第189話 タイガーの思惑
避難広場に向かって馬を走らす二人の中年男は、カルム領主カーティスと、クボウ家臣の大男リキヤだった。
二人の焦りを隠しきれないその顔は、脂汗を滲ませていた。
カーティスの後に続いていたリキヤが、彼の隣に並ぶ。
「――まさか、リゲルがルポの街に立ち寄ることになるとは、予想外でした……」
カーティスは悔しそうに言葉を口にする。
「これは私の失策だ。もっと慎重になってタイガー様を誘導するべきでした。ルポに誘導すればクボウ様との接触は必定。思わぬ火種を生みかねないというのに……」
「いえ、これは仕方のないことです。リゲルが目指すのは王都。そして、ルポはその王都へ続く街道上にあります。わざわざ街道から外れた場所に誘導してしまったほうが相手に不信感を与えてしまいます。それに――」
リキヤはカーティスを励ますようにして、言葉を続ける。
「我々クボウはリゲルと争うつもりはありません。いや、争う余力がないと言ったほうが正しいでしょうか。いずれにせよ、クボウとリゲルの問題でカルムにご迷惑をお掛けすることはありませんので、ご安心を」
申し訳無さそうに頷くカーティス。しかし彼の不安は完全に拭えていない。
「――しかし、マロウータン様とタイガー様の接触は避けるべきです」
「ええ。今日まで対立していた勢力のトップ同士が、いきなり顔を合わせたところで、良い話などできませんからな」
「ですな。それにしても、マロウータン様が既に避難広場に向かわれていたとは……誤算でした」
「はい。避難生活を送っている子供たちの為に、蹴鞠を披露されるとか……」
カーティスは「蹴鞠」というワードを聞いて瞳を大きく見開くも、直ぐに前方へと視線を向け、手綱を強く握る。
「リキヤ殿、急ぎましょう……!」
「承知!」
カーティスたちは避難広場を目指し急行した。
――突如、避難広場に出現した特設ステージ。
人々が物珍しそうにして、ステージ前に集っていた。
そして、そのステージ上には、上半身裸の筋肉男たち――マッスルたちが、炎を全身に纏い、踊り、ポーズを決めながら、雄叫びを上げる。
『ウーッ! マッスルゥゥゥッ!!』
マッスルたちが、口を揃えて咆哮を轟かすと同時に響き渡る爆発音。ステージの至る場所に赤色の火柱が発生する。辺りには熱気が伝わり、その光景を眺めていた人々の興奮は最高潮。広場には大きな歓声が響き渡っていた。
そんな観客となった群衆たちに、老年マッスル――リゲル家重臣「カルロス・ブラント」と、その部下のマッスルたちが食事を振る舞う。
「――さあ! カルムの皆さん! マッスルファイヤーを眺めながら、鶏肉とごぼう、大豆たっぷりの栄養満点汁、ブラント一族直伝『マッスル汁』でもいかがかな? これを食べれば君も明日からマッスルの仲間入りだ! お代は要らないぜ! さあ一度、ご賞味あれっ!!」
カルロスが呼び掛けると、人々はマッスル汁に飛び付いた。
その様子を横目にしながら、ステージの最前列でマッスルファイヤーを楽しむ老年男は――リゲル家当主「タイガー・リゲル」だ。虎入道は、ステージ上のマッスルたちを眺めながら、満足そうな笑みを浮かべて、拍手を送っていた。
その隣には――リゲル家筆頭重臣「バーナード」が控えていた。渋面の重臣が主君に尋ねる。
「タイガー様、宜しかったのですか?」
「何がじゃ?」
「マロウータンをあっさりと帰してしまって……」
重臣の問い掛けに、タイガーは不敵に口角を上げる。
「――仕方なかろう。マロウータンの言ったことは正しい。『全てはメテオ様の決めること』などと言われてしまっては、いくら儂とてこれ以上は何も言えん……」
タイガーは、積乱雲の如く顎髭を撫でながら、つい先程の事を思い返す。
それは、現在タイガーの手中にある、クボウ家の所領「ホープ領」について、マロウータンと言葉を交わした時のことだ。
