第262話 取調室(前編)
――ドリム城内・取調室。
机を挟んで向き合う男女。
男性は、小柄で可愛らしい銀髪の少年。表情は無のまま、卓上の一点を見つめる。彼はフィーニス地方領主「ウィンター・サンディ」だ。
ウィンターはこれから行われるある女性の取り調べのため一足先に取調室に入り待機していた。今は臣下ノアの到着を待っている訳だが――彼は目のやり場に困っていた。その理由は目の前の容疑者にある。
その容疑者は、金髪お団子ヘアの艶っぽい女性。胸元が大きく開かれたシャツからは豊かな膨らみと深い谷間を曝け出す。空想錠が装着された手で頬杖をつきながら、妖艶な笑みで目の前の少年を凝視する人物は――改革戦士団第三戦闘長「グレース・スタージェス」だ。
昨晩、王都西保安署に勾留されていたグレースは、改革戦士団サラたちの手助けで脱走。その直後、駆け付けてきたヨネシゲらと対峙。角刈りとの一騎打ちに敗れた彼女は再び御用となった。その身柄はサンディ家に拘束され、今後彼女はサンディが所領とする「フィーニス領」の法で裁かれることになる。
彼女の身柄が王都保安局に引き渡された場合、王都の厳しい法で裁かれる。そうなると極刑は免れないだろう。一方、フィーニス領の法が適応された場合、同じ罪でも軽い刑で済むことがある。彼女が犯した罪 (悪徳貴族や犯罪組織の襲撃) を考慮すると、社会奉仕活動という形で償い場を与えられる可能性が十分あり得るのだ。
グレースの身柄を保安局に引き渡さず、敢えてサンディが拘束した理由――それは、彼女の更生を心から願うヨネシゲの意を、ウィンターが汲んだためだ。あとは彼女に生涯十字架を背負い続ける覚悟があるかどうかで、今後の減刑が左右されるだろう。
――グレースからの執拗な眼差しを感じる中、ウィンターが時折取調室内の掛け時計に視線を向ける。
(遅いですね。ノアに早く来てもらいたいのですが――この人と二人っきりは疲れる……)
一昨晩もそうだったが、艶っぽく口角を上げながら、まるで餓えた肉食獣のようなオーラを放つグレース。ウィンターはそんな彼女が苦手だ。そして今はその彼女と密室で二人っきり。彼は一人でこの取調室に足を踏み入れてしまったことを後悔していた。
ウィンターが大きく息を漏らしていると、グレースの呼び掛ける声が耳に届く。
「――ねえ、守護神さん」
「あ、はい。何でしょうか?」
銀髪少年が咄嗟に視線を移すと、彼女は相変わらず妖艶に微笑みながらこちらを凝視。甘い声を漏らす。
「ウフフ、やっとこっちを見てくれましたね。そんなに恥ずかしがらないでくださいよ」
「は、恥ずかしがっている訳ではありません」
と、強がってみせる。少なくとも聴取を行う者が容疑者に弱みを見せる訳にはいかない。だが、無意識のうちに彼女から視線が逸れていく。グレースはそれを指摘。
「ほら、また目を逸らす。流石の守護神さんも私の色気には敵わないようですね」
グレースはウィンターの顔を覗き込むようにして嘲笑。
(うう……お願いだから……そんな目で見ないでよぉ……)
銀髪少年が目を泳がせていると、妖艶美女が一昨晩、歓楽街でウィンターに逮捕された際のことを振り返る。
「――それにしても。もう少し私も警戒するべきでしたわ」
「警戒?」
「ええ。一昨日の夜、歓楽街で出会した美少年が、まさか守護神ちゃんだったとは思いませんでしたよ。完全に油断してました。知ってると思いますけど、あの後とても大変でしたのよ?」
あの後――守護神は歓楽街でグレースを制圧するとその身柄を保安局に引き渡した。王都内の事案だったため保安局側に配慮した形だ。しかし結果として、彼女は保安署で非人道的な酷い拷問を受けることになる。ウィンターが拷問の事実を知ったのは昨晩のこと。保安官たちへの聞き取りで明らかになった。
銀髪少年は険しい表情で言葉を口にする。
