第188話 リゲル来領(後編)
突然。避難広場に蹄の音が響き渡る。それも一頭だけではない。数頭は居ることだろう。
ヨネシゲたちは近付いてくる馬に視線を向ける。やがて見えてきたのは、4頭の馬と、それに跨る軍服姿の4人の少年少女たちだった。
ヨネシゲは思わず口角を上げる。
「おお、あれはルイスだ! ソフィア、カレンちゃん、見ろよ! ルイスが帰ってきたぞ! それにアラン君とアンナちゃん、ヴァル君もいるぞ!」
「ええ、本当ね! 仕事も無事に終わったみたいだね!」
「……ル、ルイス君……!」
ソフィアも嬉しそうに微笑み、カレンは頬を赤く染め上げた。
そう。ヨネシゲの瞳に映った少年少女とは、自慢の一人息子のルイス。そしてルイスの先輩、カルム学院3年にして空想術部三人衆のアラン、ヴァル、アンナだった。
ルイスたちは、適当な場所に馬を止めると、下馬し、ヨネシゲの元まで駆け寄ってきた。
ヨネシゲは満面の笑みで出迎える。
「ルイス! みんな! 遅くまで、お疲れ、お疲れ!」
「父さん、ただいま」
笑顔で挨拶するルイス。その後を三人衆が続く。
茶髪のイケメン――カルム領主の息子「アラン」が微笑みながら。
「ヨネシゲさん、お久しぶりです! またお会いできて嬉しいです!」
続けて、金髪ポニーテールの少女アンナが淑やかに。
「ヨネシゲさん、おかえりなさいませ。ご無事で何よりです」
最後に、短髪の兄貴肌少年ヴァルが元気よく。
「お疲れ様です! ヨネさんなら必ず帰って来てくれると信じてました!」
「――ただいま! みんなもよく無事でいてくれた」
ヨネシゲは満面の笑みでルイスたちの顔を見渡す。だが、彼らは何故か険しい表情を見せると、角刈りたちの前で横一列に整列。不穏な空気を察したヨネシゲが透かさずルイスたちに尋ねる。
「――どうやら、穏やかじゃなさそうだな。何かあったのか?」
「ああ。実は――」
ルイスが父親に状況を説明しようとした頃――
「――ほよよ? また誰か来たぞよ?」
蹴鞠を披露していたマロウータンが、馬に跨る集団に気が付く。
白塗り顔は眼鏡を掛け直すと、集団の戦闘に目を凝らす。
「――あ、あれは!? 何故あの男が……カルム領に……!?」
予想外の出来事に言葉を失うマロウータン。白塗り顔は持っていた蹴鞠を落とした。
その最中、ルイスたちによる説明が続いていた。
「――何!? タイガー・リゲルがここに来るだって!?」
「ああ。この避難広場を視察するらしい……」
「そりゃたまげたぜ……」
息子からの説明を受け、ヨネシゲはただただ驚くばかり。そんな角刈りに、アランが不安を口にする。
「タイガー様も支援の為に兵を割いてくれるなど、カルムに好意的です。ただ……俺たちタイロン家は所謂国王派。国王に反発するリゲル側から接触してくるとは予想外でした。新たな火種にならなければよいが……」
ヨネシゲはアランの肩を叩く。
「ヨネシゲさん?」
「心配するなって。きっとアラン君のお父様が上手いことやってくれるさ! それに、俺とマロウータン様が火種なんて作らさせないさ」
「……え? それって――」
その時。
突然、周囲が騒がしくなる。
そして、馬に跨るある集団が避難広場に姿を現す。その中の、黒馬に跨る老年男。雷雲のような立派な髭と、つるつる頭がトレードマーク。鋭い眼光を周囲に向けて放っていた――ただならぬ威圧感。
ヨネシゲは息を飲んだ。
「――あれが……噂の……タイガー・リゲル……!?」
「うん。そうだよ……」
ヨネシゲが漏らした言葉にルイスが相槌を打った。
一同、固唾を飲んで最強の男を見つめていると――虎がギロッとこちらに鋭い眼差しを向ける。
今のヨネシゲたちの心境を表すなら、猛獣に睨まれた草食動物といった気分だろう。
恐怖のあまり、ソフィアはヨネシゲの腕を抱きしめ、カレンはルイスの手をギュッと握った。
やがて、ヨネシゲたちの前までやって来たタイガーは下馬。息子のレオや重臣たちと一緒に、角刈りの前に聳え立つ。
虎の身長は2メートルを優に超える。長身のルイスやアランが小さく見える。
タイガーは、緊張した面持ちのアランに向かって右手を差し出した。
「挨拶が遅れた、カーティス殿の息子。今宵は世話になる」
「こ、こちらこそ申し遅れました! カルム領主カーティスの長子、アラン・タイロンです! 遠く離れたアルプ領から、このカルムの地にお立ち寄りいただき恐縮です!」
「あっはっはっ……そう改まらんでもよい。寧ろ、斯様な時に訪れてしまってすまんのう。じゃが、現状を知りたかった。カルムの惨劇をこの目で……カルムの民たちの声をこの声で聞きたかったのじゃ……」
「タイガー様……」
憂いの表情で語る虎。それを聞くアランは恐縮した様子だ。
ここでタイガーの視線がヨネシゲたちに移される。
「――そなたらは、カルムの民じゃな。此度の一件、誠に気の毒じゃったな……」
「お気遣い、痛み入ります」
角刈り頭は深々と頭を下げた。そんな彼を見つめながら、虎入道は顎に手を添える。
