第278話 混乱の王都(後編)
突然の雷撃から始まり、魔人たちの襲来、そして結界の破壊――落ち着きを取り戻していた王都民が再びパニックに陥っていた。
当初、国境に近い王都北部の住民から順次王都外に避難させる計画だったが、冷静さを欠いた王都全域の住民や貴族が各関所に押し寄せる始末。我先に脱出しようとする者たちの間でトラブルが発生するなど大きな混乱を招いていた。
混乱の王都を城のバルコニーから見下ろす二人の男女――王妃レナと第二王子ロルフだ。
「母上。これはまずいことになりましたぞ……」
「ええ。多少の混乱は想定しておりましたが、この状況は私の想定外です」
怒りで身を震わす母の隣では、ロルフが眼鏡を人差し指で掛け直しながら上空を見上げる。
「突然の魔人の襲来――王都を守る結界が破壊されたことにより、民たちの混乱に拍車がかかりました。ウィンターが彼らを食い止めているようですが――これ以上、筋書きから外れてしまっては……」
息子の言葉を聞き終えた王妃が上空を見上げる。
「皇帝殿下、困りますよ? 台本通りに動いていただかないと――」
レナが怒りを押し殺しながら唇を噛む。
――城内の一角にある庭園。
つい先程まで花壇造りに精を入れていたドランカド、ルドラ、ノエルの三人は、現在王都の上空で起きている異変に顔を強張らせていた。
「王都の上空に魔人が出現だと?! まさか……また改革戦士団の仕業か!?」
突然の出来事に苛立ちを隠しきれないドランカド。その傍らでは、ルドラが部下の保安官から報告を受けていた。
「何?! 鬼神に女夢魔に吸血鬼だと?!」
「ええ。偵察用想獣から得た情報ですが……間違いはないかと……」
「ご苦労。引き続き情報収集に尽力してくれ!」
「はっ!」
保安官がその場から離れると、真四角野郎が頑固親父に尋ねる。
「ジジイ。鬼神とか女夢魔って言ってたな?」
「ああ。俺の記憶が確かなら――ゲネシス最強の三人が直々に王都を攻めているそうだ」
「やはりな。薄々勘付いてはいたが……どうやら最悪の状況みたいだぜ……」
険しい顔付きで腕を組みながら唸り声を上げるトンデモ親子。どうやら魔人の正体に心当たりがある様だ。その隣ではノエルが小刻みに身体を震わせていた。
「……怖い……怖いよ……」
「ノエル殿下……」
怯えた表情で瞳に涙を浮かべる姫。ドランカドは彼女を静かに見つめながら、その肩に腕を回す。
「――ノエル殿下、大丈夫っす。安心してください。ノエル殿下は俺が守りますから!」
「ドランカド殿……」
自分のことを見上げるノエルに、真四角野郎は今世紀一番のキメ顔を見せた。
言うまでもなく、頑固親父の鉄拳がドランカドの脳天に投下される。
「無礼者っ! 今すぐノエル殿下から離れるのだっ!」
「ははん?! この頑固ジジイ、ノエル殿下を横取りするつもりだろ!?」
「黙らんか! この馬鹿息子がっ! 俺はそういうつもりで言ってるんじゃねえ!」
「……あ、あの……私、もう大丈夫ですから……喧嘩はその辺で……」
口論を始める親子を姫が仲裁――
「――あれがノエル殿下だな。よしお前ら、頃合いを見計らって作戦を実行するぞ」
「「おう!」」
その様子を遠くから見つめる怪しげな男たちの姿があった。
――その頃、王都上空。ウィンターと三体の魔人が対峙していた。
守護神の姿を目にした鬼神が不敵に笑う。
「――あの様な脆い結界では我々の攻撃は防ぎ切れないぞ?」
対するウィンターは表情を一つも変えずに言葉を返す。
「そうですね。皇帝陛下たちがこのような野蛮な振る舞いをしてくるとは、想定していませんでしたから……」
「フフッ、それは職務怠慢というやつだぞ? 王都の守護者としてあってはならん。常に想定外のことを考えておかねばな」
守護神は一瞬ムッとした表情を見せたあと、巨大猫の肩から下り、魔神たちの正面まで移動。女夢魔と吸血鬼に視線を向ける。
(まさか……エスタ殿下にケニー殿下まで……)
ウィンターは知っていた。目の前に並ぶ魔人三体の正体が、ゲネシス帝国最高峰の三人であることを。
魔人の正体――鬼神は皇帝オズウェル、女夢魔は皇妹エスタ、吸血鬼は皇弟ケニーが変身した姿だった。
ただでさえ戦闘能力が非常に高い三人。魔人の姿に変身することにより、更に強力な力が得られる訳だが――彼らはその過剰とも言える力を有した状態で、今王都の上空に居座っている。計り知れない脅威だ。
ゲネシスがトロイメライを襲う理由――ウィンターはオズウェルに尋ねる。
「――皇帝陛下のみならず、エスタ殿下とケニー殿下もそのような物騒なお姿をされて……一体何をお考えですか?」
「さあ? 何を考えていると思う?」
「先日の一件――私への報復でしょうか?」
「フフッ。人の話を聞いていたか? 先程も言った筈だ。お前と戦う意志は無いと。それに、この俺が腹に傷を付けられたくらいで、小僧相手に大軍を率いて報復を行うと思うか? 俺の器はそこまで小さくはない。見くびられては困るぞ?」
「そうではないとすると――やはり狙いは、王都でしょうか?」
鬼神に化けたオズウェルがニヤリと歯を剥き出しながらウィンターに言葉を返す。
「――もしそうだと言ったら?」
「排除します」
ウィンターの瞳が青白く光る。するとケニーとエスタが笑いを漏らす。
「おいおい、そうマジになるなよ。これはほんの挨拶代わりなんだからよ」
「ウフフ、そうですよ。私たちはウィンター殿と争うつもりはありませんから」
(……怪しい……)
眉を顰める守護神にオズウェルが言う。
「妹と弟の言う通りだ。我々は貴様と戦争をしに来た訳では無い。俺はトロイメライ国王陛下と話をしに来たのだ」
「陛下と?」
「ああ。国王陛下と腹を割って話したい――」
どういう風の吹き回しだろうか?
