第208話 誕生! ヨネ男爵
――トロイメライ王妃レナと第二王子の密談が行われている頃。
イタプレス王国・プレッシャー城、国王の私室では、この部屋の主「ケンジー・カタミセマン・イタプレス」が、ベッドの上で幸せそうに寝息を立てていた。その様子をバスローブ姿のゲネシス皇帝オズウェルが、ワイングラス片手にソファーに腰掛けながら見つめていた。
「――サウナで汗を流しながら語り合うつもりだったが。まさか、俺の上半身を見ただけで気絶してしまうとはな……」
オズウェルは、ワイングラスをローテーブルの上に置くと、ソファーから腰を上げる。
「悪いな、イタプレスの王よ。俺には男色の気は無い。まあせめて、今宵は良い夢を見てくれ……」
オズウェルは口角を上げると、ケンジーの私室を後にした。
オズウェルが部屋から出ると、彼の視界に入ったのは、不安げな表情で廊下に立ち尽くす弟妹の姿だった。
オズウェルが二人の元へ歩みを進めると、ケニーが問い掛ける。
「――兄様……まさか、本当に……?」
オズウェルが鼻で笑う。
「フッ……案ずるな。事に及んではいない」
続けてエスタが訊く。
「でもお兄様。何故、国王陛下の夜のお相手を?」
「本当、驚きましたよ!」
「それは、イタプレス国王陛下を含め、お前たちの勝手な勘違いだ。俺はただ、サウナで汗を流しながら、国王陛下と政について語り合おうと思っていただけだ」
「「サウナ、ですか……?」」
兄の予想外の答えに、ケニーとエスタは首を傾げた。
――その時だった。
プレッシャー城を轟音と振動が襲う。
「――敵襲か?」
オズウェルは顎に手を添えながら、粉塵が振り降りてくる天井を見上げた。
直後、ゲネシス皇帝の元に、イタプレスの兵士が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ゲネシス皇帝陛下! 一大事でございます!」
「何事だ?」
オズウェルが尋ねると、兵士は顔を青くさせながら報告する。
「二体の巨大生物がこの城に攻撃を加えております!」
ケニーが巨大生物の情報を兵士から聞き出す。
「巨大生物? それは想獣か?」
「いえ、それはわかりません。ただ……魔神のような佇まいをしております……」
オズウェルが不敵に口角を上げる。
「ほほう、魔神か。それは興味深い」
「ゲネシス皇帝陛下、今すぐ避難を! この城は、我が国最高峰の空想術師たちが張った結界で守られておりますが、いつまでその結界が持ち堪えられるか――」
兵士の言葉を聞き終えたオズウェルたちは、出口とは反対方向へと歩みを進める。透かさず兵士が呼び止める。
「皇帝陛下! そちらはバルコニーです! お戻り――」
「――心配無用だ。お前は、国王陛下の相手でもしていろ」
ゲネシスの三人組は兵士の言葉を無視すると、バルコニーの方角へと歩みを進めた。
やがて、バルコニーに出た三人が目撃したものは、城に張られた結界に光線を浴びせる、二体の巨大生物。
一体は、黒光りする体毛、鋭い牙、尖った角。赤く光る鋭い瞳。
もう一体は、ノコギリのような角、龍鱗のような濃紫の肌、背中には黒い翼、刀のような鋭い爪。
魔王が愉快そうに言葉を漏らす。
「――あれは、トロイメライ神話に伝わる『破壊神オメガ』と『海の魔王アビス』だ。いや、それを形どった想獣に過ぎないがな」
プレッシャー城を襲う二体の巨大生物。それは、トロイメライ神話に登場する魔神『破壊神オメガ』と『海の魔王アビス』の姿をした想獣だった。
オメガとアビスから放たれる強烈な光線。この二体の想獣を操るものは、相当な実力者だと窺える。
エスタは、下唇に人差し指を当てながら呟く。
「あらあら……このお城の結界もそろそろ限界のようですよ?」
プレッシャー城を守る鉄壁の結界も、二体の光線を受け、消滅寸前。バリバリと結界がひび割れる音が周囲に響き渡る。
――そして。
