第211話 クボウ夫妻
カエデの案内で屋敷の中へと足を踏み入れるヨネシゲたち。その後を追うようにコウメも歩みを進めるが、背後から聞こえてきたのは夫の声。マロウータンに呼び止められる。
「コウメよ」
「ダーリン。どうかした?」
コウメが尋ねると、白塗り顔は大きく息を吐きながら説教を始める。
「忘れたとは言わせぬぞ? 屋敷内で実験はするなと、儂は散々申してきた筈じゃぞ? 何百回も同じ事を言わすではない!」
「仕方ないじゃない。私の趣味なんですから」
「あのなぁ……」
それは、マロウータンとコウメが結婚当時から交わしていた約束だった。だがしかし、その約束は今日まで何百何千と破られてきた。
マロウータンは呆れた様子で言葉を漏らす。
「よいか? 空想術と薬品を掛け合わせた実験は非常に危険じゃ。そのことはそなたも理解しておるじゃろ?」
「ええ、もちろんよ。でもねダーリン。これは製薬会社を経営する家系に生まれた者の性よ。いくらダーリンが反対しても私は実験を続けるわ」
「それじゃあ、儂と交わした約束は嘘じゃったと申すのか!? 儂はそなたの実験で……何回死にかけたことか……」
マロウータンが妻に実験を禁止させる理由。それはコウメが行っている薬品を用いた空想術の実験が非常に危険であるためだ。
その実験は、彼女が調合したオリジナル薬品と想素を化学反応させるというものだが、実験に失敗すると場合によっては大爆発を起こす可能性がある。今回、玄関扉が吹き飛んでしまった原因も、彼女の実験の失敗にある。
そして歴史を遡れば、南都クボウ邸を2回、オジャウータンの別荘と、極めつけの国王ネビュラ直営カジノを全壊させた経歴を持っている。巷では「破壊女王」と呼ばれているらしい。
コウメは反省した様子は一つも見せず高笑いを上げる。
「おーほほっ! 大丈夫よ。ダーリンは不死身だから。私の実験で生命力も鍛えられたでしょ?」
「そういう問題ではな〜〜いっ!!」
ご立腹気味のマロウータン。するとその胸板にコウメが飛び込む。
「コ、コウメ?」
「ダーリン……もうしないから……許して……」
「し、仕方ないのう。よしよし、わかったでおじゃるよ――」
だがしかし!
マロウータンは首を横に振る。
「コウメよっ! その手には乗らんぞよ! 何回も同じ手が通用すると思うなっ!」
心を鬼にするマロウータン。白塗り顔は妻を突き放した。一方、コウメは夫を見上げると――
「ほよ?」
「ダーリン、愛しているわよ。だからもう怒らないで。反省しているから……」
コウメは白塗りの左頬に口づけ。甘えた声で許しを請う。
「しょ、しょうがないの〜。此度は大目に見てやるのじゃ」
「ありがとう! ダーリン!」
白塗り顔は鼻の下を伸ばしながらコウメの行いを許す。だが、夫の胸板に顔を埋める彼女の口角は――不敵に上がっていた。
「さあ、ダーリン! 皆さんお待ちですから、中へと入りましょう!」
「ウッホッハッハッハッ! そうじゃな!」
二人は仲睦まじく屋敷の中へと入っていく。だがこのあと、マロウータンにちょっとした悲劇が訪れる。
客間に案内されたヨネシゲたちは、長テーブルを囲み主君の到着を待つ。その間に使用人のカエデが紅茶を淹れ、それを角刈りたちに差し出していく。
「カエデさんでしたよね? 紅茶、ありがとうございます!」
「え? あっ!? はいっ! ど、どういたしまして!」
カエデは紅茶を配り終えると、オロオロとした様子で足早に部屋を後にした。
(――彼女、極度の人見知りなのかな?)
