第187話 リゲル来領(中編)
リゲルの大軍は、カルム領主カーティスに誘導され、ルポタウン手前の野原に到着。今夜はここで野営となる。兵士たちは炊事の準備に追われていた。
その様子をタイガーとカーティスが馬上から眺める。
「――柔らかい芝生に、澄んだ水の小川……実に良い場所じゃ。野営にはもってこいの場所じゃのう」
「お褒めいただき、恐悦至極に存じます」
「そう改まるでない。斯様な時に気を使わせてしまいすまぬ。カルムを迂回することは可能じゃったが、カルムの惨劇をこの目に焼き付けておきたかったのじゃ……」
「左様でございましたか……」
「カーティス殿。儂らリゲルは可能な限り支援いたす。遠慮せずに何なりと申し付けよ」
「ご厚情痛み入ります――」
そしてカーティスは改まった様子で、要望を伝える。
「――差し迫る問題では、食料や医療品の確保。また、医師や空想治癒師の数が圧倒的に足りていません。願わくば軍医をお借りしたい。このままでは、救える命も救えません……」
カーティスは悔しそうにして歯を食いしばる。虎入道はその表情を横目で見つめながら、返答する。
「あいわかった。我がリゲルが誇る軍医師団を各医療施設に派遣しよう。また兵も一万……いや二万程お貸しいたす」
「ニ、ニ万も!? よ、よろしいのでしょうか?」
「人命優先じゃ。足りぬなら更に追加でお貸しすることも可能じゃが……」
「ありがとうございます。ですが、既にクボウ様からも兵をお借りしておりますので、一先ずはこれで――」
「――ほう。クボウが居るのか?」
「!!」
眉間にシワを寄せるタイガー。カーティスは戦慄する。「クボウ」は失言だったと。何故ならリゲルとクボウの関係は良好とは言えない。小競合いこそあったが、領土を巡って一触即発の状態が長年続いていたからだ。
いや。失言以前の問題だ。リゲルがこのカルム領を訪れたからには、クボウの面々と相見えるのは必定。タイガーたちをルポタウンまで誘導してしまったのは、カーティスにとって失策だった。
だがタイガーは、あたふたするカーティスに、にっこりと微笑み掛ける。
「――流石はクボウじゃ。南都の一件で余裕はない筈なのじゃが、他領の民に尽くす心意気、あっぱれじゃ」
虎入道の言葉を聞いたカーティスが、ほっと胸を撫で下ろす――が、彼は予想外の言葉を聞くことになる。
「――それにしても、儂も今朝聞いた|が……オジャウータンの息子生きておったそうじゃな。善き哉、善き哉。せっかくの機会じゃ。酒でも酌み交わしたいのう」
「恐れながら、タイガー様……」
「なんじゃ?」
「マロウータン様がご存命されていたこと……どこからの情報でございますか……?」
実はカーティスの元にマロウータン生存の情報が入ったのは昼前のこと。常識的に考えたら先程到着したばかりのタイガーが、その情報を既に手に入れているのは不自然なことだ。
カーティスの問い掛けに、タイガーは惚けた表情で答える。
「あぁ……風の噂じゃ。リゲルの兵は、噂話が大好きじゃからのう。アッハッハッハッ……」
不敵に笑うタイガー。
その隣ではカーティスが険しい顔つきで冷や汗を流していた。何故なら大方の検討がついたからだ。
(ルポの街に――このカルム領に密偵を忍ばせていたな。王国各地に密偵支部を置いているという噂はよく耳にしていたが……リゲルの強さの源は、この伝達性に優れた情報網にあるのかもしれない……)
半ば感心した様子のカーティス。するとタイガーが馬を歩かす。
「タイガー様、どちらに?」
「避難所を視察しようと思う。民たちの生の声を聞きたいからのう……」
タイガーはそう答えると、カーティスの返事を待たずにルポの街に向かい移動を始める。その後ろを息子のレオ、重臣のバーナードとカルロスが続いていく。
カーティスはタイガーたちの後ろ姿を見つめながら、後方に控えていたアランを呼び寄せる。
「アラン」
「はい、父上!」
「先回りして、避難所の民たちにタイガー様が来ることをお伝えするのだ。くれぐれも失礼のないようにと……」
「はっ!」
「私はアッパレ様とリキヤ殿の元へ向かう。マロウータン様の詳しい所在は不明だが、今この場でタイガー様との接触は避けるべきだろう……」
