第196話 図書館の王子様
見目麗しい金髪少年が右手を差し出す。シオンはその手を取り、立ち上がると、頬を赤く染め上げながら礼の言葉を述べる。
「――あ、ありがとうございます……」
「怪我が無いようで良かったよ――」
金髪少年は僅かに口角を上げると、片膝をつき、シオンの落とした本を拾い上げる。そして、その本の表紙に視線を下ろす。
「――散財のアフタヌーン……君も冒険小説が好きなの?」
金髪少年に尋ねられると、シオンは照れくさそうに返答する。
「え、ええ……冒険小説には目がなくて……」
「じゃあ、僕と同じだ――」
二人はそんな会話を交わしながら、床に散らばった本を拾い集める。途中からヨネシゲとソフィアも加わり、拾い集めた本は近くのテーブルに積み上げられた。
シオンはその本の山を横目にしながら、金髪少年に尋ねる。
「これで全部でしょうか? 私の本と混ざっていないですよね?」
「――うん。僕のは大丈夫そうだよ。君のは?」
「はい。私も大丈夫です! 散財のアフタヌーンシリーズ、全部揃っていますわ!」
「フフッ……なら良かった。おっと、そうだ――」
控えめに笑いを漏らす金髪少年だったが、突然ハッとした表情を見せると、改まった様子で姿勢を正す。
「――申し遅れました。僕は第三王子の『ヒュバート・ジェフ・ロバーツ』です。以後、お見知りおきを」
シオンは絶叫する。
「お、お、お、王子様ですかぁぁぁっ!?」
そしてこの二人も――
「あ、あなた、王子様だよ!? ど、どうしよう!?」
「お、おう。まさかいきなりトロイメライの王子に出会すとは……俺たちはどうすればいいんだ!?」
ヨネシゲとソフィアも突然の王子の登場に、動揺を隠しきれない様子だ。
金髪の美少年は王子様――彼はトロイメライ王国の第三王子「ヒュバート・ジェフ・ロバーツ」だった。
シオンよりも幼い印象の彼。恐らく歳下だろう。だが、その年齢差は然程大きくなさそうだ。
背丈はシオンとほぼ変わらず。華奢な体型、王子様の名に恥じぬ整った顔つきであるが、やや表情が乏しいのが玉に瑕だろう。
ヒュバートは、過剰な反応を見せるシオンたちに微苦笑する。
「そんなに驚かなくても……僕みたいな男が王子で意外だったかな?」
「いえいえそんな! 滅相もございません!」
「それで――君はどちらのご令嬢さんかな?」
「も、申し遅れました! 私は……南都五大臣、マロウータン・クボウ南都伯の娘。シオン・クボウと申します!」
「マロウータン殿のご令嬢だったのか――」
シオンがマロウータンの娘だと知ったヒュバートは、険しい顔つきで顔を俯かせる。
「お父上の事、お気の毒だったね……」
ヒュバートはまだ知らない。白塗り顔が生存していることを――
王子の言葉を聞いたシオンは苦笑いを浮かべる。
「――実は、その……父のことなのですが……」
「?」
シオンは事の経緯を説明。
状況を理解したヒュバートが微笑する。
「――フフッ。まるで僕が今読んでいる冒険小説みたいな展開だ。でもお父上、無事で良かったね」
「ええ。ありがとうございます」
ヒュバートはテーブルに置かれた本の山を抱える。
「では、そろそろ僕はお暇させてもらうよ。間もなく行われる晩餐会に出席しないといけなくてね」
「左様でございましたか」
「本当は部屋に籠もって冒険小説を読んでいたかったけど……父上から王都の令嬢たちと親睦を深めるように言われていてね。僕も結婚相手を決める時が迫ってるようだ……」
「そうでしたか……」
するとヒュバートは、抱えていた本をテーブルに戻すと、シオンの瞳を見つめる。
「シオン殿は、晩餐会に出席されるのかな?」
「いえ……私は……」
「うん、そうだよね。ちょっと聞いてみただけさ……」
ヒュバートは、一瞬悲しげに微笑んでみせると、再び山積みの本を抱える。
「君とはゆっくりと話してみたい……僕は大体この図書室に居るから、時間がある時にでもまた来てみてよ」
「え、ええ。その時は是非よろしくお願いいたします!」
「では、失礼するよ――」
大量の本を抱えたヒュバートは図書館を後にした。
その後ろ姿が見えなくなっても、シオンは扉の方向を見つめ立ち尽くしていた。
「シオン様。我々もそろそろ――」
「あなた、待って」
「ソフィア?」
ヨネシゲが彼女に声を掛けようとするも、ソフィアに制止される。そしてソフィアは微笑みながら呟いた。
「――シオン様、恋に落ちちゃったかも……」
「恋?」
それは一目惚れってやつなのか?
