第275話 演じる者たち
――イタプレス王国・プレッシャー城。
その客間には四人の男女の姿。彼らはソファーに腰掛けながらローテーブルを囲む。
一人は、この国の頂点に立つ青年――「ケンジー・カタミセマン・イタプレス」。彼はうっとりとした様子で正面に座る銀髪の青年を見つめる。
(ああ……ゲネシス皇帝陛下……いつ見ても美しいお方だ……)
その視線に気付いた銀髪青年がケンジーに尋ねる。
「フフッ。ケンジーよ。俺の顔に何か付いているか?」
「い、いえ、何でもございません! ゲネシス皇帝陛下、大変失礼しました!」
サラサラとした銀の長髪。その女性顔負けの美貌とは対照的に、2メートル超えの長身とガッシリとした男性的な身体の持ち主――彼こそがゲネシス帝国の皇帝「オズウェル・グレート・ゲネシス」だ。
「ケンジー、堅苦しい呼び方はよせ。ファーストネームで呼び合おうと決めたではないか?」
「あ、はい……オズウェル……殿……」
「フッフッフッ……まあそれでよい。それにしても――始まったな、壮大な猿芝居が」
「ええ。果たして上手くいくかどうか……私は心配でなりません」
「案ずるな。仮に失敗したとしても我々は痛くも痒くもない。苦渋を飲むことになるのはトロイメライ側だ。何しろこれは、トロイメライ王妃が考えた演劇なのだからな。我々は台本通りに役を演じるまでだ」
ケンジーは静かに頷く。
「その1ページ目は、我々イタプレス王国がゲネシス帝国に制圧されてしまった――を演じること……」
「そうだ。君はゲネシスの大軍を前に呆気なく国を明け渡してしまった『腰抜けの王』を演じる。演技とはいえ、その汚名は一生ついて回る。何しろ民たちはこの台本を知らないのだからな。当然その覚悟はできているな?」
「……はい……」
「お兄様、意地悪はいけませんよ?」
「エスタ……」
オズウェルの問い掛けにケンジーは力ない声で返事。するとローテーブルを囲む者の一人――銀髪三つ編みお下げの女性が口を挟んだ。
一際目を引くのは大きく開かれた胸元と、その豊かな膨らみ。更には皇帝と大差ない長身を持つ彼女は、オズウェルの妹「エスタ・グレート・ゲネシス」だった。
彼女は兄の言葉を訂正するようにしてケンジーに語り掛ける。
「イタプレス国王陛下、ご安心ください。決して国王陛下を『腰抜けの王』にはいたしません。貴方様は持ち前の交渉力で我々の侵略から民たちの命を守り、更にはゲネシスとトロイメライの和平を仲介した功労者――イタプレスの英雄として語り継がれることでしょう。我々も国王陛下の功績を一人でも多くの者たちに伝えられるよう努力します」
エスタの言葉を聞き終えたケンジーがどこか照れ臭そうな様子で言葉を返す。
「エスタ殿下、お気遣いありがとうございます。しかし私は名誉が欲しい訳ではありません。ゲネシスとトロイメライ、この両国が互いに手を取り合い、良好な関係が築かれることを心から願っているのです。結果として、それが我が国に繁栄と安寧を齎します。その為ならば汚名の一つや二つ、痛くも痒くもありません」
「ウフフ。自国の事を本当に愛していらっしゃるのですね」
「ええ、もちろんです。私は――このイタプレスの王なのですから」
ケンジーは誇らしげに力強く頷いた。
そしてオズウェルがワイングラス片手に次なる一手について話し始める。
「――さて、我が軍はイタプレスとトロイメライの国境付近――トロイメライ王都の目と鼻の先に布陣している。これから国境関所前まで兵を進め、ネビュラに圧力を掛ける予定だ。そして頃合いを見計らってネビュラの元に使者を送る。『我々との和平調停に応じろ』とな……」