城を覆っていた結界は、割れる窓ガラスの如く、粉々に砕け散り、破壊されてしまった。
光線を防ぐ壁はもうない。
二体から放たれる光線が、プレッシャー城目掛けて一直線に伸びていく。
その時。放たれる光線に向かって飛翔する、緑色に発光する人影――
ゲネシス皇弟「ケニー・グレート・ゲネシス」だ。
鋭い眼差しで想獣を睨むケニー。彼は大きく開いた右手を構えると、迫りくる光線に掴みかかった。
「この程度の光線では、俺たちを満足させることはできないぞ? 一度自分たちで味見してみなっ!」
ケニーは掴んだ光線をまるで枝を折るようにしてへし曲げると、その軌道を変えた――想獣の一体、アビスに向かって。
『グヴァアァァァァッ!!』
自身が放った光線を受けたアビスは、不気味な断末魔を上げながらその姿を消滅させた。
その隣。破壊神オメガが再び光線を放とうとするも――
突如、地面から突き出るようにして、オメガの足元に現れたのは、一体の巨大想獣――大蛇だった。
大蛇は瞬く間にオメガの全身に巻き付き、その動きを封じ込める。
バルコニーにて、藻掻き苦しむオメガを眺める、薄紅色に瞳と身体を発光させる女性は、ゲネシス皇妹「エスタ・グレート・ゲネシス」だった。
エスタが妖艶に笑いを漏らす。
「ウッフッフッ。私の大蛇ちゃんに縛られて嬉しいでしょ? さあ、もっといい声、私に聞かせて――!」
彼女が瞳を見開くと、大蛇は更に強くオメガを締め上げた。そしてオメガもまた、悲痛な断末魔と共に姿を消滅させた。
その一部始終をバルコニーで見守っていた兵士たちが声を震わせる。
「――す、凄い。これが、ゲネシスの皇弟殿下と皇妹殿下の実力なのかっ!」
一方のオズウェル。驚く兵士たちの声を聞きながら、背後へ視線を向ける。
「――隠れていないで出てきたらどうだ?」
その魔王の言葉が耳に届いたのか、男の不気味な笑い声が聞こえてきた。
「オッホッホッ! 流石、魔王殿の妹さんと弟さんだ。我々自慢の想獣を容易く退けるとは――」
「フッ。その『魔王』という呼び方はやめてくれないか? 誰が呼び始めたのか知らないが、我々を魔族扱いするのはやめてもらいたい」
「これはこれは、大変失礼した。皇帝陛下、どうか許していただきたい――」
バルコニーの物陰から姿を現したのは、銀色の仮面を被った全身黒尽くめの男。その黒尽くめ男の背後には、ドミノマスクを被った銀髪青年と、三角帽子を被った赤髪の少女の姿があった。
「これはまた、怪しげな集団のお出ましだな」
オズウェルが呆れた様子で息を漏らすと、黒尽くめ男がその正体を明かす。
「失敬、申し遅れた。私は改革戦士団総帥の『マスター』と申す。後ろの二人は部下の『ソード』と『サラ』だ。以後、お見知りおきを」
改革戦士団と聞き、オズウェルが眉間にシワを寄せる。その両隣には鋭い眼差し、片や冷たい眼差しを向けるケニーとエスタの姿があった。
魔王が尋ねる。
「トロイメライを荒らし回っている野蛮な連中が、この俺に何のようだ?」
マスターが笑いを漏らしながらオズウェルの問いに答える。
「ホッホッホッ。皇帝陛下に美味しい話がございましたので、お届けに参ったのですよ」
「美味しい話だと?」
「ええ。聞いていただけますか?」
「――よかろう。だが、事と次第によっては……」
ケニーとエスタが戦闘態勢に入る。対するソードとサラも右手やステッキを構える。だがマスターは余裕そうに笑い飛ばす。
「オッホッホッ! 先ずは私の話を聞いてください。殺気立つのはその後だ。そして――」
マスターの声のトーンが落ちる。
「私の話をお気に召していただけないのであれば――あなた方には消えてもらいましょう……」
魔王と魔神。
一触即発の状態の中、言葉が交わされた――
――トロイメライに朝がやって来た。
眠りから覚めたソフィアはベッドから下りると、ソファーの上でモーニング珈琲を味わう角刈りの元へ向かう。
「あなた、おはよう……」
