第241話 三つの一騎打ち 〜ノアVSジュエル〜(後編)
薄暗い部屋の一角。
檻の中で拘束器具を装着されている女は、私。
この部屋の外に出たことがなければ、生まれてこの方、日の光も見たことがなかった。
――私が知っている世界は、この部屋の中のことだけ。
親の顔を知らない私でも、自分がリアル種の父とバーチャル種の母との間に生まれた「ハーフ種」という人種だということは知っている。他にも私が「検体」と呼ばれていることや、ここがウィルダネスという街にある研究所だということも理解している。
地下にあるこの部屋は実験室と称されており、拘束器具を装着された若い男女たちがひっきりなしに連れて来られる。服などは着せられておらず、腕には焼き印――そう。この人たちも私と同じ「検体」だよ。
やがて白衣を着た男たちが、連れてきた男女たちの腕や首に注射を突き刺す。すると数時間後には息絶えて部屋の外へと運び出されていく。
(――すぐに楽になれるあなた達が、羨ましいよ……)
一方の私は、この苦痛に21年も耐えてきた。私は特殊な個体だったらしく、白衣の男たちから「優良個体」などと呼ばれていた。
白衣たちから博士と呼ばれる男が気色悪い笑みを浮かべながら言う。
『今回の実験もよく耐えてくれたな。お陰で新たに品種改良した具現草の良いデータが取れそうだ――』
苦痛に耐える日々。こんな生活がずっと続くんだろうな。そう思っていた。
――だけど、その日は突然やってきた。
実験室を襲う轟音と衝撃。飛び交う白衣たちの悲鳴。その刹那、実験室に現れたのは――漆黒のロングコートを羽織る黒髪の青年だった。
『だ、だ、誰だ、お前は!?』
『ハッハッハッ! 誰だっていいだろ? それよりも、俺はお使いを頼まれててね。具現草に関する資料、全部差し出してくれるか?』
『な、なんだと!? あれはノーラン様から管理を任されている大切な代物。どこの馬の骨だかわからない若造に渡すわけにはいかん!』
拒む博士に黒髪の青年が右手を構える。
『あっそ。なら今すぐ灰になってもらうだけだ』
『ま、待て! わかった! 資料は全部お前にくれてやるから、ワシを殺すな!』
『フフッ。最初から言うことを聞いていればいいんだよ』
――部屋の奥に消えていく二人。程なくすると博士の断末魔が轟いた。直後、黒髪の青年が満足そうな笑みを浮かべながら戻ってくる。その右手には黒い鞄が持たれていた。
『さて。目的の資料は手に入れた。とっとと帰って昼寝でもするか――』
青年はそのまま部屋を後にしようとする。私はその後ろ姿を見つめながら、根拠のない思い込みをしていた。
(きっとこの人なら私を助けてくれる……だって、私の大嫌いな博士たちを倒してくれたんだから!)