ヨネシゲもソフィアと一緒になって彼女の後ろ姿を見つめた。
「――私とゆっくり話したいだなんて……ヒュバート王子……本気にしちゃいますよ……」
シオンの頬は、まるで林檎のように赤く染まっていた。
――南部関所からドリム城へと続くメインストリートにはマロウータン、ドランカド、クラークと、それを誘導する南都五大臣の中年「ダンカン」の姿があった。
マロウータンとダンカンの暑苦し過ぎる涙の再会が行われたのはつい先程のこと。関所で足止めを食らっていたマロウータンだったが、ドリム城から駆け付けたダンカンの一声で、王都の街に足を踏み入れることが叶ったのだ。
かつて啀み合っていた五大臣の二人――今は仲睦まじく肩を並べながら歩いていた。
「――ウッホッハッハッハッ! 儂を生き埋めにした罪は重たいぞよ?」
「すまんすまん。まさか生きておったとはのう。お詫びはしっかりとさせてもらう」
「良いのじゃ。またそなたの顔が見れて、儂はそれだけで満足じゃ……」
「マロウータン殿……」
マロウータンのセリフに感激し、涙するダンカンの肩をマロウータンが力強く、それでいて優しく叩いた。
「湿っぽいのはもうお終いじゃ! 城へ急ぐぞよ」
「――そうだな。メテオ様も、バンナイ殿も、アーロンも、マロウータン殿に会えることを心待ちにしておる筈だ。急がねばならぬ」
「よしっ! ダンカンよ! 城まで競争じゃ!」
「臨むところだ! 小回りが利くこの短足をフル回転してやるわい!」
二人は互いに顔を見合わせると、高らかに笑い声を上げながら走り去っていく。
その後ろ、ドランカドと、マロウータン専属の老年執事「クラーク」が、主君とその同士の背中を微笑ましく見つめる。
「なんだあ……噂とは違って、お二人とも仲良しじゃないっすか」
「ええ、あの戦を経て、旦那様とダンカン様の仲が急速に縮まったようです。お二人を遮る壁はもうございません。これからは、共に同じ道を歩む友同士でございます」
ドランカドの言葉に答えるクラーク。その表情は期待と喜びに満ち溢れていた。
「そんじゃ、クラークさん。俺たちも城まで競争っすよ!」
「オッホッホッ! ドランカド殿。若い者にはまだまだ負けませんよ?」
真四角野郎と老年執事は自信に満ち溢れた笑みを浮かべると、二人の戦いの火蓋が切られた。
「――てかっ!? クラークさん、はやっ! ま、待ってくださいよ〜!」
一行はドリム城目指して疾走するのであった。
――間もなく日没を迎える頃。再び応接室に戻ったヨネシゲ、ソフィア、シオンの3人は、マロウータン一行の到着を待つ。
クラフト夫妻は談笑、シオンは図書館で借りた冒険小説を読むのに夢中になっていた。
ヨネシゲは紅茶を味わいながら、窓の外に見えるライトアップされたメルヘンの街を眺める。
「――それにしても王都に着いた途端、いきなり城内に入ったり、王子と対面したりと、中々刺激的なひと時だったぜ」
「ウフフ、本当ね。なんだか貴族様になった気分だったよ」
「まあ、俺たちは貴族ではないが、マロウータン様の家来になったからには今後このような機会は増えてくることだろう――」
ヨネシゲはカップをテーブルに置くと、舌を出しながら苦笑いを浮かべる。
「俺、礼儀作法とかなってないから、色々と勉強しないとな!」
「ええ、そうね。私も勉強しなくちゃ!」
すると、先程まで読書に没頭していたシオンが会話に加わる。
「その点はご心配なく!」
「シオン様?」
「礼儀作法については私がみっちりと指導させていただきます! お二人共、覚悟なさってくださいね!」
「あっはっはっ……ご指南のほど、よろしくお願いいたします……」
「ええ、お任せください!」
楽しそうにしてニッコリと笑うシオン。ヨネシゲとシオンは苦笑をこぼした。
その時である。
応接室の扉が突然開かれた。
「ゼェ……ゼェ……ゼェ……皆、待たせたのう……」
「「マロウータン様!」」
「お父様、お待ちしてましたわ! それにしても、どうされたのですか? そんなに息を切らして――あらあら、クラークとドランカドさんまで……」
「ウッホッホッ……これには事情があってのう……」
応接室に姿を現した男たちは、マロウータン、ドランカド、クラークだった。彼らは大量の汗を流しながら呼吸を乱している。その理由は――南部関所からドリム城まで行われた徒競走にある。
マロウータンは疲れ果てた様子で椅子に腰掛けると、扇をあおぎながらヨネシゲに茶を催促する。
「ヨネシゲよ、茶じゃ。茶を用意するのじゃ。とびきり冷えたやつで頼むぞよ!」
「あ、はい!」
ヨネシゲは言われるがままティーカップに熱々の紅茶を淹れる。
(――これじゃ家臣と言うよりも、マロウータン様のお世話係じゃねーかっ!)
