第185話 友に望みを
温かな日差しが射し込む昼下がり。
ソフィアや姉家族との話し合いを終えたヨネシゲは、一人避難所となる広場を歩いていた。
やがて角刈り頭の視界に映し出されたものは、民家一軒に匹敵する大きさのテントだった。
この広場内にある大型テントの正体は「臨時診療所」である。
避難生活中でも怪我は付き物。この診療所には軽傷を負った者や、ちょっとした体調不良を起こした者達が訪れている。
本来であれば、患者達の診断や治療は、資格を持った医者や空想治癒師が行う。しかし、そういった医療従事者は、現在重症者の治療に専念しているため、軽症者の治療まで手が回っていないのが現状だ。
そこで、緊急の対策として、空想治癒がある程度扱える一般市民を集い、軽症者の治療に当たらせている。
そして、ヨネシゲが訪れた臨時診療所も多くの市民が治療スタッフとして活動を行っているのだ。
ヨネシゲは、その治療スタッフの一人に会うため、このテントを訪れたのだ。
角刈り頭は受付でその人物の所在を尋ねる。
「ごめんください」
「おう、ヨネさん! どうした? 具合悪いのかい?」
「いやいや。俺は至って健康だよ。ちょっと、オスギさんに用があってやって来たんだけど? オスギさん、忙しいかな?」
そう。ヨネシゲはオスギに会うためこのテントを訪れたのだ。
オスギが臨時診療所のスタッフとして支援活動を始めたことは、先程、カルム学院長のラシャドから聞いた次第だ。
ヨネシゲから問い合わせを受けた受付の男は、椅子から立ち上がると、テントの奥の方で患者の治癒に当たる、オスギを大声で呼ぶ。
「オスギさんかい? ちょっと待ってな――お〜い! オスギさ〜ん! お客さんだよ! 一段落したらこっちに来てくれ!」
受付の男の声を聞いたオスギがこちらに視線を向ける。彼はヨネシゲと目が合うと、一瞬驚いた表情を見せるも、挙手で応えた。
やがて、患者の治癒を終えたオスギがヨネシゲの元までやって来た。
「おう、ヨネさん。お疲れ」
「オスギさん、お疲れ様です。忙しい時に訪ねてしまって、すみません」
「いやいや。ちょうどこれから昼休みだったから、気にするな。それにしてもよく俺がここに居るってわかったな」
「ええ。先程、学院長からお聞きしまして」
「そうか。そんで、俺に何か用かい?」
「ええ。実は……」
神妙な面持ちで口を開くヨネシゲ。オスギは不思議そうに首を傾げた。
――場所を移動したヨネシゲとオスギ。二人は診療所裏にあるベンチ椅子に腰掛けていた。
オスギは握り飯片手に、ヨネシゲの話を聞いていた。
「――そうか。マロウータン様から仕官の話が……」
「ええ。王国を立て直すため、力を貸してほしいと……」
角刈り頭の話を聞き終えたオスギは、握り飯をひと齧り。それを咀嚼し飲み込むと、ニッコリとした表情で言葉を返す。
「流石、ヨネさんじゃねえか。南都泊閣下直々にオファーが来るとは。マロウータン様もヨネさんの実力を見込んでいるのだろう」
「はい。実際、マロウータン様がそう仰ってくれました。ですが、本当に俺が、偉大な貴族様をお支えできるかどうか――自信がありません……」
「――断るのか?」
「いえ。もう俺の心は決まっています。『自信がない』とは言いましたが、マロウータン様をお支えできるよう、がむしゃらに食らいついていくつもりです! 俺は――皆が笑顔で暮らせる王国を作りたい……!」
「ヨネさん、その意気だ! 陰ながら応援させてもらうぜ!」
「はい、ありがとうございます!」
「それで、出発はいつなんだ?」
「はい。具体的な日にちは決まってはいないのですが、二・三日以内には……」
「――そうか。寂しくなるな……」
オスギは寂しそうな笑みを浮かべると、残りの握り飯を口の中に放り込む。するとヨネシゲは改まった様子でオスギに体を向ける。
「オスギさんには本当にお世話になりました。感謝してもしきれません。あの時もそうです。オスギさんが助けてくれなかったら、この新たな門出もなかったことでしょう――」
ヨネシゲは青天を見上げる。
「――俺は多くの人の助けで生かされました。だから今度は、多くの人の生きる力になりたい――」
想いを熱く語るヨネシゲ。オスギはその肩を力強く、それでいながら優しく叩いた。
――オスギとの会話を終えたヨネシゲは、続けてイワナリの元を訪れる。
テントの中では、イワナリと、娘のアリア、そしてイワナリの母親の三人が談笑を交わしていた。ヨネシゲは、家族団欒のところ恐縮ではあったが、イワナリにテントから抜け出してもらった。
案の定、熊男は不機嫌そうな表情を角刈りに見せる。
「おうおう、ヨネシゲ! お前も悪い趣味してるな! 娘との楽しい一時を邪魔しやがって!」
「すまんな、イワナリ。お前に重要な話があるんだ」
「あぁ!? 重要な話だぁ!?」
「ああ。手短に済ませるから聞いてほしい……」
かしこまった様子のヨネシゲ。その様子を見たイワナリが落ち着きを取り戻す。
「重要な話って、なんだよ……?」
「結論から言おう。俺はマロウータン様に仕える。クボウ家の家臣になる」
「な、なんだって!?」
熊男の絶叫が周囲に轟く。心配したアリアがテントから顔を覗かしたが、ヨネシゲが苦笑いを見せると、彼女は安心した様子で顔を引っ込める。
「イワナリ。娘さんが心配するからあまりデカい声出すんじゃねえ」
