第172話 カルムキッズ(後編)
奇跡は起きた――いや、これが名軍医ジョナスの実力なのだろう。
一週間以上、ベッドの上で意識を失い続けていたトムだったが、父ジョナスから治癒系空想術を施され、ようやく目を覚ましたのだ。
トムはゆっくりと瞳を開くと、ボーっと天井を見つめる。直後、メアリーの大声が病室内に轟く。
「トォォォムゥゥゥ!!」
彼女はパワフルに夫と弟を押し退けると、ベッドの上の息子を抱き寄せる。
「良かった……良かった……あなたが目を覚ましてくれなかったら……私は……」
「お、お母さん……?」
トムの肩に顔を埋めながら号泣するメアリー。一方のトムは状況を飲み込めず困惑した様子だ。すると彼の耳に届いてきたのは、優しく心地よい男の声。その声の主の姿を見た途端、トムは瞳を大きく見開いた。
「――トム、頑張ったね。よく目を覚ましてくれた」
「お、お父さん……!?」
「トム、ただいま」
トムの視線の先には、優しい笑みを浮かべる父ジョナスの姿があった。
目覚めた直後の彼はまだ頭が回っていない様子。「信じられない」といった具合で口を大きく開いていた。そんな息子にジョナスは優しく言葉を掛ける。
「――先程帰ってきたんだ。トムにも心配掛けたね。お父さんが居ない間に、お母さんたちを守ってくれてありがとう」
「――うん! お父さん、おかえり!」
「ただいま」
トムはジョナスの言葉を聞きながら涙を零し、満面の笑顔で父の帰還を喜んだ
そして、あの男の声もトムの耳に届く。
「トム、お疲れ! ただいま!」
「お、おじちゃん!? おじちゃんも帰ってたの!?」
「ああ! お父さんと一緒にな!」
トムが視線を移した先。そこには歯を剥き出し、満面の笑みを浮かべ、親指を立てるヨネシゲの姿があった。再び驚いた顔のトムに、ヨネシゲは感謝の言葉を口にする。
「俺からもお礼を言わせてくれ。ソフィアやルイス、メリッサたちを守ってくれて本当にありがとな! トム、お前は男の中の男だ! トムこそ、本当のカルムのヒーローだぜ!」
「そ、そんなことないよ……」
トムは恥ずかしそうにしながら、毛布で口元を隠した。
小さな英雄が目を覚ました。一同、彼の功績を称える。
その最中、廊下の方から慌ただしく、それでいてゆっくりと、数名の足音がこちらに向かってくるのが聞こえてきた。
やがて足音は、ヨネシゲたちが居る病室の前で止まる。
ヨネシゲが扉へ視線を向けたと同時に、3人の少年少女が病室に雪崩込んできた。
ヨネシゲは瞳を見開き、3人の名前を口にする。
「ルイス……リタ……ゴリキッド……」
そう。病室に現れた3人の少年少女とは、息子ルイス、姪リタ、そしてヨネシゲ宅で生活を共にしていたライス領からの難民ゴリキッドだった。
その身体、頭部、腕脚には包帯が巻かれており、松葉杖が持たれていた。
ルイスたちはヨネシゲとジョナスの姿を目にすると、瞳を潤ませ笑みを零す。
「父さん……」
ルイスは松葉杖をつきながら、ゆっくりと父親に向かって歩みを進める。
「ルイスっ!!」
ヨネシゲは息子の名を叫ぶ。そしてルイスの元まで駆け寄ると、その体を力強く抱きしめた。
感動的な再会――の筈だったが。ルイスの顔が青く染まった。
「と、父さん! 痛いよ! 俺、骨折してるんだ! は、離してくれ!」
「す、すまん!」
ヨネシゲは、身体のあちこちを骨折させたルイスを渾身の力で抱きしめていたのだ。
ヨネシゲが慌てた様子で身体を離すと、ルイスは苦笑いを浮かべる。
「頼むよ……父さん……」
「ガッハッハッ! ドンマイ、ドンマイ!」
惚けた様子で笑い飛ばすヨネシゲ。すると、ルイスは父との間合いを詰め――その肩に顔を埋めた。
「ドンマイじゃねえよ……本当に心配してたんだからな……」
耳元から聞こえるルイスのすすり泣く声。今度は優しく、息子を抱きしめた。
「――ただいま、ルイス」
「おかえり、父さん――」
「お前には辛い思いをさせてしまったな。できる事ならそばで守ってやりたかった……」
「いいんだ、父さん……父さんが無事に帰ってきてくれただけで……俺はそれだけで満足だよ……」
