第149話 握り飯
ここはブルーム平原から少し離れた田舎道。
とある集団が西に向かって移動していた。
彼らの正体は、戦線を離脱したカルム男児たちである。故郷のカルム領を目指し歩みを進めていた。
カルム男児たちの表情は皆晴れやかだ。
戦の恐怖から解放され、愛する家族の元へと帰還する。彼らは胸を高鳴らせていた。
そんな中、一人だけ、暗い表情を浮かべる老年男の姿があった。
その老年男とは「オスギ」である。
彼もまた、召集令状を受け取り、ヨネシゲやイワナリたちと共に南都を目指していた。
ブルーム平原に辿り着いたオスギたちだったが、南都大公メテオの意向により、戦闘の参加は任意となった。勝ち目の無い戦いで、これ以上無駄な犠牲者を出したくないというメテオの考えだ。
戦闘は任意――オスギは戦場から立ち去る選択肢を選んだ。
ところが、ここまで寝食を共にしていたヨネシゲ、ドランカド、イワナリは戦場に残った。オスギは仲間を戦場に残して、帰領の途についた。
オスギは罪悪感に苛まれる。
(生き延びるためとはいえ、やはり仲間を戦場に置いて帰るのは気が引けるな……)
オスギは、懐に忍ばせていた観光名所のガイドブックを取り出すと、大きなため息を漏らす。
(仕方がないんだ。このまま戦場に残っていても、生きて帰れる保証は無い。寧ろ、命を落とす確率の方が高いだろ)
彼はガイドブックの表紙を見つめる。
(俺は……生きて帰って、妻や家族と旅行がしたい。今まで仕事一筋、真面目に生きてきたんだ。最後の余生くらい、好きなようにさせてくれ……)
ガイドブックを見つめるオスギの頭を過るのは、妻や孫の顔……ではなく、ヨネシゲやイワナリ、ドランカドの顔だった。
「俺は……」
オスギはガイドブックを強く握りしめた。
彼が暗い表情を浮かべていると、ちょんまげ頭の中年男が隣に並ぶ。
「おう! オスギのオヤジさんじゃねえか!」
「ん? モンゾウか……」
「どうしたんでえ? 湿気た面してよぉ? これでカルムに帰れるんだ。元気出せよ!」
「ああ……」
ちょんまげ頭の中年男は「モンゾウ」という名前である。彼はオスギの近所に住む武器屋の店主だ。
オスギと顔を合わせてから早々、モンゾウはある噂を口にする。
「さっきある噂を聞いたんだが、オヤジさんも聞いているか?」
「噂?」
首を傾げるオスギにモンゾウが言葉を続ける。
「ああ。つい先程の事らしい。メテオ様が僅かな手勢を連れて戦場から離脱したらしいぞ。多くの者がブルーム平原から立ち去る金色の馬車を目撃したそうだ。噂は本当だろう……」
「それは、つまり……戦場を捨てて逃亡したってことか!?」
「色々な噂が飛び交っているが、結果としてそう言うことになるんじゃねえか? それと、戦場に残った兵士たちは、玉砕覚悟で総攻撃を仕掛けるらしい。メテオ様逃亡の時間稼ぎの為にな……」
「そうか……」
オスギは顔を俯かせる。彼が足元に目をやると、そこには真新しい車輪の跡が微かに残っていた。
(モンゾウの言う通り、メテオ様は戦場を捨ててお逃げになった。俺たちと同じようにな……)
暗い顔を見せるオスギの隣で、モンゾウが鞄の中を漁り始める。彼が取り出したのは大きな2つの握り飯。モンゾウはその内の一つをオスギに手渡す。
「オヤジさん。小腹が空いただろ? 俺がさっき陣所で握ったやつだ。食ってくれよ」
「すまんな。頂こう……」
2人は満天の星の下、歩みを進めながら握り飯を頬張る。
