第264話 ネビュラの愛娘
――時は昼下がり。ちょうどヨネシゲがグレースの聴取を行っている頃だ。
ドリム城内・国王の私室では、この部屋の主が食後の果実酒を楽しんでいた。
「――実に有意義な時間であった……」
ネビュラはグラスに入った果実酒を見つめながら、ご満悦の表情で独り言を漏らす。彼は、先程自分の元を訪れたヨネシゲ一行との交流を思い返していた。
「実に気持ちの良い連中であった。こんな俺に嘘偽りない言葉と眼差しで接してくれるのだからな――」
ネビュラはグラスに入った果実酒を一気に飲み干す。
「……大事にせねばな……」
国王はそう呟きながら、果実酒が入った瓶に手を伸ばす。
その時である。部屋の扉がノックされたのは。と同時に、控えめに発せられる女性の声が扉の外から聞こえてきた。
「お父様、私です……」
「おお! ノエルか! 入れ入れ!」
ネビュラに招き入られて部屋の中に姿を現したのは、彼から「ノエル」と呼ばれる小柄な女性。
青色のショートヘアと桃色の瞳の持ち主。物静かな印象の微笑みを浮かべる彼女の正体は、国王と亡き側室の間に生まれた姫「ノエル・ジェフ・ロバーツ」だ。ネビュラの愛娘である。
彼はノエルの姿を見るなり鼻の下を伸ばしながら手招き。自分が腰掛けるソファーの隣に座らせる。
「おお、ノエル。いつ見ても可憐だな。トロイメライ一の美女だ!」
「フフフ。お父様、恥ずかしいからおやめください。それに昼間からお酒はお身体に障りますよ?」
「……そうだな。昼間の酒は今後控えるとしよう」
ネビュラはノエルから注意を受けると、持っていた果実酒の瓶をローテーブルの上に置く。そして愛娘に要件を尋ねる。
「それにしてもこんな時間に何用だ? 授業の方はどうしたのだ?」
「はい。改革戦士団の襲撃で『空術大』は臨時休校となっております。ですので、今日はお父様と一緒にゆっくり過ごそうと思いまして……」
『空術大』――それは彼女が通う『王立空想術技大学院』の略称。王国内でもごく一握りの者しか通うことができない超エリート校だ。王族とはいえ超難関の入学試験を突破しなければ入学は認められない。そしてノエルは昨年その難関試験に見事合格し、空術大の入学を果たした。彼女は現在、医学と最上級の空想治癒術を同時に学んでおり、医療のスペシャリストを目指している最中だ。
尚、第一王子エリック、第二王子ロルフもこの大学院の出身者であり、戦闘系の空想術などを中心に学んでいた。空術大は他にもオジャウータンやタイガーなどのレジェンドも輩出している。ちなみに……ネビュラは入学試験で不合格となり、空術大の入学は叶わなかった。
「――クックックッ。嬉しいことを言ってくれるではないか」
「フフフ。今、お茶を淹れますね」
ノエルはソファーから立ち上がると手際よく紅茶を用意する。ネビュラは亡き妻の面影が感じられる愛娘の後ろ姿を微笑ましく見つめていた。
ノエルの実母――つまりネビュラの側室は五年程前に病に倒れて他界している。
ノエルにとってネビュラは城内で唯一の肉親だ。故に彼女は実父である彼をとても慕っている。大学院での授業や課題に追われる中、こうして暇を見つけては父親との時間を大切にしているのだ。そしてネビュラもまた、自分に懐いている娘をとても愛おしく思っている。
「はい、お父様。ハーブティーでございます。どうぞ」
「うむ。頂こう――」
ネビュラは娘が淹れたハーブティーをひと啜り。鼻を通り抜けていく香りを楽しむ。その父の様子を微笑ましく見つめながらノエルが言う。
「――お父様。噂は聞いておりますよ。昨晩は素晴らしいご活躍をされたようですね」
「クックックッ……俺は大したことをしていない。有能な臣下たちがあの場を収めてくれたからな」
「いえ、大したことをしております。負傷した民たちの治癒に尽力されていたと聞き及んでおりますよ?」
「まあ、応急処置程度しかできなかったがな」
ネビュラは驕り高ぶることなく、ハーブティーをもうひと啜り。するとノエルが父親の腕に身を寄せる。
「どうしたノエル?」
「――いえ……私はとても感激しているのです。お父様がこうして民たちと向き合ってくれて……こんな日が来ることを……私はずっと信じておりました……」
「ノエル……」
嬉しそうに笑みを浮かべるノエル。その瞳から一筋の涙が流れ落ちていた。
昨晩、輝かしい活躍をみせたネビュラ。その功績を称賛する声が聞かれる一方、手のひら返しのような行動に冷ややかな声も多く聞かれる。無理もない。彼はつい先日まで「暴君」と呼ばれるほどの暴政を敷いて、民たちを苦しめていたのだから。当然、多くの民の反感を買っている訳であるが、その怒りの矛先はネビュラのみならず、王族にも向けられている。そしてそれはノエルも例外では無い。真面目な彼女だから心を痛めていた筈だろう。にも拘らず自分を慕ってくれる娘。ネビュラは急に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
国王は愛娘を抱き寄せる。
「お父様?」
「すまないな、ノエル。お前には色々と気苦労を掛けた。だが、もう安心してくれ。お前をこれ以上悲しませるような真似はしない。これからは――お前が胸を張って誇れる父親を目指していく。だから、こんな父を見守ってくれるか?」
「ええ。もちろんです」
父親の決意。娘は眩しい笑顔で応えた。
「――さて。湿っぽいのはもうお終いだ」
ネビュラはそう言うと歯をむき出しながら愛娘を見る。
「クックックッ。実はな、お前のために、また新たに花壇を作ることにしたのだ」
「わぁ! 本当ですか? 嬉しいです! でも……」
花好き愛娘のために父親がサプライズ。ノエルは一瞬喜んだ様子を見せるも、その表情をすぐに曇らす。透かさずネビュラがその理由を尋ねる。
「どうしたんだ、ノエル? 嬉しくはないのか?」
「いえ。とても嬉しいのですが――私なんかの為に、使用人の皆さんの手を煩わせてしまうと思うと……心苦しくて……」
申し訳無さそうに顔を俯かせるノエル。そんな愛娘を愛おしそうに見つめながらネビュラが言う。
「案ずるな、ノエルよ。今回は特別にスペシャルな使用人を二名も雇ってある」
「スペシャルな使用人……ですか?」
父の言葉にノエルは首を傾げた。
――ドリム城内・庭園の一角。
新たに花壇が新設される予定の芝生上には――鍬を持ちながら睨み合う二人の親子の姿。
角張った顔の父親が息子に言う。
「フン! 俺はこっちを耕す。お前はあっちを耕せ!」
「言われなくてもそうするさ」
息子の真四角野郎はスコップで芝生の上に線を描くと父親に忠告する。
「ここから先は俺のテリトリーだ。邪魔するんじゃねえぞ? 頑固ジジイ!」
「フン! それはこちらの台詞だ。鼻垂れ小僧!」
親子は歯を剥き出しながら睨み合い――
「「フン!」」
互いにそっぽを向くと、己のテリトリーで芝生を耕し始めた。
つづく……