「おう、おはよう! よく眠れたかな?」
「ええ、とっても! こんなにぐっすり眠れたのは久々だよ」
「へへっ。そいつは良かったぜ」
「あなたの温もりを全身で感じられて、とても幸せな夜だったわ」
「ソフィア……」
ヨネシゲとソフィアは互いに顔を見合わせると、その頬を赤く染め上げた。昨夜のことを思い出してだ――
ヨネシゲは恥ずかしさを誤魔化すようにして高笑いを上げる。
「ガッハッハッ! そろそろドランカドも起きている頃だろう。早速朝飯でも食べに行こうぜ。腹減っちまったよ」
「ウフフ、そうね。じゃあちょっと待っててね。身支度しちゃうから」
「おっ、そうだったな! 慌てずゆっくりでいいからな!」
「うん。ありがと」
――とても満たされて、幸せな朝だった。
ヨネシゲとソフィアの王都での新たな生活がスタートした。
ヨネシゲ、ソフィア、ドランカドの三人は、来賓専用の食堂で朝食を楽しむ。
用意された朝食は、パンやチーズ、燻製肉やスクランブルエッグ、ポタージュなど、角刈り好みのモーニングセットだった。
「あなた。そのパンにバター塗ってあげるよ」
「へへへっ、すまんな。じゃあ、俺はサラダを取り分けてやるよ」
「ありがとう!」
微笑ましい夫婦のやり取り――その二人の頬は終始赤く染まったままだ。
そんな二人の姿を見て、ドランカドがちょっかいを出す。
「お二人とも相変わらずラブラブっすね〜! それにしても、ずっとほっぺたが赤いままっすよ? まさか!? 昨晩何かあったとか!? ヘヘッ。冗談――?」
ドランカドの言葉を聞いたヨネシゲとソフィアが何やら慌てた様子だ。
「し、知らねえな。何もねえぞ? な? ソフィア!」
「え、ええ! 普段と変わらない夜だったよ!」
「そういうことだ、ドランカド! いいなっ!?」
「へ、へい……そ、そうですよね……」
ドランカドは気まずそうにしながらポタージュを啜る。
(――絶対この二人、昨晩何かあったな……)
静まり返る食堂。
だが、その沈黙もすぐに破られる。
食堂に近付いてくるのは慌ただしい足音。
一同、出入口の方へ視線を向けると、姿を見せたのは主君のマロウータンだった。その白塗り顔は血相を変えていた。
透かさずヨネシゲが訊く。
「マロウータン様!? 一体何事ですか!?」
ヨネシゲに尋ねられた白塗り顔は、呼吸を乱したまま返答した。
「ヨネシゲ! ドランカド! よく聞け! えらいことになったぞよ――」
マロウータンから事情を知らされたヨネシゲとドランカドは口と瞳を大きく開いた。
――ドリム城・謁見の間。
その玉座の足元で膝を折る二人の角刈りは、ヨネシゲとドランカド。
ソフィアとマロウータンは、部屋の端でその様子を見守る。
程なくすると、トロイメライ宰相のスタンが、謁見の間全体に響き渡るような大きな声でヨネシゲとドランカドに伝える。
「ヨネシゲ・クラフト、並びにドランカド・シュリーヴよ。ブルーム平原での功績、そして昨晩の活躍を称え、爵位男爵を授ける!」
ヨネシゲとドランカドは、ブルーム夜戦での功績と、昨晩の改革戦士団撃退の活躍がトロイメライ王ネビュラに認められ、男爵の爵位を授かることになった。
王弟メテオが改めて角刈り二人を称える。
「クボウの家臣ともなれば、爵位の一つは欲しいところ。おまけにお前たちは素晴らしい功績を残している。ヨネシゲ、ドランカドよ。お前たちはこのトロイメライの宝だ!」
「勿体ないお言葉であります!」
深々と頭を下げるヨネシゲとドランカド。そんな二人に、玉座のネビュラが言う。
「フン! そういうことだ。これでお前らも貴族の仲間入りとなる。せいぜい励むことだな」
暴君はそう言い終えると、不機嫌そうにしてプイッとそっぽを向く。
そんな彼の姿など気にも留めず、ヨネシゲは小刻みに体を震わす。
(――この俺が……男爵……トロイメライの貴族に……!)
ヨネシゲ・クラフト男爵、今ここに誕生する。
つづく……




