第17話 夢の晩餐
「乾杯!」
ヨネシゲの号令で一同グラスを合わせる。
ヨネシゲ、ソフィア、メアリーのグラスには赤ワイン、そして子供たちのグラスには葡萄のジュースが注がれていた。
そしてダイニングテーブルには、肉と魚をメインにした食べ切れない量の料理が並べられていた。
いよいよ待ちに待ったヨネシゲの退院を祝う夕食会の始まりであった。
ヨネシゲはワインを一口、口に含め味わうと、席から立ち上がり、今回の一件について謝罪する。
「今回の件、みんなには本当迷惑を掛けた。この場を借りて謝りたい。済まなかった」
ヨネシゲは深々と頭を下げる。
そもそもヨネシゲはある日突然この空想世界に迷い込んでしまった現実世界の人間。この空想世界の記憶は持ち合わせていない。そのような事情をこの世界の住民に説明しても理解してくれないだろう。
とはいうものの、現にヨネシゲという存在は多くの人々に多大な迷惑を掛けた。この世界のヨネシゲとして生きていく以上、詫びるのが筋というものである。
ヨネシゲがそんな思いで頭を下げていると、すぐに皆から頭を上げるよう促される。
「シゲちゃん、頭を上げて。謝ることなんてないのよ」
「姉さん、ありがとう」
続けてソフィアがヨネシゲに着座するよう促す。
「あなた、お義姉さんの言う通りよ。今日はあなたの退院を祝う席なんだから、今日は楽しみましょう!」
そしてルイスも続く。
「そうだよ。主役がそんなんじゃ盛り上がらないだろ。父さん、いつものように元気だしてよ!」
「みんな、ありがとう……」
こんな温かい気持ちになったのはいつ以来だろうか?
ヨネシゲの目からは自然と涙が込み上げてくる。年齢のせいかもしれないが、ヨネシゲは顔に似合わず意外と涙もろいのだ。
そんなヨネシゲを見てリタがからかい始める。
「嫌だ〜! おじさん泣いてるの!? 似合わねぇ〜」
「う、うるせぇ! これは汗だ! 目から汗が出てるだけだ!」
からかうリタにヨネシゲは子供のように反論する。それを見た一同からは笑いが上がる。
「おじちゃん、これで涙拭いて」
「ありがとな、トム。お前は姉ちゃんと違って本当優しいな」
ヨネシゲはトムから差し出されたハンカチで涙を拭うと、再びリタと子供のような言い争いを始める。しかしその表情はとても嬉しそうであった。その光景を見ていた一同からも笑顔が絶えることはなかった。
「あなた、リタちゃん。もうその辺にしてお料理をいただきましょう!」
「お、そうだな! 悪い悪い」
ソフィアに促され、ヨネシゲは小皿に取り分けられた肉料理に早速口に運ぶ。その瞬間、ヨネシゲは目を見開く。
「美味い! これは誰が作ったんだ!?」
ダイニングテーブルにはソフィアとメアリーたちが作った多数の料理が並べられていた。しかしヨネシゲは誰がどの料理を作ったかまでは把握していなかった。
「それは私が作った料理よ」
「やっぱり、ソフィアだったか! 塩加減といい、焼き加減といい、俺好みで完璧だよ!」
ヨネシゲが初めに口にした肉料理を作ったのはソフィアだった。ヨネシゲ好みの味付けとなっており、ヨネシゲはソフィアを褒めちぎる。するとその光景を見ていたリタが、自分の作った料理をヨネシゲに勧める。
「ちょっと旦那! 私が作った魚料理もご賞味あれ!」
「お、これリタが作ったのか? どれ……」
ヨネシゲはリタが作った魚料理を一口食べる。
「うん! 美味いぞ! なんだ、お前でも美味い料理が作れるんだな」
「もっと褒めなさいよ!」
「はいはい。大変良くできましたね!」
「ちょっと、おじさん! バカにしてるでしょ!?」
「褒めろって言ったから褒めてるだけじゃんか」
「ムキーッ!」
再び、ヨネシゲとリタの子供のような言い争いが始まる。そんなヨネシゲたちをソフィアとルイスは微笑みながら見つめていた。
「母さん、良かった。父さん変わりなさそうで」
「ええ。記憶は失っても、あの人はあの人。ヨネシゲ・クラフトよ」
少々賑やか過ぎる退院祝いは、夜遅くまで続けられるのであった。
――賑やかな声が漏れ出すクラフト亭。その庭の木陰から一人の怪しげな男が家の中の様子を伺っていた。
「へぇ~楽しそうじゃん」
男はそう独り言を漏らすと不敵な笑みを浮かべる。
「今のうち楽しんでおけよ。これからアンタには試練が待ってるんだからよ」
その男は、全身黒尽くめの衣装を身に纏っており、黒く長い前髪の隙間からは、真っ赤な瞳を覗かせていた。
「さあ、楽しいゲームの始まりだ! せいぜい抗ってみせろよ、ヨネシゲさんよ」
魔法だろうか? 男はそう言うと手の平に赤い炎を灯す。
彼の正体は、ヨネシゲから全てを奪ったあの男、ダミアン・フェアレスであった。
――ダイニングテーブルに並べられた食べ切れない量の料理は、ヨネシゲ、メアリー、リタの3者による大食いバトルの甲斐もあり、殆ど片付いていた。
食事を終えた子供たちは、ソフィアを巻き込んでボードゲームで盛り上がっていた。
