第218話 嵐の予感 【挿絵あり】
昼下がりのトロイメライ王都。
先程まで晴れ渡っていた空は分厚い雲に覆われていた。薄暗くなったメルヘンの街には、時折稲光が走り、雷鳴が轟く。更には強い風も吹き始めていた――嵐の前触れだ。王都の各所の民家では洗濯物を取り込む様子が見受けられた。
そしてここは、王都西側の歓楽街にある現在使われていない空き店舗。雨戸が閉ざされた部屋には外部の光が一切差し込むことは無い。だがこの店舗も例外なく王都全域に張り巡らされた電力網の恩恵を受けており、室内には照明が灯されていた。
この店舗はかつてバーとして使用されていたようだが、違法薬物「具現草」の取引の関与、また届け出がされていない性的なサービスが行われていたことから、先日王都保安局に摘発され閉店となっていた。
そのバーだった店舗のカウンター席では、3人の男たちが酒を飲みながら談笑を交わす。
1人は左頬にガーゼを貼った黒髪の隻眼、残りの2人はリーゼント頭の入れ墨男と金色長髪のサングラス男――改革戦士団最高幹部「ダミアン・フェアレス」と、改革戦士団四天王「チャールズ」と「アンディ」だ。
昨晩の敗北はどこ吹く風だろうか? 酒に酔ったダミアンは下品な笑いを漏らしながら仲間と共に王都で見かけた自分好みの女性たちについて熱弁していた。
「ハッハッハッ! ホント王都にはイイ女がたくさんいるぜ! 顔もイイ! 胸もデカい! 脚も細けりゃ身長も高い! 昨日の任務が無けりゃ、女の一人や二人を連れ去らって犯してやったんだが――今晩あたりやりてえなぁ……」
「違いねぇ! おう、ダミアン! このあと女を探しに行かねえか? ここ最近は忙しくてご無沙汰だったからな。俺もたまにはハッスルしたいぜ!」
「いいね〜! 行こうぜ行こうぜ!」
鼻の下を伸ばしながら天井を見上げるダミアンにリーゼントのチャールズが共感する。すると金色長髪のアンディが黒髪隻眼に注意する。
「こらこら〜。君にはジュエルが居るだろ? そんな言葉を聞いてしまったら大事な部下が泣いちまうよ?」
するとダミアンは自慢げな顔でアンディに言葉を返す。
「安心しろ、アンディ。ジュエルなら昨晩たっぷりと可愛がってやったぜ! これがまたいい声で泣くんだよな〜。だからよ、ついあのデカパイを揉む手に力が入ってしまって――」
「ダミアンっ!! いい加減にしなさい!」
一喝。
部屋の一角から轟いてきたのは桃色髪のセミロング「ジュエル」の怒鳴り声。彼女は腕を組み仁王立ちしながらダミアンたちを睨む。だが3人は互いに顔を見合わせた後、コソコソと会話を再開させた。
一方のジュエル。大きく息を漏らしながら、ソファーに腰を落とす。するとその隣の赤髪と青い瞳を持つ女性――改革戦士団四天王の紅一点「サラ」が呆れた様子で言葉を掛ける。
「――ちっ! ホント、最低。レディたちの前であんなお下劣な話をするなんて品がなさすぎるわ。これだから男は……ジュエル、貴方も上司を選んだほうがいいわよ?」
「で、でもね、サラ。ダミアン……とても優しくしてくれたよ……すごく……気持ちよかった……」
ジュエルは頬を赤く染めながら俯く。
サラはそんな彼女の手を握ると、瞳を細め口角を上げながら囁く。
「――フフッ。私ならもっと優しく……気持ちよくしてあげれるよ?」
「え?」
サラから発せられた突然の言葉にジュエルは驚いた様子で瞳を見開く。そんな彼女にサラが打診する。
「フフッ、冗談よ。でもどう? 私直属の部下にならない? あなたは、あの能無し野郎にはもったいなすぎる人材。私の部下になればもっと活躍の場を与えてあげることができるわよ?」
だが、ジュエルはサラの手を振り払う。
「いいの。私はずっとダミアンに付いていくって決めたの。だってダミアンは、私に生きる機会を与えてくれた恩人だから……」
ジュエルの返答を聞いたサラはホットココアを一口味わった後、言葉を返す。
「――あらそう、残念ね。ま、無理強いするつもりわ無いわ」
その向かいのソファーで話を聞いていたドミノマスクと銀髪の青年は――改革戦士団四天王のリーダー格「ソード」だ。彼は咳払いした後に口を開く。