気付くと私は彼に向かって救いを求めていた。
『……ま、待って! 私をここから出して! お願い! 出して!』
必死に訴える私の声に気付いた黒髪の青年がこちらに近寄ってきた。
『へぇ~。いい女じゃん! おまけにいい体してやがる……』
黒髪の青年は焼き印がされた私の腕にゆっくりと視線を下ろした。
『――なるほどね……』
すると、黒髪の青年は構えた人差し指から光線を放って檻を焼き切る。彼は私に装着された拘束器具を外すと、一糸まとわぬこの身体にコートを着せてくれた。
『――来い』
彼はそう言って私の手を握る。だけど――立てない。私には自力で立ち上がるだけの体力と筋力がなかった。
『なんだ? 立ち上がることもできねえのか?』
『うん……』
『仕方ねえな……』
すると彼は私の身体を持ち上げ横抱きにしてくれた。そして地上へと通じる長い階段を登り始める――私がまだ見ぬ、新しい世界へと向かって。
その途中、彼は名前を教えてくれた。
『――俺の名前はダミアン・フェアレスだ』
『ダミ……アン……?』
『ああそうだ。そんで……お前の名前は何て言うんだ?』
『……検体147番……』
『なんだぁ? 名前もねえのか……』
やがて、長い階段を登り終えた先には眩しすぎる光。長年薄暗い地下の実験室で過ごしていた私にとって外の光は刺激が強すぎる。それでも私は瞳を細めながら外の光に目を慣らそうと頑張った。そして――私は意を決して瞳を開く。
『わぁ……』
私は感嘆の声を漏らした。
そこは小高い丘の上。
澄み切った青い空、照り付ける温かな日差し、雪化粧するウィルダネスの街並みが瞳に映る。
初めて目にする外の世界。
外がこんなに広くて、綺麗だなんて……
私は感激のあまり涙を流した。
するとダミアンが私の顔を覗き込む。
『宝石のように綺麗な目してるぜ……よし、お前は今日からジュエルって名乗れ』
『ジュ……エル……?』
『そうだ。ジュエルだ。良い名前だろ?』
『うん! ジュエル……ジュエル……!』
彼は私に名前を授けてくれた。
鼓動が高鳴る、口角が上がる、涙が止まらない。これがきっと「嬉しい」という気持ちなんだ。
――その後、ダミアンに連れて来られたのは「改革戦士団」と呼ばれる組織のアジト。そこで総帥のマスター、サラやソードたちと出会う。みんな私のことを温かく受け入れてくれた。
――私は改革戦士団の一員として、新たな人生を歩むことになった。
そんなある日。いつものようにダミアンとお酒を飲んでいた時のこと。彼がこんなことを口にする。
『――ジュエル。お前はこの世界の所為で散々な目に遭ってきた。今ある世界はお前の敵だ。この世界が憎いだろ?』
『うん、憎いよ……』
『だから俺たち改革戦士団は、このくだらない世界をぶち壊して、新しい世界を作ろうとしているのさ』
『新しい世界?』
『ああそうだ。俺は総帥さんたちと作る新しい世界をこの目で見てみたい。ワクワクするよな! フッフッフッ……』
『それがダミアンの夢なの?』
『夢? フフッ。まあ、夢とでも言っておこうか』
――ダミアンの夢。
私に名前と生きる場所を与えてくれて、新しい世界まで見せてくれた恩人の夢。
――叶えてあげたい。
私の心はすぐに決まった。
『なら……ダミアンの夢、私が叶えてあげるよ! 私も総帥たちと協力して今の世界をぶち壊して、ダミアンに新しい世界を見せてあげる!』
『――ジュエル。無理に俺たちに付いてこなくてもいいんだぞ?』
『いいの! だってダミアンは――私に新しい世界を見せてくれた恩人だもん! 今度は私がダミアンに新しい世界を見せる番だよ。その為だったら私は――どんなことでもやってみせる!』
『フッハッハッハッ! 頼もしいねえ! 期待してるぜ、ジュエル!』
『うん!』
私は決めた。
例えそれが正しい道じゃなかったとしても、恩人の夢を叶えるためだったら――私は鬼になる。
(――私に名前を付けてくれた人、私に新しい世界を見せてくれた人、私に生きる場所を与えてくれた人――ダミアン。あなたには返しきれないほどの恩がある! あなたの夢を叶えてあげるまで、私は死ねないよ!)
