第230話 メルヘンの夜(前編)
王都メルヘン・ドリム城「国王の私室」
チェス盤を挟み向かい合うのは、国王ネビュラと王弟メテオだ。対局はメテオが優勢。対するネビュラは盤上を凝視。次の一手を打つため眉間にシワを寄せながら思考を巡らしていた。そんな兄を見つめながらメテオが言葉を漏らす。
「――それにしても兄上。昨日といい今日といい、あれはまずかったですな……」
弟の言葉を聞いたネビュラが顔を上げる。
「あれだと?」
「はい。大切な臣下に手を上げてしまったことです」
その言葉を聞いた途端、暴君は不愉快そうに息を漏らしながら、盤上の駒を進める。
「はぁ……。まだそれを言うか? あの後ウィンターには謝罪したではないか?」
「謝れば済むという問題ではありません」
弟の毅然とした返事。兄は脅すように言う。
「ぬぅ。メテオよ。この俺に説教を――」
「私の大切な兄だからこそ説教をするのです!!」
「!!」
ネビュラはメテオに言葉を遮られた。その凄まじい気迫と実弟から「大切な兄」と言われたことに、彼は反論することができず。メテオは前置きしたうえで兄に訊く。
「兄上。ご無礼を承知でお聞きしますが、兄上を心から慕ってくれる臣下は何人おりますか?」
「……っ!」
その質問は矢の如く。ネビュラの心に深く刺さる。言葉を失い唇を震わせる兄にメテオが続ける。
「私が知る限り、私と兄上の教育係を務めてくれた宰相スタンくらいしか思い浮かびません」
更にメテオは耳を塞ぎたくなるような事実を伝える。
「一見すると兄上に忠実な臣下たちも、大半の者は己の私利私欲を満たすために従っているだけです。残りの者たちは兄上からの仕打ちを恐れ、渋々言うことを聞いているに過ぎない……」
すると暴君は開き直った様子で声を荒げる。
「ああ、わかっているさ! 俺に人望が無いことくらい言われなくても理解している。俺に近寄ってくる連中など己の私腹を肥やそうとしている者ばかりだ。忠誠などうわべだけに過ぎん!」
「――ですが、それでも兄上に味方してくれる臣下は数人おります。その内の一人がウィンターです。あの子は義理堅い。恐らく我々を裏切るような真似はしないでしょう。最後の最後まで味方でいてくれる筈です――そう信じたい……」
目を伏せるネビュラにメテオが厳しい言葉を突きつける。
「兄上。今のような行動や言動を続けていれば、味方をしてくれる者は誰一人居なくなりますぞ!? 即ちそれは、兄上が玉座から転落することを意味します。ですが、兄上が王道を歩めば、忠誠を誓う臣下は自ずと増えていくことでしょう。もしそれが叶わないのであれば――いずれ王妃殿下やタイガー殿に足を掬われますぞ!」
「な、何だと!? やはりあの二人は何か企んでいるのか!? クソッ! レナめっ! タイガーと共謀し、俺の寝首を掻くつもりだなっ!?」
弟の意味深な発言に慌てふためくネビュラ。その様子に目もくれず、メテオは盤上の駒に手を伸ばす。
「――チェックメイト」
「!!」
見つめ合う兄弟、流れる沈黙。メテオが静かに口を開く。
「――兄上。今ならまだ間に合います。手遅れになる前に考えを改めてください」
「フン! 今更俺に何ができる?」
「特別なことをする必要はございません。この国の王という仕事を、責任を、全うしてもらうだけで良いのです」
「今の俺には……それすらも満足にこなせないぞ?」
「その点はご安心ください。私が全力で兄上をお支えいたします。私は――どこまでも兄上の味方でございます……」
「メテオ……」
真っ直ぐとした瞳で訴えかけるメテオ。一方のネビュラは瞳を閉じると思慮に耽るのであった。
――同じ頃。
ドリム城内・第三王子の私室。
向かい合い、ローテーブルに置かれたボードゲームを無表情・無言で睨んでいるのは、この部屋の主であるヒュバートと、王都守護役ウィンターだ。
寡黙で表情が乏しいこの二人。類は友を呼ぶとは言うが、似た者同士ゆえか気が合うようで、心を許している仲である。
そしてこの主従。語り合わなくても心が通じ合う――ということはなく、ヒュバートが口を開く。
「――ウィンターよ。こんな所で油を売っていてもよいのか? 父上の護衛があるんだろう?」
「ご安心ください。陛下からお休みの許可を頂いております」
「そうか。なら良いのだが……それにしても、お前の方からボードゲームのお誘いがあるとは予想外だったぞ? どういう風の吹き回しだ?」
ヒュバートに尋ねられると、ウィンターはどこか暗い表情で俯く。
「今は――何かに没頭したい気分なのです。どうか、最後までお付き合いください……」
彼の表情の理由を察した王子は、謝罪の言葉と共に頭を下げる。
「噂は聞いているぞ? 父上から酷い仕打ちを受けたらしいな。息子として恥ずかしい限りだ。辛い思いをさせてしまい、本当にすまなかった……」