「――さて、話を戻そう。ジュエルよ。お前には落とし前をつけてもらう」
ソードの言葉を聞いたジュエルは緊張を隠しきれない様子でゆっくりと頷く。そしてソードはその落とし前の全貌について説明する。
「グレースとチェイスは検挙され、その他の戦闘長は殺害された。おまけにダミアンはあの角刈りに殺される寸前だった。南都の反省が生かされていない。此度の王都襲撃作戦は失敗と言えよう――」
ソードはカウンター席の方へ視線を向ける。そこには馬鹿笑いして仲間と汚い言葉を交わすダミアンの後ろ姿。銀髪ドミノマスクは大きく息を吐くと視線を戻す。
「本来であれば今回の作戦リーダーであるダミアンに責任を取らせたい。だが――奴は信用できん。これ以上失敗を繰り返したくない。そこでジュエルよ。奴の部下であるお前が代わりに責任をとれ」
ジュエルは上擦った声で訊く。
「何をすればいいの?」
「拘束されたグレースとチェイスの奪還だ。2人は有能な人材だからな。ここで見捨てるわけにはいかない」
桃色髪は頷く。
「わかったわ。責任は取らせてもらう」
「よし。そうと決まったら――2人は現在、王都西保安署に勾留されている。今日の深夜に奪還作戦を決行してもらう。また、サポート役としてサラを同行させる。迅速かつ、スマートに、やり遂げろ」
「はい」
緊張した様子で返事するジュエル。
するとソードの隣に腰掛ける中年男が落ち着いた低い声で言葉を口にする。その中年男――オールバックと長い襟足は漆黒。髪と同色の太い眉と青い瞳、顔にはフェイスベールが着けられその口元を窺うことはできない。この怪しげな雰囲気を纏わす中年男こそ、改革戦士団総帥「マスター」だ。その真の名は「アーノルド・マックス」と言うが、その名は既に過去のものとなっている。
「ジュエルよ、そう緊張するではない。失敗は付き物だ。私も昨晩、ソードとサラと共にイタプレスヘ赴いたが、ゲネシスの魔王との交渉は失敗に終わってしまった。危うく殺されるところだったわい」
「総帥……」
「だから、私もその落とし前をつけるつもりだ。今宵の王都はリゲルの到着で混乱することだろう。その隙に、私はある男たちと接触する」
ジュエルは唾を飲み込むと、マスターに尋ねる。
「一体、誰と接触するのですか?」
マスターが瞳を細める。
「トロイメライの大臣ネコソギアと――トロイメライ王兄『スター・ジェフ・ロバーツ』だ」
――魔神の放つ闇がゆっくりと王都を飲み込もうとしていた。
――王都メルヘンの最北端。閑静な住宅街にその屋敷は佇む。
門の前には数名の兵士が周囲に目を光らす。屋敷を囲む見上げるほど高い柵は、部外者の侵入を防ぐものではなく、中の者の外出を阻止するためのもの――例えるなら檻だ。
その屋敷の一室。小窓から、今にも雨が降り出しそうな稲光する空を見上げる中年の男がいた。
薄茶色の髪は伸び切っており、手入れがされておらずボサボサ。口周りと顎には無精髭。青い瞳は輝きを失っており、無気力な表情をみせていた。この彼が王族――トロイメライ王「ネビュラ・ジェフ・ロバーツ」の実兄だというのだから驚いた話だ。
そのトロイメライ王兄――星のように輝く存在になってほしいという願いから付けられた名がある。
「スター殿下。お茶をお持ちしました」
「ご苦労。今日のお茶菓子は何だ?」
使用人の声を聞いた王兄は、僅かに微笑みながら応えた。
――弟に軟禁された王兄の名は「スター・ジェフ・ロバーツ」という。
輝きを失った星がこのトロイメライを大きく揺るがすことになるとは――スターも含め誰も予想していなかっただろう。
一波乱あったものの、メルヘン西市場で買い物を終えたソフィアたちは、急ぎ足で王都クボウ邸を目指していた。
ソフィアは心配そうに空を見上げながらコウメに言う。
「奥様。今にも雨が降ってきそうな天気ですね……」
「本当ね〜。今日は降る予報ではなかったんだけど」
その2人の会話にシオンが加わる。
「今ここで降られてしまったら、お洋服とせっかく買った食材がびしょ濡れになってしまいますわ。なんとか天気が持ってくれれば良いのですが……」
「そうね。家路を急ぎましょう!」
2人の夫人と令嬢は頷くと歩くペースを上げていく。その後ろを使用人の3人が続く。