『――現在、南都を含むホープ領は、儂の支配下にある。マロウータン殿には悪いが、これを手放すつもりはない』
『……タイガー殿……どこまでも狡猾ですな……』
『人聞きが悪いのう、マロウータン殿。勘違いするではないぞ。これも、そなたらの宝――ホープの民の為じゃ。民たちは非力な領主など求めておらん。求めるは、安寧と繁栄を齎す強き領主じゃ。そなたの父みたいな領主をな……』
『……ぐぬぅ……』
『残念じゃが、今のクボウ――マロウータン殿には、南都を、ホープを治めるだけの力は残っておらん。力無き者が領地を治めても、民を苦しめるだけぞ? 改革の連中に荒らされた現在のホープなら尚更じゃ』
『………………』
タイガーから正論を突き付けられたマロウータンは黙り込んでしまう。するとタイガーは予想外の言葉を口にする。
『じゃが、儂なら今の南都とホープを立て直すだけの力を持っておる。もし、そなたがホープの地に拘るのであれば――リゲルの一員としてホープを治めるのじゃ』
『な、なんじゃと……!? この儂に……リゲルの臣下に下れと申すか?』
『そうじゃ』
激震のマロウータン。タイガーは言葉を続ける。
『クボウは衰退の一途を辿っておる。恐らく、嘗ての栄華を取り戻すことは難しいじゃろう――』
『ふざけたことを抜かすなっ!!』
『ふざけてはおらん。儂は事実を述べたまでじゃ』
轟くマロウータンの怒号。一方のタイガーは冷笑を浮かべる。
そして虎入道は白塗り顔に決断を迫った。
『クボウを存続させ、ホープを治めたいと、本気で思っているのならば、リゲルに下れ。悪いようにはせん。じゃが、それが嫌というのであれば――』
虎は鋭い眼光を白塗りに向かって放つ。
『――儂から奪ってみせよ』
『ウホッ……』
『ん?』
『ウッホッハッハッハッ!』
突然、マロウータンは高笑いを上げた。流石のタイガーも呆気にとられた様子だ。
そして白塗り顔は笑うのをやめると、先程までとは打って変わり、毅然とした口調で言葉を返す。
『笑止。どうやら勘違いされているのは、閣下のほうじゃ』
『フッ……儂がか?』
『左様。そもそも南都有するホープ領は南都大公メテオ様の所領。我々クボウは、メテオ様に代わってホープを治めているに過ぎません』
『ほほう……そうきおったか……』
『もし、タイガー様がホープを治めたいのであれば、先ず、メテオ様にお伺いを立てるのが筋じゃろう――』
そしてマロウータンは丸眼鏡を掛け直し、タイガーを真っ直ぐと見つめた。
『――全ては、メテオ様がお決めになることじゃ!』
『フフッ……そなたの言う通りじゃな……判断はメテオ様に委ねよう……』
白塗りの言葉に、虎入道は愉快そうに笑みを浮かべた。
――回想に耽るタイガー。
そこへ、歩み寄っていく少女は10代前半。あえて特徴を挙げるなら、翡翠色の瞳と黒髪のツインテールだろうか。
虎が、その少女の存在に気付いたと同時に、それは起きた――
突然、少女は持っていた蹴鞠をタイガー目掛けて投げ付けたのだ。
蹴鞠は、虎入道のツルツル頭に命中。その蹴鞠は軽く弾みながら転がり、やがて停止する。
戦慄。辺りが一気に静まり返る。
一連の様子を目撃したマッスル、市民たちが身体を硬直させていた。
虎は、鋭い眼差しを少女に向ける。
「――お嬢ちゃん。儂が何か、悪いことしたかのう?」
タイガーが尋ねる。しかし少女は臆することは無かった。怒りを虎入道にぶつける。
「したよっ! おじさんは凄く悪いことをしたっ! おじさんが村に火を放たなければ、私とお兄ちゃんは、お父さんとお母さんと、離ればなれにならなかったのよっ! 私の……私の……私の幸せを返してよっ!!」
少女はそこまで言い終えると、両手で顔を覆い号泣する。
「――ライス領の……フリカケ村の難民か……?」
タイガーはそう呟くと、険しい顔付きで少女を見つめる。
そこへ、10代後半と思わしき少年が駆け寄ってきた。少女と同じ色の瞳と髪の毛――兄だろうか?