そしてヨネシゲとメアリーは、酒を酌み交わしながら、食後の余韻を楽しんでいた。
「美味かった。こんな食べたのは久々だ」
「私もよ。食い意地張っちゃったわ」
「姉さんらしいや」
「フッフッフ、それはシゲチャンも同じよ」
こんなに食べたのはいつ以来だろうか。妻たちの久々の手料理にヨネシゲは満足した様子だ。その腹は風船のように膨らんでいた。
メアリーはヨネシゲの腹を見て笑いを洩らす。
「やっぱり、シゲちゃんはシゲちゃんね」
「どういう意味だ?」
「いや、例え記憶を失ったとしても、性格や行動は変わらないんだなと思ってさ。シゲちゃんの記憶が欠落してるって聞いて何度も考えたわ。もしシゲちゃんが私たちのことを忘れていて、性格まで変わっていたらどうしようかと……」
「姉さん……」
記憶を失ったと聞くと、個人そのものがリセットされたように思ってしまう。ヨネシゲに関していえば性格や行動は全く変わっていないため、メアリーは安心した様子だ。
(まあ、そもそも俺は記憶を失った訳ではなく、この世界の記憶を持っていないだけなんだがな。複雑な心境だよ)
ヨネシゲは記憶を失った訳では無い。この世界での記憶を持ち合わせていないだけ。しかしこの世界では記憶を失った人間として生きてゆかねばならず、ヨネシゲは度々歯がゆい思いをさせられる。
「姉さん、余計なことは考えるなよ。記憶を失ったとしても、俺は俺だから」
「そうね。変な事考えるのはもう止めるわ」
メアリーの気持ちは良くわかる。身近な人がある日突然記憶を失ってしまうなんて、とても恐ろしい出来事だろう。ましてや自分の存在まで記憶から消えていたら、これほどショックなことはない筈だ。
しばらくヨネシゲとメアリーの間に沈黙が続く。ここでヨネシゲがある話題を切り出す。
「姉さん、ちょっと聞いてくれるか?」
「どうしたの?」
「実は、病院で目覚める前の記憶……なのかはわからんが、はっきりと覚えている記憶があるんだ」
ヨネシゲの言葉を聞いたメアリーは、ボードゲームを楽しむソフィアと子供たちに目を向けた後、席を立ち上がる。
「姉さん?」
「シゲちゃん、ちょっと場所を変えましょう」
ヨネシゲはメアリーに連れられて庭へと向かった。
「うぅ……やっぱり夜はまだ冷えるな」
「ごめんね。もしかしたら子供たちに聞かれるとまずい話になりそうだから」
「え? それって?」
「とりあえず話してみて」
メアリーは意味深な言葉を口にするが、ヨネシゲに続きを話すよう求める。
そしてヨネシゲは病院で目覚める前の記憶、ダミアンによってソフィアとルイス、自身も焼かれたあの忌まわしい記憶を、全てメアリーに打ち明けるのであった。
ヨネシゲが当時の記憶を事細かく説明していると、メアリーから予想外の答えが返ってくる。
「あの男にソフィアとルイスは一瞬のうちに焼かれてしまった。最後は俺も焼かれたよ。本当に苦しかった。だけど俺は傷一つ負わずに生還した。おまけにソフィアとルイスは何事もなかったみたいだし。俺は夢でも見ていたのかな?」
「恐らくシゲちゃんはその男に幻覚を見せられていたのかも」
「幻覚だと!?」
なんとメアリーはヨネシゲが幻覚を見せられていたと話す。ヨネシゲはメアリーの言うことを疑う。
「そんな魔法のようなことができるのか!?」
メアリーはヨネシゲの反応を見て一瞬目を丸くさせるも、すぐに返事を返す。
「空想術を使えば容易いわ」
「空想術だって!?」
「シゲちゃん、もしかして空想術のことも忘れちゃった?」
「いや、覚えはあるよ……」
ヨネシゲは空想術という言葉に覚えがあった。
空想術とはソフィアの描いた物語に出てくる魔法のような術のことだ。
空想術は頭の中でイメージしたことを、実際に形にして発生させることができる。
わかりやすく説明すると、炎を想像することで、無の状態から実際に炎を発生させることができるのだ。
(そうか。空想術を使えば幻覚を見せることも可能だろう。そうなると、あの時のダミアンも空想術を使って炎を操っていたのかもしれない)
ヨネシゲは空想術に関してメアリーに尋ねようとするも、彼女は説明を程々にし、再びヨネシゲに幻覚を見せた男について話題を切り替える。
「恐らくその男の正体は黒髪の炎使いね」
「黒髪の炎使い? それ今朝新聞で見たよ」
ヨネシゲを襲ったのは黒髪の炎使いだとメアリーは話す。ヨネシゲは今朝の新聞で黒髪の炎使いに関する記事を読んでいたため、予備知識があった。
そしてメアリーは新聞には書かれていなかった事実をヨネシゲに伝える
「黒髪の炎使いは、ダミアンと名乗っているそうよ」
「なんだって!? 姉さん、その話もっと詳しく聞かせてくれないか」
ヨネシゲの予想は当たっていた。今世間を騒がしている黒髪の炎使いの正体は、ヨネシゲから全てを奪ったあの男、ダミアン・フェアレスだった。
つづく……
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