「クラークさん、カエデ、荷物運び手伝ってもらっちゃって、すみませんね〜」
「いや、謝ることはない。私たちもクボウの使用人だ。当たり前の事をしているだけだよ。それにこの空模様ではあまりのんびりもしていられん」
「そ、そうですよ、ジョーソンさん! わ、私たちは同じ仕事をする仲間ですからね。こ、困った時こそ協力です――あ、さっきは協力してくれなかったけど……」
最後にぼそっとカエデが小言。ジョーソンは惚けた様子で口笛を吹くのであった。
同じ頃。ドリム城・北門。
そこにはヨネシゲ、ドランカド、マロウータンの姿があった。
正式な処分が決まるまで自宅謹慎となったドランカドは、その命に従うべく王都クボウ邸に向かうところだった。まだ城での公務が残っているヨネシゲとマロウータンは、彼の見送りのため北門まで訪れた次第だ。
ドランカドは深々と白塗り顔に頭を下げる。
「本当にすみませんでした……」
心底反省した様子のドランカド。一方のマロウータンは真四角野郎に微笑み掛ける。
「ウッホッホ。もう謝らんでもよい。やってしまったものは仕方ないのじゃから。まあ、屋敷で少し頭を冷やすのじゃ」
「はい……」
ヨネシゲも励ますようにしてドランカドの肩を叩く。
「マロウータン様の言うとおりだ! 寧ろ、ドランカドならあれくらいぶっ飛んだことやってくれないと面白くねえ」
「ヘヘッ……冗談キツイっすよ……ヨネさん……」
ドランカドは微笑んで見せるとヨネシゲたちに背を向ける。
「そんじゃ、俺は屋敷に戻ります。お二人にはご迷惑をお掛けします」
「気にするな! 真っ直ぐ帰るのじゃぞ!」
「ドランカド、何かあったらソフィアを頼むぞ!」
「はい。お任せください」
ヨネシゲたちと別れたドランカドは一人城外へと出る。
その途端。大粒の雨がぽつりぽつりと振り始めてきた。
「――間に合わなかったか……」
ドランカドは稲光する雨空を見上げる。
「あの日も、こんな雨が降る日だったよな……」
ドランカドの脳裏には、とある少女の笑顔と声が蘇る――
『――ドラさん! 今日も落とし物届けに来たよっ!――』
「――すまない……すまない……」
ドランカドの頬には雨粒とは別の雫が伝う。
雨脚が強まる中、彼は王都の街中へと姿を消した。
時は同じく。
ここは王都メルヘンの南西に隣接する王都近郊「スチール領」。王都が現実世界の県や州だとするならば、王都近郊領はその区や市と言った位置付けだ。
大雨が降りしきる中、領郊外の街道を移動する大軍――アルプ地方領主「リゲル家」の兵だ。その行軍の先頭付近には一両の馬車。その虎柄の馬車には3人の男の姿があった。
馬車の中から外の様子を眺める親子――リゲル家当主「タイガー・リゲル」と息子の「レオ・リゲル」だ。
タイガーは鼻で笑いながら呟く。
「――久々の王都じゃったが、大雨に出迎えられるとはな……」
「ええ。先程まであんなに晴れていたというのに、ついていないですね……」
すると彼らの向かい側に座る茶髪の中年男が嫌味を言う。
「それはアンタらの王都入りを天が拒んでいるんだよ」
「エドガー殿。随分な嫌味を言ってくれるのう」
タイガーは不敵に口角を上げる。
この茶髪の中年男。今回、南都の一連の騒動の引き金となった元凶――グローリ地方領主「エドガー・ブライアン」だった。
エドガーは目先の欲に目が眩み改革戦士団と手を組む。だが改革戦士団に利用されてしまった彼は、リゲルとの戦に敗れ捕らわれてしまった。大罪人というレッテルを貼られた彼は、裁判を受けるため王都へと護送されていた。形だけの裁判を受けるために――
程なくすると馬車の外から主君の名を呼ぶ、筆頭重臣バーナードの声が聞こえてきた。タイガーは馬車の窓を開くと重臣に要件を尋ねる。
「タイガー様」
「バーナードよ。如何した?」
「はい。この先、スチールの領都入口付近に『猫』の旗を掲げる軍勢が居りましたので、ご報告させていただきました」
タイガーは歯を剥き出して笑顔を見せる。
「――来たな、守護神。予想通りじゃったな」
――間もなく、トロイメライ最強の二人が顔を合わす。
つづく……