「そういえば、カルムには角刈り眼鏡の英雄がいるそうじゃのう。先のブルーム平原での戦いでも、大きな功績を残したという噂を聞いておるが――まさか、そなたの事か?」
ヨネシゲは顔を強張らせながら、タイガーを見上げる。
「は、はい。そ、それは恐らく……俺、いえ、私の事です……」
角刈りの返事を聞いたタイガーは、その名を尋ねる。
「おぉ、奇遇じゃのう。せっかくカルムに来たのだから、そなたの顔を一目見たいと思っていたところじゃ。名は何と申す?」
「あ、はい。ヨネシゲ・クラフトと申します!」
「ヨネシゲか! 良い名じゃ。どうじゃ? 儂に仕えぬか?」
「え? えっ!? タ、タイガー様に!?」
「そうじゃ」
ヨネシゲは腰を抜かす。
なんと、あのタイガー・リゲルから仕官の話を持ち掛けられたのだ。
タイガーにしてもマロウータンにしても唐突過ぎる打診。ヨネシゲはタイガーにその理由を尋ねる。
「タイガー様……私なんかに何故、仕官の話を?」
「あっはっはっ。単順に、強い男が好きだからじゃ。この最強と呼ばれるリゲルに弱き者は必要ない。一人一人が強者でなくてはならぬ。じゃから、各地の猛者と出会った際には、こうして声を掛けておる。それに―――」
「――それに、なんでしょう?」
タイガーは一度言葉を止める。不思議に思ったヨネシゲが尋ねると、虎入道は角刈りの瞳を真っ直ぐと見つめる。
「――そなたからは、底知れぬ何かを感じる。神が……そなたに何か特別なものを授けたような気がするのじゃ……」
ヨネシゲは苦笑いを見せる。
「ナッハッハッ……そんな、まさか……」
「儂が言うんじゃ、間違いはない。そなたから漏れ出す想素は……常人のものとは違う……」
タイガーの口から発せられる予想外の言葉の数々にヨネシゲは言葉を失う。そんな彼には気にも留めず、タイガーが本題に戻す。
「ヨネシゲ・クラフト」
「は、はい!」
「儂に仕えよ。儂ならそなたの才能を開花させてやることができる!」
「い、いえ……私は……」
「何が望みじゃ? 金か? 所領か? 或いは地位や権力か? そなたが望むなら、その全て、儂が叶えてやることができるぞ?」
「わ、私は……」
迫るタイガー。ヨネシゲは断るための無難な言葉を探していた。
その時だった。
甲高い中年男の声が、辺りに響き渡る。
「――タイガー公爵閣下。ご無沙汰しております……」
タイガーは声の主に視線を向けると、不敵に口角を上げる。
「これはこれは、マロウータン殿。久しいのう。十年ぶりくらいかのう?」
「ええ。サンライトでの会談以来でございます」
そう。タイガーの前に姿を現したのは、南都の白塗り貴族――マロウータン・クボウだった。
白塗り顔は、呆然と立ち尽くすヨネシゲの元まで歩み寄ると、その肩に腕を回す。
「すまぬが、閣下。彼は既に、儂に仕える事が決まっておる」
「ちょ!? マロウータン様!?」
タイガーがヨネシゲに訊く。
「ヨネシゲよ。マロウータン殿が言うことは誠か?」
ヨネシゲはマロウータンの顔を見つめると、白塗りは静かに頷いた。そして角刈りは虎入道に言葉を返す。
「半分本当で、半分嘘です」
「ありゃ!?」
ヨネシゲの言葉を聞いたマロウータンはずっこける。一方のタイガーはヨネシゲの曖昧な返事に眉を顰める。
「――それはつまり……どう解釈したらよい?」
ここで偽りを語っても何の得にもならない。ヨネシゲはタイガーに包み隠さず事実を伝える。
「実は、既に私はマロウータン様からクボウ家仕官の打診を受けております。そのお返事もまだできていません……」
「――ほう。なるほどな……」
そして虎は角刈りに問う。
「察するに……そなたの心は既に決まっておるようじゃのう」
「はい……」
ヨネシゲはゆっくりと頷いた。
そして、タイガーは残念そうにして言葉を漏らす。
「なら、無理押しはできんのう。じゃが――トロイメライの歴史を塗り替えるような怪物を、一度でも良いから、見てみたかったのう……」
タイガーはそう言うと満天の星を見上げる。その右手は自身のみぞおちに添えられていた。
険しい表情で虎入道を見つめるヨネシゲ。そこへルイスが歩み寄ってきた。
「――父さん」
「ルイス?」
「――マロウータン様からの仕官の話……俺にも詳しく教えてよ」
そう。ヨネシゲはまだ息子に伝えていなかった。クボウ家への仕官の話を。
「ああ。これから家族で話そうと思っていたところだ――」
ヨネシゲは隣のマロウータンに断りを入れる。
「マロウータン様。これから家族と話し合いを行います。今日はこの辺りで……」
「あい、わかった。良い返事を待っておるぞ」
「はい。ではこれで……」
クラフト一家は、マロウータンに一礼すると、その場を後にした。
ヨネシゲたちの後ろ姿を見つめるマロウータンに、虎が歩み寄り――
「それでは、マロウータン殿。マッスルファイヤーでも眺めながら、食事でもどうじゃ?」
「食事……ですか……?」
「クボウとは色々と話をせねばならんからのう。例えば、南都やホープ領の今後について――」
白塗り顔の額からは、大量の冷や汗が流れ落ちるのであった。
つづく……