少年は、少女の名前を叫ぶと、その体を抱きしめた。
「メリッサっ! 大丈夫かっ!?」
「お、お兄ちゃん……」
少女は顔をしわくちゃにさせながら、兄の顔を見上げた。
妹メリッサを抱きしめる兄の名前はゴリキッド――そう。この二人はアトウッド兄妹だった。
タイガーが訊く。
「――察するに、そなたら二人。ライス領の者か?」
ゴリキッドは妹を抱き締めながら、虎を睨む。
「ああ、そうさ! 俺たちは、フリカケ村の村民だ! 今メリッサからも聞いただろ? お前らが村に火を放ったおかげで、俺たちの幸せは失われてしまったんだ!」
「――エドガーから締め付けられた生活が、幸せと申すか?」
「ああ、幸せだったね! 幸せだったよっ!! 例え……どんな締付けがあったとしても……家族と居られることが……どれほど幸せな事か……」
「……お兄……ちゃん……?」
メリッサの頬に、額に、大粒の雨が降り注ぐ――兄の瞳から零れ落ちる大粒の雫が。
辺りには兄妹の啜り泣く声だけが響き渡っていた。
タイガーはその様子を見つめながらゆっくりと腰を上げると、アトウッド兄妹の元まで歩みを進めた。
そして虎は、膝を地に着け、目線を兄妹と合わせると、メリッサに問い掛ける。
「少女よ。フリカケ村に戻りたいか?」
「――うん……」
メリッサは頷くも、その隣でゴリキッドが悔しそうにして身体を震わす。
「タイガーさんよ。村に戻ったところで、親に会える保証は無いんだぞ?」
「それは、戻ってみねばわからんじゃろう――」
タイガーはそういうと立ち上がり、右手を適当な場所に翳す。すると虎の右手が白色に発光した。その様子をアトウッド兄妹は不思議そうに見つめる。
やがて、タイガーが翳す右手の先に現れたのは、一体の想獣――巨大虎だった。
突然目の前に現れた猛獣に、アトウッド兄妹や市民たちは恐怖で身体を震わせる。
怯えるアトウッド兄妹にタイガーが言う。
「――巨大虎に乗って、フリカケ村に帰るがよい……」
思いがけない提案に、ゴリキッドとメリッサは顔を見合わせた。
――その頃、避難広場内の一角。イッパツヤとイヌキャットと共に蹴鞠を楽しむマロウータンの姿があった。その表情は晴れやか。誇らしげな笑みを浮かべていた。
(――ウホッ。あのタイガーを言いくるめてやったぞよ。メテオ様を差し置いて、南都とホープを配下に置こうなど言語道断じゃ。恥を知るがよい。ホープは絶対に渡さんぞよ!)
「所領は絶対に渡さない」――マロウータンは、そんな強い決意を右脚に込めて、蹴鞠を空高くへと蹴り上げた。
それを見た戦場泥棒ブラザーズは感嘆の声を漏らす。
「スゲー! 旦那、気合い入ってますね!」
「蹴鞠がもう見えないニャン! 星になったようだワン!」
マロウータンは拍手を送るブラザーズに眼差しを向ける。
「時に、イッパツヤ、イヌキャット」
「へ、へい。何でしょう?」
「そなたら。どこか行く宛はあるのか?」
「いいえ……またトロイメライ各地の戦場を巡って生計を立てるつもりです」
「まあ、そなたらの人生じゃ。儂がとやかく言うつもりはないが……もしその気があるなら、儂について来ぬか?」
「え!? 旦那と一緒に? それは……要するに……」
「儂が召し抱えてやると言ってるのじゃ!」
白塗り顔の提案を聞いたブラザーズは互いに顔を見合わせたあとに――
「「喜んでっ!」」
ブラザーズは笑顔で応じた。
マロウータンは「善き哉、善き哉」といった具合で頷いていると、聞き慣れた男の声が白塗り顔の耳に飛び込んできた。
「――そんじゃ、俺も召し抱えてもらいましょうか!」
マロウータンは声の主の姿を目にして、瞳を見開いた。
「ドランカド!」
「へへっ。俺もマロウータン様の家来にしてほしいですな」
マロウータンは扇を取り出して広げると、それで口元を隠す。
「ウホホ……いきなりどうしたぞよ?」
ドランカドは、真剣な眼差しを白塗りに向ける。
「――ヨネさん、クボウ様に仕官するんですよね?」
「まだ正式に返事は貰っていないが、あの男ならそうするじゃろう」
ドランカドはニヤリと口角を上げる。
「なら理由は一つです。俺もヨネさんと同じ夢を見たい……!」
