第171話 カルムキッズ(前編)
ヨネシゲたちはトムが居る病室前に到着する。
その扉を開くと、ベッドの上で意識を失い続けるトムの姿が目に入った。
目立った外傷は無いようだが、かれこれ一週間以上目を覚ましていない。
そのベッドの隣。椅子に腰掛けトムの手を握る少女の姿。彼女はゴリキッドの妹「メリッサ」だ。
メリッサは情勢が悪化したライス領から逃れてきた難民。栄養失調で倒れていたところをヨネシゲに助けられた。その後は兄と共にクラフト家で生活していたが、今回のカルム襲撃の被害者の一人となってしまったのだ。
ヨネシゲの姿を見たメリッサは、驚いた様子で瞳を見開く。
「――おじちゃん?」
「メリッサ、お疲れ。ただいま!」
ヨネシゲの声を聞いた瞬間、メリッサは顔をしわくちゃにさせる。そして、彼女は椅子から立ち上がると、ヨネシゲ目掛けて走り出し、その胸に飛び込んだ。
「おじちゃん……おじちゃん……」
「メリッサ、もう大丈夫だ。おじちゃん帰ってきたからな、もう安心してくれ――」
ヨネシゲは、号泣するメリッサを優しく抱きしめ、落ち着かせる。角刈りオヤジの言葉を聞いたメリッサは静かに頷くと、その顔を見上げた。
「――でも、トムが……トムが……」
彼女は弱々しい声で言葉を漏らすと、ベッドの上のトムに視線を向ける。
ヨネシゲは隣のジョナスと顔を見合わせると、彼と共に甥の元へ歩みを進めた。
トムのベッドの前に立ったヨネシゲは、嘆きの言葉を口にする。
「どうして……どうして、こんな幼い子供までが酷い仕打ちを受けなければならないのだ……」
ジョナスも声を震わせる。
「一体、この子の身に何があったというのだ……」
「――トム君は、ルイスやお義姉さんたちを庇い、身代わりになったのです……」
「庇った? 身代わりに?」
事情を知らないジョナスにソフィアが説明を始める。
「――はい。私も意識を失っていたので、その間のことはわかりません。ただ、トム君を襲った――マスターという男が私にこう話しました――」
ソフィアはマスターとの会話を思い出す――
『この子に何の恨みが有るって言うんですかっ!? この子があなたを怒らしたと言うなら、私が代わりに罰を受けます! だから、トム君を痛み付けるのはもうやめてっ!!』
『勘違いしないでいただきたい。この試練を受け入れたのは他でもない彼自身だ。これは彼の覚悟なのだよ』
『覚悟ですって?』
『左様。今彼は、自分の命を削って、大切なものを守ろうとしている。自分を犠牲にしてな』
『自分を……犠牲にですって……!?』
――そして、ソフィアは語った。
マスターに殺害されそうになったルイス、メアリー、リタの身代わりとなった、小さな英雄の話を――
――トムとマスターとの間で、どのような交渉があったか不明。だが、トムはマスターから与えられた「試練」を乗り切り、見事に母姉と甥を守り切ることに成功したのだ。
彼の勇気ある行動が、大切な人たちの命を救ったのである。
――だが、その代償はとても大きかった。
ソフィアは説明を終えると、今尚眠り続けるトムを見つめながら、体を震わせる。
「こんな小さな子供に……5分間も攻撃を浴びせ続けるなんて……本当に酷すぎるよ……」
「5分?」
「5分」というワードに、ジョナスが不思議そうに首を傾げる。するとメアリーがある憶測を口にする。
「恐らく5分という時間は……奴が与えた「試練」とやらを、この子がギリギリ耐えきれる時間だったのよ。あの男はトムに情をかけたのかもしれないわ……」
メアリーは涙を堪えるようにして、歯を食いしばる。
「きっとこの子のことだから、奴に何度も頭を下げて、私たちを殺めないでほしいと懇願したに違いないわ……」
「お義姉さん……」
沈痛な面持ちで顔を俯かせるメアリー。ソフィアはそんな義姉の肩に手を添える。ヨネシゲはその様子を横目にしながら、トムの手を握る。
「――トム、ありがとな。俺の息子と姉さんたちを守ってくれて。お前は男の中の男だ……」
ヨネシゲは眠り続ける甥に微笑み掛けながら、瞳から込み上げてくるものを腕で拭った。
――すすり泣きが響き渡る病室。
不安を覚えたメリッサが再び泣き出しそうになった時――ジョナスが彼女の肩に手を添える。
「メリッサちゃん。ヨネシゲおじさんから色々と話は聞いているよ。うちのトムと仲良くしてくれてありがとう。今トムを起こしてあげるから、もう泣かなくてもいいよ……」
「え……?」
ジョナスは、自分のことを見上げるメリッサに微笑み掛ける。
「ここはおじさんに任せなさい」
ジョナスはそう言うと、眠り続ける息子の額に右手を翳した。
そして名軍医ジョナスが、持ちうる限りの力を解放させる。
彼の右手が白色に発光。と同時にトムの全身が同色の光に包まれる。そのまばゆい光は、薄暗かった病室を日光が射し込んだかのように明るく照らした。
ヨネシゲは義兄が何をしているか直ぐに察しがついた。
(ジョナス義兄さん……空想術を使って、トムを目覚めさせるつもりだ……)
ヨネシゲだけではなく、ここに居る全ての者が同じ考えに至っていた。
そう。ジョナスは持ち前の治癒系空想術を駆使して、息子の意識の回復を試みていたのだ。
一同、固唾を呑んで見守る。
――そのような状態が一分ほど続いただろうか。
ジョナスは、右手の発光を終わらせる。
トムの身体を纏っていた光も消え、夜の病室を照らし続けるのは、弱々しい光を放つ照明器具のみとなった。
静寂が病室を支配する。
その静けさが、ヨネシゲたちの不安を駆り立てる。
(駄目……なのか……?)
ヨネシゲが諦めかけたその時。
――奇跡は起きた。
トムの瞳が、ゆっくりと、ゆっくりと、開かれる。
「ト、トムっ!」
ヨネシゲの大声が院内に轟いた。
つづく……




