第1話 メアリーからの知らせ 【挿絵あり】
「おいっ! 待てよコラっ!!」
真っ暗闇の空間に響き渡るヨネシゲの怒号。
鬼の形相で追い掛けているのは一人の青年。その距離は次第に縮まり、角刈りは遂に青年を捕らえた。
ヨネシゲは青年を押し倒し、馬乗りになると、その顔を殴打する。
「お前だけは絶対に許さねぇ!! 絶対に許さねぇ!!」
怒号のヨネシゲは、青年の顔面に拳の雨を浴びせ続ける。やがて青年がピクリとも動かなくなると、角刈りの猛攻が収まる。
ヨネシゲが立ち上がり動かなくなった青年を見下ろした直後、角刈りの勝利を祝福するが如く、天からは一筋の光が射し込む。気付くとヨネシゲの視界には、広大な花畑が映し出されており、青年も姿を消していた。
――雲ひとつない青空、照り注ぐ心地よい日差し、吹き抜ける爽やかな風。
先程までの怒りも嘘のように収まり、ヨネシゲの心はとても晴れやかだった。
突如、背後からヨネシゲを呼ぶ男女の声。聞き覚えのあるその声は、とても心地良いものだった。
彼が振り返ると、優しい笑みを浮かべる2人の男女が、こちらに向かって大きく手を振っているのが見えた。角刈りは二人の名前を口にする。
「ソフィア……ルイス……!」
2人の正体――それは、ヨネシゲの最愛の妻と息子だった。
角刈りは手を振り返す。
「今そっちに行くよ!」
ヨネシゲは2人の元へと歩みを進める。しかし、ここで予期せぬ出来事が発生した。
突如、辺り一帯に携帯電話の着信音が鳴り響いたのだ。
角刈りは辺りを見渡すが、音の発信源を特定することができない。それどころか視界が暗転。彼は再び真っ暗闇の空間に戻されていた。着信音だけは今も尚鳴り続く。
ヨネシゲは頭を抱える。
(まるで現実に戻された気分だ……ん? 現実……?)
ヨネシゲはハッとする。
今、自分が見ているものは「夢」であることに気付く。状況を理解した角刈りがゆっくりと瞳を開く。
――彼の視界には、自宅アパートの寝室の見慣れた光景が映り込む。閉められたままのカーテン。その隙間からは外部の光が漏れ出していた。そして今も尚、ヨネシゲの枕元では携帯電話が鳴動している。角刈りは眠い目を擦りながら体を起こす。
(なんだよ? こんな朝早くから……)
ヨネシゲは不機嫌そうな表情で、枕元の目覚まし時計に視線を向けると、その針は既に午前10時を指していた。彼は大きく息を漏らす。
(しまった……もうこんな時間か。昨日は少し飲みすぎたな……)
ヨネシゲは寝坊したことを反省すると、二日酔いの重たい体を起こし、携帯電話に手を伸ばす。ところが、彼が携帯電話を手にした途端、着信音が鳴り止んだ。
「なんだよもう、散々鳴ってやがったくせに……」
ヨネシゲはムッとした表情で舌打ちすると、着信履歴を確認する。
「あれ? 姉さんからだ。何かあったのかな? それに……こっちの知らない番号は何だ?」
着信履歴には、ヨネシゲの姉「メアリー」からの着信が数件、それとは別に見慣れない電話番号からも数件着信が入っていた。
(爆睡してたから気付かなかったよ。それにしても……)
――嫌な予感がする。突然角刈りを襲う不安。
(姉さんに電話しよう!)