「これが叫ばずにいられるか! ヨネシゲ、詳細を説明しろっ!」
ヨネシゲはイワナリに迫られると詳細を説明した――
「――恐らく、カルム領から遠く離れた王都か、ホープ領のどこかで働く事になる。間接的にはなるが、これからはクボウ家の一員としてカルムを支えていくよ」
自身の決意を伝えるヨネシゲ。しかしイワナリの反応はイマイチ。その表情は怒気を宿していた。
「要するにお前は――カルムを見捨てるつもりか!?」
(始まったぜ……)
ヨネシゲは大きく息を吐く。
「だ・か・ら! 見捨てるなんて一言も言ってねえだろうがよ! 俺はこのカルムタウンが二度と揺らぐことがない強固な土台――王国の基礎を立て直したいんだ! 例え、カルムタウンを立派に立て直したとしても、その土台が脆弱なら、ちょっとした揺れで崩れ去ってしまう……」
土台――それは、政治、経済、治安……挙げれば切がないだろう。トロイメライ王国に関して言えば、国王の暴政により、治安が著しく悪化している。
この状況を打開しなければ、カルムタウンを再建したとしても、いずれ再び悲劇が訪れることだろう。
――二度とあの惨劇は繰り返してはならない。
ヨネシゲはイワナリに理解を求める。
「わかってくれ、イワナリ。これもカルムの明るい未来のためだ!」
「ふん! 強固な土台? 王国の基礎だぁ? 壮大すぎだろうがっ!」
「確かに俺一人の力は大したことねえ。だからと言って、最初から諦めるのは違うだろ? 一歩ずつでもいいから足を踏み出さなければ何も始まらねえ。一歩でも足を踏み出せば確実に前へと進む。今――その一歩を踏み出す時なんだ……」
言うことは言った。
訴えを終えたヨネシゲだったが、頑固親父のイワナリがそう簡単に納得してくれる筈もない。
だが、例えイワナリが認めてくれなくても、ヨネシゲの進む道は決まっていた。もう何者の意見にも流されることはない。
――ヨネシゲの決意は固かった。
「――そういうことだ。イワナリ、短い間だったが世話になったな。お前と一緒に働けて――」
「――俺は……俺は、お前と一緒に、このカルムを立て直したかった……」
「イワナリ……」
イワナリはヨネシゲの言葉を遮ると、瞳を潤ませながら言葉を続ける。
「――ああ。わかってるさ、わかってる。お前が言おうとしてる事、お前の志は十分理解できる。だけど……」
「だけど……?」
「だけど……最後にワガママだけは言わせてくれ。お前ともう一度、仕事がしたかった――」
イワナリはそこまで言い終えると、込み上げてくる感情を抑えきれず、号泣。ヨネシゲに抱きつく。
「――必ず、必ず……土台を立て直せ……この国を作り変えてこい! 俺たちが、笑って過ごせる世を作ってくれ……お前ならできると……俺は信じている……!」
「――ああ。任せろ……必ず、作り変えてやる……!」
そう誓いを立てたヨネシゲもまた、イワナリの肩に腕を回す。その瞳からは一筋の涙が流れ落ちていた。
――時は夕刻。
ここは焼け野原となったカルムタウンの中央付近――かつてカルム市場があった場所だ。
その市場跡には一人の中年男の姿が。
お茶目なハート型のサングラスと立派に生やされた口髭がトレードマーク。彼の正体は、カルム市場内で酒屋を営んでいた、あのお調子者オヤジ「ヒラリー」だった。
彼は、瓦礫の山となった自身の酒場をスコップを使用して必死に掘っていた。
「――やっと俺の店を発見できた。店は瓦礫になっちまったが、どうか、どうか、子供たちは無事でいてくれよ……!」
瓦礫となった外壁を撤去していくと、ヒラリーの「子供たち」が姿を現す。その子供たちの姿を見たお調子者は絶叫する。
「そんなぁぁぁぁっ!! 俺の子供たちがぁぁぁっ!!」
ヒラリーは膝を落とすと、消えるような小さな声で言葉を漏らす。
「わかってたさ……無事じゃないことくらい……」
ヒラリーの視線の先。そこには変わり果てた子供たち――粉々に砕けた酒瓶の山があった。
ヒラリーの子供とは、売り物の酒のことだった。
彼はその場に座り込むと、腕で顔を覆い号泣する。
「くっくう〜! 俺が苦労して仕入れた世界各地の名酒が、全部地面に吸われちまった……うわぁぁぁんっ!」
ヒラリーは地べたに額を付けながら泣き崩れる。
直後、瓦礫の中から、瓶と瓶がぶつかり合うような音が聞こえてきた。
「ん? 今の……音は……?」
ピタッと泣き止んだヒラリーは、再び瓦礫の山を掘り進める。そして――
「こ、これはっ!?」
ヒラリーが見たもの。それは葡萄酒が入った酒瓶。
お調子者はそれを拾い上げると、ヒビが入っていないか隈なく確認する。
「ス、スゲーやっ! ヒビどころか、傷一つも入っちゃいねえ! 無傷だ!」
店は全壊し、瓦礫の下敷きになったにも拘らず、その葡萄酒が入った酒瓶は無傷だった。
「こ、こりゃ! 縁起物だよっ!」
ヒラリーは酒瓶を抱きしめながら、踊りだす。
すると彼の背後から、重低音の声が語り掛けてきた。
「――それは我が故郷。アルプの地酒じゃ。肉料理との相性は抜群であるぞ――」
ヒラリーは恐る恐る背後へ視線を向ける。
そこには――黒馬に跨る、立派な髭を生やした、つるつる頭の老年男の姿があった。
ヒラリーは腰を抜かす。
「タタタ……タイガー……リゲル……!?」
馬上の男は――「タイガー・リゲル」。
次回、リゲル来領。
つづく……