――ジュエルの闘志に火が付く。
「――うおぉぉぉぉっ!!」
絶叫のジュエル。
彼女はノアに向かって水晶の矢を放った。と同時に空想術を発動。水晶の剣と鎧兜を発生させ完全武装。炎の豹の猛攻に備える。
その間に水晶の矢が炎の豹を射抜く。だが炎で形成された猛獣は、水晶の矢という物理攻撃を物ともせず、ジュエルに飛び掛かった。
「かかってきなさい! ぶった斬って鎮火してやる!」
渾身の一振り。
ジュエルの水晶剣が前方から襲い掛かる炎の豹を斬り裂く。その斬撃の威力は炎豹の火力を凌駕。その勢いを封じ込める。
「散れ!」
これを好機と判断した彼女は身体を一回転させると、剣の軌道上に入った側方、後方の炎豹を次々と両断。豹を作り出していた青い炎を分散させる。炎豹は姿を消した。
「この勝負もらったわ!」
今頃、敵は水晶の矢に射抜かれている筈。ジュエルは僅かに口角を上げながらノアに視線を向けるが――
「う、嘘でしょ!?」
桃色髪の身体には炎豹の残骸――青色の火炎が纏わりついていた。
一方のノア。
ジュエルが炎の豹と格闘していた頃。彼は水晶の矢の脅威に晒されていた。
水晶の矢は青色の炎豹をすり抜け、豹人間に迫る。
「アンタの好きにはさせねえよ!」
ノアは両腕をクロスさせ防御態勢をとると、一瞬のうちにその身体に青色の炎渦を纏わせる。周囲の瓦礫を巻き上げながら巨大化するそれは炎の竜巻だ。
そうこうしているうちに水晶の矢がノアの身体に――到達せず。例外なく水晶の矢も竜巻に巻き上げられていく。
「その程度の威力じゃこの竜巻は貫けねえよっ!」
ノアの咆哮。
それを耳にしたサンディ軍の兵士たちから雄叫びが上がる。しかし――それは一瞬の出来事だった。
「……うぐっ!? そう来やがったか……」
突然ノアの顔が青ざめる。何故なら地面から突き出た水晶の槍に胴を貫かれているのだから。
「そりゃ……反則だろ……おい……」
ノアは苦笑を浮かべながらそう呟いた。
全方向を防御していたかと思われた炎渦の竜巻。だが下方向からの攻撃はノーマークだった。
豹人間は自身の身体に刺さった水晶の槍を掴むと、それを握力で粉砕。だがその傷口から大量の血液が漏れ出していた。
「……旦那様……申し訳……ありません……俺……もう……ダメ……かも……」
ノアは全身を脱力。両膝をついた後、そのまま地面に倒れ込んだ。
ちょうど同じ頃。
ノアと対峙していたジュエルも苦悶の表情で悲痛な叫び声を漏らしていた。
ジュエルに絡み付く青色の火炎は、彼女が装備している水晶の鎧兜を熱していく。高温になったそれは桃色髪に耐え難い苦痛を与える。当然彼女は空想術を駆使して、熱を防ぐためのバリアを素肌に纏うが、それを以てしても焼けるような熱さがジュエルを襲う。
「――きぁぁぁぁっ!! 私はっ! こんな所で焼き死ぬわけにはいかないのよ!」
己を奮い立たせるジュエル――だったが、高温の火炎を受け続けていた水晶の鎧兜に無数のヒビが入る。その刹那、鎧兜が粉砕された。その衝撃は爆発の如く。砕け散ったそれは弾丸となり、至近距離に居た桃色髪の腕や脚、胴を射貫く。
「……そ……そんな……まだ……死にたくないよ……ダミアン……助けて……」
彼女もまた、両膝を落とすと、その場で力尽きた。
「ジュエル!?」
その様子を目撃したサラが急いで彼女の元へ駆け寄る。
「ジュエル! しっかりしなさい!」
「……サラ……ごめんね……ごめんね……もう少しだけみんなと……一緒に居たかった……」
「縁起でもないことは言わないの……」
ジュエルの傷口を見てサラは安堵の息を漏らす。幸いにも急所は外れていた。とはいえこの状況はサラにとって想定外だった。
(――まさか、ジュエルがやられるなんて……これじゃ昨日の二の舞じゃないの……これ以上の失敗は許されない。ここは一気に方を付けたいところ……だけど……)
ノアとジュエルの一騎打ちは相討ちという結果で終わった。改革戦士団としてはグレースとチェイスの奪還という本来の目的を果たしているため、今が引き際と言える。だが、同時進行で行われている二つの一騎打ちは激化していた。
(下手に私が介入すれば、グレースたちにも危険が及ぶわね……)
サラは引き続き静観する選択肢を選ぶ。そして彼女が視線を向けた先には、睨み合う白塗り顔と冷酷猛犬の姿があった。
つづく……




