第14話 虹色パン屋さん
わた雲が浮かぶ青空は黄金色に染まりつつあった。
肉屋からチンピラを追い払ったヨネシゲは、ソフィアと共に帰路についていた。2人の両手に持たれた大きなバスケットには、魚や肉、野菜に果物、乳製品や酒など大量の食材が詰め込まれていた。
ヨネシゲは両手のバスケットを眺めながら言葉を漏らす。
「ウオタミにしても魚屋のオヤジにしても、こんなに気を使わなくていいのに」
「それだけみんな、あなたの事を心配しているのよ」
肉屋のウオタミからはお礼として大量の牛肉を、魚屋のオヤジからも大量の鮮魚を貰っていた。その他にも八百屋や酒屋からも同情の品を貰い受けていた。
同情とは? それはヨネシゲが記憶を失ったことに対する人々の同情の気持ちであった。
ある日突然、現実世界からこの世界に迷い込んでしまったヨネシゲ。当然ながらこの世界の記憶を持ち合わせていない。
故にヨネシゲは医師から記憶が欠落していると診断されてしまった。少なからずこの世界では「記憶を失ってしまった人間」として生活しなければならない。
その為には、周囲の者に記憶を失ったことを周知させる必要があるが、一人一人会って説明するのはかなりの労力だ。そこでヨネシゲは肉屋に集まっていた群衆に事情を説明。
結果、多くの人にヨネシゲの現状を知ってもらうことができた。あとは人伝てにこの話が広がればヨネシゲの思惑通りとなる。ヨネシゲは肩の荷が下りたかのような気分で言葉を漏らす。
「とりあえず、これで一安心だよ。説明する手間が省けたしな」
「そうね。あれだけ多くの人に説明しておけば、あっという間に話も広がるよ。カルムの人たちはお喋りだからね」
ソフィアはそう言うとにっこりと微笑んだ。
現代社会とは違い、近所や街の人々の繋がりは強い。コミュニケーションが盛んなのは良いことだが、ちょっとした噂話も瞬く間に街中に広がってしまう。よく口は災いの元というが、この世界では言葉一つで死活問題となり得る。
(発言には気を付けなければならんな)
ヨネシゲはソフィアと談笑しながら歩いていたが、彼女が突然足を止める。
「どうした、ソフィア?」
「ごめんね、ちょっと荷物が重たくて」
バスケットに詰め込まれた大量の食料はかなりの重さだ。両手に持たれたバスケットは、力自慢のヨネシゲでも腕が疲れてくる。華奢なソフィアであれば尚更であろう。
「ごめんソフィア、気付かなくて。ここは俺に任せろ!」
そう言うとヨネシゲはソフィアからバスケットを取り上げる。
ヨネシゲの両手にはバスケットが一つづつ、そしてソフィアが持っていた2つのバスケットは両腕で抱えるようにして持ち始める。
少々無茶があるヨネシゲの格好を見てソフィアが心配する。
「あなた、それは流石に無茶よ! 前が見えないでしょ!?」
「大丈夫だよ! こうやって顔をずらせば、ギリギリ見える!」
「……じゃあ、お願いしようかしら」
「おう! 任せておけ!」
そう言うとヨネシゲはゆっくりと歩き始める。
ヨネシゲは意地っ張りであり、ソフィアはそのことを良く理解している。これ以上何を言っても無駄であるので、彼女は大人しくヨネシゲにバスケットを委ねることにした。
(とは言ったものの、重い、重すぎる。早く家に帰らねば)
ソフィアの前では少々無理をしてしまうヨネシゲであった。
それから少し歩みを進めると、ソフィアが再び足を止める。
「ソフィア、今度はどうした?」
「あなた。この食材少しお義姉さんの所にお裾分けしましょう」
「お義姉さんって、メアリー姉さんのことか?」
ソフィアはこの大量の食材の一部をヨネシゲの実姉であるメアリーに分け与えることを提案した。
「そりゃ名案だ。こんな大量の食材、俺たちだけでは捌き切れないしな」
バスケットの中身は大半が日持ちしない肉や魚だ。家族3人で消費するには時間が掛かる。傷んで食べられなくなるくらいなら、誰かに譲った方がいい。ただ、ヨネシゲには一つ気がかりがあった。
「でも、姉さんの家はここから近いのか?」
それは姉メアリーの家の所在地だ。
メアリーもこの世界の住民として存在しており、昨日病院にルイスと共に現れた彼女をヨネシゲはこの目で確認している。
恐らくメアリーもこのカルムタウンに住んでいると思われるが、問題はどこに家があるかだ。
(ここから遠いとなると、辿り着くまで俺の腕が持たないぞ)
恐る恐るソフィアの答えを待つヨネシゲ。するとソフィアはヨネシゲの真横にある建物を指差した。ヨネシゲはソフィアが指差した方角へと視線を向ける。
「うっ……ここなのか?」
先程からヨネシゲの視界に入っていたとある建物。しかし、直視すると気分が悪くなりそうなので、ヨネシゲはできるだけ視界に入れないようにしていた。