ヨネシゲはそんなことを思いながら客間全体を見渡す。落ち着きのある紫色の絨毯が敷かれた部屋の三方には大窓が設けられており、温かな日差しが差し込む。
部屋には余計な家具は設置されておらず、大きな振り子時計とローチェストだけが置かれている。
ローチェストの上には家族写真や小物類が置かれていた。中でもひと際目を引くのは、黄色いウサギのぬいぐるみだ。
(なんだあれは? 可愛くないな……)
そのぬいぐるみ――片耳をひし曲げ、不気味な笑顔で舌を出す。大きな瞳であるがその黒目は米粒ほど。無機質な眼差しを角刈りに向けていた。
(――畜生、不気味だな。こっち見んじゃねえ……)
次の瞬間。ヨネシゲは戦慄する。
何故ならば黄色いウサギのぬいぐるみが、こちらに向かってウィンクするのだから。
「なぬっ!?」
「ど、どうしたの? あなた?」
驚愕の表情を見せるヨネシゲにソフィアは困惑した様子だ。角刈りはぬいぐるみを指さしながら表情の理由をソフィアに説明する。
「ソフィア、あれを見てくれ! あのぬいぐるみがウィンクしたんだ!」
「ウフフ。またまたご冗談を……」
「いや! 本当なんだ!」
必死に説明するヨネシゲだったが、誰も信じてくれない。ソフィアは苦笑いを浮かべ、隣にいたドランカドとシオンは笑いを漏らす。
そうこうしているうちに、コウメとマロウータンが部屋に姿を現す。
「皆さん、待たせたわね!」
「ウホッ! 待たせたの!」
「!!」
一同の視線が、一斉にマロウータンに向けられる。
その表情――ヨネシゲとドランカドはニヤニヤとした笑みを浮かべ、ソフィアとシオンは恥ずかしそうにして顔を赤く染める。
不思議に思ったマロウータンがヨネシゲたちに訊く。
「み、皆? ど、どうしたのじゃ?」
ヨネシゲとドランカドは、からかうようにして言う。
「旦那様、大胆ですな……」
「へへっ。熱々のご様子で」
「な、何なんじゃ!? 一体!?」
臣下のはっきりとしない返事に、白塗り顔は苛立ちを募らせる。そんな彼の元に専属執事のクラークが手鏡を持って現れる。
「旦那様。これを……」
「何じゃ? 鏡か?」
クラークから鏡を受け取ったマロウータン。自身の顔を見た彼が絶叫する。
「な、な、な、な、なんということじゃっ!!」
マロウータンが見たもの。それは自身の白塗りされた左頬にくっきりと残る、薄紅色のキスマーク。
そう。先程、コウメから口づけされた際に残されたものだ。
コウメは両手で頬を抑えながらわざとらしく照れてみせる。
「だって〜、ダーリンが欲しがってたんですもの〜」
「ち、違うぞ! 儂は一言もそんなことを言っておらんぞよ!」
「ダーリンは恥ずかしがり屋さんだね〜」
「こ、これ! コウメよ! 冗談はよさぬか!」
「おーほほっ! 私の実験を非難した報いよ!」
「ぐぬぅ! 非難などしておらぬではないか!」
クボウ夫妻の痴話喧嘩。ヨネシゲたちはその様子を微笑ましく見守った。
――同じ頃。
ドリム城・北の塔。そのバルコニーに第三王子「ヒュバート・ジェフ・ロバーツ」の姿があった。
彼は浮かない表情で、王都メルヘンの町並みを眺める。
「――まさか僕が、あんな大役を任されるなんて……」
それは、急遽編成されることになった「王都特別警備隊」の司令官。ヒュバートは父ネビュラからの命を受け、その初代司令官を務めることとなったのだ。
ところがヒュバートは二人の兄と違い、公務の経験は皆無に等しい。当然ながら軍や治安機関の指揮命令の経験もゼロだ。そんな彼が、対改革戦士団の為に編成される王都特別警備隊の司令官など荷が重すぎる話だ。
ヒュバートは大きくため息を吐く。
「僕には無理だ。だけど断ったりしたら父上の逆鱗に触れてしまうだろう……」
途方に暮れるヒュバート。そこへ、透き通るような少年の声が響き渡る。
「ヒュバート王子、こちらにいらっしゃいましたか」
「おお、ウィンターか!」
姿を現したのは、王都守護役の重職を掛け持つフィーニス地方領主「ウィンター・サンディ」だった。