オスギは浮かない表情のまま、咀嚼した握り飯を飲み込む。
『――それであなたは明日食うメシが美味いかっ!?』
それは、イワナリが、戦線を離脱するオスギに言い放った台詞だ。
握り飯を口に含む度に、イワナリの怒号が脳裏に蘇る。
「美味い筈がなかろう……」
オスギが漏らした独り言に、モンゾウが反応する。
「ん? オヤジさん。口に合わなかったか?」
オスギはハッとする。
「いやいや! 全く関係のない独り言だ。気にしないでくれ……」
「そうかい」
モンゾウは不思議そうに首を傾げながら、握り飯を頬張り続ける。
その時だった。
突然、田舎道を突風が吹き抜ける。
オスギは姿勢を崩し、両手両膝を地面に付いた。
周囲にいたカルム男児たちは、姿勢を低くして、突風を耐え抜く。
やがて、突風が収まると、オスギはモンゾウの手を借り立ち上がる。
「オヤジさん。怪我はないかい?」
「ああ、大丈夫だ。ただ……」
オスギは地面を見つめる。そこには、ぺしゃんこになった握り飯。オスギが両手を地面についた際に押し潰してしまったものだ。
「あちゃ〜! やっちまったな~」
「すまない……」
「気にすんなってよ! それよりも、凄え突風だったな……」
「ああ、そうだったな……」
2人は穏やかな夜空を見上げた。
直後、後方からどよめきが起こる。オスギたちが後方を振り返ると、そこには恐ろしい光景が広がっていた。
「なんだ……あれは……!?」
オスギたち瞳に映し出された光景。
それはブルーム平原の上空で、稲光を纏いながら青紫色に発光する黒雲だった。その中央付近はぐるぐると旋回している模様だ。
突如として穏やかだった夜空に浮かぶ不気味な黒雲。その異様な光景にオスギの顔が青ざめる。
そして、モンゾウが言う。
「あれは敵の空想術か?」
「空想術だと?」
「ああ。敵は相当な猛者揃い。大技を使って南都勢を一気に抹殺しようとしてるんじゃねえのか?」
「抹殺……」
オスギの脳裏に再び仲間たちの顔が思い浮かぶ。
「モンゾウ、すまない。俺、戻る!」
オスギはそう言葉を残すと、もと来た道を引き返す。
「え? ちょっ!? オヤジさん、待てよ!」
モンゾウは、制止を無視するオスギを背中を追った。
――同じ頃、ヨネシゲ、ドランカド、イワナリの三者は窮地に立たされていた。
改革戦士団四天王サラが召喚した、自称「破壊神オメガ」が、ヨネシゲたちを襲う。
上空の雲渦から姿を現したオメガは、咆哮を轟かせながら地上に向かって掌を伸ばす。
ヨネシゲたちは、雷を纏わせながら迫る、その巨大な掌を見つめながら顔を青くさせていた。
ヨネシゲが顔を引き攣らせながら、両隣の2人に尋ねる。
「破壊神オメガって……なんだ……?」
額から大量の汗を流しながら、ドランカドが答える。
「トロイメライ神話に登場する神様っす。創造神アルファ女神が創り上げた世界を破壊する、恐ろしい神様っすよ……」
「じゃあ……あれは本物か……?」
イワナリが苛立った様子でヨネシゲに返答する。
「んなわけあるかっ! あれは想獣か幻影かのどちらかだ! そんなことより、どうすんだこの状況っ!? あんなデカい手で握り潰されたら、俺達は絞り滓になっちまう!」
足元の方陣のせいか、ヨネシゲたちの身体は石のように固まり、身動き取れず。
オメガの掌で握り潰され、圧死する運命を待つことしかできなかった。
ヨネシゲたちに掴みかかろうとするオメガの掌。サラはその様子を眺めながら、言葉を吐き捨てる。
