第263話 取調室(後編)
ヨネシゲが訴え終えると取調室は沈黙に支配される。角刈りが熱い眼差しを向ける先―――グレースはどこか表情を曇らせながら俯く。その様子をノアが静観していた。しかし、妖艶美女は口を閉ざしたまま。ヨネシゲは催促するようにして返答を求める。
「グレース先生、黙っていたらわからないだろう? 返事を聞かせてくれ」
すると彼女は悲しげな微笑みを見せながら顔を上げる。その口を静かに開いた。
「ウフフ……ヨネさん、相変わらずお優しいのですね」
「いや。俺は決して優しくしているつもりはない――」
ヨネシゲは彼女の言葉を否定。再び熱く訴え掛けようとする。
「俺はなあ、心の奥底からグレース先生に改心してほしいと思って――」
「お断りしますわ」
「!!……ど、どうしてだよ? グレース先生……」
グレースはヨネシゲの言葉を遮るようにしてその願いを跳ね返す。彼女の返答に角刈りは険しい表情を見せると、腕を組みながら息を大きく漏らす。
グレースは視線を落としながら胸の内を語る。
「――どれだけ罪を償おうとしても、大罪人というレッテルは一生付いて回るわ。例え殺めた相手が救いようのない悪徳貴族や犯罪者だったとしても、その十字架を一生背負っていく自信など私にはありません。もっとも……弟の復讐を終えた時点で私は死に場所を探していました。頃合いを見計らって自ら命を絶つつもりでしたが――ズルズルとここまで来てしまったわ。ウフフ……でもちょうど良い機会。これで極刑を受ければ、ようやく弟の元に行けるわ。だからヨネさん、余計な気遣いは無用よ。もうここで終わりにさせて……」
思いの丈を語り終えたグレース。微かに口角を上げながら天井を見上げる。一方の角刈りは呆れた様子でため息を吐いたあと、言葉を口にする。それは彼女の思いを打ち砕くものだった。
「グレース先生、笑わせないでくれよ。罪も償わずにあの世に行こうだなんて考えが甘すぎるぜ。死して罪を償おうと思っているのかもしれねえが、グレース先生の考えは単なる逃げだ。そんなんじゃ弟さんが居る天国には行けないぞ?」
グレースは嘲笑気味に笑う。
「ウッフッフッ! 天国とか地獄とかって……ヨネさんはそんな迷信を信じているのですか?」
だが角刈りは彼女の言葉を跳ね返す。
「いや。そもそも命を絶って弟さんの所に行けるっていう考え自体が迷信なんじゃねえか?」
「……っ!」
「命を絶ったからといって弟さんと再会できる保証はどこにもねえぞ? それに――大好きだった弟さんを想うことができるのは、生きている今この時だけだ。死んじまったら……本当の意味で弟さんに会えなくなる……そう、グレース先生の心の中で生き続けている弟さんと――」
「ふざけたこと言わないでっ!」
「!!」
突然、怒号を上げるグレース。ヨネシゲの言葉を遮った。直後、彼女は悲痛に満ちた表情で言葉を漏らす。
「――生きているから……弟のことを想ってしまうから……とても辛いのよ……! どれだけあの子を想っても……もう会うことは叶わない……この私の気持ち……貴方に理解できる……?」
グレースは悔しそうに唇を噛み締める。そしてヨネシゲから返ってきた答えは意外なものだった。
「……貴女の気持ちは……痛いほど理解できる……」
「え?」
グレースは驚いた様子で角刈りの顔を見つめる。
「……冗談は止してくださいよ。ヨネさんみたいな順風満帆な人生を送っている人に、私の気持ちの何が理解できるっていうの?」
妖艶美女は怒りを滲ませながら問い掛ける。一方のヨネシゲは鼻で笑う。
「フッ。グレース先生こそ、俺のこと何もわかっちゃいないようですね」
「何ですって?」
眉を顰める彼女にヨネシゲが続ける。
「まあグレース先生が知らないのも無理もねえ。この事は妻や子供にも話していない――誰も知らない俺の秘密だからな」
「秘密ですって?」
「ああそうだ。あまり詳しいことは話せねえが、実は俺もな――遠い昔のある日、再愛の人を殺害されてしまった。全てを失ったよ……」
「え?」
「その男はな……罪を償うこともなく、今もこのトロイメライ各地で蛮行を働いている。改革戦士団の一員としてな」
「!!」
ヨネシゲは語る。
現実世界でソフィアとルイスがダミアンによって殺害されてしまったあの日の記憶を――この空想世界で起きた出来事に置き換えて。
「――そう。ヨネさんにもそんな過去が……」
「ああ。だから俺はグレース先生の気持が痛いほど理解できるんだ。どれだけ最愛の人を想っても、あの日の彼女たちは帰ってこない……」
ヨネシゲは瞳を閉じると感傷に浸る。一方の彼女も悲しみを帯びた表情で顔を俯かせた。ノアはそんな二人の様子を険しい顔つきで見守る。
程なくするとヨネシゲがグレースに語り掛けるようにして口を開く。
