性たちに噛み付いてその血液を貪っているらしい。血を吸われた女性たちは貧血の症状を起こし、その場で意識を失っているそうだ。
やがて、市場に到着した角刈りが目撃した光景とは――コウモリの大群に襲われて逃げ惑う人々と、巨大コウモリと対峙する王都のヒーローたちの後ろ姿だった。
つづく……