「話は聞いております。未だに保安局であのような拷問を行われているとは驚きました。そのことをもっと早くに把握していれば、最初から貴女をこちらで拘束していたのですが――」
彼女が拷問を受けることになってしまった原因は自分にもある。ウィンターが申し訳無さそうに顔を俯かせると、彼を気遣うようにしてグレースが言う。
「ウフフ、お気になさらず。拷問を受けたり、獣野郎に犯されてしまったのは当然の報いです。それに、どのみち私に待っているのは死罪ですからね……」
それでも守護神は保安局の愚行に憤りを隠しきれない。
「いえ……そういう問題ではありません。例え相手が死罪を免れない大罪人であっても、人権を無視した拷問は許されません。このような事が行われてしまったことは――同じ王国側の人間として恥ずかしい限りです……」
「あら、真面目ですのね――」
これも彼を気遣ってのことだろうか。グレースが話題を変える。
「そういえばウィンター様。私の怪我を治癒してくださったそうですね? お陰で身体が物凄く楽になりましたわ。一応お礼を言わせていただきますよ。助けてくれてありがと」
謝意を伝えるグレース。だが、ウィンターはいつもの無表情を見せると毅然とした態度で言葉を返す。
「礼は無用です。私は決して貴女に情けを掛けたつもりでありませんので。負傷した状態では、まともな取り調べも叶いませんからね。致し方なくです」
「あら? 顔に似合わず意外と生意気なのね」
「――顔は、関係ありません……」
無表情を貫くウィンターだったが、やや頬を膨らましムッとした表情を見せる。その愛らしい姿に――グレースの悪い虫が騒ぎ始める。
「――ウフフ。でも生意気な男の子は嫌いじゃないわよ? だって……そういう子に限って……ちょっと意地悪しただけですぐに泣いちゃうんですもの……」
「意地悪……?――にゃっ!?」
突然、ウィンターが驚いた様子で声を裏返すと、グレースが態とらしく尋ねる。
「あら? どうかしました?」
「……ど、どうかって……そ、その……あ、脚が……」
ウィンターは恥ずかしそうに顔を俯かせながら目を瞑る。
この時、机の下ではグレースが不埒な行動――彼女は自慢の美脚をウィンターの脚に絡めていたのだ。
ウィンターは脱出を図るため席から立ち上がろうとするも、グレースはその椅子を足で引き寄せて、彼の逃亡を阻止。妖艶美女は銀髪少年の反応を楽しむようにして彼の脚に美脚を這わせる。そのむず痒い動きは足首から始まり、次は脹脛、膝、太腿、そして――
「ま、待ってください! それ以上は……!」
ウィンターが慌てた様子で制止を求める。顔を赤面させながら、瞳に涙を溜めて。
「あらあらウィンター様、そんな可愛らしいお顔もできるんですね。そっちの方が余っ程お似合いですよ?」
「……もう……やめてください……然もなくば……氷漬けにしますよ?」
「ウフフ。怒った姿もまた可愛らしいですね……」
グレースは守護神に警告されると、ようやく脚の束縛を解く。だがこれに懲りず、彼女は嘲笑気味に銀髪少年に訊く。
「ウフフ。ウィンター様は女性に対する耐性が全くありませんのね? もしかして――女の子と手を繋いだことも無いのでは?」
「……っ!」
予期せぬ質問にウィンターは赤面。グレースはここぞとばかりに捲し立てる。
「どうやら図星のようですね。それにしても一国の公爵様とあろう者が女の子と手を繋いだことも無いとはビックリです! おまけに私なんかに弄ばれているようでは、いずれ悪い女に嵌められて痛い目に遭うことでしょう。――これは特訓が必要ですね」
「……特訓……ですか……?」
グレースは不敵に口角を上げる。
「ええ。ウィンター様が女に慣れるための特訓です。一昨日の仕返し――いえ、昨晩治癒していただいたお礼を兼ねて、私が女を教えて差し上げましょう――」