「――俺の手も、グレース先生と同じように血塗れだ。勿論、俺も善良な人々は手に掛けていない。俺が殺めたのは、話し合いが通用しない悪党や憎き改革戦士団の戦闘員たちだ。全ては大切な人たちを守るため、この乱れた秩序を取り戻すためにな。立場や所属する組織は違うかもしれねえが、グレース先生がやろうとしていた事は俺と同じなんじゃねえか?」
角刈りが質問を投げ掛けるが妖艶美女は否定。
「……いいえ。私がした事はただの復讐。その後の行いは復讐の延長線よ。ヨネさんとは訳が違う」
「そうか。だがな……例え殺めた相手が悪党や改革戦士団の戦闘員だったとしても、例え罪に問われなかったとしても、俺はその十字架を一生背負って生きていくつもりだ。皆に等しく与えられた命、それを奪ってしまった責任はしっかりと果たしていくつもりだ」
「責任?」
「ああそうだ。先程も言ったが、俺は大切な人、この国の秩序を守るために殺生を行った。ならばその責任を生涯全うしなければ、俺は無益な殺生を行ったことになる。俺の責任――俺が成し得ないといけないことは、この国の秩序を取り戻して、大切な人たちが平穏に暮らせる世を作る事だ。壮大過ぎる夢なのかもしれない。だけど、そこへ向かって突っ走ることが――俺にとっての使命であり、償いだ」
角刈りは、黙って話を聞く妖艶美女に尋ねる。
「グレース先生、昨晩言っていたよな? 悪徳貴族共を一掃してクリーンな世界を作りたいと?」
「……ええ。確かにそんな夢を口にしていたわね……」
「なら、グレース先生の責務はその夢に向かって突っ走ることだ。それが貴女にできる一番の償いだ。理由はともあれ、奪った命を無駄にしちゃいけねえ……」
説得するようにして言う角刈りにグレースが訊く。
「――簡単に言いますけど……私のような大罪人がどのような形で理想郷に向かって突っ走ればいいのですか? 極刑を免れたとしても、社会奉仕活動でできることなんて限られていますよ?」
そのグレースの疑問に答えたのはノアだった。
「お前にその気があるなら旦那様の家来としてサンディで働けばいい。ウチにはお前のような連中がわんさか居る。実際、俺もその内の一人だからな……」
「ウフフ。サンディ家は随分とお人好しのようですね」
「ああ、それは俺も否定しない。旦那様がどんどんと荒くれ者を召し抱えてしまうからな。だが――」
ノアが鋭い眼差しをグレースに向ける。
「旦那様の顔に泥を塗るような真似は許さねえ。それがサンディ家の鉄の掟だ。掟を破るような奴が居れば――俺たちが直接裁きを下す。命は無いと思え」
ノアの言葉を聞いたグレースが態とらしく身体を震わせる。
「おお怖っ。そんなところに居たら命が幾つあっても足りないわね」
「安心しろ。俺が知る限り、今日まで掟を破った奴は一人もいない。皆、己が果たすべき責務を全うしようと頑張っている」
「皆さん真面目なのね。息が詰まりそうだわ。それに私なんか召し抱えたら、あの子の貞操が危うくなるだけよ?」
「ある程度の制限はあるが束縛するようなことはない。慣れれば居心地が良いだろう。まあ……旦那様の貞操に関しては旦那様個人の問題だ。俺が口を出す問題じゃねえ。その辺は好きにしろ」
「え? 良いの!?」
瞳を輝かすグレース。ここでヨネシゲが彼女に覚悟を問う。
「グレース先生、考え直してくれたか? くどいようだが、貴女には罪を償ってほしい――いや、償わなければならない。十字架を背負う覚悟を決めてほしい……!」
グレースは瞳を閉じると口角を上げる。
「――そうね。ヨネさんの言う通りかもしれません。全部は無理だけど、この世で犯した罪をある程度精算しないと、向こうの世界に居る弟に合わす顔がありませんからね……」
「と、言うことは……!?」
ヨネシゲは身を乗り出しながら妖艶美女の返事を待つ。そして彼女の口が開かれた。
「――願わくば……私に償いの場をお与えください。私が命を奪った者たちの十字架は……命ある限り背負っていく所存でございます」
グレースは覚悟を口にした後、ヨネシゲにある頼みをする。
「ヨネさん。私のお願いを一つ聞いてくれますか?」
「お願い?」
「ええ。もし……この先私が再び道を踏み外すような事があれば――その時はヨネさん、貴方の手で私を始末してください」
「俺が……?」
驚いた表情を見せる角刈りにグレースが続ける。
「私を引き止めたのはヨネさんでしょ? だったら、その責任を負うのもヨネさんの役目。違うかしら?」
ヨネシゲが笑いを漏らす。
「ナッハッハッ。グレース先生には敵わねえな。わかったよ。その時は、心を鬼にして、この拳で裁きを下してやる。だけど――」
ヨネシゲは彼女の瞳を真っ直ぐと見つめる。
「――そうならない事を願ってる。グレース先生、責務を全うしてくれ」
「ええ……」
この後、ヨネシゲとノアの手でグレースの本格的な聴取が行われる。尚、後日サンディ軍に同行しているフィーニス領の法官が裁判を行い、彼女に裁きを下す予定だ。
つづく……




