第227話 クボウ邸の夜(露天風呂・前編)
注意:このお話にはヨネシゲ、マロウータン、ドランカドの入浴シーンが含まれます。苦手な方はご注意ください。
引き戸を開いた先――そこは湯けむりの世界だった。足元に視線を下ろせば石畳の床。その先には湯けむりの源である広々とした浴槽。周りに目を向ければこの空間は竹柵で囲まれており、その向こう側は竹林が広がっている模様だ。そして真上を見上げれば満点の星。
――そう。ここは「露天風呂」である。
この広々とした露天風呂がクボウ邸の敷地にあるのだから驚きだ。
全裸のヨネシゲとドランカドは、目の前に広がる旅館のような露天風呂を見て感嘆の声を漏らす。
「すげぇ。まるで高級旅館の露天風呂だぜ……」
「そうっすね〜。流石、公爵に匹敵する南都伯マロウータン様のお屋敷だ……」
角刈りと真四角は辺りを見渡しながら洗い場まで足を進める。
「おう、ドランカド。俺が背中を流してやるよ!」
「え? いいんですか? 嬉しいな〜。あ、でも俺が先にヨネさんの背中流しますよ!」
「いいから、座って座って! 今日あった事は……この湯で全部流してやらねばな……」
「ヨネさん……」
ドランカドは申し訳無さそうに、それでいて嬉しそうに微笑みながら、風呂椅子に腰を落とす。
ヨネシゲは早速スポンジを手に取ると、石鹸で泡立てからドランカドの背中を洗い始める。
「どうだ? 痛くないか?」
「へへっ。ちょうど良いっすよ! こうしてヨネさんに背中を洗ってもらえる日が来るなんて……もう俺……思い残すことはありません……」
「フッ。何言ってやがるんでぇ……」
ご満悦の表情のドランカド。真四角野郎は竹柵の向こう側から立ち込める湯けむりを見つめながら呟く。
「はぁ。あの柵の向こう側に女湯があるのか……俺の混浴の夢が潰えたぜ……」
そう。この屋敷の露天風呂は男湯と女湯で分かれている。とは言っても目の前の竹柵一枚で仕切られているだけだ。あの竹柵の向こう側はヨネシゲたちにとって禁断の領域となっている――
落ち込む真四角をヨネシゲが笑い飛ばす。
「ガッハッハッ! 残念だったな、ドランカド。まあ、例え混浴だったとしても、俺たちが奥様やシオン様と一緒に風呂に入るなんてあり得ねえ話だ」
「確かにそうですね。はぁ〜、俺もソフィアさんと一緒に湯船に浸かりたかったなぁ。あわよくばソフィアさんの背中を流してあげて……そして前の方も念入りに……ウヘッ……ウッヘッヘッ……」
刹那。ヨネシゲは桶に入ったお湯をドランカドの頭にぶっかける。
「ゴボゴボゴボッ!?」
「何言ってやがる!? このスケベ野郎が! いくらお前とはいえ、ソフィアの身体には指一本触れさせねえからな!」
「じょ、冗談っすよ……」
ドランカドは苦笑いを浮かべながら夜空を見上げる。
「俺も美人な奥さんが欲しいっすね……」
ヨネシゲは、再びドランカドの背中をスポンジで擦り始めると、彼の女性の好みを聞く。
「そういや、お前はどんな女性が好みなんだ?」
「そうっすね……やはり、家庭的でお淑やかな、優しい年上の女性ですかね〜」
「へぇ。ドランカドは年上の姉ちゃんが好きなのか。見た目はどんな子が好きなんだ?」
「へへっ。やっぱり髪は金髪か銀髪のロングヘアですかねえ。背が高くて、スタイルも良くて、胸とお尻が大きい人がイイっす! まさしくソフィアさんみたいな――ゴボゴボゴボッ!?」
再びドランカドの頭に大量の湯が投下される。
「まったく、お前って奴は。ソフィアをそんな目で見てたのか?」
「す、すんません。ソフィアさんがあまりにどストライクなものでして。あんな美人さんはそうそういませんよ……」
「うむ……気持ちはわかるがな。まあ、素敵な奥さんが見つかるといいな!」
「はい!」
「そんじゃ、次は俺の背中を流してくれ」
「へい。只今!」
今度はヨネシゲが風呂椅子に腰を掛けると、ドランカドはその背中を洗い始めた。
その頃、男湯の脱衣所にはマロウータンとクラークの姿。老年執事は主君の衣服を一枚一枚丁寧に脱がしていく。その最中、白塗り顔がクラークに訊く。
「爺よ」
「なんでございましょう?」
「たまには爺も一緒に入らぬか?」
マロウータンが誘うもクラークはゆっくりと首を横に振る。
「お誘いいただき、とても嬉しゅうございますが、まだ後片付けがあるゆえ。それに――ヨネシゲ殿やドランカド殿と湯に浸かる機会も今まで無かったことでしょう。今日は主従水入らず、男同士裸の付き合いで親睦を深めてくださいませ」
「あいわかった。爺の気遣い、無駄にはできんのう」
クラークを見つめながら微笑みを浮かべる白塗り。一方の老年執事はマロウータンが履いている下着を両手で掴む。そして――
「さあ、行かれよ! 旦那様!」
クラークは掴んでいた下着を一気に引っ張り、脱がした。
生まれた状態の姿になったマロウータンは、跪く老年執事を見下ろす。
「行って参る!」
白塗り顔は力強い声でそう伝えると、引き戸を開き、湯けむりの世界へと飛び込んで行った。
一方の角刈りたちも、湯けむりの中から現れた人影に気付く。
「「マロウータン様!」」
白塗りの姿を見たヨネシゲとドランカドは、膝を折り主君を出迎える。
「マロウータン様。お先に入らせてもらってます」
「良い良い。そう堅苦しいのは良さぬか」
「「ありがとうございます――」」
角刈りと真四角は主君を見上げる。だが――彼らの視線は主君の顔ではなく、股間に向けられていた。
ヨネシゲたちは思わず言葉を漏らす。
「――閣下……これは随分とご立派なモノをお持ちで……」
「ほよ?」
「これぞ南都級……コレで毎晩、奥様を泣かせていたわけっすね……」
白塗りの顔が真っ赤に発光する。
「ぶ、ぶ、無礼者っ!!」
ぺしぺしっ! ぺしーん! ――ぺしん!