二人はしばらく見つめ合い――マロウータンは扇を閉じる。
「――付いて参れ」
「はい! ありがとうございます!」
ドランカドは満面の笑顔を見せた。
その直後、思わぬ来客がマロウータンの元を訪れる。
突然、マロウータンたちの背後から聞こえてきたのは力強い拍手。一同振り返ると、そこには老年マッスル――リゲル家重臣カルロスの姿があった。
カルロスは馬鹿でかい笑い声を上げながら、マロウータンとの間合いを詰めていく。
「ワッハッハッ! マロウータン様。蹴鞠も話術も天下一! お見事でございますなぁ!」
マロウータンは眉を顰める。
「カルロス殿……聞いておったのか?」
「いやいや。盗み聞きしたつもりはございません。我々はただ、マッスル汁をお届けに参っただけです……」
「マッスル汁?」
マロウータンはカルロスの背後へ視線を向ける。
そこには数名のマッスルが、マッスル汁が盛られた器を両手で大事そうに持っていた。
カルロスが誇らしげに語る。
「我がブラント一族に伝わる秘伝料理です。鶏肉やごぼう、大量の大豆を味噌と一緒に煮込んだ絶品汁ですわっ! 是非一度、ご賞味ください!」
カルロスは語り終えると、マッスルたちにマッスル汁を配らさせる。
(確かに、美味そうじゃな……)
ネーミングセンスに疑問を感じるマッスル汁ではあるが、不覚にもマロウータンの口からは涎が漏れ出す。
「せっかくじゃ。いただこう……」
マロウータンは平常心を装いながらも、その脳内はマッスル汁の事でいっぱいだ。
マロウータンがマッスル汁に口を付けようとした時のことだった。カルロスがわざとらしく声を上げる。
「あっ! そうそう! マロウータン様。膳は急げと言いますからなぁ」
「は?」
老年マッスルが発した意味深な言葉に、白塗り顔は首を傾げる。するとカルロスはマロウータンの耳元に顔を近付け、耳打ちするようにして語り掛ける。
「――こんな所で蹴鞠などしておってよろしいのかな?」
「なんじゃと?」
「あのタイガー様が、念願だった南都とホープ領を簡単に手放すとお思いか?」
「!!」
筋肉オヤジが口にした不穏な言葉。白塗り顔は冷や汗を流す。そして老年マッスルは囁くようにして続ける。
「――マロウータン様が指摘された通り、南都とホープ領はメテオ様の所有物。それをリゲルの領地とする為には、メテオ様の了承を得る必要があります。そうなると、早速タイガー様はメテオ様と交渉を行うことでしょう」
マロウータンは不安を誤魔化すようにして口角を上げる。
「交渉は無駄に終わることじゃろう。メテオ様とクボウは深い絆で結ばれておる。儂らを差し置いて、リゲル様にホープを任せるようなことはなかろう……」
だが、カルロスは不敵に口角を上げる。
「――果たしてそれはどうですかな?」
「何?」
「メテオ様は少々お気の弱いお方だと存じております。そのことは側近であられるマロウータン様が一番ご存知の筈……」
「ま、まさか、そなたら……メテオ様を脅すつもりか?」
「ワッハッハッ! 人聞きが悪いですぞ。ただ私は、タイガー様の気迫に、メテオ様が耐えられるかどうか心配しておるのです――」
そしてカルロスはマロウータンの肩を叩く。
「――助言致す。一刻も早く王都に入り、メテオ様のお側に控えておられよ。タイガー様に先を越されたら――クボウ様はお終いですぞ」
「その助言、しかと受け止めた……」
老年マッスルは忠告を終えると、白塗りたちに背を向ける。
「――タイガー様は夜明け前にルポを発つ予定です。移動のペースも上げて行くことでしょう。のんびりもしてられませんぞ?」
そして、カルロスはマッスルたちを引き連れ、その場から離れていく。
「――さあ、マッスル汁。冷めないうちにお召し上がりくだされ! ワッハッハッハッ!」
カルロスの高笑いは、いつまでも轟いていた。
マッスルの後ろ姿を見つめながら、白塗り顔が呟く。
「――急がねばならぬ。ヨネシゲよ……返事を聞かせよ……!」
マロウータンは急ぎ足で、ヨネシゲの元へと向かった。
――次回、真・家族会議。そして、旅立ち。
つづく……