そんな文句を心の中で漏らしながら、ヨネシゲはティーカップに右手を翳す。
「――さあ、キンキンに冷えろ……」
ヨネシゲが囁いた刹那、その右手とティーカッブが青白く発光。紅茶から立ち込めていた湯気が消えた。
そう。角刈り頭は空想術を用いて紅茶の温度を下げたのだ。
「マロウータン様、お待たせいたしました」
「うむ。ご苦労……」
マロウータンは紅茶をひと啜り。人差し指でこめかみを押さえる。
「ウッホ〜! 美味いぞ、ヨネシゲ! こりゃ生き返る! じゃが、頭がキンキンするぞよ……」
「ガッハッハッ! お粗末様です――」
その直後、応接室に扉をノックする音が響き渡る。その扉はヨネシゲたちの返事を待たずに開かれた。
そして、扉の外から現れた人物――マロウータンは瞳を見開いた。
「メテオ様……」
「マロウータンよ……!」
椅子から立ち上がったマロウータンに、メテオが駆け寄り――
「マロウータン!」
「メ、メテオ様……」
大公は白塗り顔を強く抱きしめ、涙を流した。
「……本当に……本当に……生きてて良かった……よく私の元まで帰って来てくれた……」
「――メテオ様もご無事で何より……またお会いできて嬉しゅうございます……」
二人は抱き合いながら静かに再会を喜ぶ。ヨネシゲたちと、いつの間に姿を現したバンナイら南都五大臣は、その様子を微笑ましく見守った。
その後、白塗り顔からここに至るまでの経緯を聞き終えたメテオが、ヨネシゲの前に立った。
「――君たちカルムの戦士たちの奮闘ぶりは、バンナイたちから聞いている。君たちが勇敢に戦っていなかったら南都軍の勝利は愚か、私の命もなかったかもしれない。礼を言わせてほしい……」
メテオは、ヨネシゲとドランカドの功績を称えると、頭を深々と下げ謝意を示した。
「メ、メテオ様! 頭をお上げください!」
「――すまない。却って気を使わせてしまったようだな……」
ヨネシゲに促され頭を上げた大公は、角刈りの両手を力強く握った。
「ヨネシゲ・クラフトと申したな。これからはクボウの家臣としてマロウータンと、この私を支えてほしい」
「はっ! このヨネシゲ・クラフト。全身全霊をかけて、メテオ様とマロウータン様をお支えして参ります!」
「うむ。頼りにしておるぞ!」
メテオはヨネシゲに微笑んで見せると、マロウータンに視線を移す。
「して、マロウータン。今日、この後の予定は?」
「ええ。これから皆で妻の屋敷に向かおうと思っております」
メテオは、マロウータンの予定を聞き出した上である提案を行う。
「そうか――もし時間が許すのであれば、今夜行われる晩餐会に出席しないか?」
「晩餐会ですか?」
「ああ。兄上は勿論、王子たちと、王都所縁の貴族たちが挙って出席する予定だ。そして今回、義姉様も出席される」
「王妃殿下も!?」
「うむ。これだけ王族が揃う機会は滅多にない――今後の為にも、クボウ父娘には是非参加してほしい!」
メテオは白塗りに真剣な眼差しを向ける。そして、シオンも父の背中を押すように――
「お父様! 出席です! 絶対に出席するべきです! 出席しなかったら後悔しますよ!?」
「シ、シオン?」
晩餐会ゴリ押しシオンに動揺しつつも、白塗り顔はメテオに返答する。
「――喜んで! 晩餐会、出席させていただきます!」
「よし、決まりだな!」
安心した様子で微笑むメテオ。その隣ではシオンがガッツポーズを決めていた。
そして大公は、ヨネシゲたちにも声を掛ける。
「そういうことだ。ヨネシゲたちも共に晩餐会を楽しもうぞ!」
「わ、私たちも!? よ、よろしいのですか!?」
「当たり前だ。君たちは、この国の危機を救ってくれた英雄の一人なのだからな!」
王族主催の晩餐会。
メテオから出席を求められたヨネシゲ、ソフィア、ドランカドは、驚いた様子で互いに顔を見合わせた。
――だが、このあと。ヨネシゲ・クラフトに悲劇が訪れる。
つづく……




