第273話 父の想い
――王都領主・サイラス公爵屋敷前。
松明を持った騎士団に護衛されながら一両の馬車が到着する。その金塗りの馬車には孔雀をあしらった紋章――王族専用車両だ。
御者がその扉を開くと、降車してきたのは赤髪巻き毛の少女――「ボニー・サイラス」だった。彼女は馬車に体を向けると、中に居る金髪ポニーテールの青年に深々とお辞儀する。
「――ロルフ王子。わざわざ屋敷まで送っていただきありがとうございます」
頬を赤く染め上げながら謝意を伝えるボニーに、ロルフは人差し指で眼鏡を掛け直しながら言葉を返す。
「礼には及ばん。防災局に向かう序でだ――」
先ほど歓楽街で起きた「大蒜のハブ」と「生姜のマングース」の抗争。既にヨネシゲたちの活躍によって鎮圧されているが、保安局や防災局が事後処理に追われている。そしてロルフは王子という立場でありながら、防災局の幹部も兼務している。故に彼もその対応に当たるため、防災局本部へと赴いている最中だった。ボニーの屋敷はその道中にあり、彼女は彼の馬車に便乗させてもらった次第だ。
「序でだったとしても、とても嬉しいです。あのような騒ぎが起きたあとに、一人で帰るのは不安でしたから……」
「そうか、喜んで貰えたなら良かったよ――」
ロルフはボニーに微笑みかけたあと、御者に発車の合図を送る。間もなく馬車の扉が閉められようとした時、王子が赤髪巻き毛に気遣いの言葉を送る。
「ボニー嬢、今日のことはあまり気に病まないでほしい」
「ロルフ王子……」
「不躾の弟で本当にすまなかった。とはいえ、いくら兄であっても、私には弟の恋愛に口を出す権限はない。君には諦めてくれとしか言えない――」
表情を曇らせながら俯くボニーに、ロルフが優しい口調で言葉を続ける。
「だが、君の話を聞くことくらいはできる。それで君の気持ちが少しでも晴れるのであれば――私がいくらでも話を聞いてやろう」
ロルフの意外な言葉。ボニーは驚いた様子で王子を見つめる。扉が閉められる間際、赤髪巻き毛の透き通るような声が響き渡る。
「ロルフ王子!」
「なんだ?」
王子から尋ねられると赤髪巻き毛は両手で握りしめたハンカチを見せる。それは先程、彼女が城で号泣していた際に王子から差し出されたものだ。
「あ、あの……このハンカチ……洗ってお返しします……」
「そうか。では宜しく頼む――」
やがて扉が閉められると、馬車は騎士団に護衛されながら発車。ボニーはハンカチを握りしめながら、その金色の車体が見えなくなるまで見つめていた。
――同じ頃、ドリム城内・王妃レナの私邸。
ローテーブルを挟みソファーに腰掛ける三人の親子――リゲル親子だ。
リゲル家当主タイガーの向かいには、王家に嫁いだ娘レナ、その隣にはリゲル家後継者の息子レオ。親子は険しい顔付きで会話を交わす。特に眉間にシワを寄せているのはタイガーだった。
「――ちょいと先急ぎではないか?」
レナ主導で計画されている国王追放作戦。その決行日は半月ほど早まり三日後となった。このことにタイガーが難色を示している。
「確かに……そなたにネビュラを追放させるよう仕向けたのはこの儂じゃ。此度の作戦を反対する立場にはない。じゃが……実行するにはもう少し慎重になるべきじゃろう?」
苦言を呈す父に娘が毅然とした態度で言葉を返す。
「父上。陛下は――暴君であるうちに排除しなくてはなりません。このまま陛下が改心を続けて、臣下や民の信頼を得てしまうと、此度の作戦に必ず支障が出ることでしょう」
「うむ……じゃが、あの暴君がたかだか数週間で臣下や民の心を掴めるとは思えないがのう……」
納得いかなそうな様子で腕を組み息を漏らす虎入道。一方のレナは少々苛立った様子で語尾を強める。
「父上は慎重過ぎるのです。力があるというのに、その慎重さがあだとなって未だにトロイメライを統一できず。それどころかこの国はかつてないほど荒れているではありませんか。肝心な場面で一歩踏み込めず――父上は臆病者です!」
「あ、姉上……もうこの辺りで……」
父を批判するレナを弟レオが制止する。
娘の言葉を聞き終えたタイガーは鼻で笑うも否定せず。皮肉を交えながら語り始める。
「そなたの言う通り儂は臆病者じゃ。そんな臆病者の儂にも、血の気が盛んで、若かりし頃があってなあ。あの頃の儂は無鉄砲でのう、力任せに敵をねじ伏せてきた。じゃがある時……その無謀が災いして、儂は多くの臣下たちを失った。儂がこの生涯で一度だけ味わった敗北じゃ。それ以来、儂は戦い方を変えた。例え石橋であっても叩きながら渡り、深い堀があれば埋めてから前へと進む――確実な一歩が勝利への近道。戦や計略に博打は不要じゃ」