ケンジーが訊く。
「使者ですか……一体何方が?」
その問いに緑髪おかっぱ頭の少年が答える。
「俺が行く」
「ケニー殿下――」
彼もまた兄や姉と大差ない高身長。兄よりも細身であるが引き締まった肉体を持つ彼の正体は、ゲネシス皇弟「ケニー・グレート・ゲネシス」である。
(――やはり、ケニー殿下も捨てがたい。この少々挑戦的な眼差しがたまらん。それでいてあの八重歯が可愛らしい……)
恍惚の表情でケニーを見つめるケンジー。
一方の皇弟は時折八重歯を覗かせながら言葉を続ける。
「俺が直々にドリム城に赴いてやる。ネビュラの顔を一足先に拝ませてもらうよ」
「ケ、ケニー殿下お一人で行かれるのですか?」
「もちろんだ。言付けするために何人も従者を引き連れていく必要があるか?」
「――いや、その……お一人で敵地に飛び込むのは危険では?」
ケンジーに身を案じられたケニーが高笑いを上げる。
「ハッハッハッ! 安心されよ、イタプレス国王陛下。台本に俺が死ぬとは書いてない。それに俺に喧嘩を売ってくる者が居れば血祭りに上げてやる」
不敵に口角を上げるケニー。そんな弟にオズウェルが念を押す。
「ケニーよ。くれぐれも騒ぎは起こすなよ? お前が使者としてトロイメライに赴くことは台本には書かれていない――アドリブなのだからな」
「フフッ。わかってますよ、兄様。少々暴君を脅してくるだけですから」
「ほどほどにな……」
大きく息を漏らす兄に弟が言う。
「序でに兄様の政略結婚のお相手を拝んできますよ。トロイメライが誇る『幻の姫』の顔を」
「ノエル殿下か……」
「まあ、実際に会うのは難しいでしょうね。何しろ彼女はネビュラの箱入り娘らしいですから」
「だろうな……」
オズウェルは果実酒を味わいながら口角を上げる。
「――それにしても、ノエル殿下は可憐な女子だと聞く。お会いできる時が待ち遠しい……」
「おっと、珍しいですね! 兄様の口からそんな言葉が聞けるとは」
そこへエスタが話に加わる。
「それじゃあケニー。序でに私の旦那様の顔も拝んできてくださいな」
ケニーは眉を顰める。
「ウィンターですか? 何で態々野郎の顔を拝まなきゃ……それにあのガキの顔は戦の時に何回も見てきたでしょう? 今更見たところで何の有難味もありませんよ」
「ウフフ。まあ仲良くしてください。あの子は間もなく貴方のお義兄さんになるんですよ? 年下くんですが」
「俺は認めませんよ。兄様の腹を斬り刻んだクソ生意気な義兄なんかいりません」
「まあそう言わずに。お兄様の仇は私が取りますから。お兄様に手を出したことを後悔させてあげますわ」
「仇?」
「ええ。自由を奪って毎晩泣かせてあげますよ……」
「うう……相変わらず悪趣味だ……」
不気味に微笑みながら舌なめずりする姉を弟は半目で見つめる。
「――無駄話はここまでだ」
オズウェルはワイングラスをローテーブルの上に置くとソファーから立ち上がる。ケンジーは皇帝を見上げながら尋ねる。
「オズウェル殿、どちらに?」
「――前線に赴く。総大将たるもの、兵士たちを鼓舞して士気を高めねばならん。その序でに――」
オズウェルがニヤリと口角を上げる。
「ネビュラに俺の即興を見せてやろう」
そしてエスタとケニーもソファーから腰を上げる。
「お兄様。私もご一緒しますわ」
「俺も行きます」
「フフッ、ついて参れ。我が妹と弟よ……」
客間を後にする皇帝たち。その後姿をケンジーが固唾を呑みながら見つめるのであった。
――始まる、魔王の即興。
つづく……




