第267話 黄昏の図書室
冒険小説を片手にテーブルを挟んで向き合う男女は――シオンとヒュバートだ。両者の父による粋な計らいで二人は今、仮婚約状態にある。
今朝からシオンはヒュバートの案内で城内を隅々まで見学していた。この図書室に入ったのはつい先程のことである。
ヒュバートがホッとした様子で言葉を漏らす。
「――やっぱり、図書室が落ち着くよ。僕の私室みたいなものだからね」
「フフッ。本好きのヒュバート王子にとって図書室は天国のような場所ですね」
二人は互いの顔を見つめながら微笑みを浮かべる。
ヒュバートは大の本好き。暇さえあれば読書に没頭し、この図書室に丸一日入り浸ることも珍しくはない。そしてシオンも読書を趣味の一つとしている。男女は、推しの冒険小説を教え合い、話に花を咲かせる。そして会話の流れでシオンが今日一日のことを振り返る。
「――冒険といえば、今日の城内巡りも私にとって大冒険でしたわ。あんなに多くの仕掛けや秘密が隠されていたとは驚きましたよ」
「喜んでくれたなら良かったよ。でも隠し部屋や隠し通路のことは周りに言いふらさないでよ? 王族やごく一部の者しか知らない極秘事項なんだからね」
「あら!? そんな秘密を私に教えてしまって良かったのかしら?」
するとヒュバートは頬を赤く染め上げながら言う。
「問題ないよ。だって君は――僕のフィアンセ……王族の一員になるんだから……」
その言葉を聞いたシオンも赤面させる。
「そ、そ、そうですわね!」
二人は恥ずかしそうにして本に視線を落とした。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れるが、シオンがある話題を切り出す。
「――それにしても……」
「なんだい、シオン嬢?」
「あ、はい……ヒュバート王子って年下ですのに頼りになるなぁと思いまして……」
「そ、そうかな……?」
「いやその! 嫌味で言っているのではありませんよ!? 私が知る年下の令息たちは皆頼りにならない者たちばかりでして――」
かなり大人びた印象の南都令嬢シオンの年齢は20歳。対する童顔の王子ヒュバートの年齢は18歳。年齢の差はそこまで大きくないが、シオンは年下の男性に偏見を持っていた。それは「年下男子は頼りない」である。詳細は割愛するが、これは彼女が今日まで出会ってきた年下の男性たちに抱いていた感情であり、今日まで複数回も縁談が実らなかった原因の一つでもある。しかしヒュバートにはそのような感情を抱くことはなかった。
「――ですが、一昨晩のヒュバート王子はとても逞しくて……頼りがいがあって……一緒に居て本当に心強かった……」
シオンは胸に両手を当てながら嬉しそうにして言う。一方のヒュバートは苦笑を見せる。
「フフッ。そんなことはないさ。僕だってあの巨大髑髏を前にして凄く怯えていたんだよ? 君だって気付いていただろう? 僕の手と体が震えていたことを……」
「ええ。確かに震えてましたわ。ですが……それでもヒュバート王子は怯える私を抱きしめ続けてくれました。もし王子が居なかったら私はパニックに陥っていたことでしょう」
「でも、もっと僕に力があれば……己の非力さを痛感したよ」
「そんなことはありませんわ! あの時の王子は誰よりも逞しく、輝いておりました。他の令息たちは腰を抜かしたり逃げ回っている者ばかりでしたからね」
「そう言ってもらえると僕も報われるよ」
「武勇伝しか語れない腰抜け令息たちよりずっとご立派でしたわよ!」
「フフッ。君、口が悪いんだね」
「フッハッハッハッ! よく言われますわ!」
高笑いを上げるシオン。するとヒュバートがどこか暗い表情で顔を俯かせる。
「シオン嬢……」
「はい。どうかしましたか?」
「あの、その……君は本当に僕なんかでいいの? 僕は君が思っているほど出来た男じゃない。僕は兄上たちと違って、空想術や武術、学問などが秀でている訳では無い。おまけに根暗で、引っ込み思案で、内向的で、口数も少ない。こんな僕と一緒に居てもつまらないと思うよ?」
ヒュバートは弱々しい声でそう言い終えると、シオンの返事を待った。すると令嬢から予想外の返事が帰ってきた。
「はい。つまらないですね」
「……え?」
それは彼が期待していた答えではなかった。シオンは王子の言葉を否定する事なく、きっぱりと「つまらない」と伝えた。彼女の返事にヒュバートは顔を青くさせると、声を震わせながら口を開く。
「そ、そうだよね……僕みたいな何の取り柄もない根暗な男なんて……つまらな――」
「それがつまらないのです!」
「!!」
ヒュバートの言葉を遮るシオン。呆気にとられている王子に令嬢が説教。