早速、姉メアリーに折り返しの電話を掛けた。
――呼び出し音が鳴っている間、ヨネシゲは落ち着かない様子で部屋の中を行ったり来たりする。
「あ〜もうっ! 姉さん、早く出てくれ――あ、出た!」
呼び出し音が止まり、スピーカーの向こうから聞こえる微かな雑音――電話が繋がった。その途端、ヨネシゲはメアリーからの応答を待たずに、聞き取れない程の早口で要件を尋ねる。
「もしもし姉さん!? どうしたんだ!? こんな朝早くから電話掛けてきて!? 一体何があったんだ!? 教えてくれ!」
「ちょっ!? シゲちゃん、落ち着きなさい!」
案の定、メアリーから落ち着くよう促す。そして姉は、落ち着いた口調で弟に問い掛ける。
「シゲちゃん、今起きたの? 警察から電話は掛かってこなかった?」
「警察? あっ、確かに知らない番号から着信があったようだけど、一体何があったんだ!?」
突然メアリーが発した「警察」というワードにヨネシゲの思考がフリーズする。
メアリーの説明によると、見知らぬ番号の不在着信は警察からのものらしい。だとしたら、警察が自分に何の要件があるのだろうか?
ヨネシゲは己の記憶を辿る。今日まで警察の世話になるような出来事があっただろうか?
自慢ではないが、普段の行いは胸を張って人に話すことができる。善良な市民といったところだろうか。犯罪に手を染めることはまずない。警察の世話になることなど皆無――いや、一つだけ、警察の世話になった出来事がある。
ヨネシゲは確信した。
居ても立っても居られなくなった彼は、姉に真相を確かめる。
「姉さん! もしかして、奴が捕まったのか!?」
ヨネシゲが確認したい事実。それは、ある人物が警察に逮捕されたか否か。角刈りは簡潔に答えを求めた。弟から尋ねられたメアリーは、少し間を置いた後、ゆっくりと口を開く。
「シゲちゃん……心の準備をしてほしい。落ち着いて聞いてちょうだい」
ヨネシゲは苛立った様子で頭を掻く。
「姉さん! そういうのいいから! 早く教えてくれ!」
これから弟には、受け入れ難い事実を伝えなければならない。
メアリーは弟に気を強く求めるが、聞く耳持たず。興奮状態の彼にこれ以上何を言っても無駄であろう。諦めたメアリーは重たい口を開いた。
「昨日、ダミアンが警官に撃たれて死んだのよ」
「え? 何だって……? もう一度、言ってくれ……!」
ヨネシゲは自分の耳を疑った。これはきっと聞き間違いだろうと――いや、間違いであってほしい。
聞き直す角刈り。するとスピーカーからは、先程よりもハッキリした、姉の大きな声が聞こえてきた。
「ダミアンが死んだのよ!」
「ダミアンが……死んだ?」
「そうよ。今朝のニュースはこの話題で持ち切りよ!」
「冗談だろ……」
姉メアリーからの衝撃的な知らせ。
ヨネシゲは思考を停止させると、携帯電話を耳から離し、無意識のうちに通話終了のボタンを押した。
その場で呆然と立ち尽くすヨネシゲ。
(姉さんの言うことだから間違いはないだろう。だとしたら……何故、奴は警官に撃たれた? 一体何があったというのだ!?)
事実を確認しなければならない。
ヨネシゲは急いで警察に確認の電話を入れる。
(勝手に死ぬなんて許さないぞ――アイツは、法で裁かなければならない男なんだ――罪は絶対に償ってもらうぞ! ダミアン!!)
ヨネシゲは、込み上げてくる怒りで身を震わせながら、呼び出し音が鳴り続く携帯電話を強く握りしめた。
「ダミアン・フェアレス」
25歳の元アマチュアボクサー。
3年前、窃盗目的で民家に侵入した際、鉢合わせた親子2人を拳で撲殺。その後、その民家に火を放ち、証拠隠滅を計る。それからダミアンは、3年間逃走を続けた。
ところが昨晩、職務質問してきた警察官をナイフで襲った際、その場で射殺されてしまったのだ。
ダミアンは法の裁きを受けることもなく、この世を去った――ヨネシゲ最愛の妻子「ソフィア」と「ルイス」を殺害した罪を償うこともなく。
つづく……