「俺もだ……俺もルイスが無事で本当に良かった……」
再会を喜ぶ父と息子。その2人の元へソフィアが歩みを進め――2人の肩に腕を回す。
「やっと――やっと揃ったわね……」
「ああ。この時をどれ程待ち望んだことか……」
「もう離れ離れになるのはゴメンだよ」
ソフィアが言葉を漏らすと、ヨネシゲとルイスは笑みを浮かべながら頷いた。
ヨネシゲは妻と息子の腰に腕を回す。
「二人とも……もう離さないぞ……絶対に離さないからな……」
「ええ……私もよ……」
「俺もだ……」
――離れていた家族は再び一つになった。大切な家族をもう二度と手放さない。3人は心にそう誓った。
その3人の隣では、もう一組の家族が再会を喜ぶ。
リタはジョナスの姿を見た途端、彼の身体に飛び付いた。
「お父さぁぁぁぁんっ!!」
「リタ、ただいま……」
「おぉぉがぁぁえぇぇりぃぃなぁぁざぁぁいぃぃっ!」
ジョナスは号泣の娘を優しく抱きしめると、その頭を優しく撫でる。
「よく頑張ってくれたね……気が済むまで、私の胸の中で泣きなさい……」
「あぁぁりぃぃがぁぁとぉぉうぅぅっ!!」
父の胸の中で泣きじゃくるリタを、メアリーとトムが静かに見つめる。
「トム。お姉ちゃんが泣き止むまでもう少し待っててね……」
「うん。お姉ちゃん、沢山我慢してたもんね――」
トムは言葉を終えると、母の腕にしがみつく。
「トム?」
「――お母さんも……お姉ちゃんも……ルイス君も……みんな無事で良かった……」
「ええ……全部、トムのお陰だよ……」
安堵して涙を流す息子をメアリーは優しく抱きしめた。
喜び合う2つの家族。その光景をゴリキッドとメリッサが見守る。
「ヨネさんも帰ってきたし、トムも目を覚ましたようで良かったぜ……」
「うん。本当に良かった……良かったよ……」
メリッサは兄の手を握る。
「お兄ちゃん……私たちも、お父さんとお母さんに会えるかな……?」
「ああ。いつかきっと――必ず会えるさ……!」
ゴリキッドは、悲しげな表情を見せる妹を抱き寄せた。
――その後、ルイスとリタは目覚めたトムと再会。小さな英雄の復活を心から祝福する。そして、ルイスたちが負った怪我はジョナスの空想術で完治した。
――ここは、カルム領と南都を結ぶ南岸街道。カルムタウンから少し離れた場所を移動する、ある男たちが居た。
2人の男は早足草鞋を装着し、荷車を引く。
「アニキー! もうすぐカルムタウンっすよ! やっとメシにありつけますぜ!」
「だと良いんだがな。噂じゃカルムタウンは焼け野原……食いもんは期待できねえかもな……ああ〜腹減った……」
「俺もっすよ〜。もう腹ペコだ〜ワンニャン!」
――次の瞬間。乾いた打撃音と共に、二人の頭に衝撃が走る。
2人が後ろを振り返ると、荷車の上にはハリセンを握り、不機嫌そうな白塗り顔男の姿があった。
白塗り顔はご立腹の様子で男たちを叱り飛ばす。
「黙らんかっ! 口ばかり動かしてないで足を動かさぬか!」
男はかしこまった様子で白塗り顔に訴える。
「旦那……そう言われましても……俺たち……体力の限界です……」
「儂は急いでおるのじゃ! 泣き言は聞かぬぞよ!」
白塗り顔は男の訴えを退ける。すると、もう一人の男が提案する。
「旦那。急いでいるのであれば、早足草鞋ではなく、快速靴に履き替えさせてください。そうすればスピードアップもできますし、メシにも早くありつけます!」
白塗り顔は首を横に振る。
「ならぬ! こんな粗末な荷車で、これ以上スピードを上げたら、乗り心地が悪くなるではないか。下手したら荷車が壊れてしまうぞ?」
白塗りの言葉を聞いた男がボソッと呟く。
「ワガママなオヤジだぜ……」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いえ! 何でもありません!」
「そうか。なら、これ以上の無駄口は無用。このまま進め。このまま進むのじゃ!」
「へ、へい……」
白塗り顔を乗せた荷車は、夜の南岸街道を駆け抜けていく。
(我が娘、我が家臣、そして、カルムの子らよ……どうか無事で居てくれ……)
白塗り顔は、ハリセンを強く握りしめた。
つづく……