ヒュバートは、自らウィンターとの間合いを詰めると、はしゃいだ様子で言葉を掛ける。
「久しぶりだな、ウィンター。昨晩は色々とあって会話できなかったが、元気そうでなによりだ」
「ええ、お久しぶりです。ヒュバート王子もお元気そうで安心しました。てっきり冒険小説の読み過ぎで、目の下にクマができているのかと……」
「フフッ。お前こそ、胃に穴が開いていなくて良かったよ」
「お陰様で。でも、胃薬は手放せませんがね……」
二人は互いに顔を見合わせると楽しそうに微笑んでみせた。
ヒュバートとウィンター。寡黙で表情が乏しい似た者同士。それ故か互いに通じるものがあるようで、気が合うみたいだ。主従の関係ではあるが、友と呼び合えるほど仲が良い。
そんな友の前でヒュバートが顔を曇らす。
「なあ、ウィンター。聞いてくれるか?」
「どうされましたか?」
「ああ。実はな――」
ヒュバートは打ち明ける。王都特別警備隊の司令官に任命されてしまったことを。
「――左様でございましたか」
「ああ。正直、僕には荷が重すぎる。司令官なんて無理だよ……」
自信無さそうに弱音を吐くヒュバート。そんな彼にウィンターが背中を押すように言う。
「ヒュバート王子、まだ始まってもいません。諦めるには早すぎます」
「確かに、そうかもしれないが……」
「私はヒュバート王子の味方です。私で良ければいつでも頼ってください」
「ありがとう、ウィンター。頼りにしているよ」
「して……ヒュバート王子の補佐官は決まったのですか?」
「ああ、大方決まっている。あとは本人の了解を得るだけだ。その僕の補佐官には――」
ヒュバートの補佐官。彼がその名を口にしようとした時、二人の男女がバルコニーに姿を現す。
「ヒュバート、おはようございます。おや、ウィンター殿もいらしたのですね」
「母上、それにロルフ兄さん」
ヒュバートたちの前に姿を現したのは、王妃レナと第二王子ロルフだった。
レナはヒュバートの元まで歩みを進めると、唐突過ぎる話題を切り出す。
「ヒュバート。風の噂で聞きましたよ? クボウの令嬢と真剣にお付き合いを考えているとか?」
「母上! お、お待ちください! どうしてその話を!?」
ヒュバートは動揺する。
つい先程、父の私室で交わした会話。それはクボウの令嬢を我が妻として迎え入れるか否かといった話だった。
王都警備隊の話を終えた後、父ネビュラからシオンとの婚姻を迫られ、ヒュバートは咄嗟に「先ずはお付き合いさせてください」と答えてしまった。早速ネビュラはある企てを行うとしている訳だが――
(何故、母上がこの話題を知っているんだ!? 不仲である父上から直接聞いたとは思えないし、叔父上から聞いたとしても、まだ父上と会話中だぞ? 母上が父上の私室を訪れるような事も考えづらい。まさか、盗聴でもされてたのか……!?)
顔を強張らせるヒュバート。そんな息子にレナは満面の笑みを向ける。
「ヒュバート。母は何でも知っていますのよ」
ヒュバートの全身に悪寒が走る。母親のセリフがとても冗談で言っているように聞こえなかったからだ。
その彼の隣ではウィンターが瞳を見開き第三王子を見つめる。
(あのヒュバート王子が……クボウのご令嬢とお付き合いを……!?)
その彼にレナが言う。
「ウィンター殿。貴方も成人の儀を終えております。他人事だと思わず、そろそろ妻を迎え入れる準備をしておいたほうがよろしいですよ?」
「――私はまだ、妻を迎え入れるつもりはありません」
「ウフフ。相変わらずですね、ウィンター殿。でも――運命の人は、案外早く現れたりするものですよ?」
「そう……ですか……」
二人のやり取りを見ていたロルフの額から冷や汗が流れ落ちる。
「ヒュバート。貴方が本気でシオン嬢とのお付き合いを考えているのであれば、私は全力で協力しますよ。母は――ヒュバートの味方です」
――結局、何をしにここへ訪れたのだろうか?
レナは満足げな笑みを浮かべながらその場から立ち去るのであった。
つづく……




