第186話 リゲル来領(前編)
間もなく日没を迎える頃。
避難所に立ち並ぶ各テントに明かりが灯される。その内の一張に、2人の男女の姿があった。
両腕を頭の後ろで組み、仰向けになりながら天井を見つめる青年。彼は自称「ヨネさんの飲み仲間」である「ドランカド・シュリーヴ」だ。
そして、ドランカドの、破けたズボンを裁縫する年齢不詳の女性は「リサ」である。カルム市場内で果物屋を営んでいた店主であり、ドランカドの雇い主でもある。
彼女はズボンの補修を終えると、真四角男に声を掛ける。
「あいよ、ドランカド。縫い終わったよ」
「リサさん、ありがとうございます! まさか、しゃがんだと同時にケツの所が破けるとは予想外でしたよ〜」
「まったく。戦から帰ってきても世話が焼ける子だね。前々から思ってたけど、そのズボン、サイズ合ってないよね? ピチピチだよ?」
「へへっ。一目惚れしたズボンだったんですけど、このサイズしかなくて……」
ドランカドはリサからズボンを受け取ると、満面の笑顔を見せた。そんな彼にリサが尋ねる。
「それにしても、ずっと考え事をしてたようだけど――ヨネさんの事、考えてたのかい?」
「え、ええ。リサさんには全てお見通しのようですね……」
ドランカドは一気に表情を曇らすと、胸の内を語る。
「――どうやら、ヨネさんの意思は固いようです。恐らくマロウータン様からの仕官を受け入れることでしょう。そうなると、ヨネさんとはお別れになっちゃいます。
俺は、これからもヨネさんと一緒に夢を語り合いながら、酒を酌み交わしたかった。カルムの復興と行く末を一緒に見届けたかったんですがね……
だけど、これでヨネさんと一緒に酒を飲む機会も無くなってしまうことでしょう。下手をしたら、もう会えないかもしれません。
ヨネさんが居なくなっちゃうと思うと、心にぽっかりと穴が空いた気分になります……」
寂しそうに語るドランカド。
するとリサが思わぬ提案を持ち掛ける。
「――なら、ヨネさんと一緒に付いていったらどうだい?」
彼女の提案を聞いたドランカドが慌てた様子で首を横に振る。
「いやいや! リサさんを一人にする訳にはいきません! リサさんには――返し切れない程の恩があります。俺はリサさんが命尽きるその時まで恩返しすると決めています! リサさんを置いていく訳にはいきませんよ!」
「あっはっはっ! 相変わらず大袈裟だね」
「大袈裟じゃないっすよ。それに――」
「それに?」
「――ヨネさんに付いて行けば、間違いなく王都入りすることでしょう。王都には親父――家族や親族が住んでいます。シュリーヴ伯爵家から縁を切られた俺が、どのツラ下げて王都に入ればいいのでしょうか? 第一、俺にはマロウータン様から何のオファーもありません。俺はお呼びじゃないんですよ……」
弱々しい声で語るドランカド。リサは大きく息を吐いた後、励ますようにして声を掛ける。
「らしくないじゃない。王都へ入るのに、縁を切った親の顔色を窺う必要があるのかい?」
「リサさん……」
「私から言わせりゃ、縁を切った親なんてもう他人だよ。それに王都はシュリーヴ伯爵のものなのかい?」
「いえ……親父のものじゃないですが……」
「だったら、胸張って王都の関所を通れるでしょ?」
「確かにそうですね。でも……先程も言った通り、マロウータン様からのオファーが……」
「そもそもアンタ、マロウータン様と話はしたのかい?」
「へ、へい。ここへ来てからまだ顔すら見てません……」
「はぁ~、呆れたね。まだ会ってもいないのに『俺はお呼びじゃないっす』とか言ってるのかい。そんなの聞いてみないとわからないでしょ!?」
「へ、へい……」
唐突に始まるリサの説教。ドランカドは体を小さく丸めながら彼女の言葉を聞く。
そして彼女から予想外の言葉を聞くことになる。
「――もし、マロウータン様がクボウ家の仕官を認めてくれなくても、ヨネさんの家来になればいいだけの話でしょ? クラフト家の家来になればいいのよ!」
「そ、その手があったか……!」
ドランカドは驚いた様子で細い目を大きく見開いた。
リサはその様子を見つめながら高笑いを上げる。
「アッハッハッハッ! アナタ、元伯爵令息の癖して、そんなこともわからないのかい?」
