第220話 涙の理由
ドリム城の一室。
4人掛けのテーブルを囲むのはヨネシゲ、マロウータン、バンナイ、ノアの4人だ。
彼らは近日中に発足される「王都特別警備隊」について会議を行っていた。
改革戦士団の襲撃は王都の治安機関に大きな打撃を与えた。王都の治安を維持するため「王都特別警備隊」の編成が急がれた。急遽の編成ということもあり、警備隊を構成する各小隊の責任者たちはその準備と対応に追われていた。
その「王都特別警備隊」、総司令官に任命されたのが第三王子「ヒュバート・ジェフ・ロバーツ」だ。半ば国王ネビュラの気まぐれでこの重職を担うことになったが、彼は軍や保安隊の指揮命令は愚か、まともに公務すら経験したことがない。そんな彼のサポート役「補佐官」に任命されたのが、経験豊富な南都貴族「マロウータン・クボウ」だ。
補佐官は王都特別警備隊のナンバー2。トップの総司令官が未経験のヒュバートであるため、実質上、白塗り顔の指揮で「王都特別警備隊」は活動することになる。
マロウータンは早速、手隙のバンナイとノアを捕まえて意見を交わしている次第だ。ヨネシゲも同席して主君たちの会話に耳を傾けていた。
――気付けば、昼頃から降り続いていた雨は止み、トロイメライの空は黄昏に染まっていた。そしてこの後、バンナイは別の公務を控えているようで、数時間程行われていた会議も切り上げとなった。
マロウータンが締めの言葉を口にする。
「皆の衆、長時間ご苦労じゃった。明日はヒュバート王子にサンディ閣下、ゲッソリオ閣下とシャチクマン卿も交えて話を進めたい。方々調整を頼むぞよ」
一同、力強く頷くと席を立つ。
するとマロウータンは同僚バンナイを罵る。
「それにしてもバンナイよ。そなた自ら小隊長を引き受けるとは……老いぼれ爺さんが無茶しないほうがいいぞよ?」
その言葉を聞いたバンナイは顔を歪ませながら口角を上げる。
「フン! 鼻垂れ小僧が偉そうに。そう思っているなら、まともな指揮をしてくれよ、補佐官殿」
「当たり前じゃ!」
お互いに罵り合う2人だが、その顔はとても嬉しそうだった。
部屋を後にしたヨネシゲとマロウータン。バンナイ、ノアと別れると、城内本部長「モーダメ・ゲッソリオ」の元へ向かう。明日の会議の出席を求めるためだ。
ドリム城の長い廊下を進む主従は言葉を交わす。
「――ゲッソリオ閣下は非常に多忙ゆえ、会議の参加をお願いするのは正直心苦しいのう」
「とても忙しいお方だという噂はお聞きしましたが、そうも言っていられないのが現状ですね……」
「左様。閣下には泣いてもらおう――儂も泣きたい気分じゃ……」
「そうです――ねっ!?」
白塗り顔に視線を向けた角刈り頭は驚いた様子で瞳を見開く。何故なら主君の瞳から大粒の涙が止めどなく流れ落ちているのだから。
(心苦しいのはわかるけど、何も本当に泣くことないだろ!?)
ヨネシゲは苦笑いを浮かべながら言う。
「マロウータン様。お気持ちはわかりますが、何も涙まで流して泣くことは――」
「無礼者っ!!」
「!!」
ドリム城の廊下に『ぺしん!』という爽快な打撃音が響き渡る。
(何故ここでハリセン!?)