「ま、待って……!」
グレースは舌なめずり。彼女が椅子から立ち上がり、ウィンターの元へ歩みを進めようとしたその時だった。
――取調室の扉が開かれる。
「旦那様、お待たせしま――」
「ノア!」
扉の外から現れたのはノアだった。
ウィンターは臣下の姿を目にした途端、勢いよく椅子から立ち上がる。そして臣下の元まで駆け寄ると、その体に抱き付いた。当然ながらノアは動揺。
「うわっ!? ど、どうしたんですか、旦那様!?」
ウィンターは涙を含ませた瞳でノアを見上げると、顔を赤く染め上げながらグレースを指差す。
「あの者は何も反省してません! このままでは償いの場を与えることなどできませんよ!? この愚か者をしっかりと叱りつけておきなさい! いいですね!?」
「……え? あ、はい――って、ちょ、ちょっと、旦那様、取り調べは……?」
ウィンターは早口でノアにそう伝えると、ご立腹の様子で取調室から飛び出していった。
呆気に取られていたノアだったが、直後グレースを半目で見つめる。
「お前……一体、旦那様に何をしたんだ?」
「ウフフ……可愛かったので、ちょっとからかっただけよ。でも、あの子には少々刺激が強すぎたみたいね……」
ノアは大きく息を漏らすとグレースに注意。
「ハァ。ウチの旦那様をあまり虐めないでくれよな。ああ見えても結構繊細なんだ。――お前は俺たちの質問に大人しく答えていればいい。さあ、わかったらとっとと座りな」
「はいはい。言われなくても今座るところよ。まったく、口煩いお兄さんですこと」
彼女は少々文句を口にしながらも大人しく着座。直後、ノアの背後に隠れていたヨネシゲが姿を見せる。角刈りの顔を目にしたグレースがいつもと変わらぬ妖艶な微笑みを浮かべる。
「ウフフ……ヨネさん、ごきげんよう」
「元気そうですね、グレース先生」
「ええ、お陰様でね。昨晩のヨネさんの熱い一発、とても効きましたわよ」
「ナッハッハッ、相変わらず冗談が上手いな。ま、あまり手荒な真似はしたくなかったのですがね――」
ヨネシゲはノアに促されると、グレースと向き合うようにして椅子に腰掛ける。角刈りたちが席に着いたのを見計らって、妖艶美女は先程から引っ掛かっていたある事をノアに尋ねる。
「ねえ、お兄さん。あの子さっき、『償いの場』とか言ってたけど……一体なんの事かしら?」
「知らないな。そりゃ俺が聞きたい」
『償いの場を与える』――それはヨネシゲが望むグレースの処遇。だが角刈りの願いを知っているのはウィンターと、ごく一部の者だけ。この事は聴取前のグレースは勿論、つい先程まで休養を取っていたノアの耳にも入っていない。状況を理解できていない二人にヨネシゲが割って入り説明を始める。
「――そのことなんですが……」
「なんです、ヨネさん?」
グレースは艶っぽく微笑みながら身を乗り出すようにして角刈りの顔を見つめる。一方の角刈りは険しい表情を見せると、真剣な眼差しをグレースに向ける。
「――グレース先生。俺は、貴女には罪をしっかりと償ってもらいたいと思っている。そのために貴女の身柄をサンディ様の方で預かってもらっているんだ」
「私のために? どういうことかしら?」
不思議そうに首を傾げるグレースに角刈りは続ける。
「王都の法で裁かれたらグレース先生は間違いなく極刑だろう。だけどフィーニスの方だったら――望みはある。それにウィンター様は慈悲深いお方だ。まだ断言はできねえが、きっとグレース先生に『償いの場』を与えてくれるはずさ――」
そしてヨネシゲは、机の上に置かれた彼女の手錠がされた両手に、自身の分厚い手を重ねる。
「グレース先生――もう一度やり直そう」
角刈りはグレースにそう伝えると、熱い眼差しで訴える。だが――彼女は表情を曇らせながら、瞳を伏せた。
つづく……