「お、王子!? 私はそんなつもりで……! 頭をお上げください!」
頭を下げる主君に慌てた様子のウィンター。ヒュバートは頭を上げるとその彼を気遣うようにして微笑み掛ける。
「こうしてウィンターとボードゲームができて僕は嬉しいよ。ここ最近は顔を合わす機会も無かったからな」
「はい。ここ2年程は戦が続いておりましたからね」
「そうだったね。ゲネシスの魔王オズウェルと、ウィルダネスの猛獣ノーラン、そして僕の祖父タイガーを同時に相手してたんだ。そりゃ多忙な訳だ。しかし、これを全て退けてしまうとは……流石、守護神だよ」
ヒュバートは褒めたつもりだったが、臣下は哀しげに微笑む。
「自分の身一つ守れない男が、守護神などと呼ばれても……」
「まあそう言うな。お前が空想術を使わなかった事情は理解しているつもりだ。父上や貴族たちの身を案じてのことだろう?」
「ええ……」
「やっぱりお前は凄いよ。だけど無理は禁物だぞ? 僕はお前の身のほうが心配だよ。友が傷付くのは辛い……」
「王子……」
しんみりとした雰囲気となったところで、ヒュバートがボードゲームの続きを再開させる。
「さあ、気を取り直して『華麗なる煎餅屋オカキと365人の愉快な仲間たち』の続きをしようではないか!」
「それにしても……凄いタイトルですね、これ」
「だな。でもこのボードゲーム、使用人たちの間で流行っているんだ。内容がかなり謎だけどね……」
「ふふっ。確かに謎ですね」
表情乏しい二人から笑みが溢れる。
それからしばらくボードゲームを楽しんでいた二人。ここでウィンターがある話題を切り出す。
「時に王子」
「なんだ?」
「クボウ閣下のご令嬢と婚約を交わされるとは真でございますか?」
臣下の問い掛けにヒュバートは苦笑を浮かべる。
「フフッ。まだ決まった訳ではないぞ? これからお見合いをして、お互いの気持ちを確かめるところだ。まあ、シオン嬢が根暗な僕なんかに興味はないと思うけど……」
「そうでしょうか? 噂によると、昨晩お二人は良い雰囲気で寄り添っていたとか。本物の恋人同士みたいだったと聞いておりますよ?」
「なっ!?」
ウィンターの言葉を聞いたヒュバートの顔が一気に赤く染まる。
(もうそんな噂になっているのか!? 確かに思い返してみれば、多くの者たちが居る前で彼女を抱き寄せていた。噂になっても仕方ない。だけど……あんな積極的に……とても僕の行動だったとは思えないよ……)
恥ずかしそうにしながら昨晩の記憶を辿るヒュバート。すると守護神がいつもの無表情で主君の顔を覗き込む。
「して……王子のお気持ちは?」
「え?」
「王子はシオン嬢のことをどう思われているのですか?」
赤面のヒュバートはそっぽを向く。
「き、聞くなっ! そ、それよりもウィンター! お前も一国の公爵なんだ。そろそろ妻を迎え入れる準備をしておいたほうがいいぞ?」
「ふふっ。王子はわかりやすいですね」
「う、うるさい! さあ、続きだ続きだ!」
その後もボードゲームを続ける主従。二人から年相応の笑みが絶えることはなかった。
――ここは王都中央部・王都領主サイラス家の屋敷。
この屋敷の主は赤髪の青年――王都領主「ウィリアム・サイラス公爵」が帰宅する。
「今帰った」
「お兄様、お帰りなさいませ。お勤めご苦労さまです」
ウィリアムを出迎えたのは、赤髪巻き毛の妹「ボニー・サイラス」である。彼女は兄の顔を見るなりその異変を直ぐに察する。
「お兄様? 顔色が悪いようですが……? お城で何かありましたか?」
「……っ!」
妹の問い掛けにウィリアムの顔が強張る。そして彼は右手で握る空想杖に視線を向ける――先程、守護神を殴打した杖に。だがウィリアムはすぐに視線を戻す。そして心配そうにして自分を見つめる妹に微笑みかける。
「案ずるな、ボニー。何もない……」
「そうですか……」
ウィリアムはボニーと共に屋敷の廊下を移動する。その最中、彼は妹にある話題を切り出す。
「そういえば、ボニー」
「なんでしょう? お兄様」
「いや。陛下がクボウに縁談を持ち掛けたそうだ」
「縁談……ですか……?」
「ああ。陛下はヒュバート王子とシオン嬢をくっつけようとしているらしいぞ」
「……え?」
「昨晩、王子はシオン嬢と仲睦まじく寄り添っておられたからな。陛下もその様子をご覧になってこれだと思われたのだろう。残念だったな。お前の片思いもお終いのようだ。ハッハッハッ――」
「――そ、そんな……」
「ボ、ボニー……?」
ボニーは足を止める。兄が振り返ると、妹は絶望の表情を見せながら立ち尽くしていた。
「……嘘よ……こんなの……絶対に嘘よ……!」
潰える片思い――
つづく……