ヨネシゲは角刈り頭を両手で押さえながらしゃがみ込む。白塗り顔はその臣下を指差しながら絶叫する。
「そなたに儂の気持ちの何がわかるっ!?」
「……マ、マロウータン様……落ち着いてください……」
ヨネシゲは恐る恐るマロウータンを見上げる。そこには――ヒビ割れたデコレーションケーキのように白塗りの顔をしわくちゃにさせる主君の顔があった。彼は大量の涙と鼻水を垂れ流しながら掠れる声で娘の名を口にする。
「シオンよ……シオンよ……」
「シオン様に――何かあったのですか!?」
透かさず、ヨネシゲが不安な表情を浮かべながら尋ねる。すると白塗り顔はヨネシゲの胸ぐらをつかみ激しく揺さぶる。
「お、お、落ち着いてくだされ!」
「ウホーっ!! シオンが! シオンが! このままじゃ儂の元から巣立ってしまうぞよ! そんなの絶対に嫌じゃ〜!!」
そしてマロウータンは両膝を落とすと、子供のように泣きじゃくる。気付くとヨネシゲたちの周りには人集り。貴族や使用人たちは号泣の白塗りを呆然と見つめていた。
(マロウータン様といいドランカドといい、今日は目立ち過ぎだぞ……)
ヨネシゲは頭を抱えながら大きくため息を漏らした――
――時は少しだけ遡り、本日正午過ぎ。ちょうどドランカドとルドラが壮大な親子喧嘩を始めようとしている頃だ。
マロウータンは、現在リゲルの手中にあるクボウの所領「ホープ領」の領有権についてネビュラ、メテオと交渉していた。
南都を含むホープ領を手にすることはタイガーの悲願。虎入道は南都の動乱に乗じてクボウの所領を制圧した。今でこそ各地の領主は他領を侵しその権利を我が物にしているが、正式な領有権は王族が決めるもの。故にホープの権利はまだクボウにある。
とはいえ今回、クボウや南都所縁貴族に代わってリゲルが南都から改革戦士団を排除したのは事実。更には逆賊エドガーを生け捕り。ホープ領を手にすることができる様々な交渉のカードを手にしている。
間もなく戦勝報告のため王都に訪れるタイガー。褒美として南都及びポープ領の領有権を譲るよう求めてくる可能性が極めて高い。だがそれは、クボウとして全力で阻止しなければならないことだ。故にマロウータンはタイガーよりも先に王都入りし、王族と交渉している次第だ。
その話し合い。国王と王弟はクボウにとって前向きな考えを示してくれた。
ネビュラは口角を上げながら白塗りに伝える。
「安心しろ。タイガーの思い通りにはさせん。南都とホープ領は今まで通り、お前たちクボウと、南都所縁の貴族たちに治めてもらう。何を隠そう、お前たちも此度の動乱で立派に戦った戦士たちなのだからな!」
と、調子の良いことを言ってみせるネビュラ。だがその兄の言葉にメテオも同調する。
「兄上の言う通りだ。確かにタイガー殿には南都を救ってもらった。だからと言って彼らに南都とホープを簡単に与えるつもりはない。お前たちクボウやバンナイたち――南都所縁の貴族たちは命がけで故郷のために戦ってくれた。散っていった者たちのためにも、私はお前たちに南都とホープを治めてもらいたい」
「ご厚情痛み入ります……」
マロウータンは感激のあまり涙を流す。その臣下を見つめながらメテオが言葉を続ける。
「所領の件は私と兄上に任せろ。タイガー殿には申し訳ないが、グローリ領と新たな役職で勘弁してもらうつもりだ」
「新たな役職……とは?」
白塗り顔が尋ねるも、メテオは顔を微笑ませるだけに留める。
会話が途切れたところで、ネビュラがマロウータンにある話題を切り出す。
「時に……マロウータンよ」
「はい、陛下。如何なさいましたか?」
マロウータンが訊くとネビュラはニヤッと笑みを浮かべる。
「お前の娘――シオンと言ったな?」
「ええ、そうですが……私の娘が何か?」
「フフッ。実に可憐な娘だ。昨晩は多くの令息たちが瞳を奪われていたぞ」
「ウホホ。王都のご令息たちがあのようなお転婆娘に興味を持っていただけるなんて、親として嬉しゅうございます」