静かに耳を傾けるレナにタイガーが胸の内を伝える。
「レナよ。そなたには儂と同じ苦しみを味わってほしくはない――これは父の想いじゃ」
かつてないほど父の優しい声。レナは瞳を閉じると顔を俯かせた。
娘を見つめるタイガーだったが、ここでソファーから立ち上がる。
「父上?」
「――儂も出陣の準備をせねばならぬ。ウィルダネスの『ノーラン・ファイター』を討てば良いのじゃろ?」
「――ええ。あの者は、私たちが新王政を発足する前に討っておきたい害悪な存在。新時代に悪しき時代の産物はいりません」
「新時代か……」
タイガーは微笑を浮かべながら天井を見上げる。そしてレナが改まった様子で父に尋ねる。
「父上。この大仕事、お願いしても宜しいでしょうか?」
「可愛い娘の頼みじゃ。断れんのう」
虎はニヤリと笑って応えた。
「――出陣は明後日、二日後の朝。レオよ、お前も準備を整えておくのじゃ」
「はっ!」
タイガーは窓に映る自分の顔を見つめる。
(――我が人生、最後の大戦じゃ。若かりし頃のように大暴れするのもありかもしれんのう……)
虎はそう心の中で呟くと自身の腹部に手を添えた。
――夜も耽った頃。
王都クボウ邸の一室には、ベッドの上で横になるクラフト夫妻の姿があった。既に部屋の照明は消されているが、夫婦は天井を見上げながら言葉を交わしていた。
「――まさか、君が王都のヒーローの仲間入りを果たすとはな……」
「ええ、私も予想外だよ。突然奥様に香水を吹き掛けられて女神様に変身した時は、まるで夢を見ているような気分だったわ」
「ハハッ。そいつは災難だったな」
「でも凄いんだよ! いざ女神様に変身してみたら、自分でも信じられないほどの勇気と力が湧いてきて、おまけに強力な空想術まで使えちゃうんだから!」
月明かりに照らされながら、瞳を輝かせて無垢な少女のように語るソフィア。そんな愛妻を角刈りが愛おしく見つめる。
「――私も明日から忙しくなりそうだわ。カエデちゃんとジョーソンさんから色々と教えてもらわないとね!」
「ああ。そうだな……」
「それじゃあ、そろそろ寝ましょうか。昨晩はあまり寝れていないし、あなたも疲れたでしょ――?」
ソフィアが夫に問い掛けたその時――彼女の身体が太い腕によって優しく抱き寄せられる。
「あなた……?」
「ソフィア。君のことが愛おしくて……たまらない……」
「ウフフ。突然どうしたの?」
彼女はそう聞きながらヨネシゲの胸元に顔を埋める。そして角刈りが彼女の頭を撫でながら――
「――今晩はもう少しだけ起きててくれないか? 君は何もしなくていいから――抱かせてほしい」
「うん……いいよ……でも……優しくしてね……」
「もちろんだ……」
ヨネシゲは愛妻の前髪を掻き上げ――
「……ほんとに君は美しいよ……」
ソフィアは角刈りの頬を優しく撫でる――
「………貴方も男らしくて素敵だよ……」
見つめ合う二人は次第に引き寄せられる。
その唇が、ゆっくりと、ゆっくりと――
「――マロウータンよ〜! 儂だ! バンナイだ! 起きておるか〜?!」
バンナイだ!
突然、老年大臣の大声が連打の呼び鈴と共に響き渡る。驚いたクラフト夫妻はベッドから勢いよく身体を起こす。
「今夜は、お預けだな……」
「ええ……」
苦笑の夫妻は上着を羽織ると、玄関へと急行した。
――クラフト夫妻が玄関に到着すると、既にクボウファミリーとその使用人たちが集結。その向かい側――玄関扉前にはバンナイの姿があった。
マロウータンが不機嫌そうにして同輩に要件を尋ねる。
「バンナイよ! こんな時間に何用じゃ!? 儂とハニーの熱々イチャイチャな時間を邪魔しおって!」
「まあそう怒るな。お前に朗報だ」
「朗報じゃと?」
首を傾げる白塗り顔。バンナイはその様子を横目にしながら、玄関の外に控えさせていたある人物たちを呼び寄せる。
やがて姿を現したのは、貴族風の衣装に身を包んだ坊ちゃん刈りの童顔青年と、クボウ軍の軍服を身に纏った中年の大男。二人の姿を目にしたマロウータンが瞳を大きく開く。
「アッパレ……リキヤ……!」
真夜中にクボウ邸を訪れた二人は――マロウータンの甥「アッパレ・クボウ」と、クボウ家臣「リキヤ」だった。
主君とは別ルートでカルム領から王都に向かっていたアッパレとリキヤ。クボウの軍勢と共に先ほど王都に到着したばかりだ。
飛び跳ねて喜ぶマロウータンを一同微笑ましく見つめる。
(アッパレ様とリキヤ様も無事合流できた。これで明日から王都特別警備隊も本格始動だぜ。ヨッシャ! 張り切っていくぞっ!)
ヨネシゲは期待に胸を躍らせた。
――だが、ヨネシゲたちは知らない。三日後に王都が大混乱に陥ることを。
つづく……