長年トロイメライと敵対していたゲネシス皇帝オズウェル。その彼が敵国の王と対話を望んでいるというのだ。きっと何か裏があるに違いない。
守護神は魔人たちに疑いの眼差しを向ける。
「――信用できませんね。申し訳ありませんが、貴方を陛下に近付けさせる訳にはいきません」
対する鬼神は不敵に顔を歪めながら言葉を返す。
「フフッ。会う会わないはお前が決める事ではない。国王陛下がお決めになることだ」
睨み合う両者。
そんな二人の間に割って入ったのはエスタだ。
「ウフフ……お兄様もウィンター殿もそんな怖い顔をなさらずに――」
女夢魔は二人を宥めると、要件をウィンターに伝える。
「――兄の言う通り、会う会わないの判断はトロイメライ国王陛下に委ねたいと思います。そのお返事は、これから我々が送る使者に伝えていただければ……」
「使者ですって?」
「ええ。使者を通じて我々の考えを国王陛下にお伝えします。その上で兄との対話に応じるか否か、お返事をお聞かせいただければと思います」
続けてケニーが口を挟む。
「使者には我が国の重鎮を起用するので、どうか丁重に出迎えてもらえるとありがたい。まあ、門前払いされてしまったらそれまでの話だが――その時は俺たちにも考えがある」
「これは――脅迫と捉えてもよろしいでしょうか?」
「ククッ。どう捉えようとお前らの勝手だ。もしそう思うなら懸命な判断を頼むよ」
王弟の言葉に険しい表情を見せるウィンター。その彼に皇帝が要求する。
「そういうことだ。我々も王都が火の海になることは望んでいない。先ずは使者を受け入れ、我々の提案を聞いてもらいたい。その旨、国王陛下に伝えてもらえるか?」
守護神はゆっくりと頷く。
「――わかりました。少しお時間をいただけますか?」
「もちろんだ。だが、我々も多忙でな。あまり長くは待っていられん――」
皇帝は顎に手を添え少し考える素振りを見せたあと、ウィンターにその期限を伝える。
「――日没だ。期限は本日の日没としよう。それ以降は無効。この話は無かったことにする――国境関所で待っているぞ」
オズウェルはそう言い残すと守護神に背を向けその場から立ち去っていく。その兄の後をケニー、エスタが続く。
(これはまずいことになりました……)
皇帝たちの背中を見つめながら大きく息を漏らすウィンター。するとエスタが立ち止まり彼に視線を向ける。彼女の眼差しに気付いた守護神が問い掛ける。
「――あの、何か?」
「ウィンター殿は猫がお好きなのですね?」
「え?」
それは唐突な質問だった。
皇妹は微笑みながら守護神の背後の巨大黒猫――八切猫神に視線を移す。
「こんな猫型想獣を使役するとは、さぞニャンちゃんがお好きなのかと思いまして……」
「こちらは猫型想獣ではありません。八切猫神様です。その点はお間違いなく!――でも、猫は大好きです……」
頬を赤くして顔を俯かせるウィンターにエスタが微笑みかける。
「では、私と同じですね。私も大の猫好きなんですよ? これは――ウィンター殿のことをもっと知りたくなっちゃいましたわ」
「そ、そうですか……」
妖艶に微笑む皇妹に守護神は困惑した表情を見せる。
「ウフフ。困ったお顔も可愛らしい……ではまた、イタプレスでお会いしましょう――」
エスタは意味深な言葉を残すと兄たちの後を追うようにその場から姿を消した。
呆気に取られた様子の守護神だったが、すぐにハッとした表情を見せる。
(――のんびりもしていられない。早く陛下にお伝えせねば……!)
ウィンターは差し迫る脅威をネビュラに伝えるため、ドリム城へと急いだ。
つづく……