炸裂するハリセン乱れ打ち。
頭を押さえるヨネシゲとドランカドにマロウータンが怒声を上げる。
「そなたらっ! 無礼にも程があるぞよっ! 主君のモノを凝視するだけでは飽き足らず、我が妻を出しにするとは! 儂は今、猛烈に激怒しておるぞっ!」
激怒の主君にヨネシゲとドランカドは慌てた様子で額を床に付ける。
「も、申し訳ございません!」
「すみません! 調子に乗りすぎました!」
土下座する全裸の角刈り男が二人。それを仁王立ちしながら見下ろす同じく全裸の白塗り顔の男――酷い構図である。
必死に謝る二人を見つめながらマロウータンは息を漏らす。
「――まったく、世話が焼ける家臣じゃ。これが陛下だったら、そなたらの首は今頃飛んでおるぞよ?」
「「申し訳ございません……」」
「今日からそなたらは貴族なのじゃ。品位を持った発言を心掛けるのじゃぞ?」
「「承知しました!」」
正座する二人の角刈り。白塗り顔はその二人の股にあるモノを目にすると、不敵に口角を上げ、鼻で笑うのであった。
「――さて、背中でも流してもらおうかの!」
「「はい! 喜んで!」」
風呂椅子に腰掛けた主君の背中を角刈りと真四角は細心の注意を払いながら丁寧に洗い始める。
だがしかし。マロウータンは体をビクッとさせる。そして不気味な声を漏らす。透かさずヨネシゲが尋ねる。
「ウホッ……ほよっ!」
「マ、マロウータン様? ど、どうかされましたか?」
「くすぐったいぞよ。そんな丁寧に洗う必要はない。もっとゴシゴシと洗うのじゃ」
「「は、はい……」」
「ヨネシゲよ。そなたは前の方を洗ってくれ」
「へ? へい……」
その後、ヨネシゲたちは主君の身体を隅々まで洗うことになった。
身体を洗い終わったヨネシゲたちは、湯に浸かりながら談笑を交わす。
「極楽極楽。ちょうど良い湯加減じゃな……」
「ええ、そうですね。疲れが一気に取り除かれる気分です」
「嫌なことも全部忘れられそうっす」
「ガッハッハッ。お前が言うと洒落にならんな」
少々汗が滲み出る程の湯加減。男たちは時折額の汗を手や腕で拭う。白塗り顔のマロウータンも同じく汗を拭うが――ヨネシゲはある違和感を覚える。
「マロウータン様……」
「なんじゃ?」
「ご無礼を承知でお聞きしますが……」
「もったいぶらずに申せ」
「はい。その白塗りのメイク、雨やお湯に濡れても全然落ちてないようですが……何か特別なカラクリでも?」
ヨネシゲの質問を聞いたマロウータンが吹き出す。
「ウッ! ウッホッハッハッ! カラクリかぁ〜。ヨネシゲよ、そなたも面白い事を申すのう!」
「あはは……どうも……」
そしてマロウータンは白塗りに隠された秘密について説明する。
「お察しの通り、この白塗り顔にはちょっとした仕掛けがされておってのう。空想術の効果で汗や雨、例え滝から流れ落ちる水であっても弾いてしまうのじゃ」
――それは防水加工。或いはコーティングと言ったところだろうか。この白塗り顔に掛かったありとあらゆる液体は、空想術の効果で全て弾かれてしまうのだ。故に白塗りのメイクが水分で落とされることはない。とはいえ日々のメンテナンスは欠かせないもの。マロウータンは説明を続ける。
「――じゃが、表情を巧みに動かす儂じゃからな。どうしても白塗りにヒビが入ってしまう。毎晩就寝前には必ず手直しをしておるぞよ」
白塗りメイクに隠された秘密については理解した。それでも尚、一つだけ疑問が残る。角刈り頭が恐る恐る主君に尋ねる。
「なるほど。寝る前に手直ししているのですね。それで――朝起きて顔を洗う時や、風呂に入った時にメイクを落としたりすることは無いんですか?」
その質問に白塗りから驚きの答えが返ってくる。
「落とすようなことは無い」
「えっ?」
「中等学院の入学と同時に白塗りメイクを始めたが、その日以来一度もこのメイクを落としておらんぞよ」
「「えーっ!?」」
衝撃的な事実に絶叫する角刈りと真四角。一方のマロウータンは誇らしげに言う。
「今となっては、常時この白塗りメイクをしているのは儂くらいじゃろう。他の者たちがこの白塗りメイクをするといったら儀式の時くらいじゃろうか。じゃが儂は、例え時代遅れと言われて笑われようとも、南都に古より続くこの伝統をこれからも続けていくつもりじゃ!」
何故か説得力がある主君の言葉に、ヨネシゲたちはただただ頷くことしかできなかった。
――その時である。
柵の向こうから、女性たちの楽しそうな声が聞こえてきたのは。
角刈りと真四角の目付きが変わる。
つづく……