「すんません。お恥ずかしい限りです――でも……リサさん……!」
ドランカドは、リサに自分の想いをぶつけようとする。すると彼女はその言葉を遮った。
「――ドランカド。アンタが言いたいことはわかってるさ。だけど、私への気遣いは無用だよ……」
「でもリサさん!」
「――私はアンタを実の息子のように可愛がってきたつもりさ。亡くなった息子の分までね。だけど――子供はいずれ、親の元を巣立つ時が来る。それはアンタも例外じゃない――」
そしてリサは神妙な面持ちで胸の内を語る。
「――実は、実家の両親から「故郷に戻って来い」と度々手紙を貰っていてね。
そもそもこのカルムの地にやって来た理由は、現実逃避するためだった――故郷に居ると戦死した旦那と息子との思い出が蘇ってしまって、とても辛かったからね。
だけど、あの日から10年近くの年月が流れて、私もようやく現実と向き合えるようになってきたわ。不思議なことに、ここ最近は、故郷に戻って家族の思い出に浸りながら、両親とゆっくり暮らしたいと思ってたところなの。それこそ、店を閉めて故郷に戻ろうと本気で考えてたわ。だけど――」
ここでリサが言葉を詰まらす。だが、ドランカドは彼女が何を言おうとしていたかわかっていた。
「――俺のために……店を開き続けていたんですね……」
リサは小さく頷く。
「――当時、路頭に迷っていたアンタを見捨てられなくてね。仕事が無くなったら……アンタ、困るでしょ?」
「――面目ねえ……面目ねえ……」
ドランカドは右手で目元を覆うと、歯を食いしばりながら俯いた。リサはそんな彼の頭を撫でながら言葉を続ける。
「――今回の襲撃で店は失ってしまった。正直、もう私に店を建て直す気力はないわ。店を閉めるには、今が頃合いなのさ……」
そして、彼女はドランカドに問う。
「ドランカド。これはあくまでも……私の考えになるけど、子供が親にできる一番の恩返しって何だと思うかい?」
「一番の……恩返しっすか……?」
ドランカドは涙が零れ落ちる細い目でリサを見つめた。すると彼女は、優しく微笑み掛けながら彼にその答えを伝える。
「それは――親の元を無事に巣立ってくれることさ。もし……私に恩を感じているのであれば――ドランカド、私の元から巣立つんだよ! もうアンタは、私の助け無しでも生きていける。なんたってアンタは、私のもう一人の……立派な息子なんだからさ……」
リサはハンカチを取り出すと、ドランカドの涙を拭ってあげる。
「――アンタの折れた翼は元通り……大丈夫だから……自信を持って羽ばたいていきな……」
ドランカドは顔をしわくちゃにさせながら、何度も、何度も、力強く頷いた。
「さあ、ドランカド。湿っぽいのはもう終わりだよ。夕食を食べに行くわよ」
「はい……!」
ドランカドは腕で涙を拭い、晴れやかに微笑んで見せると、リサと腕を組み、テントを後にした。
決して、血の繋がりもなく、縁組をしたわけでもない二人の男女。だが、その深い絆は、実の親子にも負けず劣らないものだった。
――その頃、ルポの避難広場中央では、炊き出しが行われており、避難者に夕食が振る舞われていた。
本日の夕食は、カルム産の野菜を使用したシチューと、海鮮ピラフ。シチューはカルム領軍の兵士たちが、海鮮ピラフはクボウ軍の兵士たちが調理した。
その料理の受け渡し場所には、ヨネシゲの姿があった。彼は海鮮ピラフの盛り付け係を担当していた。
リタとゴリキッドは、角刈りが皿に盛った海鮮ピラフを受け取ると、行列の市民たちに手渡していく。
そして、ヨネシゲの隣りにはソフィア――ではなく、とある少女がシチューを皿に盛っていた。
黒髪ミディアムヘアの小柄な少女。彼女の正体は、カルム学院演劇部の副部長、ルイスの恋人「カレン」だった。
カレンもまた、今回の襲撃で大きな怪我を負うことなく、このルポタウンまで家族と逃げ切ることに成功したのだ。
ヨネシゲは、海鮮ピラフを盛り付ける右手に視線を集中させながら、カレンに声を掛ける。
「カレンちゃん、ソフィアから聞いたが……毎日ルイスのお見舞いに行ってくれたみたいだな。ルイスもとても励みになったことだろう。ありがとな!」