「承知しました。避難所の方はお任せを!」
「頼むぞ!」
そしてカーティスは、ルイスと、カルム学院空想術部三人衆のヴァル、アンナに体を向ける。
「ヴァル君、アンナちゃん、そしてルイス君。すまないが、息子に協力してほしい」
カーティスの頼み。もちろん、ルイスたちは二つ返事で快く引き受けた。
炊き出しの手伝いをしていたヨネシゲたち。ちょっとしたアクシデントはあったものの、混雑のピークは越え、彼らもようやく食事の時間を迎える。
角刈りの元に休憩を終えたアトウッド兄妹が姿を現す。
「ヨネさん、お疲れ。交代の時間だぜ」
「ありがてえ。ゴリキ、メリッサ。後は頼んだぞ!」
「ああ、任せてくれ!」
「おじちゃん、ゆっくり休んでね」
「おう! ありがとな!」
ヨネシゲから仕事の引き継ぎを受けた兄妹は、仲良く持ち場へと向かう。その後ろ姿をヨネシゲは微笑ましく見つめるのであった。
すると、ソフィアの呼ぶ声が聞こえる。
「あなた、私たちも食事にしましょう。海鮮ピラフとシチュー、冷めないうちに持ってってくださいな。はい、カレンちゃんも!」
「おう! サンキューな!」
「ルイス君のお母さん、ありがとうございます!」
ヨネシゲは、一緒に炊き出しの手伝いをしていたカレンと共に、台の上に置かれた海鮮ピラフとシチューが盛られた皿を手に取る。
「やっとこのピラフとシチューが食えるぜ! 手伝ってる最中から涎を堪えるのに必死だったよ」
「フフフ。私もです」
その後、場所を移動したヨネシゲたちは、運良く空いていたベンチに腰掛ける。3人だと少々窮屈なベンチは、ヨネシゲの両隣にソフィアとカレンという構図だ。
ヨネシゲは鼻の下を伸ばす。
「ガッハッハッ! こりゃ両手に花だぜ!」
「あなた。カレンちゃんも居ますし、恥ずかしいからやめてちょうだい」
「ガッハッハッ! ドンマイドンマイ。つい嬉しくなっちまってな」
ヨネシゲは頭を搔きながら笑い飛ばす。その様子をソフィアは苦笑い、カレンは恥ずかしそうに頬を赤く染めながら見つめていた。
若干であるが、気不味さを覚えたヨネシゲは、誤魔化すようにして話題を振る。
「それにしても……ルイス、遅いな」
ソフィアが頷く。
「ええ。辛い仕事と言ってたから――恐らく、難航してるのでしょう……」
「そう……だよな……」
先程までとは打って変わって、ヨネシゲの表情は一気に険しいものへと変わる。
「辛い仕事」――それは、ルイスとアランが会話していた際に、ソフィアが耳にしたワード。その具体的な内容は語られていないが、2人の会話から大方の検討はできる。ヨネシゲもソフィアからその会話内容を聞かされていた。
角刈りは、辛い仕事を買って出た息子を心の中で称える。
(ルイス、辛い仕事をよく買ってくれた。お前の勇気と決断が多くの人たちの助けになるだろう。ルイス……お前は本当に俺の自慢の息子だ!)
ヨネシゲは、どこか嬉しそうに瞳を輝かせながら星空を見上げる。そんな夫の胸の内を察したソフィアは優しい微笑みを浮かべた。
――それは、ヨネシゲたちが食事を終えた頃だった。突然周囲から人々の笑い声が聞こえてきた。
「――なんだ?」
ヨネシゲはベンチから立ち上がりその様子を窺う。よく耳を凝らすと、その笑い声の半数以上が、幼い子供たちで構成されているようだ。
ソフィアとカレンも不思議そうにしてベンチから立ち上がる。
「あなた。ちょっと様子を見に行きましょう」
「おう。そうだな!」
「ルイス君のお父さん。私もご一緒してもよろしいですか?」
「もちろんだよ! 一緒にいこうぜ!」
「はい!」
笑い声の先――きっと楽しい「何か」が行われている筈だ。ヨネシゲたちは期待に胸を膨らませながら、笑い声の元へと向かった。
やがて辿り着いたのは、避難所内に設けられた子供用の公園スペース。そこでヨネシゲたちが見たものとは――
「ほよっ! ほれぇ! あらよっと!」
華麗な蹴鞠を披露する白塗り顔と、その隣で蹴鞠と格闘するイッパツヤとイヌキャットだった。その様子を眺めるのは大勢の子供たち。まだ幼い少年少女は腹を抱えながら笑い声を上げていた。
つづく……