ヨネシゲは顔を顰めながら、ゆっくりと体を建物の方へ向ける。
そこにあったのは、食パンを模したであろう虹色の建物が建っていた。虹色といってもかなり強烈な色合いで、見ていると目が疲れてくる。
ヨネシゲは念の為、ここがメアリーの自宅なのか確認する。
「ソフィア、ここが本当に姉さんの家なのか?」
「家ではないの。ここはお義姉さんが切り盛りしているパン屋さんなのよ」
「なるほど、パン屋か」
この珍妙な建物の正体は、メアリーが経営するパン屋だった。ソフィアの説明によると、メアリーの自宅はこのパン屋の近くにあるそうだ。
(そうか、姉さんは現実世界でもパン屋を開いているからな)
現実世界でのメアリーは元軍人。結婚を機に軍隊を除隊し、パン屋の経営を始めた。恐らくその設定がこの世界にも反映されているのだろう。
(それにしても……)
少々悪趣味ともいえる店の佇まいを見てヨネシゲはため息を漏らす。
(まあ、姉さんは派手なものが好きだからな)
ヨネシゲは気を取り直すと、ソフィアと共に店の中へと足を踏み入れる。
店の扉を開けた瞬間、パンの焼ける香ばしい香りがヨネシゲの鼻を通り抜ける。そして店内はヨネシゲの予想に反し、多くの客で賑わっていた。
すると店の奥からメアリーが姿を現す。
「あら、ソフィアちゃん! いらっしゃい!」
メアリーはそう言いながらソフィアを出迎える。
「メアリー・クラフト」ヨネシゲの2つ歳が上の姉である。
長身のソフィアと並んでも身長は大差なく、スタイルも良い。やや茶色がかった黒髪のショートヘアと赤い口紅が彼女の定番だ。やや厚化粧なのが玉に瑕である。
メアリーはソフィアを出迎えるが、彼女の隣に居る人物が、ヨネシゲだと認識していない様子だ。何故ならヨネシゲの顔は両手に抱えられたバスケットで隠れていたからだ。
そのことを察したソフィアは透かさずヨネシゲが退院したことをメアリーに伝える。
「お義姉さん。ヨネシゲさん、今日無事に退院することができました」
「え、退院!? もしかしてその隣の人って……!」
メアリーはバスケットで隠れた人物の顔を覗き込む。
「姉さん、心配掛けたな!」
「シゲちゃん!!」
メアリーはヨネシゲの顔を見た瞬間、ヨネシゲの両肩を掴み激しく揺さぶる。
「良かったわ! 退院したのね! 具合いはもう平気なの!?」
「ね、姉さん! 止めてくれ! バスケットの中身な飛び出しちまう!」
メアリーは嬉しさのあまり暴走するも、ヨネシゲの叫びを聞いて我に返る。
「ごめんごめん。嬉しすぎて我を忘れてしまったわ!」
「頼むよ、姉さん!」
2人のやり取りを見ながらソフィアは優しく微笑んでいた。
案の定、メアリーからバスケットに入った大量の食材について尋ねられる。
「それにしてもシゲちゃん。この大量の食材はどうしたの?」
「ああ、実はな……」
ヨネシゲはメアリーに事の経緯を説明する。
「あら、そうだったの。退院早々ご苦労様。でも、これだけの報酬があってラッキーだったじゃない」
「まあ、確かにラッキーだがな。でも俺たちだけじゃ食べきれないから、姉さんにお裾分けするよ」
「あら、いいの? こんなに上等な物を。嬉しいわ!」
メアリーは思い掛けない収穫にご満悦の表情だ。
ヨネシゲとソフィアはメアリーとの会話を程々にして店を後にしようとする。するとメアリーからある提案がなされる。
「じゃあ、シゲちゃん。今晩は盛大に退院祝いという訳ね」
「まあな! 今晩が楽しみだ!」
「もし、シゲちゃんとソフィアちゃんが迷惑でなければ、私たちもご一緒してもいいかしら?」
退院祝いと言ったら大袈裟かもしれないが、今晩は家族3人でちょっとした贅沢をする予定だった。メアリーはその夕食に混ぜてほしいとヨネシゲに申し出る。
「おう! もちろんさ!」
ヨネシゲは二つ返事で快諾した。
「ありがとう! 嬉しいわ! じゃあ今日はお店を早仕舞いして、これから手料理作って持っていくわね!」
メアリーは久々の弟家族との夕食に胸を踊らせていた。
ヨネシゲには一つ引っ掛かることがあった。それは直近のメアリーとの会話にあった。
(今姉さん、私たちって言ったよな? と言う事はもしかして!?)
ヨネシゲはあることについてメアリーに確認する。
「ね、姉さん!」
「どうしたの?」
「もちろん、リタとトムも来るんだろ……?」
ヨネシゲの言葉を聞いたメアリーは安心した表情を見せる。
「当たり前よ。良かった、2人のことはちゃんと記憶に残っているみたいね」
リタとトム。この2人は、現実世界にも存在する、メアリーの子供。つまり、ヨネシゲの姪と甥である。
(そうか、リタとトムもこの世界に居るのか! 今晩が本当に楽しみだ!)
ヨネシゲにとって夢のような時間が訪れようとしていた。
つづく……