ヨネシゲは優しく微笑みながら、カレンに視線を向ける。彼女はヨネシゲと目が合うと満面の笑顔をみセル。そしてカレンは、シチューを皿に盛りながら、角刈りに言葉を返す。
「本当に、私のお見舞いが励みになってたなら良かったのですが」
「なってるさ! だってルイスはカレンちゃんにメロメロなんだからな!」
ヨネシゲの言葉を聞いたカレンは、恥ずかしそうに顔を真赤に染める。
「――ル、ルイス君のお父さん……声が……大きいです……」
「ガッハッハッ! すまんすまん、ドンマイだな」
「フフフ……でも、ルイス君、いつの間に退院してて驚きましたよ。今朝、病院に行ったらどこにもいないんですから」
「ハッハッハッ。驚かせてしまって、すまなかった。退院したのは昨日の夜遅くのことだったからな」
「いえ、大丈夫です――」
突然。ヨネシゲの耳に届いてきたのは、少女の啜り泣く声。
角刈りがカレンに視線を向けると、彼女はシチューの盛り付けを中断させて、ポロポロと涙を零していた。
心配したヨネシゲが透かさず声を掛けると、カレンが涙声で言葉を返す。
「カレンちゃん……どうしたんだ? 大丈夫か?」
「はい……その……ルイス君が退院してくれて、本当に良かったなと思っていたら……涙が込み上げてきちゃって……」
「――ルイスのことを大切に思ってくれているんだな……」
「はい……」
「――どうか、末永く……俺の息子を支えてやってくれ……」
赤面のカレンはヨネシゲの顔を見上げる。
「え? えっ!? それって!? つ、つまり……け、け、け、結婚――!?」
「お、おい! カレンちゃん!?」
カレンはぐるぐると目を回しながらその場に倒れてしまった。
――その頃。
ルポタウンに、あの軍団が迫っていた。
黄色い甲冑に身を包んだ兵士の数は10万以上。「晴天照々法師」の旗印を掲げ、一糸乱れぬ動きで前進する隊列は――最強軍団「リゲル軍」の兵士たちだった。
その大軍勢の先頭で、黒馬に跨る、つるつる頭の老年男は、リゲル家当主「タイガー・リゲル」だった。
タイガーの後方には、同じく馬に跨る金髪の青年、タイガーの息子「レオ・リゲル」が続いていた。
そして、リゲル親子を先導するように馬を進める中年男は、カルム領主「カーティス・タイロン」だった。
カーティスは、額に汗を滲ませながら思考を巡らせる。何故ならば、彼には大きな疑問が一つあったからだ。
(何故? タイガー様は戦勝報告を行う為だけに、これだけの大軍を率いているのだ? タイガー様と陛下との関係は過去最悪の状態と囁やかれているが……まさか、本気で王都を落とすつもりか……!?)
するとカーティスの背後から重低音の声が響いてきた。
「――カーティス殿。儂が王都で戦をするような愚かな真似をすると思うか?」
「タ、タイガー様!?」
カーティスは冷や汗を流す。
(胸の内を読まれていたか……!?)
タイガーは、カーティスの隣まで馬を進めると、言葉を続ける。
「野心が全く無いと言えば嘘になるが、王都を火の海にするつもりはない。当然、ネビュラはウィンターを王都に呼び寄せてる筈じゃ。あんな化け物と一度戦となれば、儂もタダでは済まぬだろう。もっとも、儂とウィンターは和平を結んでいる。あちらから仕掛けてこない限り、争うつもりはない。まあ、大軍を率いていれば相手方の牽制にもなるからのう」
「ではタイガー様は、誠に戦勝報告を行うためだけに王都へ?」
「そうじゃ――と言いたいところじゃが、我が娘、レナを保護することが真の目的じゃ……」
「王妃様を……保護?」
「ああ。レナは今、ネビュラに軟禁されておる」
「な、なんですと!?」
「先日、ロルフ王子から届いた文に記されていた……」
そしてタイガーの声に怒気が宿る。
「――自分の娘が不当な扱いを受けて、黙っている父親がどこにおる?」
カーティスが恐る恐る尋ねる。
「タイガー様。王妃様を保護した後は、どのようなお考えを?」
虎は不敵に口角を上げた。
「――陛下にはご隠居いただく。そして玉座には、ロルフ王子に座っていただこう……!」
「ご、ご冗談を……」
「儂は本気じゃ。ネビュラの時代を終わらせてやる……!」
カーティスの開いた口は塞がらなかった。
つづく……