「ククッ、そうか――実はな、我が息子もシオン嬢に心を奪われているそうでな。お前も心当たりがあるだろう?」
「ヒュバート王子……ですか?」
マロウータンは顔を強張らせる。
昨晩、起きた改革戦士団による王都襲撃。王都各所で発生した爆発音や閃光はこのドリム城にも届いていた。その恐ろしい光景に晩餐会に出席していた貴族たちは恐れ慄く。それはシオンも例外ではなかった。その彼女に片時も離れず寄り添っていたのが第三王子のヒュバートだった。
ヒュバートも突然の襲撃で恐怖していた事だろう。だが怯える彼女を懸命に励まし続けていた。その彼の姿はマロウータンとネビュラも目撃している。特にネビュラは息子の意外な一面に驚いていた次第だ。
そもそもネビュラは昨晩の晩餐会でヒュバートに結婚相手を探させており、恋人のように寄り添う2人を見てネビュラは思った――これだと。
「周りくどい話はなしだ。我が息子にシオン嬢を嫁がせたい」
「今……なんと……?」
目を丸くさせる白塗り顔にネビュラが続ける。
「聞こえなかったか? お前の娘をヒュバートの妻として迎え入れたい。どうだ? 悪い話ではないだろう? 返事を聞かせてくれ」
「お、お待ちください! 今この場でのお返事は……娘の意思も聞かねばなりませんので……」
白塗りの返答を聞いたネビュラは眉を顰める。
「なんだ? 不服か? 先程の領有権の話、白紙に戻すぞ?」
「兄上」
半ば脅しにかかる暴君にメテオが呆れた視線で制止する。そして王弟がマロウータンに提案する。
「正直、私も悪い話ではないと思う。2人の結婚が叶えば、王家とクボウの関係もより一層確かなものになるだろう」
「メテオ様……」
「わかっている。婚姻を強制するつもりはない。2人の意志は尊重する」
その上でメテオは言う。
「近日中に縁談の場を設けたいと考えている。そこでお互いの気持ちを確かめ合えばよい」
「承知いたしました……」
白塗りは王弟の提案を受け入れる。だがそれは渋々。本当は断りたい。とはいえ断れるような雰囲気ではないし、何よりお互いに惹かれ合う2人のことを思うと――断れなかった。
(シオンのヒュバート王子を見る目――あれは恋する乙女の目じゃった。王子も王子で、シオンに心を奪われている様子じゃったからな。両思いじゃ! そうなると、縁談など形だけ――シオンが巣立ってしまうぞよ!)
どうやら愛娘の巣立ちは近そうだ。
白塗り顔は複雑な気持ちに苛まれることになる。
「よし、決まりだな! 早速縁談の準備を――」
珍しく張り切るネビュラ。直後、城を襲う大きな振動。と同時に暴君の頭に大量の埃が降注ぐ。埃で真っ白になったネビュラが声を震わせる。
「――何事だ……!」
とんでも親子喧嘩の勃発である。
――時を戻そう。
その後、何事も無かったかのように気を取り直したマロウータンは、ゲッソリオと対面。彼から会議参加の了承を得た白塗りとヨネシゲは、帰宅の途につくところだった。
主従は安堵の表情を浮かべながら、夕色に染まるドリム城の廊下を歩く。
「ゲッソリオ閣下も参加できそうで安心したぞよ!」
主君の言葉を聞いたヨネシゲが呟くようにして言葉を漏らす。
「……俺は貴方が元に戻って安心しましたよ……」
「ほよ? 何か言ったか?」
「いえいえ何もっ!」
その時である。
前方から慌てた様子で走ってきた青年は――サンディ家臣ノアだ。
ノアはヨネシゲたちの顔を見るなり、その慌てる理由を口にする。
「これはクボウ閣下、ヨネシゲ殿」
「ノアさん、そんなに慌ててどうしたんですか?」
「はい。たった今、旦那様から伝言の想獣が飛ばされてきまして――タイガー・リゲルが王都に到着したそうです!」
「ついに来たか……」
角刈りと白塗りは顔を強張らせた。
――その頃。国王の私室では。
「ひぃぃぃっ!! 殺される……虎に殺される!」
「兄上……落ち着いてくだされ……」
「これが落ち着いていられるかっ!!」
呆れた表情でメテオが視線を向ける先。そこには怯えた様子で机の下に隠れる、国王ネビュラの姿があった。
つづく……