「いいですか? ヒュバート王子。自分を過小評価する殿方と一緒に居て、誰が楽しいと思いますか? 確かに、誰にだって欠点はあります。パートナーになって初めてお相手の欠点に気付くこともあるでしょう。でも、それを指摘し合って正したり、補ってあげることが、パートナーの役目だと思っております。そして王子の場合はご自身の欠点をよく理解していらっしゃる。ならば、まずはご自身の欠点を改善する努力をしましょうよ? ご自身を過小評価する男ほどつまらないものは他にありませんよ!? おわかりになりましたか!?」
「は、はい……」
鼻息を荒くしながら説教を終えるシオン。一方のヒュバートは言葉を失ったまま令嬢を見つめる。だが直後、シオンはハッとした表情を見せると、慌てた様子で頭を下げ、テーブルに額を着ける。
「も、も、も、申し訳ありません! 私としたことがとんだご無礼をっ!!」
謝罪。
彼女の絶叫が黄昏の図書室に轟く。
程なくするとヒュバートの声がシオンの耳に届いてきた。
「シオン嬢、頭を上げて」
「は、はい……」
――きっと王子は心底不快な思いをしている筈。シオンが恐る恐る顔を上げると、彼女の瞳に映り込んだのは、夕日に照らされながら優しい笑みを浮かべるヒュバートの姿だった。
「ヒュバート王子?」
「――ここまで僕に説教してくれたのは君が初めてだよ。父上にも母上にもここまで言われた事はなかった……」
「も、申し訳っ――」
「待って!」
再び頭を下げようとするシオンをヒュバートが言葉で制する。
「僕は怒っている訳じゃないよ。寧ろ、嬉しいんだ。僕の事を想って本気でここまで言葉をぶつけてくれるなんて――お陰で目が覚めたよ」
そしてヒュバートはテーブルの上に置かれたシオンの手を優しく握る。
「ヒュバート王子……?」
「今、気付いたよ。僕の人生には君が必要だっていうことが――」
王子は握った彼女の手を自分の元まで引き寄せると――その手の甲に唇を当てた。
「――シオン嬢。君は絶対に手放さないよ」
「ぷしゅーっ!!」
「!?」
赤面のシオンは全身から水蒸気を放射。まるで茹でダコのようにテーブルに這いつくばった。
(――どこが……どこが……根暗で引っ込み思案ですか!? 寧ろ積極的すぎですわっ!)
「シ、シオン嬢? 大丈夫かい?」
「はい〜、だ……大丈夫です〜」
茹でダコシオンを心配するヒュバート。
――その時。
ある女性の悲痛な叫びが図書室に轟いた。
「こんなの! 私は絶対に認めませんわ!」
「ボ、ボニー嬢!? 何故ここに!?」
そこに現れたのは赤髪巻き毛の貴族令嬢「ボニー・サイラス」だった。彼女は王都領主「ウィリアム・サイラス」の実妹にして――ヒュバートの幼馴染だった。
悔しそうな表情で唇を噛むボニー。瞳に涙を溜めながらヒュバートに詰め寄る。
「ヒュバート王子! こんな南都の田舎令嬢と婚姻するとは真なのですか!?」
「――ボニー嬢、言葉を慎むんだ。シオン嬢に失礼だろう?」
「失礼なのはヒュバート王子ですよ!?」
「僕が?」
「ええそうですよ! どうして幼馴染の私ではなく、一昨日ひょこっと現れた田舎令嬢なんかと婚姻されたのですか!? 説明してください!」
「ボニー嬢、まずは落ち着こう……」
怒号を上げるボニー。ヒュバートは彼女を落ち着かせようと言葉を掛ける。一方のシオンは二人の会話を不安げな様子で静観する。
「――ボニー嬢、落ち着いて聞いてほしい。まだ彼女と正式に婚姻を交わしたわけではないが………僕はシオン嬢を妻にすることを決めたよ」
「そ、そんな……嘘……嘘よ……ヒュバート王子……お願いだから……嘘って仰って……」
青ざめた表情で発言の撤回を求めるボニー。だが、ヒュバートは首を横に振る。
「――もう決めた事なんだ。諦めてほしい……」
「どうして……どうしてなの……? 私の何処が悪かったの……? 私がずっとヒュバート王子に想いを寄せていたのは知ってたでしょ!? それなのにどうして……」
「……ごめん……」
ヒュバートは申し訳無さそうに顔を俯かせる。それを見たボニーは――
「ヒュバート王子の馬鹿っ!!」
「!!」
ボニーはテーブルに載っていた本を掴み、それをヒュバートに向かって投げ付けると、泣きながら図書室を飛び出していった。
立ち尽くすヒュバート。そこへシオンが歩み寄っていく。
「ヒュバート王子……」
「すまないね、シオン嬢。見苦しいところを見せてしまった……」
心配そうに見つめるシオンにヒュバートは微笑み掛ける。
「君が気に病む必要はないさ。これは僕と彼女の問題だからね」
そして彼は静かに自分の想いを口にする。
「――彼女は僕の数少ない友達――親友なんだ。少々口は悪いけど、友達思いな彼女のことを僕は心の底から慕っている。だけど……それ以上の感情が芽生えてこない……僕にとって彼女は――恋人未満の存在なんだ……」
「ヒュバート王子……」
ボニーの片思い――それは実らない恋だった。
つづく……