「悪運尽きたわね。今度こそお終いよ、ヨネシゲ・クラフト……!」
片が付く。
サラがニヤリと顔を歪ませたその時だった。
男の野太い声が辺りに響き渡る。
「御三方、御免っ!」
「!?」
突然、衝撃波がヨネシゲたちを襲う。
彼らの身体は衝撃波によって、方陣の外へと弾き飛ばされた。
次の瞬間、天から振り下ろされたオメガの掌が、大地をえぐり、握り潰す。
方陣があった、ヨネシゲたちが立っていた場所には、大きなクレーターができていた。
――ヨネシゲたちは戦慄する。
衝撃波が、自分たちを方陣の外へ弾き飛ばしてくれなかったら――今頃、絶命していた。
ヨネシゲたちは自力で体を起こす。
先程まで自由を奪われていた身体も、方陣から脱出したことにより、その縛りから解放されていた。
そして、3人は立ち上がると、衝撃波が放たれた方角へ視線を向ける。そこには、見慣れた一人の大男が、右手を構えて仁王立ちしていた。
ヨネシゲが彼の名を叫ぶ。
「リキヤ様っ!」
衝撃波を放った人物。それは、ヨネシゲらカルム隊の指揮官を任されている、クボウ家・家臣「リキヤ」だった。
リキヤは、ヨネシゲたちをオメガの攻撃から回避させるため、咄嗟に衝撃波を放ち、彼らを方陣の外へと弾き飛ばした。リキヤのファインプレイでヨネシゲたちは命拾いしたのだ。
リキヤはヨネシゲたちに微笑みかける。
「少々手荒だったが、間に合って良かった。怪我はないかね?」
「はい、大丈夫です! 助けていただき、ありがとうございます!」
ヨネシゲは笑顔で言葉を返した。
サラは、その様子を眺めながら舌打ちする。
「チッ。悪運が強い連中ね……」
ヨネシゲは、浮遊するサラと上空のオメガを睨み付ける。
「さて、次はどんな大技を繰り出してくるんだ? お姉ちゃんよっ!」
怒鳴るヨネシゲ。その隣で、ドランカド、イワナリ、リキヤが身構える。
「アッハッハッハッ! この期に及んで、まだ自分たちの実力がわからないの?」
サラが再び右手を振り上げる。
「来るぞ!」
ヨネシゲたちは次なる攻撃に備えた。
ところが、予想外の出来事が起こる。
上空から睨みを利かせていたオメガが、突然その姿を消滅させたのだ。
呆然と立ち尽くすヨネシゲたちに、サラが言葉を放つ。
「弱すぎて、殺す価値もないわ……」
サラがヨネシゲ達に背を向ける。
「夜明けが近い――もう時間がないわ。だから、この勝負はお預け。次会う時までに、腕を磨いておきなさい。ヨネシゲ・クラフト……!」
ヨネシゲは声を荒げる。
「おいっ! お姉ちゃん! 逃げるのかっ!?」
サラは鼻で笑う。
「フッ。逃げるですって? 勘違いしないで。見逃してあげるのよ。冗談は顔だけにしてくれる?」
「ぐぬぅ……!」
ヨネシゲは、悔しそうにして歯を食いしばる。そんな彼を横目に、サラが言葉を続ける。
「正直なところ、あなた達に構っている暇はもうないの。夜明けには――タイガーとの決戦が始まる。それまでには、メテオを連れて南都に戻るように命令されているからね……」
サラは言葉を終えると空高くへ浮上していく。
ヨネシゲは彼女を呼び止める。
「おい、待て! どこへ行くっ!?」
サラは不機嫌そうにして顔を顰める。
「人の話聞いてた? 本当に物分りが悪いわね……メテオを捕まえに行くのよっ! 馬鹿と話していると頭が痛くなるわ……」
「ちょっ! 待てよっ!」
サラはヨネシゲの制止を無視して、南の方角へと飛び立っていった。
つづく……




